113 『ハンマーオブトール』
「いけない……!」
「みなさん逃げて!」
メークとアリエスが叫ぶ。暴君は高等術式の炎魔法を用いて、この周囲一帯を焦土に変えようとしていることを察したからだ。おそらく、少なくともベリーの広大な屋敷や敷地は完全に消えてなくなってしまうほどの規模の。
アリエスは逃げてと言ったが、実質的にはどこにも逃げ場はなかった。転移魔法や高速移動魔法を瞬時に使えれば別ではあるが……いまのアリエス達には、それらを瞬時に、フレイムタイラントが焦土魔法を使うよりも早くそれらを使うことが出来なかった。
そのとき、屋敷のほう、シャンディーとピナの背後から女性の声が聞こえてきた。危機迫るこの場にはそぐわない、どこか面白おかしそうな声音の、しかし淀みのない呪文の詠唱。
「『神はついつい鉄槌下す。背高者がついついお喋りするからトールが鉄槌下す。イカヅチ、カミナリ、バイバイ、ライライ。『ハンマーオブトール』』」
その瞬間、暗黒に染まる夜空から一筋の巨大な雷霆が落下して、暴君の頭へと直撃していった。落雷は暴君の身体を瞬時に駆け巡ったあと、その身体を完全に漆黒に染め上げて地面の下へと流れていく。不思議なことに、すぐ近くにいるメークやアリエスには何の衝撃もダメージもなかった。
「「いまのは……っ⁉」」
アリエスやメークが驚愕し、声のしたほうへ振り返る。シャンディーとピナもまた自分達のほうに歩いてくる人物を見やる。
そこにいたのは、以前シューグ家に画商とともに訪れたコレート夫人だった。
「コレート夫人……?」
アリエスがつぶやきを漏らす。どうして夫人がここにいるのか疑問に思ったのだが、その直後にベリーのつぶやきが聞こえてきた。
「……おば様……」
え……? と思わずアリエスはベリーのほうを振り向いた。ベリーは地面に手をつきながら上体を起こしていて、けれど心身ともに疲れきっているように、弱々しく上体を若干斜め横に傾けていた。
「おばさまではなくコレート夫人と呼びなさいと言っているでしょう? そんなことより、久しぶりに遊びに来たら、なんでこんなものがここにいるのかしらね?」
コレート夫人が炭化したような暴君を見上げる。状況はちゃんと把握しているのではないらしく、ただ単に危険なフレイムタイラントが危害を加えようとしていたから、とりあえず攻撃したといった感じだった。
そのとき、黒焦げになっていた巨人の頭部にピシリと亀裂が走り、バラバラと黒い表皮のような破片が地面に落ちて、再び炎の頭が表に出てきた。
「あら、わたくしの魔法を受けてまだ息があるなんて。けっこう丈夫ですのね」
そう言うなか、巨人の顔の前に小型の紅い魔法陣が出現し、レーザーのような炎の波動を夫人やシャンディー達へと射出した。
「みなさん⁉」
「お嬢様!」
アリエスとメークが叫んだとき、しかしコレート夫人およびそばにいたシャンディーとピナを囲むように透明の魔法のバリアが出現して、暴君の炎を防いでいく。




