表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/120

1 聖女様


 ……わたしが死んだ理由は、自殺では決してない。

 命を落とす間際、あるいは死後の世界と呼ばれる場所で、彼女はそう思った。




 話は彼女……アリエスが学園にいた頃に遡る。

 アリエスがいた学園には、生徒や教師達から聖女様と呼ばれて尊敬される女生徒がいた。彼女は生徒会長であり、学業優秀、家格は高貴な貴族であり、女神のように穏和で優しい性格で男女問わず高い人気があり慕われていた。


 ……表向きは。

 聖女様と呼ばれる彼女……ベリーは、他の者が誰もいないときに、アリエスを放課後の教室に呼び出して言ったのだ。


「貴女、ワタクシの為に悪役令嬢になってくださらない?」


 最初、アリエスは何を言われたのか理解が出来なかった。

 アリエスはまるで阿呆みたいに口をぽかんと開けていた。学園の憧れの聖女様に直接呼び出されて、緊張しながらもうれしくて浮き立っていた気持ちなど、風船がしぼむようになくなっていた。


「……どういう意味ですか?」

「そのままの意味よ。ワタクシの為に、貴女は悪役令嬢になるの。貴女が皆さんのひんしゅくを買うような悪どいことをやって、ワタクシがそれを見事に解決する。そうしてワタクシは一段と聖女としての誉れを高めて、ずっとずっと聖女であり続けるの」


 アリエスはまたも呆気に取られていた。開いた口が塞がらない……言葉として知っていただけの状態に、まさか自分がいまそうなるとは。


「それって……八百長をしろってことですか……? わたしがベリーさんのために、皆さんに迷惑を掛けろと……」

「だからさっきからそう言っているじゃない。貴女、頭悪いの?」


 フンと、ベリーは馬鹿にするような顔つきをする。いつも聖女と呼ばれている彼女からは、想像すら出来なかった顔だった。


「馬鹿な貴女には理解出来ないでしょうけどね、皆さんから憧れる聖女には、明確な悪役が必要なのよ」


 スタイルの良い身体つきを強調するかのように、もしくは自慢するように、ベリーは胸の下で手のひらをもう片方の肘につけるようにして腕を組む。


「官憲だって、犯罪者がいるから仕事が成り立っているんじゃない。犯罪者がいなければ、彼らはただの税金泥棒でしょう?」

「……そんなことないと思いますけど……」


 ベリーは眉を少しだけ動かした。アリエスが自分の意に反することをつぶやいたので、少しだけ気に障ったのかもしれない。


「とにかく、貴女はこれから悪役令嬢になってちょうだい。ワタクシの為に。これはお願いじゃなくて命令よ」

「……なんでわたしがそんなことを……」


 いくら学園の聖女様の言うことでも、こればかりは聞けなかった。いや、もはやこんなことを言っている時点で、彼女は聖女でもなんでもなかったのだろう。

 ベリーはお洒落にウェーブをかけた金髪を揺らしながら、ツカツカとアリエスへと近付いていく。アリエスの耳元に口を近付けて、悪魔の囁きのように言葉を紡ぐ。


「貴女のお父様、いまやっている事業が難航しているようじゃない。資金繰りが出来なくて、このままだと破産するしかないって聞いてるわよ」

「……っ!」


 がばっとアリエスはベリーから顔を離し、驚いた目で彼女を見る。

 父親の事業が難航していることは、家の居間で両親が話しているのをドアの外から立ち聞きしてしまったことがある。このままでは破産し、家族が路頭に迷ってしまうかもしれないと。

 フフンと笑みを浮かべながら、ベリーは彼女に続ける。


「貴女のお父様の資金繰り、ワタクシがワタクシのお父様に口添えして、援助してあげてもいいわよ」

「……っ」


 それはアリエスにとっては、まさに悪魔の取引のような提案だった。最初は反発しようとしていた言葉が、いまは心の奥底に深く浸入してくるようだった。


「貴女に拒否権はないのよ。いえ、厳密には拒否してもいいけど、そのときはワタクシがお父様に言って、貴女のお父様の事業を完全に潰してもらうことにするわ」

「……っ⁉」

「そしたら、貴女と貴女の家族はどうなるのでしょうね? 路頭に迷って、この学園からも退学して、住む家もなくすかもしれないし、スラム街で想像もつかない日々を過ごすかもしれない。生きる為に身体だって売るかもしれない。そんな人生、嫌でしょう?」

「……っ」


 反論すら出来なくなった彼女を見て、ベリーはニヤリと笑むと、再びアリエスの耳元に口を近付ける。


「分かったら、ワタクシの為に悪役令嬢になってちょうだいね。これはワタクシが聖女であり続ける為でもあるし、貴女の家族を守る為にも必要なのよ。もちろん、誰にも言っちゃ駄目だから、言ったときは分かってるわね?」

「…………」


 今度は、アリエスは拒否の言葉を口に出来なかった。

 何も言わない彼女を、合意と受け取ってベリーはツカツカと教室から出ていく。夕焼けに染まる室内にはベリーが付けていた高級な香水の匂いがほのかに漂い……そのなかでアリエスは手のひらをぎゅっと握っていた。



 それからの日々は、アリエスにとっては辛く苦しいものだった。

 アリエスが自分から考えて、自主的に誰かに危害を加えることはない。しかしベリーの指示によって、他の生徒や教師、学園で飼育しているウサギや鳥などに危害を加えていくのだ。

 そしてアリエスがおこなった悪行を、ベリーが解決し、ときにはアリエスを犯人として糾弾する。そうしてアリエスは徐々に不良学生のレッテルを貼られ、ベリーはいっそう聖女として輝いていく。


 最初は、それこそ簡単で子供じみた悪戯程度だった。誰かの上履きや教科書を隠したり、机に落書きをしたり床にチョークをばらまいたり……。

 それが徐々にエスカレートしていき、窓や天井や床を壊したり、教室の備品を盗んだり、ときには教師まで標的にして、水浸しにしたり体育倉庫などに閉じ込めたり……。


 学園内の花壇を荒らしたり、飼育動物を死なない程度に傷付けたり、廊下を歩く者にボールを投げつけるなどのこともあった。ただし、ボールは実際は人には当たらないようにして、他のことも怪我人が出ないように注意しながら。


 その度にアリエスは目撃者や被害者に聞こえるようにキャハハと悪女のように笑いながら逃げ去り、その後にベリーが颯爽と現れて被害者に優しい言葉をかけたり、魔法で怪我した動物や壊れたものを治していくのだ。


 そうしてベリーは感謝され、人々からの賞賛と尊敬を常に浴び続けていき……アリエスは札付きの悪女として生徒や教師を含めて周囲の者達から恐れられていくのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ