ハイこちら上海亭って好きだねかっちん
いわゆる舞台設定と、背景世界の現状を、下町のラーメン屋のテレビと、それを見る主人公達の台詞とリアクションで説明してみました(笑)。
「コミケ行きたい」
かっちんカサンドラ美貴がいきなり言い出した。
コミック「ブ×ックラ×ーン」のメイドアサシン・ロ××タ様のコスプレをやりたいのだそうだ。
私達はそれこそ死に物狂いで引き留めた。
現役のリアルメイドアサシンが、フィクションのキャラの模倣をやってどうするというのだ。
室内プロレス三つどもえの激闘の果て、どうにか断念させてなお、かっちんはしつこくのたまうのであった。
「んじゃんじゃ次の現場でイメチェンするから。髪を三つ編みにしてだて眼鏡掛けて、モーちゃんはちょっとお休みさせて、おっちゃんにインベルM911と日傘に仕込んだフランキ・スパス一二を」
「いけませんッ!!」
ぜいぜい。以上でプロローグおしまいっ。
喫茶店で私達メイド三人娘のお茶する姿が、どれだけ絵になっていたかについては既に触れたが、これが下町の中華料理店での食事となるとどうなるか。
結論から先に言うと、相当にシュールである。
後から来たお客さんは皆入口で数秒間棒立ちになり、こちらをぽかんと眺めている。
最初この店を訪れた際、オーナーの陳さん(禿頭でちょび髭のいかにもなおっちゃん)ですら「いらっしゃ」の最後の「い」が咽の奥で固まってしまったくらいである。
もっとも馴染みになってからは「おっまた来てくれたねメイド三人娘っ」と喜んでくれている。
そもそもこの店を見つけたのはかっちん美貴なのだが、店名を目にするなり「あっここここ、ここがいいっ!」と言い張って聞かなかったのである。
店の名は「上海亭」。ありきたりの店名、薄汚れて小さな店構え、カウンター席の他はテーブルが四つ、絵に描いたような下町のラーメン店。
これで「遅い・高い・まずい」だったら、美貴はお風呂で水責めの上、布団でパジャマ姿の拷問と相成っていた筈だったが、幸いこれが大当たり。
「にっひひーっ、ワタシのカンに狂いは無いのだァ! わーっはっはっはっはっはーァッ!!」
とまあ帰り道あいつは大々得意でVサイン出しまくりだったのである。やれやれ。
その日も私達はテーブル席にて、肉ギョウザの大盛りの皿を囲み、私はミソチャーシュー、美貴がタンメン、由美がネギ大盛り醤油味を黙々と(うまいうまいと)食していた。
喫茶店の時とは違って、そのあまりの場違いさに、他の客は皆、何やら見てはいけないもの、触れてはいけないものがそこにあるように、ちらちらと私達に視線を向け、顔を赤らめ、そして食事を続けるのであった(客の中に当然ケルベロスの奴がまぎれ込んでいて、こちらに聞き耳立ててる事は充分あり得るけど、こういう所であいつらが喜ぶようなお話は、ウチら初めから一切しません。残念でしたバカバーカ)。
だがやはりどっかのガハハ親父みたくタチの悪いのは必ずいる。レバニラ炒めあたりで一杯やりながら「よう姉ちゃん。こっち来て酌しろやァ」などと真っ赤な顔を振り向けて大声を上げるおっさんが、時々出現するのである。
陳さんはしっかりと「お客さん困るね」と注意してくれるのだが、この種の酔っぱらいはどうしようもない。
「うるせー! 俺はメイドの姉ちゃん達と話してるんだ!」
こういう場合はまずメドゥサ由美の一睨みで固まらせ、カサンドラ美貴がシナチクかナルトを指で弾いておっさんの口に放り込み、B・Bの私が割り箸をピシッとへし折って構えると(ウチらにとってはこれで充分な凶器だ)、大体相手は真っ青になって「お、おやじ、かか勘定ッ」と支払いを済ませてそそくさと出て行くのであった。
「いやああんた達のおかげでタチの悪い客減って助かるよ。あんた達何やってる人か」
と陳さんに感謝された上で訊かれたものだが、まさか本当の話はできない。
「えーと、三人共合気道やっててぇ」
「バイト先が(メイド服のフリルをつまみ)この種の喫茶店」
「です」
などと言ってごまかしている。
店のお手伝いの女の子は東南アジア系で、ナァちゃんと呼ばれている。由美より小柄だが目のくりっとした可愛い子で、しかも気の利く働き者。私達ともすぐ仲良くなった。陳さんも実の娘のように可愛がっている。でもある日、陳さんが勘定の際、彼女が出前に出ている間に、教えてくれたのだ。
「あの子可哀想なのよ。ミャンマー人。軍のクーデター後、帰れない。せっかく日本の美術、勉強しに来てたのに。おまけに国の家族、軍のせいで仕事無くした。今彼女、学校やめて、せっせと仕送りしてるよ」
······私達がミャンマーで戦っているニケの姐御達に、彼女の為にも頑張って欲しいと思ったのは、当然の事だろう。
話を戻すと、その日、私達は店の天井隅のテレビがやけに騒々しい事に気がついた。政治討論番組らしいのだが、参加者みんな興奮して怒鳴り合いになっている。本来冷静に仲裁すべき司会者までが、白髪頭を振り乱し、両の拳で自分の胸を、ゴリラよろしく叩きながら吠えていた。
「ここんとこ、こんなんばっかだね」
チャーシューを噛みちぎり、私が言う。
「議論してんのか喚いてるだけなのか、どっちだよまったく」
と美貴が吐き捨てる。
「自分の声しか聞こえてない」
と由美がぽつり。
ナァちゃんが私達のテーブルの横にすっと立ち、盆を抱え、不安げにテレビを見ながらつぶやいた。
「ニホンも、どうなるの?」
「うーん」
私達は考え込んだ。本国の家族や友人達が心配でならない彼女にとって、今いるこの国もまた状況が不安定というのは、二重に堪らない事だろう。
「今の日本、東と西に事実上、分かれちゃっているからね。でもあくまで政治的な意味で、行き来は自由だし。それにね、上の方はどっちも、軍事的な衝突だけは避けたいと、思っているの」
と私はナァちゃんに説明する。
「ホワイトハウスが内戦勃発と同時に、在日米軍総引き上げだ、そう言ってんの。それでどっちも動くに動けず、睨み合ってる訳」
と美貴が続ける。
「三すくみなの」
と由美が締める。ナァちゃんは首をかしげ、考え込む。
「び、ビミョーでフクザツ······」
その時、カラカラと扉が開いてお客さんが入って来た。ナァちゃんはすぐに「いらっしゃーい」と言いながらお冷やを取りにカウンターへと戻る。私達は嘆息しながら話を続ける。
「関ヶ原合戦から幕政末期の動乱以来の東西の確執なんか説明しても、あの子をますます混乱させちゃうわね」
「まあ西の自衛軍はとっくに徳川の看板下ろしちゃってるけどね」
「でも内戦になって米軍撤退したら」
私達は箸を止め、黙り込んだ。
「······やっぱ来るよねー、ロシアに中国」
「それと便乗して半島」
「もう滅茶苦茶」
「まわりは全部敵状態で、ひたすら乱闘」
「デスマッチかあ。日本は滅びるね」
「テレビがもうそれ」
目を吊り上げた、若手の政治評論家と称する男が、何やら金切り声で叫んでいた。
「この状況下において総選挙などという生ぬるい事をやっている場合か! 今こそ東西雌雄を決すべし! 一戦恐れるに足らずである! 在日米軍など元より不要! 喜んで送り出そうではないか! 来襲する外国勢力など必勝の信念をもって打ち払うのだ! さよう、今こそ攘夷決行の最良の好機であーるッ!!」
「ありゃあ何だ」
私は呆れ果て、左手のさじをスープの中に落としてしまった。
「どっち派でも過激分子の言う事は似たり寄ったりよ。ネットなんかもう、見るに耐えない」
と肩をすくめて美貴。
「攘夷なんてダサい」
と由美。
お冷やを運び、客の注文を陳さんに伝えたナァちゃんが、再び傍らに立って尋ねる。
「あのテレビの人、何言ってるの?」
「んー、気にしなくていいよ。バカが騒いでるだけだから」
「自分でも何言ってんのか判んないのよ」
「そういうのが増えたの」
まあこの状況下においてもコミケとか開催して、日常を半ば強引に維持しているところが凄いというか、何というか。さぞかしナァちゃんの目には不思議の国と映っている事だろう、この日本は。
テレビでは通称佐幕派、つまり徳川政府擁護派の年配の政治学者が、顔を真っ赤にして反論している。
「君はこの国を滅ぼすつもりか! 薩長も徳川もあったものではない! 今どき攘夷など狂気の沙汰だ! 君も日本人ならなぜこの危機的状況下にあえてそのような扇動を行なうのだ!」
「米国の犬は黙ってろ!」
年配の学者は激昂した。
「何が米国の犬だ! このニセ愛国者めが! そういう貴様は中露の犬ではないか! いたずらに世論を混乱させる事こそが貴様の目的──」
「違うよ、こいつは半島の犬さ」
別の人相の極度に悪い評論家がせせら笑ってそう言うと、どっちの事を言ったのか判らないのに、なぜかどっちも逆上した。
「何だとこの野郎ーッ!!」
つかみ合いと殴り合いが始まり、討論番組は乱闘番組と化した。司会者自ら「お前ら全員日本から出てけーッ!!」と絶叫しながら殴り合いに参加していた。
もはや笑う気にもならない。
陳さんがうんざり顔でテレビのリモコンを手にした。
「お客さん達。チャンネル変えてよろしいか」
「早くしてくれー」
「せっかくのメシがまずくなる」
「お願い変えてー」
私達もうんざりだった。
「でもここんとこみんなこの種の番組ばかりね」
陳さんがぼやきながらチャンネルを変えると、そのうちのひとつで由美が声を上げた。
「あ。将軍様」
江戸城の大広間で将軍記者会見が行なわれており、上座に上下かみしも着けて正座した第二十代将軍徳川家舜公が、数十本のマイクとレコーダー、そして厳重警護下で数メートルの間を置いて、内外の記者団とカメラマンに囲まれ、苦渋の表情を浮かべていた。「生中継」というテロップが入っている。
「おお、徳川さんの会見ね。皆さんこれでよろしいか」
皆無言で頷いた。私達は東京都民というより江戸市民だから、徳川将軍には同情的なのだ。まあ時代の流れは流れであり、命を投げ出して戦おうとするのは少数派だけど(ちなみに仕事でやれと言われればウチらはやる。でも今のところその話は無い)。
店の古風な黒電話が鳴り、陳さんが出た。
「ハイこちら上海亭っ」
何やら美貴がうっとりしているがほっとこう。
テレビの中では大手新聞社の記者の一人が質問していた。
「昨今の情勢についての公方様の率直な御意見をうかがいたいのですが」
現在年齢五十代半ばの、端整な顔立ちをした家舜公は、言葉を選びつつ慎重に答える。
「徳川政府の制度疲労による衰退は歴史の必然との意見もござる。しかしすべては拙者の不徳と致すところ。ただただ、己の非力さ無力さを痛感する次第。神君家康公に面目立たず、何より一億国民にお詫び申す」
現代日本で実際に髷まげを結っているのは将軍とお相撲さんくらいだが、毎朝本当に月代さかやきを剃っているのはこの人だけだ。その青ざめた広い額に脂汗をにじませながら、将軍は誠意をもって答弁していた。
「私の国の今の将軍、悪い」
テレビをじっと見つめてナァちゃんがつぶやき、言葉を続けた。
「でもこの国の将軍様、悪く見えない」
「そうねぇ。この人はあくまで国のシンボルであって、実質的な権限・権力は、何も持ち合わせていないのよ」
と私が言う。
「だけど何かあった時は全部責任をしょい込まされる立場なんだ」
と美貴。
「可哀想なの」
と由美。
その時、カウンターの陳さんから声がかかった。
「ナァちゃん。いつもの堀口さんからね。いま支度するから出前頼むよ」
「ハーイ」
ナァちゃんはカウンターの中へ入って行く。その小さな背中を見送りながら、痛ましさに身が震える思いで私はつぶやく。
「あのミャンマーの将軍、姐御がぶっ殺しちゃえばいいのにっ」
美貴がかぶりを振る。
「あー気持ち良く判るけど駄目駄目。あいつ一人潰しても無駄。独裁者ですらないもん。あそこは国軍ぜーんぶ腐ってっから」
「すぐ次出て来る。ヒドラみたく」
ギリシア版ヤマタノオロチ(あっちの頭は九つだけど)のたとえを由美に出されて二の句が告げず、私は腹立ちまぎれに肉ギョウザを丸呑みする。
「うぐぐーっ」
「何やってんの」
「ほら水」
「ごほごほっ。し、しかし、文民統制の確立が、民主化の前提条件である以上っ」
「そこよねー。まず腐敗した国軍の解体だけど、それは武力によって徹底的に敗北させるしか、方法無いじゃん。かつての日本軍みたく」
「内戦? それとも国連軍で?」
「······どっちにしても大惨事だなぁ。朝鮮かベトナム並に悲惨な事になるね」
「ニケ様達が今やってんのは、あくまでジャングルのゲリラ戦だし」
「どうしよう」
「まあウチらもどうなる事か判んないけどね」
「とりあえず食べよう」
「うん」
テレビの中では薩長系メディアの記者が無遠慮な質問をしていた。
「将軍。この膠着状態の均衡が崩れ、外国勢力の介入を招いて、国の独立が失われる事態に至った場合、どのような形で責任を取るおつもりか。切腹する覚悟はお有りか否か、お聞かせ願いたい」
「今の記者、殺す」
由美がぽつりとつぶやいた。まずい。目が完全にマジだ。私達は震え上がった。
「めっち。由美。ほら。チャーシューあげるから」
「ゆで玉子、おいしいよ。食べて」
私達は後の楽しみに取っておいた具をめっちんのどんぶりに捧げた。メドゥサを怒らせてはならない。めっちんは捧げられた具をじっと見つめ、つぶやいた。
「冗談だから。戻して」
「いいのいいの」
「お願い、食べて」
私達も必死だ。カウンターに向かい、
「おじさん、シューマイ追加っ」
テレビの中の将軍はフラッシュの集中砲火を浴びながら、無言で目を閉じていた。
ほどなく、将軍はその双眸をカッと見開き、右膝を立て、ずいっと半身を乗り出した。記者団は一斉にどよめき、のけぞった。
そして将軍はこう言い放ったのであった。
「我が祖父第十八代家堯公は、大陸における軍部の暴走、対中対米開戦を阻止できなんだ責任、及び東亜太平洋戦争(日本における第二次大戦の呼称)の敗戦において、国を滅亡の一歩手前に追い込んだ責任、それら一切の咎とがはすべて我が身に有りと、この場にて明言し、即切腹して果て申した。万が一、そのような事態に再び至った場合、拙者もまったく同じ覚悟である事を、ここではっきりと明言致す。方々、よろしいかッ」
記者団は絶句し、重い沈黙をもってこれに応えた。カメラのフラッシュを途絶えてしまった。上海亭内も静まり返った。
「言っちゃったよぅ」
無声音で私がささやく。
「大変だァ」
と美貴。
由美は無言でテレビを見つめている。
と突然、テレビの中の将軍は、ハッハッハッと明るい声で笑い出したのであった。
「いや、この腹ひとつで事態が収まるものであればと思うてな。まあそのような事にならぬよう、拙者も改めて粉骨砕身努力致す。方々、会見は以上でよろしいかな」
かくて妙に楽観的雰囲気となって、将軍記者会見は終了し、こちらの店の中もほっとした空気である。
「いやあ徳川さん、良くできた人よ。これならきっと、大丈夫ね」
陳さんが言い、みんなもうんそうだ、そうだなぁ、おっちゃんビール追加、皿うどんちょうだい、こんな感じになった。
「ウチらもビール頼もうか」
美貴が言い出した。
「何言ってんのよ、馬鹿っ」
「陳さんに怒られちゃう」
その時、店の黒電話がまた鳴って、陳さんが受話器を取り、いつもの返事をするのであった。
「ハイこちら上海亭っ」
「ああっ、これがいいのよ、たまんないーッ」
美しい唇に麺の切れ端をすすり込み、割り箸を握りしめ、感に堪えぬという表情で、かっちん四条畷美貴は口走るのであった。
私と由美は異口同音につぶやく。
「好きだねー、かっちん」
次回は中盤のプロローグにして彼女達の「初めてのお仕事」の回想、そして「女神樣」の御登場です。