瑞谷先生と原宿でタピオカ飲みに行くんだ
今回初登場の精神科女医さんは、アニメ「転スラ」からの厳密には借り物キャラですが、pixivの二次創作長篇における主役であり、深い愛着がありますので、何とぞ御容赦願います。虚構とはいえ不良少女の更生があれほど難儀だったとは。御本人も大変でしたけど(泣)。
えーっとぉ。
「前回」が諸般の事情で「番外篇」って事で、今回がシリーズの「四回目」になりまーす。
まあ「番外篇」の語り手は、私じゃなくてめっちん、由美だったんだけどぉ、誰が見たってあの子の方が「語り手」に向いてんのよね。
全体落ち着いてて、冷静で、客観的で、第一読み手に向かって、潰すとか殺すとか、言わないしぃ。
それと確かに、修羅場鉄火場では私がトリオの指揮執とってるけど、三人娘の実質リーダー格はあの子だって事、もうお判りでしょ、「番外篇」で。
大体私達が会話する時って、ほとんど私・美貴・由美の順で、つまり「締め」はいつもあの子がやってんの。簡潔に、ピシッとね。
だもんだからさー。今後の語り手はめっちんお願い、ウチもーめんどー、そう言ったら、あの子例によって親指二本超高速ローマ字スマホ入力やりながら、
「一回きりの約束。自分のラノベで忙しい。あんた『タイトルロール』の責任ある」
珍しくも三センテンスを費やして断られてしまった。
ま。で。「四回目」以降の語り手も、引き続き私、壇ノ浦佳代ことびーびーちゃんが担当しますんで、よろしくっ。
え。美貴。駄目ダメだめ。あの子に語り手なんかやらせたら、話があさっての方向に飛んでって、それっきり戻って来ないの確実。大体さー、モーゼル拳銃開発秘話がいきなりバッハの二百曲ある教会カンタータの個別の違いの話になって(ベルリオーズ一辺倒って訳ではないのよね)、それが突然東×怪獣映画の話になっちゃうなんて、一体どこの誰がついていけるっていうの? ああ目を開けたままぐっすり眠れるめっちんがうらやましくてたまんない。かっちんだって頭は凄くいいのに何でいつもああなんだか。ほんとエキセントリック美貴だわ。という訳でおしゃべりかっちん語り手の件は却下っ。
あ。そーいえば私、仕事にかかる前、「バッコスの信女」の合唱隊の歌の一節を歌う際に「節は自前でてきとー」って以前言ったと思うけど、あれ嘘。実はかっちんにテキスト見せて「今度ここ歌いたいんだけどー」って言うと、かっちん即興でメロディ付けてくれんの。これがまたきれいでサマになってて。先日の新宿で愚連隊相手にした時歌ったのもとーぜんそう。だからあの「自前でてきとー」ってのをかっちんに万一読まれでもしたら、私は彼女の「モーちゃん」で蜂の巣にされても文句は。
「おちゃびーっ」
げ。美貴。い、いつの間に。ち、ちょっとやめてよ何する気それって卍固めぐぎゃああああああっ。
週に一度、私はアポロン精神神経科病院に入院中の母を見舞う。
その時の私はいつもセーラー服を身にまとう。これが一番母を落ち着かせるという、病院側の指示によるものだ。
月に一度、美貴と由美も同じ姿で私と共に病室を訪れる。母はそのたびに子供のように喜ぶのだ。
「ああ、美貴ちゃんに由美ちゃん。いつも佳代と仲良くしてくれて、どうもありがとう。これからもいっしょに遊んであげてね」
「はーいっ」
二人はニコニコ笑いながら声を揃えて答える。病室を出て、角を曲がって、私達はいつも三人抱き合って泣くのだ。
その日の私は一人だった。
私が病室に入ると、ベッドの上に座っている母が、窓外の街並みに向けていた顔を、ゆっくりと私の方に動かす。
無表情な、老いた顔。ガラスのようなその目。髪は何年も前から真っ白だ。
私をじっと見つめている。誰だかまだ判らないのだ。その胸に抱かれているのは古びたフランス人形。私がいない間の私の代わり。
「母さん」
私は精一杯の笑顔でそう呼びかける。
じわっと母の瞳に光が宿る。
口元がほころぶ。
やっと私が誰だか判ったのだ。
私はベッドに歩み寄る。
「ああ佳代。よく来てくれたねぇ」
「顔色いいね、母さん」
「それより、お前もやっと中学生なんだねぇ。母さん嬉しいよ」
母にとっての私はいつまでも中学入学の頃のまま。私は母に向かって手を伸ばす。母はフランス人形を脇に置き、私と抱き合う。頬が重なる。私はぼろぼろ涙をこぼす。
天井の隅の監視カメラが二方向から私達を見張っている。盗聴器も仕掛けられている。内務班の奴らが監視室で、またお涙ちょうだいの一幕が始まりやがったと、あくび交じりでモニターを眺めているのが目に浮かぶ。人でなし共。私は涙を流しながら母を抱きしめる。
そして会話。私達は手を握り合う。母の手はぶるぶる震えている。学校での出来事。勉強の事。友達の事。先生の事。みんな何度も繰り返し話した作り事。実在するのは二人の友人、美貴と由美だけ。もちろん彼女達について語る話もみんな嘘だ。新しい学校でみんなで楽しくやってます。そんなとりとめの無い嘘八百を聞かされるたび、母は童女のように顔を輝かせ、喜んでくれる。そして私は「また来週」と言って、病室を後にする。
そのままトイレに駆け込む。ここはさすがに監視カメラも盗聴器も無い(やってみろ。ぶっ殺してやる)。そこで大声で泣く。時々吐く。もう何十年もやっている気がする。
その日は瑞谷先生のケアを受ける日でもあった。私は約束の時間ぎりぎりで涙を乾かし、何事も無かったような顔をして、先生の診察室を訪れた。
「こんにちは、先生」
そこには天然茶髪のプリンみたいな髪型で、今にも折れそうな細い身体を白衣に包み、端整できれいな顔に美しい笑みを浮かべた、瑞谷先生が待っていた。
「いらっしゃい、佳代」
先生はそう言いながら、いつものように応接セットのソファに座るよう私をうながす。診察室といっても精神神経科のそれだから、患者をリラックスさせる事を優先させており、部屋の隅にはいかにもな「お医者さんの机」があるけれど、それは先生が一人で使うものだ。
先生は手ずからおいしい紅茶を入れてくれる。そして私と向かい合ってソファに腰掛け、「ケア」が始まるのだ。
先生の背後にはアテネのアクロポリスの丘にある、エレクテイオン神殿の写真が壁画のように飾られている。その屋根を支える柱が三本、アップになっているのだ。それがいわゆるカリアティードと呼ばれる美少女像である。それぞれ頭で重そーに屋根を支え続けている健気な彼女らは、月の女神のお付きの女の子達なのだ。
瑞谷先生のコードネームが「アルテミス」である事は先に触れた通り。つまりこの写真のカリアティード三本柱は私達三人娘そのものって事。診察室でこれを眺めるたび、私達は何だか凄く元気づけられる気がするのだ。
もうひとつ、テーブルの上には高さ二十センチくらいの、今はルーブル博物館にある「サモトラケのニケ」像の精緻なブロンズ製レプリカが飾られている。頭部と両腕が失われているにもかかわらず、両翼を力強く広げたその雄々しさ美しさで、全世界の人々を魅力し続けている像だ。
めっちん由美が語っていた通り、私達三人にアサシン技術のすべてを(不本意ながら)叩き込んだ「勝利の女神ニケ」の姿がこれである。まさに姐御そのもの。そして瑞谷先生と姐御は親友である。
ちなみにこの部屋にも当然監視カメラと盗聴器が仕掛けられており、私達が何やら余計な事を話していないかをケルベロスがチェックしている。私達は目線と唇の動き、そしてモールス信号によって互いの意思を通じ合う事ができるけど(瑞谷先生の技術は卓越しているのだ)、相手もまた読唇術を使い、また盗聴の音量を上げて聞き耳を立てている筈だから、こういう所であえて危険を犯すようなまねはしない(盗聴器がテーブルの裏に仕掛けられているのは判っているので、話が「ヤバい」ところにさしかかり、先方が「おっこれは」と身を乗り出した瞬間、膝をガツンとテーブル裏に打ちつけ、「痛ァい、ぶつけちゃったァ」とやってやるのだ。ガンガン耳鳴りがする中で、何て性格の悪い小娘だと頭から湯気を立てている事だろう。ざまみろバカバーカ)。
瑞谷綺羅々。月の女神。若く美貌の精神科医。このアポロン精神神経科病院が、実はスパルタ・クリーニングサービス(SCS)の「社員」にとっての総合病院である事は前にも触れた。瑞谷先生はその中で精神神経科の医療主任なのである。彼女のサポート無しには現場に赴く事ができないというアサシンメンバーは少なくない。SCSという会社組織の運営上、彼女は欠かせぬ存在であり、そしてまた「要注意人物」でもあるのだ。
彼女がこの病院に勤務を始めたのは、私達が仕事を始めた時期とほぼ重なる。それまで彼女は研修医として研鑽を積み、私達は三人だけの「中学校」で学ぶと同時に、あのニケの姐御にしごかれていたのだ。
彼女がどうしてこの組織に取り込まれてしまったのか、詳細は不明である。ただSCS創設メンバーに彼女の今は亡き両親が加わっていたらしい。彼女は十代半ばで精神医学を志し、アポロン病院への「就職」は早い段階で決まっていたようなのだ。私達がメイド服のアサシンとなる事が、幼少の頃より運命づけられていたのと同じ様に。
「お母さんの具合、どう?」
瑞谷先生は心配そうに尋ねる。私は紅茶を一口飲み、寂しく微笑して答える。
「相変わらずです。良くもなく、悪くもなく」
「そう······。あなたのお母さんの主治医は院長先生だから、私はタッチできないのよね」
瑞谷先生はその不合理をあえて口にし、嘆息する。不思議な話である。医療主任でありながら、特定の患者を診察する事が、上から許されていないのだ。その「主治医の院長先生」なのだけど、これまた不思議な事に、私はほとんどお話しをした覚えが無い。
つまり母の「治療」は事実上されておらず、特に話す事も無い、という訳である。母はあのままの状態が一番幸せなのだ。下手に「治療」して記憶が蘇り、現実を直視するような事態となれば、それこそ地獄である。そういう事なのだ。私もこの点は納得している。返済まであと十年はかかる莫大な借金を残して夫は死に、娘がアサシン稼業でせっせとそれを返し続けているなんて、どうして「正気」に返った母に聞かせられたものか。その時点で母は死ぬか、今度こそ完全に発狂するかのいずれかなのは、火を見るよりも明らかな事だった。
それと。あのダイダロスのおっちゃんの娘さん。私らと同じくらいの年頃で、ここにずっと入院しているのだ。難病──パーキンソン病と聞いてる。専門の病院に転院させたいって、先生もおっちゃんも言ってたけど、何せここはタダだから。おっちゃんの給料安くて、転院はとても無理だって。苦しいよね、どこもかしこも。
院長先生の話をすると、この病院が太陽神であり医術・音楽その他を司るアポロン神の名を付けられている以上、当然そのトップのコードネームもアポロンであって然るべしだが、これが違う。
大体たまに見かける院長先生(私が挨拶しても頷くだけ)は、もう六十に手の届くお爺さんで、ドイツ人の血が八分の一混ざっているというその容貌は、いかにもな鷲鼻、青みがかった瞳に鋭い眼光、針金の束のような銀髪と、とてもアポロンというイメージではない(大体アポロンはアルテミスのお兄様なのだ!)。
彼のコードネームは「プルトン」。ギリシア語で「富める者」の意味だそうだが、実は黄泉の国タルタロスの支配者ハデスの別称なのである。
ハデスはクロノスの子でゼウスの兄。支配している場所が場所だけに、嫌われ者。それをあえて「いい名」で呼んであげるのは、ちょっとウチだけは勘弁してよという、今も昔も変わらぬ人間の習性。しかし「冥界王」を「富める者」と呼ぶのは、ブラックユーモアの一種と言えない事もない。
だけど「太陽神アポロン」の名を冠する病院の院長が黄泉の国の支配者というのは、いくら何でも悪すぎる冗談だろう。つまりこの病院こそがタルタロスなのだ。私の母、ダイダロスのおっちゃんの娘さん、アサシン稼業に疲れ、あるいは身を深く傷つけられ、入院を余儀無くされた私の先輩・同僚達が、大勢このタルタロスより脱け出せずにいる。
瑞谷先生は(診るに診られぬ私の母を除き)必死に心を病んだ彼らの治療に専念し、立ち直らせようと努力している。だが同時にそれは彼らの「現場復帰」を助ける事であり、先生の悩みは深まるばかりなのだ。
彼らを「退職」させ、「堅気」として社会復帰させる事も可能ではある。だがその場合は薬物とマインドコントロールによって彼らの記憶を操作・消去し、別人に仕立て上げてからでなければならないのだ。
何が彼らにとって幸せなのか。瑞谷先生は苦しんでいる。そして先生にとって最大の悩みのタネというのが、私達メイド・アサシン三人娘に他ならないのだ。
「今日私達、何人殺したろ」
そんな会話を交わしながら、私達三人は川の字になって布団に横たわり、眠りに落ちる。眠れない、という事は、まず無い。ぐっすり眠れる。夢も見ずに。私達三人は「夢」というものを見た事が無いのだ。何があっても熟睡(爆睡とも言うが)できる。そして一夜にして如何なる身心の疲労もほぼ完全に解消してしまえるのだ。普通こんな事はあり得ない。いわんや悩み多き思春期の少女においておや。
改めてはっきりと言う。私達はおかしいのだ。
瑞谷先生にとって私達は「ケアの必要が無い」事そのものが「どーなっちゃってるのあなた達ってーっ!?」という意味で、心配でならないという訳である。それに対して私達は「ウチらだって判りませーんっ」と返すしかない。
とりあえず日常の会話だ。監視下の。
「まあお母さんについては現状維持と言う以外、私からは何とも······」
「仕方がありませんよ」
私が逆になだめるようにそう言うと、瑞谷先生は微苦笑して、気持ちを切り替えるように黒タイツの足を組んだ。ああ、いつも思う事だけど、白衣の裾と黒タイツに包まれた細い足とのコントラストがうっとりする程美しい。女の私の目にそう映るくらいだ。この部屋で男性患者(しかも大半が現役アサシン)と二人きりになって、こんなポーズ取ったりしたら、何されるか判んないじゃんと心配になってしまうが、そうなるとケルベロスによる監視というのはとても頼りになるわねぇと思えて来るのが皮肉な話だ。よしよし。今回はテーブル蹴飛ばしたりしないから、ちゃんと瑞谷先生護ったげるのよ、三ツ首の番犬ちゃん。
なんて思っていたら、瑞谷先生がまっすぐ私を見据えてこう言った。
「という訳で、壇ノ浦佳代さん」
「はいっ、何でしょうか」
私は背筋を伸ばして答えた。先生は真剣な表情で尋ねた。
「あなた。男の子に興味は無いの?」
「ありません」
私はきっぱりとそう答え、言葉を続ける。
「この点は美貴も由美も同様です。と言っても私達別にいわゆるビアンって訳でもありませんし。ほとんど毎晩川の字になって寝るのも、お風呂にいっしょに入るのも、子供の頃からの習性です。三姉妹ですね、事実上」
「じゃあその······同年輩の男性に興味が無くて、女性も対象外となると、やっぱり、その」
「あのー、私達確かにどちらかといえば中年男性が好みかもしれませんけど、それは例えばダイダロスのおっちゃんとか、ケイロンのおじさんとか、頼りになるパートナーとして好きって意味であって、誰とは言いませんけど脂ぎったガハハ親父とかは」
「判った。そこまでっ」
瑞谷先生は片手を上げて私のおしゃべりを制した。数秒の間を置いて、私は先生に尋ねた。
「やっぱ変ですかね、私達」
「······まあ公立小学校であなた達三人があらゆる面で飛び抜けていたという点だけ見ても、既に幼児期から尋常な存在ではなかったのは、確かだけどね」
瑞谷先生は手元の書類をつくづく眺め、さも不思議そうにつぶやくのだ。
「でも一連のデータからすると、あなた達はどっから見ても、普通の女の子なんだけどねぇ」
それって絶対改竄されてる。だけどそんな事は先生も私達も承知の上だ。おかしいなー、どーしてかなー、まっいいか。あくまでそういう風に反応するのだ、今は(ちなみにこの病院、コンピューターはもちろん使っているけど、ハッキングを警戒して、電子カルテは採用されていない。だから紙に書かれた『本物のカルテ』は、人知れず地下の秘密の資料室に保管されているという訳)。だけどたまには冗談めかして言ってみる。
「まーこないだ三人で、私達ってもしかして自分は人間と思ってるだけの、サイボーグかアンドロイドじゃないかって、話してたんですけどね。先生。どう思います?」
「昔のマンガじゃあるまいし。何を言っているのよ、あなた達」先生は苦笑する。「大真面目に言うわ。あなた達は正真正銘の人間の女の子よ。その点だけは保証するわよ」
「安心しました」
私も大真面目に頷き、先生と同じように足を組み、さらには腕組みをして小さくかぶりを振りながらこう言った。
「ふーむ。戦闘美少女の精神分析って、難しいですよね、やっぱり」
「自分の口から臆面も無くそう言っちゃえる君も相当なもんだね」
組んだ膝の上に頬杖突いて私をじっと見つめながら瑞谷先生はつぶやく。
「そういや『戦闘美少女か。わしはどちらかというと銭湯美少女が好みだな。ガハハ』とどっかのおっさんが」
「話を変えましょうっ」
「つまり『男の子に興味が無い』上に、同性にも中年男性にも性的関心を持ち得ない思春期の少女三人を前にして、先生は困惑されているのですね」
「御本人からそう改まって切り返されると、私も改まって困惑しちゃうわね」
「まあ恋愛については興味が無い訳ではないのです。フィクションとして楽しむ分にはという意味ですけど。例の由美が書いてる大河恋愛ラノベは私も美貴も愛読者だし(自分達がモデルの女の子がどうなるのか、気になるっていうのも大きいですけど)。美貴なんかこの間ベルリオーズ聴きながらジュリエットになり切ってたし。しかしこれってミステリーの愛読者イコール犯罪者じゃないってレベルの話であって」
「そのたとえが適当かどうかは別として、言いたい事は判るわ」
「先生。ひとつ確認しておきたいのですけど」
「何でしょう」
「先生ってあらゆる心理的病症を性的トラウマに還元してしまう、古典的なフロイト学派じゃありませんよね?」
「うーん、私はどちらかというと、自我もコンプレックスのひとつと考えるユング派に属して──」
先生はかぶりを振る。
「ああ、あなた達と話していると、どっちが医者でどっちが患者か、判らなくなってくるわっ」
「私達元々患者さんじゃありませんけどぉ」
「ごめんなさい。そういうつもりじゃなかったのよ。そういえば、先日ここで美貴と話してたら、フロイトとユングの決裂に関する個人的見解というのを彼女が話し始めて、なかなかユニークな意見だと感心して聞いていたら、話はいつの間にやら枯淡と悟りの境地をめざした筈の晩年の黒×明がなぜあそこまで年寄りの冷や水に終わってしまったのかに変わってて、それがまたアニメの『進×の巨×』ファイナル・シーズンにおけるキャラの異様なまでの老け方荒みぶりについての感想に」
私は額を押さえ、頭痛をこらえてつぶやく。
「······先生の前でも相変わらずですねェあいつは······」
瑞谷先生もまたその広く知的な額を押さえて言うのであった。
「美貴って凄く頭が良くて感性豊かでいい子なのに、あの話の脈絡の無さは一体どこに起因するのか、まったく分析不能だわ」
「相手お構い無しですもんねぇ。めっちん由美の目を開けたままぐっすりのワザを何とか体得しなくては」
「由美ちゃん。あの子もいい子なのに、こちらから何か訊かない限り自分からはほとんど口を開こうとしないし、訊いても八割方『はい』『いいえ』のどちらかだし。コミュニケーション障害って訳でもないのにどーしてああなのよあの子はっ」
瑞谷先生は私達三人の内、由美だけを「ちゃん」付けで呼ぶのだが、その事についての自覚はおそらく無いし、私達も特に指摘はしない。由美御自身も「子供扱いやめて下さい」なんて子供じみた事は口にしない。ただまあ彼女は誰に対してもあの調子なのだ。
「由美の場合はラノベの方に雄弁さが行っちゃってるんじゃないでしょうか」
私がそう言うと瑞谷先生は顔を上げ、腕組みをして考え込んだ。
「うーん。私もあれは読んでいるけど、よくあんなストーリーを破綻無くまとめられるわねー。それだけでも感心なのに、キャラは立ってるし、意外性も充分だし。ほとんどプロの仕事ね」
「まあ彼女は『源氏物語』原文でスラスラ読み込んで、そのへんベースにしてますから。文庫全六巻二回読んだそうです」
瑞谷先生は頭を抱えた。
「わ、私は現代語訳二巻で挫折したのに······」
「私達三人の中であの子が一番頭いいですよ。暇潰しのクロスワードの代わりに高等幾何学の問題集解いてた話、前にしたと思いますけど。寡黙で外見がああだから誤解されやすいですが、一番大人でもある。先日脳足りんの自称ナイフ使い名人にからまれた時もそうでしたし」
「ああその話、社内院内でもちきりよ。とんだお馬鹿さんもいたものだけどね、あんた達にケンカ売るなんて。まあケガだけはさせなかったのは、さすがだったわね」
「にっひひーっ」
私は得意そうに片目をつぶり、Vサインをしてみせた。途端にぺちっと頭をはたかれた。
「調子に乗るんじゃありません」
「ごめんなさい」
私(達)にこんな態度を取れるのは、この先生とニケの姐御だけだ。もっとも姐御の場合は問答無用でぶっ飛ばされてしまうんだな、うん。
私はテーブル上のニケ像を手に取って、その雄々しい翼を指先でなぞり、つぶやいた。
「そういえばニケの姐御、今東南アジアですよね」
「ミャンマーよ。民主派勢力と組んで、クーデター後の国軍と激戦を展開中」
先生は再び膝の上に頬杖突いて、私が手にしているニケ像を見つめ、ぼそっと言った。
「無事だといいけど」
会社の上層部としては国軍と組ませて民主派勢力及び小数民族組織の殲滅戦でもうけたかったらしいのだが、海外傭兵部の支局長テセウスと姐御ニケが断固拒否、強制するなら独立して勝手にやると言い出したのでしぶしぶ了承した次第。何せSCSの最強メンバーが相手である。だから危なくて国内には置いておけないのだ。
私は親友を案じる先生を励まそうと、ニケ像を小さくかざし、明るく言った。
「大丈夫ですよぅ、先生ってば。姐御の事ですから、きっとあのガン化したミャンマー国軍を一人でバラバラにしちゃいますよ」
「ま、彼女ならやりかねないわね」
「ところで私にこのワザ伝授してくれたの、姐御でしたけどね」
私は右膝をスカートの下から軽く突き上げて言った。途端に先生の頬が赤く染まる。私は無頓着に言葉を続けた。
「そうそう、さっきの話に戻りますけど。私にとって男性のアレというのは、敵の潰すべき急所という意味しか持ち合わせていないんですよね。いわんやその上に付いているものにおいておや──」
「やめてーっ! それ以上言わないでーっ!!」
瑞谷先生は両手で耳を覆い、顔を真っ赤にし、天然茶髪を乱して、かぶりを激しく振りながら叫ぶのであった。何という純真無垢。とても精神科医とは思えないこのピュアさ。だからこそ私達は彼女を心から信頼し、また大好きでもあるのだ。
お母さんと、瑞谷先生だけは、最後まで護り抜こう、たとえ命に替えても。私達三人はそう誓ったのだ。──川の字になって、寝ながらだけど。
「先生先生。落ち着いて。下品な話をしてすいませんでした」
私がそう言うと先生は我に返り、そしてまた赤面するのであった。
「ああっ、ほんとどっちが医者でどっちが患者······ごめん、また言うところだったわね」
「すれっからしぶった小娘相手で大変ですよね、先生って」
私は他人事のようにずっとぼけて言った。
「ぶってんじゃなくってほんっとにすれっからしよ、あんたって子は」
先生は苦笑しながらふと左手首の時計を見た。
「あらもうこんな時間。あなた、これから予定ある?」
「いいえ、今日は一日非番です」
「そう。じゃ、控室であと十分くらい、待っててくれる? 私もじき上がりだから。久々に原宿行って、タピオカ飲もうよ」
「いいですねー。美貴と由美も呼んでいいですか。彼女達も非番だし」
「もちろんよ。後は例によってカラオケボックスで新旧アニソン大会だわ」
「それならダイダロスのおっちゃんも呼ばないと。おっちゃんの歌は古すぎて判んないけど」
「ありゃ私にも判んないわ」
そういう訳でその日の午後は美人の精神科医に引率された、メイドならぬセーラー服三人娘とサングラスのおっちゃんによる原宿詣でと相成ったのでありました。今回はここまで。
「原宿でタピオカ」はなんぼ何でも古すぎるとお思いでしょうが、これはこのキャラ特有のこだわりでして。詳細は「転スラ」アニメ版にて(泣)。