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めっちコイツちょっと可愛がってやろうよ 

 メイド・アサシン三人娘中最も幼く見えるが、実は一番のしっかり者、求塚由美ことだんまりめっちのお話です。作中の「あの映画」とは当然の事ながら「あの映画」です(笑)



 おちゃめなびーびーとは私の愛称だが、我が畏友カサンドラ美貴ことかっちんは、時おりこれを縮めておちゃびーと私を呼ぶ。

 それに対しておしゃべりかっちんの愛称を縮めてみると、驚くなかれオシャカになってしまうのだ。私達の職業柄、縁起でもないからとてもこうは呼べない。かっちんをかっちと呼ぶのも今一なので、やっぱりかっちんはかっちんなのだ。

 ではもう一人の畏友メドゥサ由美ことだんまりめっちんの場合、何とダメになってしまうのでこれはもっと駄目だ。従ってめっちんは我らの気が向く時にめっちと縮めて呼ばれる。

 ちなみに私達は現場即ち鉄火場で仕事をする時は、本名で呼び合う事が多い。もちろん「壇ノ浦(だんのうら)」「四条畷(しじょうなわて)」「求塚(もとめづか)」の方ではない。私達の下の名は「佳代」「美貴」「由美」と三人揃って二文字なので、咄嗟の時、そして騒音の最中で、確実に意思の疎通を図るには、こちらの方が簡潔で都合がよろしい。付け加えるならば、私は時おり二人から佳代っちと呼ばれる。ま、すべてその場の状況と気分次第だ。コードネームと本名フルで合わせて呼ぶのはよくよくの事だ。前回みたく。

 さて、私達が所属する組織「スパルタ・クリーニングサービス(SCS)」には、既に触れた清掃部アルペイオスの他、情報部(シュビレ)技術部(ダイダロス)(例のおっちゃんはここの技術主任なのだが、みんな彼をセクション名で呼ぶのだ。もちろん責任者の「部長」はいるが、その人はただの部長としか呼ばれない)・営業部(ヘルメス)人事部(カロン)、そして対外傭兵部ことアレス等がある。

 また傘下にアポロン神経精神科病院があり、ここで組織構成員もとい社員は定期的にメンタルチェックされ、必要に応じてケアを受ける。だけどここは事実上社員向けの総合病院で、内科・外科等充実しており、ケガ人や病人はほぼ完璧な治療を受ける事ができるのだ。つまり、よその病院を通して組織の秘密が洩れないようにしてるって訳。

 ここで私達三人娘のメンタルケア(ほとんどその必要が無いというのが既に異常なんだけど)を担当している先生の話は次回にて。とっても美人で優しくていい先生なんだ。名前は瑞谷綺羅々(みずたにきらら)。コードネームは月の女神アルテミス。

 では私達メイド・アサシン三人娘が所属するセクションはどこかというと、これはもちろん国内暗殺部。その名はエリス。例によってギリシア神話の女神の名で、有名な軍神アレスの双子の妹。まあ対外傭兵部がそのアレスだから、文字通りその妹分ってとこ。アガメムノンの親父はアレスのトップ(実質海外支局長テセウスに丸投げ)で、エリスのそれも兼任してる。今はあいつについては言いたくない。

 エリスってのは別名「争いの女王」で、大の仲良しである兄貴アレスの戦車に並んで乗って、血を見るとコーフンして金切り声で叫び散らすっていうとんでもない女神。そういう女神の名が付けられたセクションにて、私達三人娘はそもそも格が違うと同僚達からも認められているのだ。だけどたまにそういう事が判んないあっぱらぱなのが迷い込んで来る。その件を語ろう。

 (株)SCSの最高経営責任者いわゆるCEOが、ギリシア神話の神々の王「ゼウス」である事は説明済み。だけどさすがにこれは社内向けで、社外的には田中太郎と名乗っている。何て事はない、「田中社長」だ。これでは威厳が無さ過ぎってんでゼウスだのCEOだのと呼ばせてるんだから、大人って辛いよねーって私達三人はいつも笑ってる。

 その田中社長、いやゼウスCEOのありがたい訓示を聞く為に、私達「エリス」セクションメンバー十数人は、三々五々本社ロビーに集まっていた。

 大体「暗殺部」といっても、いわゆるスパイ稼業の人と同様、見た目は普通の人ばかりである。いわゆる脳無し筋肉ダルマとか、俺様は殺し屋なんだぜェなどと、目をギラギラさせているようなイカレポンチは務まらない。こういうタイプは大体いわゆる「用心棒」で、私達には標的到達前の排除対象に過ぎないのである(前々回の新撰組コスプレくん達とかね)。

 それでまあ、その「普通の人達」の中で、私達メイド三人娘は確かに目立つ存在なのだけど、とりあえず、なぜコスチュームがメイド服なのかというと、私達は物心ついた頃よりこれでアサシンとしての訓練を受けており、もはやすっかり定着してしまったのである。

 そもそも「メイド服」と聞いただけで、何やら妙な勘違いをする向きがあるようだが、元来これは「作業着」なのである。そりゃかなり特殊な作業ではあるけれど。

 従って私達三人が身にまとっているそれは、防弾は無理としても刃物の直撃には耐えられる特殊繊維加工であり、得物や小道具を隠し持つには余裕があってとても便利な作り。え。そんなのガチャガチャゴワゴワでハナから動けないんじゃないのって。

 だからそういうつまんないツッコミ入れるとタマ潰すって言ってんじゃん。私達はハナから普通じゃないんだし。どう普通じゃないかはこれから順を追って説明したげるわ。ぐちゃっとやられたいのぐちゃっと。

 という訳でロビーの窓際のテーブルに着いて、ゼウス様の訓示が始まるまでの時間を、我らメイド・アサシン三人娘が、各々何をして潰していたかというと。

 かっちんカサンドラ美貴はスマホにダウンロードしたベルリオーズ様の楽曲(劇的交響曲「ロメオとジュリエット」とか言ってた)に、ミニホンでうっとりと聴き惚れ(時おり「ああいいわァ、ロメオ様っ」などとつぶやいている)、私びーびーバッコス佳代は現在独学中のドイツ語の文法書を開いて、その形容詞の述語的用法と付加語的用法の違いについての理解を深めようと努めており、めっちんメドゥサ由美はスマホを手に、親指二本を使って猛スピードで何やら書き込んでいる。

 かっちんの楽才(かなり趣味的だけど)は既に触れたが、私は画才、めっちんは文才の持ち主であり、彼女は現在某ネット上に「でぃおね」のペンネームで大河学園恋愛ラノベを連載中であって、中高生を中心とした膨大なアクセス数を誇っているのである。

 これには名前や物言いや容姿の描写から、どう見ても私やかっちんをモデルにしている女の子が登場しているので、私達はめっちんに「ねーねーあの子あれからどうなんのよぅ、教えなさいよぅ」と口々に尋ねているのだが、そのたびに意地悪めっちはニコッと白い歯を可愛く見せてこう答えるのだ。

 「お・し・え・な・い・っ」

 ──ってまさか殺しはしないでしょ、ね?

 なんか人質取られてる気分だと、かっちん言ってたな。私もやってみようか。うーん。やっぱかなわんか。だけど私達の「義務教育」って実質小学生時代で終わってて、「中学校」はこの三人きりだったし。あの子資料と想像力だけで学園恋愛ドラマ書いてんだもんなぁ。この仕事やりながら。

 そこに正面玄関からあの男が入って来たのである。

 染めた金髪。見るからに軽くて薄い二枚目面。ニヤけた口元。耳にピアス。白のスーツに真っ赤なネクタイ。ゴテゴテの指輪とか腕時計とかもー結構。お腹一杯。場違いにも程がある。私は文法書を閉じ、二人に目線で合図した。二人もただちに各々の時間潰しを中止する。そいつが私達三人娘を目にするなり、獲物を見つけた狼、いや餓えた野良犬のように、目をギラつかせ始めたからだ。

 かっちんが言う。

 「頭からフラグ立ってんのが来たね」

 「つーか全身からキノコみたくにょきにょき生えてる」

 「やだ。それってマ××ゴ」

 「言うな女ヲタ」

 その色男は気取りに気取った足取りで私達のテーブルに近づくと、また気取りに気取った口調でこうのたまい始めたのだった。

 「やあキミたち。キミたちがスパルタ・クリーニングサービス屈指のアサシン、メイド三人娘だね? お噂はかねがね。初めまして。いや、ボクはね、今度この組織──いや、会社に入ったばかりでね。よろしくね、先輩方、それでね、セクションはここ、『エリス』即ち暗殺部、を選んだって訳なのさ。あ、自己紹介が遅れちゃったね。ボクの名は──おっと、本名は言えないなァ、まだコードネームもらってないんだけどね、『ペルセウス』なんてどうかなァって、思ってるんだけどね。ペルセウス。ギリシア神話でも一、二を争う英雄の名前さ。知ってるよね? ボクにふさわしいって思わない? ねえキミたち。黙ってないでさ、何とか言ってよ」

 私達は早々に呆れるのを通り越している。ペルセウスとメドゥサについては説明するまでもあるまい。私達は目線と唇の動きで会話した。

 (何これ)

 (バカよ) 

 (ペルセウス?)

 (自分で言う、普通)

 (もしかして)

 (ケンカ売ってる?)

 (めっちにねぇ)

 (つまり、ウチらに)

 (いい度胸)

 色男はさえずり続ける。

 「あ、それでさァ。キミたちの中に一人、ナイフ使いの子がいるって聞いたんだけどさ。どの子かなー。三人共、噂通り、スゲー可愛いんだけどさー。もしかしてキミ? キミ? あ、一番ちっちゃくて、可愛いキミなのかー。ふーん。見えないねェ。もしかして、キミ、小学生? 黙ってるけど、口きける? ビビんなくてもいーんだよ。ボクも実はナイフ使いでさ。ほら」

 と、自称ペルセウスの色男くんは、颯爽と(あくまで当人はそのつもり)御愛用の折りたたみ式フォールディングナイフをスーツの内ポケットから取り出し、刃を起こしてかざしてみせた。ハンドル部分がやたらキラキラしている。宝石やら真珠やらをゴテゴテと埋め込んでいるようだ。どうせ模造品イミテーションだろうけど本物だったらもっとムカつく。

 私達は憮然と黙り込み、周囲の同僚達はこの色男くんに対し、初めは眉をひそめ、顔をしかめていたが、今はもうすっかり哀れみのまなざしをその背中に注いでいる。この調子じゃただで済まないという事を、みんな良く判っているのだ。

 そんな空気をまるで読めぬまま、先輩後輩の基本的な礼儀すらまったくわきまえられない、とっても恥ずかしい新入社員くんは、さらにぺらぺらぺらとカンナ屑みたくしゃべり続けるのであった。

 「そうそう、キミのコードネーム、『メドゥサ』なんだってねー、すっごいねェ、メドゥサ、だって。ゴルゴン三姉妹の末の妹がメドゥサだから、するとキミら二人はゴルゴンのお姉さんなのか、うわっ、こわっ」

 と、色男はわざとらしく、肩を震わせてみせた。いい加減黙らせたいが、まだ我慢だ。

 「でもキミらの髪の毛、蛇には見えないねェ。もしかすると、そのメイド服の長いスカートに隠されている下半身は、蛇体? うわァ、もっとこわァッ。でもキミたちになら、巻きつかれても気持ちいいかなー、なんてさー、アハハハハーッ」

 めっちんは無表情に目を閉じている。私達は知っている。これは我らのめっちの激怒の表情である事を。かっちんと私もまた無表情に沈黙していた。そしてまわりは固まっている。こちこちに。

 色男ペルくんはめっちの頭飾りホワイトプリムを指先でつんつんしながら、ついにこう言い出したのであった。

 「だけどさー、ナイフ使いの名人なんて、組織に一人いれば充分だと思うんだよねェ。違う? キミみたく、ちっちゃくて、可愛い女の子がさー、ナイフ使いの名人なんて、おかしくない? その立ち位置さ、このボクに譲ってくれないかなー。それでさ、キミっていうか、キミたちはさ、アキバあたりの、お似合いのお店に行ってさァ」

 かっちんと私は目線を交わす。

 (こいつ、殺そう)

 (うん、殺そう)

 「ほらほら、黙り込んでないで、何とか言ってごらんよ、メドゥサちゃーん。ボクがペルセウスだからって、そんなに恐がらなくてもいいじゃないの。ほんとに首斬っちゃうよ。そうだ。首斬りよりいい方法、思いついたからねっ」

 ペルくんはそう言いながら、目を閉じたままのめっちの前に、自分のナイフを放り出すように置いた。

 「これ貸したげる。それでさ、あのナイフゲームっていうの、やってみせてよ。トントントン、トトトトトッてやつ。知ってる? 広げた指の間を、こう、ナイフでさ。うまくできたら、ほら、これ、あげるから」

 と、ポケットからミルクキャンディをひとつ取り出し、左手の指先でつまんで、振ってみせた。

 「ほーらおいしそうだろう。やってよ、メドゥサちゃーん。できない? 恐い? びびっちゃった? あっそ。じゃ、スパルタのナイフ名人は、今日からこのペルセウス様って事で、OKね? さっきから目閉じたままで、どしたの? キミ、もしかして、寝てる?」

 増上慢うなぎ昇り天井知らず大気圏突破のペルくんは、ここでそれまでの慇懃無礼と言うより、馴れ馴れしさの極みといった口調より一転、粗野粗暴粗雑の三拍子揃った本性を剥き出しにしたのであった。

 「おい、このチビ、ガキんちょ、人舐めてんのかコラァ、てめェ××か×××か、何とか言えよ、クソガキャァ!!」

 色男は本性共々黄色い歯まで剥き出しながらそう怒鳴り、我らがめっちの丸く可愛い顎を右手でむんずとつかみ、持ち上げた。

 私達は反射的に目を閉じた。

 周囲の同僚達も一斉に目を閉じ、そらし、あるいは手や腕で己が視野を覆った。

 従ってこの時、何が起きたのかを直接見た者は、当事者二人を除いてはいない。だがはっきりしている。

 カッと見開かれた「メドゥサ」求塚由美の双眸(そうぼう)が、異様な光を放ったのだ。

 伝説のレジェンド「メドゥサのまなざし」である。

 ギリシア神話オリジナルのメドゥサは、その姿のあまりの恐ろしさに見た者は石と化したが、我らがめっちの場合はその逆で、彼女に見られて石となるのだ。

 正しくは、彼女の特殊な眼光が相手の視神経に強烈な作用を及ぼし、その全神経系統を約十秒に渡って麻痺させ、身体を硬直させるのである。メカニズムは不明。瑞谷先生アルテミス曰く「目力(めぢから)、としか言いようが無いわねぇ」と解明にはさじを投げているのだ。そして接近戦においては十秒どころか一、二秒の麻痺・硬直は致命的である。次の瞬間、めっちの敵は、喉元にナイフを突きつけられているか、あるいはかっ切られているかのいずれかだ。

 私達は目を開けた。色男はめっちの顎に手をかけたまま硬直している。めっちはもう普通のまなざしで、ペルくんの目をそのまま見つめているだけなのだが、色男は文字通り蛇に睨まれた蛙と化していたのだ。

 私達は立ち上がった。私は右、かっちんは左から、固まったままの色男の両脇に立った。

 「汚い手でいつまでつかんでんのよ、こらっ」

 私は色男の右手をめっちの顎から引き剥がし、その手首をねじ上げ、肩をわしづかみにし、右足の甲に自分の左の踵をめり込ませた。

 めっちは顎をさすりながら、立ち上がる。

 かっちんは色男の左側で、私と同じ事をしていた。左手の扱いが違った。まず左肘をぼきりと折り曲げ、指先につままれていたミルクキャンディを取り上げる。

 「ああこれ、預かっとくわね」

 と、エプロンのポケットに放り込む。かっちんの右足の踵もまた、色男の左足の甲に喰い込んでいる。色男は苦痛の呻きを上げた。

 「痛いの? でもさ、私とカサンドラの踵で良かったと、思わなくちゃね」

 「そうそう、ほんとなら、メドゥサの投げナイフで、床に釘付けなんだからさ」

 私達が色男の左右で楽しく会話している間、メドゥサ由美は、テーブル上の色男のナイフを取り上げ、その品定めをしていた。ハンドルのキラキラゴテゴテには当然眉をひそめる。でも使えないって事はなさそう。色男が血走った目で見つめる中、ナイフの切っ先とハンドルの峯をちょんちょんと空中で交互に持ち替えたり、指先でプロペラみたく凄いスピードで回転スピンさせたり、虚空(こくう)めがけてシュッシュッと目にも止まらぬスピードで突き上げてみたり。

 「メドゥサのまなざし」による麻痺は、既に解けている筈だったが、色男の全身はそれに続いての恐怖によって、完全に硬直しているようだった。こんな美少女三人に囲まれちゃってぇ、一体何を恐がっているのかしら、ぼうやったら。

 「ウチらのダチに向かって、ずいぶん楽しい御託、並べてくれてたじゃないのさ」

 「ねえちょっと、ペルセウスくぅん。君、メドゥサやっつけに、来たんでしょ?」

 「アテネの楯はどうしたのよ。黄金の鏡の楯は。もしかして、忘れて来た?」

 「それも持たずにメドゥサ退治ぃ? いやはや、それこそ舐められたものよねぇ」

 「基本アイテムも持たずに、何が首斬っちゃうよ、だってさ、エラそーに」

 「ねえねえこいつ、どうやって殺す?」

 「タマ潰すんじゃなくて、切っちゃおうよ、上のといっしょに」

 「でもそれだけじゃ死なないよ、なかなか」

 「だからさあ、マフィアみたく、それまとめて口ン中突っ込んでさァ」

 ああこれがついさっきまで、描写音楽の偉大なる巨匠ベルリオーズによる流麗典雅な音の恋愛劇に陶酔し、自らジュリエットになり切っていた美少女の口にする言葉だろうか。だがそれに合わせて美少女の私も言うのであった。

 「あーそいでもって、鼻つまんで、窒息させんのね。面白そーっ」

 「やっちゃおやっちゃお」

 「おいおい、気持ちは判るけど、殺しちゃまずいだろ」渋い同僚おじさんの一人──コードネーム・ケイロンが、苦笑しながら言った。「ここも一応、職場だよ」

 私達は顔を見合わせた。

 「うーん。言われてみれば、その通りね」

 「あんた、あの人に感謝なさい」

 「賢人ケイロンに、救われたのよ」

 「だけどさあ、男なら、自分の言葉に責任を持たなくちゃあね」

 「女もそうよ。めっち、黙ってたけどさ、我慢して」

 「見たがってたわね、我らがめっちの、ナイフゲーム」

 かっちんは色男の左手をねじ上げると、その指の一本一本を、ぽきり、ぽきりと伸ばしていき、パーの形にすると同時に、テーブルの上に叩きつけた。私達は左右から、がっちり色男を押え込む。もがいても無駄。私達に押え込まれたら、プロレスラーだって動けないんだから。

 全身をぶるぶると震わせながら、色男は呻いた。

 「や、やめろ、違う、やるのは、俺の手じゃないっ」 

 「あら生意気。まだ命令調」

 「立場判ってる? それにさ、この子はあんたのように、弱い者いじめが大好きな、卑怯者とは違うのよ」

 「残念でした、弱い者じゃなくて」

 「ちゃんと『あの映画』みたく、あんたのおててをかばってくれるわよ」

 「じゃ、めっち、名シーン、行ってみよ」

 「うん」

 めっちは軽く宙に(ほお)ったナイフのハンドルをつかみ、切っ先を下に構えた。そしてテーブル上に固定された色男の左手の上に、自分の左手を重ねたのだ。「あの映画」のように。

 だけど──

 「あーやっぱしサイズ合わな過ぎー」

 「めっちのおてて、モミジみたいだもんねー。これじゃ公正なゲームとは言えないわ」

 「指の寸法合わせなくっちゃ。一本一本、チョンチョンチョンッと」

 「それよりさ、パンケーキの型抜きみたく、めっちの手に合わせて、ぐるーっと切り取って」

 「やめてくらさい」色男は泣き出した。「じょーだんだったんれす。ほんきじゃなかったんれすぅ」

 私達はまた顔を見合せた。背後の同僚達は皆失笑している。

 「あーこいつもこれ言ったよぅ」

 「ちょっとぉ、訊きたいんだけどさぁ、それって流行り?」

 「勝手に自分は優位だと思い込んでさぁ、散々相手を見下した物言いしといて、いざ自分が優位でも何でもなかったと判った途端、これ言うのよねぇ、こういう奴って」

 「そーそー、それで次に来るのが、『見逃してくれませんか』」

 「で、あんたもそれ言うワケ?」

 「みみみのがしてくらさい」言った。「ゆゆゆるひてくらはい。おねがひしますぅ」

 「あ、許してとお願いが付け加えられたわね」 

 「まーウチら別にいーんだけどさァ」

 「あんたがもっぱらからんでたの、ウチらのダチだったワケだしィ」

 「ウチらがゴルゴンのお姉さんだとかー、アキバのお似合いのお店とかー、聞かなかった事にしといてあげても、いーんだけどねー」

 「ねー由美、どうしよう」

 「許したげよっか、ねぇ、由美」

 私達は彼女に呼びかけた、下の名で。

 メドゥサ由美は無表情のまま、色男と重ねた人差し指と親指の付け根ぎりぎりに、トンとナイフの切っ先を突き立て、ぽつりと言った。

 「駄目。許さない」

 「という訳で」

 「残念でした」

 「じゃ由美、気をつけて」

 「しっかり」

 「うん」

 ロビー内の空気は一気に凍結、同僚達は身動きひとつせず、固唾を呑んでこの光景を見守っている。

 私達は震えおののく色男が暴れ出さないよう、その身体を万力のようにぎりぎり床及びテーブルへと固定させた。

 ちなみに「あの映画」のナイフゲームの名シーン(あれで用いられていたのは小さなフォールディングではなく、軍用の両刃(もろは)のごついダガータイプだった。「ちょっと失敗」しちゃったのも無理ないのである)で、例の渋い合成人間のおじさんが、脳筋海兵隊員の手に自分の手を重ねて妙技を見せる時間は、三人でいっしょに私の部屋で観た時に計ってみたら十三秒。私はDVDを一時停止にして由美に尋ねたのだ。

 「あんたならあれって、軽いと思うけど、どれくらいやれる? あのスピードで」

 「んー」由美は少し考えて答えた。「一分でも二分でも三分でも。やってみせよっか」

 「やめーっ」

 「やめてやめてっ」

 慌ててやめさせたのだ、あの時は。

 そして始まった。メドゥサ由美、恐怖のナイフゲームが。

 親指と人差し指の間を起点として、右から左、左から右へと、ナイフの切っ先を各々の指の間に突き立て、そのたびに起点へと戻る事を繰り返す。初めのうちはトントントン、やがてトットットッ、そしてトトトトトーッとスピードアップして行く。

 由美は終始冷徹に突きまくり、色男は「あの映画」のまぬけな海兵隊員御同様、恐怖の余り目を飛び出さんばかりに見開き、悲鳴のオクターブもまたナイフの速度とシンクロしてどんどん上がって行き、しまいにはソプラノ通り越して超音波のようになってしまった。あーうるさい。こいつのタマはまだ潰してないのに。そっかぁ初めっから無いのかなぁ。どーりでね。「あの映画」のダメ隊長ですら、最後の最期ぎりっぎりで男を上げて、マッチョ姐御に認められて共に死んでくってのにさ。パーマ野郎かこいつは。

 そして映画の「十三秒」はとっくに過ぎ、三十秒、一分、一分三十秒──ついに色男は白目を剥き、意識を失った。

 「由美、もういいよ」

 「気絶しちゃった、こいつ」

 由美──我らのめっちは、既にミシンのようになっていたナイフの速度を徐々に落とし(急ブレーキは事故の元だ)、やがて起点に戻ってその動きを止め、ふっと小さく息をついた。

 同時にロビーの凍結していた空気がいっぺんに緩み、拍手と歓声と口笛がどっと沸き起こる中、私達は色男から手足を離し、左右に引いた。

 色男は文字通り、糸の切れた操り人形状態で尻もちをどすんとつき、その衝撃で気絶から覚めた。放心してあんぐりと開いた色男の口の中に、かっちんがあのミルクキャンディを包みごと指で弾き、放り込む。

 「はい、ごほうび」

 色男はキャンディを包みごと呑み込むと、唸りとも呻きとも悲鳴ともつかぬ声を上げながら、這って玄関の方に向かおうとした。

 めっちの右手がシュッと動き、色男のナイフがその靴の踵に突き刺さった。正確無比。さすがだ。

 「忘れ物」

 めっちが言った。

 自称ペルセウスの色男は、慌ててナイフを踵から引き抜き、転がるような勢いで、玄関から外へと飛び出して行った。同僚達が笑う中、私達は生暖かく立ち去る色男の背中を、いや尻を見送った。

 「あいつ、辞めるね」

 「あんなの現場に出したら瞬殺だよ」

 「人事部(カロン)に言っとこ。変なの入れるなって」

 「どうせコネだよ、あれ」

 「どういうコネなのよ」

 私達はめっちんを左右から抱きかかえた。

 「めっちん、凄かったよーっ」

 「もう最高、映画の百倍」

 「ブラボーッ」

 「ビューティフルッ」

 我らがめっちんは無言で左の手のひらを見つめ、つぶやいた。

 「洗いたい」

 「え。まさか傷」

 「きれいだよ」

 「あー違う違う。ばっちいよねーっ」

 「そーだね。私らもあいつにくっついてたし」

 「あいつ臭ってたよ。洩らしてたのと違う」

 「それでなくってもさー、脂汗でもーぎとぎとだったじゃん」

 「うわー、やだ。シャワー浴びたいよーっ」

 「でもその暇無いよ。田中社長に怒られちゃう」

 「とりあえず、手だけでも洗ってこよ」

 「行こ行こ、めっちん」

 「うん。ありがと」

 そしてメイド・アサシン三人娘は、仲良く連れ立ってトイレへと赴くのであった。

 まだ少し、設定固めのお話が続きます。もう少しご辛抱を願います。

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