かっちん銃しまいなってば通報されるよ
えーメイド・アサシン三人娘の御紹介篇でございます。パラレルワールドものですのでその説明もありますが、若干のくどさは御容赦の程を。
昼下がりの喫茶店、窓際のテーブルで、非番の私達メイド・アサシン三人娘は、優雅にお茶していたのであった。
改めて御紹介といこう。今度は各々本名から。
私の名は壇ノ浦佳代。コードネームは「バッコスの信女」。略称B・B、愛称はおちゃめなびーびー。黒く艶やかなロングヘア、陶磁器のような色白の肌、端正な顔立ちにつぶらな瞳、そして均整の取れた身体付きが私の取り柄。え。自分の口からよく言うわ臆面も無くですって。もう一回言ってごらん。殺すから。前にも言ったじゃん。私は謙遜ってのが大っ嫌いなのっ。
そんな優美可憐な私の得意技は睾丸潰し。これまで何人の男が私の手で、足で、膝で、頭突きもあったな、男でなくなってしまった事か。え。自慢になるかですって。うっさいなーさっきから。アンタも男でなくしてやろーか。でもさ。私みたいに完璧な美少女にタマ潰されるのって、男冥利に尽きるって思わない? うふふふふっ。あ。思わない。あ、そ。じゃ、潰したげるね。ぐちゃっ。
で、渋くブラックコーヒーをすすっている、ちょっとアダルトな私の左隣に座っていて、香り高いセイロンのレモンティーを口にしてる美少女、この子の名は四条畷美貴。コードネームは「カサンドラ」。愛称おしゃべりかっちん。ポニーテールが良く似合う、色白にして細面、小作りな顔立ち、切れ長の目、何もかもが華奢で繊細、全体ひどくはかなげな女の子。私も色白だけど、この子の場合はどこか透明な感じさえする。そう、妖精みたいとでも言えばいいのか······。
そんな見るからに骨細でか弱く、守ってあげたくなる彼女が、実は無敵の銃使いなのだから恐れ入る(本当はガンウーマンと言うべきだろうけど、あまりに語呂が悪すぎるのか誰も言わない。ガンガールやガンギャルってのもちょっとなぁ)。
性格的には見かけ通りで、気配りの細かな優しい子──なんだけど、欠点としてはまあ愛称そのもの、おしゃべりなところ。それも普段はそんな事ないのに、特定の事柄についてしゃべり出すと止まらなくなってしまうのだ。
それは彼女が固執・偏愛するヒトとモノ。これらについては後述する。
今彼女はその「ヒト」について、正しくはその仕事について語っている。だけど私は悪いけどぜんっぜん聞いていない。いつもの事なので彼女も気にせず口を動かし続けている。
それで──私の右隣に座っていて、かっちんのおしゃべりをよそにチョコパフェに夢中の女の子、この子の名は求塚由美。コードネームは「メドゥサ」。愛称だんまりめっちん。小柄な身体、丸くあどけない童顔、ショートヘア、健康的な小麦色の肌、見た感じは完全に小学生。もう一目見ただけで男女を問わず、抱きしめて頬ずりしたくなる可愛さだ。
だけどこの子も愛称の通り、かっちんとは逆にほとんどしゃべらない。足して二で割ればとみんな思う。私達の間では「うん」。目上の人相手では「はい」。大体それで済んでしまう。
何か一見、ちょっと不自由で可哀想な子、と勘違いされそうなところもあるが、それでこの子を(どんな子でもだが)からかおうなんて、そういう馬鹿で愚かな事だけは絶対考えない方が身の為だ。
そもそもこの子は(私とかっちんもだが)頭がいいのだ。しかも凄く。こないだ暇潰しにナンプレかクロスワードやってんのかと思って見たら、高等幾何学の問題集をスラスラ解いているところだった、暇潰しに。
そして何と言ってもこの子は恐怖のナイフ使いなのである。投げでも格闘でも達人ではなく、超人なのだ。私も補助的にナイフを使う事があるけど、正直この子の足元にも及ばない。
まあいつでもどこでも人を見た目で軽く判断し、見下してかかって得意になりたがる阿呆はいるもので、たまにこの子に向かってチビとかガキとか何かしゃべってみろとかぬかすたわけ者が湧いて出るが、そういう手合いがどんな目に遭わされたか、思い出すのも恐ろしい(コードネームの由来共々、次回はその話だ。言っとくけどこの子の髪は普通にサラサラで、決して蛇なんかじゃない)
以上、御紹介終わり。初めに戻る。
という訳で美少女メイド三人娘が喫茶店の窓際のテーブルでお茶する姿というのは実に絵になるのである。いわゆる泰西名画だ。これが単なる客観的事実に過ぎない事は周囲の反応を眺めるだけで一目瞭然というものだ。
表の通行人の多くが足を止め、窓越しの絶景に茫然と見とれている。
店内の客やウェイター達も、半ば放心状態で私達を眺めている。
まー悪い気分ではないねー。毎度の事だけどさー。うん。
ただまあ中にはニタニタしながらスマホか何かで勝手にこちらを撮影している奴がいる。こら。せめてひとこと断れ。盗撮だろそれ。殺すとまでは言わないが、金取るぞ(スカートの中とか狙うのなら確実に殺す)。
前述のようにかっちんはしゃべり続けてはいるのだが、小声なので他の客にはほとんど聞こえていない。私はコーヒーカップを皿に置き、口を動かしているかっちんに目を向けた。たまには相槌のひとつも打ってあげないと、いくら何でも可哀想だ。友達なんだし。ちょっと耳を傾ける。ああ、またあの話なのか。うううーっ。カンベンしてよーっ。
彼女が今夢中になってしゃべっている「ヒト」とは、十九世紀フランスの大作曲家ベルリオーズなのだ。
私も「幻想交響曲」くらいは知っているが、彼女はその全作品を聴き込み、譜を読み、メロディを、フランス語の歌詞を、すべてそらんじているのだ。どうして彼女がそこまでこの作曲家に入れ込むかというと、
「ベルリオーズ先生は私のお兄様なのよーっ!」
という訳なのだそうだ。
何の事やらさっぱりだとは思うが、一応順序立てて説明してみよう。
まず、彼女のコードネームの「カサンドラ」。これは古代ローマの詩人ウェルギリウスの叙事詩「アエネーイス」などで描かれた、ギリシア─トロイア戦争における、トロイア王国の悲劇の王女の名前なのだ。
その兄がギリシアの英雄アキレウスと激闘の末に敗死する、トロイアのこれまた悲劇の王子ヘクトルなのである。
ベルリオーズは上演時間四時間を越える超大作オペラ「トロイアの人々」でこのドラマを描いているのだが、それがどうして「ベルリオーズはお兄様」になるのかというと、ベルリオーズの名はエクトルといって、これはヘクトルのフランス語読み、つまり作曲家ベルリオーズのお父さんが英雄ヘクトルにちなんで息子にこの名を付けた、だからカサンドラの私は英雄ヘクトル様の妹であると同時に、偉大なるベルリオーズ先生の妹でもあるのよ、ああ何て素晴らしいの等々。
こういう妄想話をあの一見清純可憐な美少女が真顔で延々しゃべりまくるのである。私達が初めから聞く気を無くすというのも当たり前の話でしょ。そうは思わなくって。でしょでしょっ。
今彼女がしゃべっているのは、そのオペラの第一部のクライマックスの音楽と舞台の素晴らしさについてであって、トロイア滅亡の予言を無視されて来たカサンドラが、ようやくそれを信じてもらった時には既に手遅れ、かの有名な木馬の中に潜んでいたギリシア兵共が街を暴れ回り、カサンドラを初めとするトロイアの乙女達は、圧倒的な大音響の盛り上がりの中で壮絶な集団自決を遂げるのだそうである。
うーん確かにそれは悲劇だし凄いとは思うけど、とても四時間超なんて聴いてらんない。
彼女はとりわけこの作に執着し(そりゃ自分が悲劇のヒロインだもんねぇ)、このたび全独唱・合唱・管弦楽パートの主旋律をソプラノで歌えるようになったのよ、ねえ聴いて聴いてと私達に迫り、女子寮内をキンキン声で歌いながら私達を追いかけ回した事すらある。よくこれで友情を維持できるものだと、時々めっちんと頭を抱えてしまうのだ。
ほんとにこれ以外については至ってノーマルでいい子なのに──いや、もうひとつあった。
銃についてだ。
私の愛銃は前回登場した、ダイダロスのおっちゃん特製のライラプスだが、彼女のそれはモーゼルM1896(C96)軍用拳銃、そう、あの、人によっては不恰好とさえ言う、全長三十センチを越える、大型の、武骨な、引き金の前に弾倉がぶら下がる、異様な形のピストル。
だがこの拳銃には魔性があるのか、熱烈に愛好・固執する御仁が少なくない。日本の某映画監督もその一人で、彼の監督作にはある特定の種類の犬と共に必ずと言っていい程この銃が登場する。
もちろん我らがかっちんもこの監督の大ファンで、DVDで繰り返しその作を観ており、寮で私達もよくつき合わされるのだけど、この銃の登場場面だけ何度もリピートしようとするので、「そーいう事は一人の時にやってちょーだいっ!」と怒らざるを得ない事がたびたびある。
で、私が、どう相槌打ったげよか、そーだ、掛け合わせちゃえ、と、てきとーな事を考えて、
「そっかぁ、トロイアの滅亡の時に、トロイア側に銃があったりしたら、形勢逆転できたかもしんないねー」
などと超いー加減なもの言いをぼんやりとしちゃったその途端、我らがかっちん、カサンドラ美貴の、切れ長で美しい目がキラキラ、いやギラギラと輝き始めたのだった。
しまった、と思った時にはもう遅かった。
「ああ、そう、そうよそうよ、そこでカサンドラが、宮殿になだれ込んで来た傍若無人なギリシア兵共を、銃でもって皆殺しにしてしまうのよ! ああ、何て素晴らしい新演出! 世界に先駆けて、是非日本で上演すべきだわ!」
ちょっとそれじゃ結末変わっちゃうじゃないの、ねえめっちん、私はそう言いかけてめっちんの方を見ると、チョコパフェをあらかた食べ終えためっちんは、かっちんの方を向いたまま微動だにしない。これが彼女の得意技のひとつ、目を開けたままぐっすりだ。
あちゃー、どうしよ。私が再びかっちんの方を向くと、既に彼女の暴走は始まっていた。
「うんうん、その時使われるのはやっぱりモーゼルよ、しかも銃床ショルダーストックつぎ足しの騎銃カービン仕立てでカサンドラが撃ちまくるのよ、こんな具合にッ!」
彼女のスカートとエプロンがまくれ上がったのはほんの一瞬の事である。その右のふとももに装着していたモーゼル拳銃が、ショルダー・ストック・ホルダー共々電光石火の速度で外され、組み合わされ、カービン仕立てとされて、天井めがけて突き上げられたのだった。表の見物人、店内の客、従業員らは、一斉に悲鳴を上げてのけぞった。
「ち、ちょっとちょっと、何やってんのよ、こんな所で!」
私が慌ててそう言うと、カービン・モーゼルを得意気に振りかざし、うっとりした表情のかっちんが尋ね返して来た。
「ん。どしたのびーびー」
「どしたのじゃないわよ、早くしまいなさいよ、それ!」
「何言ってんのよぉ。日本国憲法ではアメリカ合衆国憲法と同様に、国民は銃を持つ権利がちゃんと保障されてるんですからねぇ」
「あー」
この件について話すと長いのだが──十九世紀後半の改革後、近代化に成功し、清国とロシアに勝って調子に乗り、国力もわきまえずアメリカと戦争やってこてんぱんにやられた我らが大日本徳川封建連邦国(敗戦後はただの日本国と改称)は、連合国の占領下に置かれる中、それまでの戦争は創造だ、戦争は文化だ、戦争は素敵だ、戦争賛成、侵略万歳という国内世論が一転、戦争は悲惨だ、戦争は犯罪だ、戦争は最低だ、戦争反対、平和万歳となり(国中焼け野原にされて攻められる側の痛みというものをやっと思い知ったのだ)、これに「日本を東洋のスイスにしよう」という、占領軍最高司令部の理想主義者達が呼応、軍隊と交戦権の放棄を堂々と宣言した、いわゆる「平和憲法」の成立が現実になりかけた(当時これに対して戦前戦中弾圧下にあった日本共×党が「軍隊や交戦権を放棄する国家がどこにあるか、それにスイスは武装中立で国民皆兵制だーッ!」と至ってまともな事を言って反対していたというのが皮肉な話だ)。
ところが朝鮮半島における突然の戦争勃発、及び中国大陸の急速な赤化と、あまりに想定外な国際情勢の変動により、占領軍総司令部の方針転換に合わせて国内世論も再び百八十度の転換、軍隊と交戦権の保有はおろか、さっきかっちんが言ってた通り、国民の銃の保有まで認めてしまう、いわゆる「有事憲法」が成立してしまったのだから、何をか言わんや(これに対して日本共×党は「戦争憲法だーッ!」と反対したのだ。じゃあどうしろと言うのだ)。
これで七十年以上、一応どことも戦争せずに済んでいるのは、その前の事を考えると奇跡に思えて来るが、在日米軍基地がそこかしこにある現代日本、アメリカが本腰の戦争(つまり第三次大戦)をやらない限り、ベトナム等の局地戦における後方支援担当でお茶を濁していられるというのが、今の私達の愛する祖国の現状なのである。以上で歴史の講義はおしまいっ。
「あのさぁ、確かに銃の保有は憲法で認められてはいるけど、本来あんたみたいな未成年者は御法度なんだし、ましてや意味無く公共の場で見せびらかしたりなんかしたら」
「大丈夫大丈夫。こないだだっておまわりさん来たけど、『スパルタ・クリーニングサービスの者ですけどぉ』って身分証見せたら、『これは失礼しました』って敬礼して引き上げてったじゃないのよぅ」
美少女カサンドラ美貴は夢見心地でそう言いながら、黒光りするモーゼル拳銃を抱きしめ、愛しげに頬ずりするのである。何というシュールな光景であろう。見るたびに呆れるしかない。周囲の人々も唖然とするばかりだ。私だって自分の得物は「この子」と呼ぶが、かっちんのそれは次元が違う。毎晩抱いて寝ているのだ。世の男共はさぞやこの武骨な銃に嫉妬を覚えるであろう。そしてかっちんはつぶやいている。
「ああ可愛い私のモーちゃん(そう、モーちゃんなのである)。そうよ。あなたがギリシア兵共を皆殺しにして、カサンドラを、いえトロイアを救ってくれたら良かったのに。ああ。どうしてそうならなかったのかしら。そう。今からでも遅くはないわ。私はカサンドラ。トロイアを救うのは、この私、私なのよッ」
いかん。脳内妄想が暴走から暴発しそう。ここで万一乱射でも始めたら大変だ。私は立ち上がり、自らの言葉に酔いしれるかっちんの肩をつかみ、こう言った。
「こら、カサンドラ、四条畷美貴。会社に報告されたら減給処分だぞ。それでもいいのか?」
かっちんは鳩が豆鉄砲くらったというたとえの通り、私の言葉にぽかんとなった。そしてあっという間に夢から覚めた表情で私を見つめ、頷いた。
「あ。それはやばいわね。納得。しまっちゃお」
かっちんは銃からショルダー・ストックを外し、ホルダーを兼ねているその中へと、すんなりモーゼルを収納した。凍りついていた周囲の空気が一気に緩み、みんなは安堵の溜め息をついた。固まっていたウェイター達も再び動き始めた。通報するような度胸の持ち主もいなかったみたいで幸いだった。そしてウェイターの内の一人(ちょっと可愛いお兄さん)が、トレイに乗せたコーヒーを、かっちんの後ろの席の客に運ぼうと、彼女の脇をすり抜けかけた。
古代の偉大な賢人は「禍いは福の寄る所、福は禍いの伏す所」とのたまわったが、これはまさにこのウェイターくんの為にあるような言葉だ。
モーゼルを引き抜いた時とは正反対の緩慢な動作で、かっちんはメイド服のスカートとエプロンをまくり上げ(拳銃だけを取り出す時は、エプロンの下に隠れているスカートのスリットからでーす)、その形良くほっそりとした真っ白なふとももに、モーゼルを収納したホルダーを再装着しているところであった。
見る気も無しに(と私は弁護してあげる)ちらりとそれを見てしまったウェイターくんの目には、美少女カサンドラ美貴の引き締まったふとももはおろか、その奥のピンクのものまで飛び込んでしまい、彼はたちどころに天井まで盛大に鼻血を噴き上げその場に昏倒、運んでいたコーヒーを頭からかぶるはめに陥った。
「あちちちちッ」
と床をのたうつ禍福の極みのウェイターくんに、当のかっちんはまったく無関心なまま作業を終了、スカートとエプロンを戻し、改めてレモンティーのカップを優雅なしぐさで手に取った。
私は無言で頭を抱えていた。
目を開けたまま眠っていためっちんは、隣の騒ぎに目をぱちくりさせ、床で己の鼻血とコーヒーにまみれているウェイターくんを見てひとこと。
「あっつそー」
次回は「だんまりめっちん」にちょっかい出した、哀れな色男の末路が語られます。