人生やり直すのちょっと遅過ぎたみたいだねアンタ
作中「ガールズ&パンツァー 劇場版」の挿入歌を引用させて頂きました。
SCS本社ビルの一室に監禁されている瑞谷綺羅々のもとを、鼻にギブスを付けたアルゴスが訪れた。
「先生。ちょっとよろしいですか」
「どうぞ。······その鼻、なっちにやられたのね。折れてた?」
「もろに」
アルゴスは隅の丸椅子を引き寄せて腰かけ、簡易ベッドの上に座っている綺羅々と向かい合った。
「まもなく、こちらが通告した時間になります。先生にお目にかかるのも、おそらくこれが最後と思いまして」
「どうしたの。内務班長が弱気な事を」
綺羅々はまたクンと鼻を鳴らし、首をかしげた。
「それよりあなた、臭わないわね。呑まなかったの、夕べ?」
「はあ。どういう訳か、全く呑む気がしませんで」
「医者の立場からすれば、大変結構な事です、としか言いようが無いけど······まさか、その話をしに来た訳じゃないでしょう?」
「はあ、その······」
アルゴスは姿勢を正し、綺羅々に向かって頭を下げた。
「本当に今さらな話ですが······御両親の事は、残念でした。申し訳ありません」
綺羅々はアルゴスの頭をじっと見つめ、ふっと静かに嘆息する。
「本当に、今さらね」
「それと······弁解にもなりませんが、自分は先生の御両親を、手にかけてはおりません。共犯である事は、間違いありませんが······その、自分は」
アルゴスは絞り出すように、言った。
「く、『クロノス』······今崎、元警視正を」
綺羅々のアルゴスを見る目が冷たくなる。
「あなた、確か、元警官だったんでしょ。もしかして、部下だったとか」
「そ、その通りです。自分が飲酒運転で人身事故を起こし、懲戒解雇された際の、し、署長が、今崎殿······でした」
アルゴスはうなだれ、沈黙の時間がしばし流れた。やがて綺羅々が口を開く。
「それを私に懺悔しに来たって事?」
「そ、そうかもしれません。その······警察をクビになり、交通刑務所に入れられ、身内からは縁切りされ、出所後はお定まりの、タクシー運転手、ビル解体作業員、あげくに暴力団の用心棒と、職を転々とするうちに、現在のゼウス──武田口元大尉より、お声がかかったのです」
綺羅々はかぶりを振った。
「あなた。それが運の尽きだったわね」
「は。あの、その」
「もうケルベロスの内務班長相手でも言いたい事言っちゃうもんね私」
綺羅々は天井隅の監視カメラに向かって指を突きつけた。
「聞いてるでしょ、武田口さんも。隠れてないで、出て来なさいッ」
「せ、先生っ」
アルゴスは綺羅々の挑発をやめさせようと、少し大きな声を出した。綺羅々はアルゴスに視線を戻し、口を閉じた。アルゴスは話を続ける。
「そ、それでですね。SCSの前身であるアルペイオスへの参加を決めて、クロノス······今崎元署長と、何年かぶりに再会しまして······今崎殿は私を見るなり、こうおっしゃいました。『おう、君も加わってくれるのか』と。彼は自分の参加を、心から喜んでくれたのです」
綺羅々のアルゴスを見る目が、ひどく悲しげになる。
「だけどあなたはそれを裏切った。まさか、その時は、まだ武田口の本心を、知らなかったとでも?」
アルゴスはまたうなだれる。
「······現ケルベロスの構成メンバーは、全員いずれクーデターを起こし、アルペイオスを乗っ取る計画である事を、武田口殿から告げられておりました。弁解は、しません」
「それで、あなたは、クビになった事を逆恨みして、今崎さんに、復讐を?」
アルゴスは顔を上げた。
「し、信じて頂けないのは承知の上で、お話ししますが······自分にそのつもりは、ありませんでした。懲戒解雇も、刑務所行きも、全て自業自得と、そう思っておりました。署長を恨む気など、無かったのです。ですが、武田口殿に、繰り返し、ささやかれるうちに······『君が人生の裏街道を歩むはめになったのは、みんなあの元署長のせいではないか。恨みを晴らす絶好の機会が今来たのだ。そうだろう?』自分も、だんだん、そのように、思えて来まして······」
綺羅々は深い溜息をついた。
「典型的なマインド・コントロールだわ。さすがは悪のカリスマ、大したものだわ。まあ確かに彼は、経営者としては辣腕家だし、先見性もあるし、政治力もあるけど、今度は自分が側近に裏切られたり、女子供に出し抜かれたりでもう散々。とってもお間抜けさんでもあるけどね」
「せ、先生、あまりボスを刺激するような言葉は」
「そうよねー、今のところは丁重に扱ってくれてるけど、いざとなるとどうなっちゃう事やら。──それで、お話の続きは、アルゴス?」
アルゴスはまたうつ向いた。声が小さくなる。穴があったら入りたい、そんな感じに見えた。
「······クーデターの決行により、我々は事故に見せかけ、今崎殿、先生の御両親ら、アルペイオスの主要幹部七名を、抹殺しました。自分は、割り当て通り、い、今崎殿を······その、最後の瞬間に、今崎殿と、目が合いまして······そ、その目が、怒りでも、恨みでもなく、ただ、寂しそうな、悲しそうな······思い出したのです、あの、自分に懲戒解雇処分を言い渡した際の、署長の目と、同じであった事を」
アルゴスは頭を抱えた。
「じ、自分はあの目が、忘れられず、以来、酒浸りに······」
綺羅々は黙ってアルゴスを見つめ、やがて静かに語りかけた。
「······それで、私が担当になった頃には、だいぶ進行してたって訳ね。外部の医療機関の受診が許されていない以上、手が震え出し、仕事に支障をきたし始めたあなたは、嫌でも私の診察を受けざるを得なかった。もう仕事を失う訳にはいかないものね」
「そうです。自分はボス程ではありませんが、元々酒には強かったので、まさか、自分がアル中になっていたとは、思ってもいませんでした」
「アル中の人はみんなそうよ。まああなたは初期症状で留まっていたから良かったけど。でもお互い内心複雑だったわね。私は親の仇の一人を治療してた訳だし。あなたはいわば仇討ち役にそれをされてた」
「ですが先生はいつもその、誠心誠意、治療して下さった。おかげで自分は助かりました。本当に、感謝しております」
「職業意識が個人的な感情を上回っていたというだけの話よ。医者としては当然の事だわ」綺羅々は苦笑し、つぶやいた。「『恩讐の彼方に』読んだ事ある?」
「いえ。でもタイトルと、あらすじは、存じております······」
アルゴスは立ち上がった。
「そろそろ時間ですので、自分は行きます。正直言って、不本意なのですが──これが今の自分の、仕事ですので」
「残念ながら、ね。アルゴス。私はあなたの応援をする訳にはいかない。だけどあなたも、あなたと戦う相手も、どちらも生き残る事を願っている。それとね。あなたが、少なくとも、私の義理の父より、ずっと人間らしい人間であるのを知って、救いになったわ」
「それは······ありがとうございます」
「あなたの本名、聞かせて下さいな」
「······山田太郎」
「ちょっと」
「本名なんです、これ。みんな、笑いますけど」
アルゴス──山田太郎は一礼し、部屋を後にした。
※
戦闘服に身を固めた姐御運転の車の後部座席に、ウチらメイド・アサシン三人娘は緊張の面持ちで乗っていた。
いよいよ全面対決の時が迫っていた。
本来ならば多勢に無勢、奇襲の繰り返しで敵戦力を徐々に削ぎ、それから本陣突入、の筈だったんだけど、セーフハウスが予想外に早く見つけられてしまった上、瑞谷先生を人質に取られ、あっち主導で最終決戦という事になってしまった。ま、仕方が無いけどね。
アルゴスがあの調子なら(冷酷で陰険なおっさんだと思ってたら、案外可愛いところがあった)、多分、瑞谷先生は大丈夫だと思うけど、ボスがボスだからなァ。やっぱ信用出来ん。
ケイロンのおじさん──うーん、どうしてもまだこう呼んじゃうなあ、西村少尉には、マンションに残ってもらった。ダイダロス、もとい、太田のおっちゃんの必殺マグナムだけではやっぱ心もとないから。決戦からおじさんを外すのは痛かったが、これはいわゆる苦渋の決断。やむを得ない。
お母さん(ウチらは今も今崎未亡人をこう呼んでいる)と悠子ちゃんは、無闇に動かす訳にはいかない。ケルベロスの別動隊がまた襲って来るかもしれないけど、あのマンションからの移動は困難だ。
粟田口警部に連絡し、ウチら戦闘員五人以外は警察の保護下に入り、病人は警察病院入院というのが、一番安全かもしれなかったが、ウチらの現在の状況って、警察の目からすれば、暴力団の内部抗争と大差無い訳だし、この段階で介入されちゃうと厄介な事にって洒落にもなんない。
姐御らからすらば、軍上層部の了解を得た上での作戦の一環って事になるけど、それは限り無く「暗黙の了解」に近いものだし。
要するに、どっから見ても、今のウチらの立場は微妙なのだ。
この件はあくまで当事者同士で決着をつけるべきであり、警察の方には後始末どうぞよろしくっとバトンタッチ出来るようにするのが最良だろう。
何せ殺されたのは元警視正、署長さんなのだから。
でもさー。
マンションを出る際、西村のおじさんは、
「ここはお任せ下さい、御健闘をッ」
って、声震わせて敬礼してたし。
太田のおっちゃんは泣いてる奥さんをなだめながら、頭下げるのが精一杯だったし。
お母さんと悠子ちゃんは、自分達の事そっちのけで、ただひたすら、
「先生を助けてあげて」
と、泣きながら繰り返すばかりだったし。
やっぱ悲壮感漂っちゃうよなー。
ちなみに、マンションの管理人さんは何が何だかさっぱり判らず、ひたすら困惑してたけど、姐御と西村少尉が身分証を出して、「昨日来たあの連中は犯罪組織の偽警官、これは自衛軍監察部の管轄事案、だから複雑、口外無用、よろしくっ」とある程度本当の事を話したら、納得したみたい。
つーかもう、疑い出したら切りが無いと、あきらめちゃったのかもしんない。そりゃそーだ。
姐御は運転しながら緊張しているウチらに向かって、わざと気楽な口調でこう言った。
「そういや我々、もうフリーの立場だから、お互いコードネームは廃止だな。で、ニックネームの方は、どうすんだ?」
ウチらは顔を見合わせた。
「えーと。コードネームが元とは言っても、びーびーとか、かっちんとか、めっちとか」
「長年の慣習だからねー。無理にやめようとしたってつい」
「口に出る」
「だからまあ、自然このままって事で」
「いいんじゃないかと」
「うん」
「そりゃまあそうだな。で美貴よ。お前これから私の事、何て呼ぶ気だ」
「え。私はその。えーと。ニケ様は、やっぱ、ニケ様と」
「ふうん。まあいいけどさ。勝利の女神って、私も実は悪くないと、思ってたけどね。つけた奴は最悪野郎だけどなァ」
「あの親父って確かに最悪だけど、一応そっちの方のセンスはまずまずですよね。ウチらのコードネームもそうですけど」
「まあ三人娘筆頭の佳代っちを自分の旧コードネームの『信女』なんて名付けて、ウチらを思うがままに支配しようとした訳ですがねぇ」
「完全に失敗」
「そーそー、策士策に溺れるっていうか、あの親父の一番間抜けなとこよね、そこんとこ」
ウチらはケラケラと笑いこけた。だいぶこれで緊張がほぐれた。
「つー訳で、例の儀式も廃止だな」
「そりゃまあ、私もう『バッコスの信女』じゃありませんからねー」
「んじゃアレみんなで歌おうよ、景気づけに」
「アレ?」
「あー、アレか。いいんじゃないか」
アレとは例のアニメの劇場版挿入歌の事である。何で姐御がそれを知っているかというと、美貴がタブレットにダウンロードした例のアニメを、手が空いた時の姐御に見せたらこれが大ウケ、
「あんこうってのはこれかー!」
「そーなのよー!」
てな具合。
という訳で、ウチら四人は声を揃えて歌い出したのでありました。
やってやる やってやる
や~ってやるぜ~
イヤなアイツを ボ~コボコに~
ケンカは売るもの 堂々と~
肩で風切り 啖呵切る~♪
ほどなく、今や古巣ではなく、敵の牙城と成り果てた、SCS本社ビルが見えて来た。ウチらはビルを睨みつけ、心の中で呼びかけた。
先生、待ってて、今助けに行くからね。
糞親父、待ってろよ、
ボッコボコにしてやるぞーッ!!
次回よりいよいよ決戦と相成ります。