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ちょっと先生待ってよ行っちゃダメーッ!!

 おやじどもの反撃の巻です(笑)


 武田口將暢(むたぐちまさのぶ)はアル中である。だがこの男の消化器官と肝臓は人一倍頑丈に出来ており、依存性の影響があるとすればそれは脳の方であろう。

 と言ってもこの男の倫理観の欠落ぶり、道徳意識の低劣さ、傲慢不遜な性格、無闇に働く悪知恵等、およそ悪党の中の悪党の頭脳自体は天性のものであり、アルコールの影響は、それに拍車を掛けたといったところである。

 要するにいくら呑んでも俺は酔わないというのが自慢の種、ロシアあたりにごろごろいそうなタイプなのだが、さすがに昼間から酒の臭いをプンプンさせているようでは、「企業トップ」としての体面に係わるというくらいの常識は持ち合わせているので、これまでは控えていたのだ、明るいうちは。

 だが事態がここまで悪化した以上、もはや誰はばかる事無く、武田口CEOはかっくらい始めたのであった。

 「ヘレネ号が消えた?」

 グラスを満たしたバランタインを一気に空けた武田口は、むしろ静かな口調でそう言った。机の前に立つアルゴス内務班長は青ざめた顔で報告する。

 「さ、昨晩、何者かに乗っ取られ、出港した模様です。以来、どこからも目撃情報はありません」

 「警備の者は何をしていた?」

 「そ、それが、何が何やら判らぬうちに、意識を失わされ、気がつくと、縛り上げられて、船着き場の物置小屋に、放り込まれていたと」

 「無能者共めが」

 グラスに再びなみなみと注いで、武田口は高級スコッチを水のようにあおり続ける。普通ならばもうぐでんぐでんになる分量を呑んでいるのに、武田口はかえって醒めていくように見える。自身アル中の傾向があるアルゴスの目から見ても、そこが不気味だった。

 「それで、プルトン院長も行方不明だと」

 「は、はあ、それについては、これを御覧下さい。本社(オリンポス)前の監視カメラの映像です」

 アルゴスはそう言いながら、抱えていたタブレットを操作し、CEOに差し出した。武田口はむっつりした表情でタブレットを手に取り、バランタインをすすりつつ、その光景を眺めた。

 必死の変装のプルトン院長が、よたよたと車道に身を乗り出し、タクシーを捕まえようとしている。そこに一見小学生の少女がぶつかる。院長はよろめき、怒り、すぐ膝を押さえて、ガードレールに寄りかかる。痛そうだ。そこに学校帰りとおぼしきセーラー服の女子中学生二人が声をかけ、院長を親切に介抱し、タクシーを呼び止める。待ってましたとばかりに乗り付けた個人タクシーの後部座席に三人は乗り込み、走り去る。 

 「ふん。見事な連係プレーだ。完全にしてやられておる。あのじじいでは手も足も出なかった事だろう。お前達も気をつけろ。油断するとたちまちこうなる」

 「わ、我々はそこまで、無能ではありませんッ」

 さすがに青筋立ててアルゴスが言い返す。武田口は苦笑し、タブレットを机の上に放り出すと、グラスの中身をまた一気に空けた。

 「どうせヘレネ号はもう沈められとる。多分プルトンも一緒にな。アガメムノン、プルトン、次はお前らだ。連中はそう言っておるのだ。で、まだ奴らは見つからんのか」

 「は、八方手を尽くして」

 「またそれか。どこを捜しておるのだ」

 「さ、三人娘が鉄火場とし、清掃班(アルペイオス)が後始末をして、今は空き家になっている屋敷や事務所を、アジトにしているのではないかと」

 「実戦経験の豊富なニケやケイロン、三人娘だけなら、その可能性はあるだろう。だがダイダロスの親父はとにかく、一般人のその妻、難病の娘、半身不随の老婆が一緒であるのを忘れるな。ガス水道電気の無い不衛生な環境になど、潜んでいる訳が無かろうが。頭を使わんか頭を!」

 「た、確かにそうですが、では、分散しているのでは?」

 「ま、今これに映っていたのは、三人娘と、タクシーの運転手はまずケイロンだ、この四人はいわば遊撃隊で、逆に我々を監視しておる。考えてみろ。社内、寮内、院内と、二十四時間、内務班(ケルベロス)の監視下にあった筈が、完璧にお前達を欺いていた連中だ。大体休日の替え玉にも気づく事が出来なかったのだろう。今も奴らはこのへんにいて、我々の隙をうかがっておるのだ。ケイロンは徳川自衛軍特殊部隊のエキスパートであると同時に、諜報活動のプロでもあるのだ。ジョギング中年からエリートサラリーマンまで何にでも化けてしまう。三人娘に至っては、そのへんの女子小中学生に紛れてしまったら、どうやって見分けをつけるのだ。お前らにあいつら四人を見つける事は不可能なのだ」

 「は、はあ」

 アルゴスは惨めだった。返す言葉が無かった。だがしかし、CEOにはひとつ、訊いておかねばならない事があった。 

 「あ、あのう、お言葉ですが、CEO」

 「何だ」

 「三人娘と瑞谷せ──いえ医師が、我々に復讐しようとしているのは判ります。ですがニケやケイロンはOBと称しつつ実際は現役の自衛軍将校、個人的な友誼や同情だけで、彼らと行動を共にしているとは、思えぬのですが」

 「そんな事も判らんのか。落ち目の徳川政府が我々を切り捨てにかかっておるのだ。もはや時間の問題の薩長連合政権誕生後、旧政権への攻撃材料を少しでも減らしておこうという思惑によるものだ。徳川自衛軍としても同様だ。だがもちろん表立って出来る事ではない。彼らにとってニケやケイロンが、三人娘や瑞谷達と個人的にも仲良しというのは、都合のいい話なのさ。あの二人が上に向かって『やっちゃってもいーですかぁ?』『おーやっちゃえやっちゃえ』こんなところさッ」

 武田口はそこで初めて感情を剥き出しにし、空になったバランタインの瓶を後ろの床に叩きつけた。ミケランジェロのディオニュソス像の足元で、瓶は粉々に砕け散った。思わず身をすくめるアルゴスをよそに、武田口はふらりと立ち上がり、ミニバーに歩み寄ると、今度はテキーラの瓶を手に取った。アルゴスは息を呑んだ。

 (バランタインを一本空にして、次はて、テキーラって、化け物かこの親父ッ)

 「何だ。お前も呑みたいのか」

 またグラスになみなみと注いで武田口が言う。

 「い、いえ、とんでもありませんっ」

 「ふん。そういえばお前、依存症の初期症状で、瑞谷の治療を受けていたな。しかし相手が親の仇の一人と知りながら、よくまあ真面目にやってたもんだ、あの女。医師としての職業意識が、あらゆる感情を越えているのだろう。立派なもんだ。敵ながらあっぱれ。俺にすら声をかけて来たくらいだ。

 『CEO。少々呑み過ぎです』

 俺は答えた。

 『酒と葡萄の神バッコスことディオニュソスは、主神ゼウスが人間の女を孕ませ、その死により六ヶ月の胎児として取り出され、ゼウスの股の中に縫い込まれ、産み月になって取り出された。従ってゼウスは酒の神の父であり母でもあるのだ。私はそのゼウスであり、かつては当のディオニュソスを名乗った時期すらあるのだ。私がいくら呑んでも酔わないのは理の当然というものではないか。余計なお世話とはこの事だ。わはははははははははははは』」

 武田口は爆笑しながら立ったままテキーラを一気に空けた。アルゴスはその現場には居合わせなかったが、これを聞いた時の瑞谷医師の顔が脳裏に浮かび、思わず目を閉じた。

 武田口はどかっとチェアに腰を下ろし、ふんぞり返って言った。

 「向こうがその気なら受けて立つまでさ。おめおめと潰されてたまるか畜生め。お前だってそうだろうが」

 「と、当然ですッ」

 アルゴスとてまだ死にたくはなかった。

 武田口はテキーラの二杯目を注ぎながら、ぶつぶつとつぶやき始めた。

 「遊撃隊の四人を捕まえるのが不可能ならば、身動きの取れない方を捜すにしかずだ。瑞谷は優秀な医師だ。専門外とはいえ、若年性パーキンソン病の患者と、薬物中毒の老人への対処法など、準備を重ね、今に備えていた筈だ。しかし限界はある。もしあの二人の病状が急速に悪化した場合、治療可能な病院にすぐさま担ぎ込む必用がある。その場合、救急車を呼んで目立つ事は極力避けたいだろうから、自分達でこっそりという事になろう。従って奴らの潜伏先は大病院の近所だ」

 アルゴスがそのつぶやきを懸命に聞き取ろうとしていると、いきなり武田口が立ち上がって大きな声を出すものだからびっくりした。

 「ニケは表に出るにはあまりに目立ち過ぎる。だから出るに出れない病人二人と常に一緒にいる筈だ。身長二メートルの巨大美女、車椅子の少女と老婆、これを捜すのだ! 不動産屋など当たるだけ時間の無駄だ、警察バッジの偽物の用意はあるだろう、警視庁捜査一課の名刺を作れ、電話番号とメールアドレスはうちの情報部(シビュレ)直通だ、それで大病院近辺のマンションの管理人に捜査員を装って聞き込みをするのだ、ダイダロスとニケの顔写真を見せて、この二人が数名の未成年者を含む共犯者と共に、金持ちの家の寝たきりの老婆と少女を誘拐し、身代金を要求している、極秘捜査の最中なのでくれぐれも御内密に、とな、判ったか!!」

 「了解であります!!」

 元不良警官のアルゴスは直立不動の姿勢で応じた。やはり、悪知恵においては、このボスに勝る者はいない。


 徳川自衛軍監察部所属の五十嵐夏子大尉は、カーテンの隙間から双眼鏡で外を見張り続けていた。ミャンマーのジャングルでの事を思えば、冷暖房完備、屋根の下の見張りなど、二十四時間ぶっ通しでもOKだが、表を自由に動き回っている西村少尉と三人娘がうらやましくてたまらなかった。ええい。こんなでっかい図体に生まれてさえこなければ。おまけに凄い美人なのだから、どこに行っても目立ち過ぎる。

 このマンションの一室、三人娘が選び、変装した西村が契約したセーフハウスに入る際も、極力人目を忍んだものだったが、およそ自分には変装は無意味だ。

 3LDKのこの部屋には、夏子と今崎未亡人、ダイダロスこと太田耕三郎、その妻道子、難病の娘の悠子、そして瑞谷綺羅々の六人がいた。

 三人娘が休日を利用して(替え玉を立てて)必要な家具類等を購入し、運び入れ、準備を重ねて来たのであった。

 三人娘の「GO」のメールの受信と同時に、かねてからの計画通り、アポロン病院の監視システムをダウンさせ、搬出される遺体に偽装した未亡人と太田悠子を運び出して脱出に成功。「ちょっと煙草買ってくるわ」と工房の部下達に言って職場を後にした太田耕三郎と後に合流、この場に集結したのであった。

 「ナターシャ、代わろうか?」

 いつものサングラスを外した太田が言った。何やら別人のように温和な感じがして、いささか戸惑う。

 「まだいいよ。それより、キララはどう?」

 「さすがに疲れてるみたいだ。寝室で、二人と一緒に休んでる」

 「そう」

 「女房も、そろそろ戻って来る頃だが······」

 太田の妻道子はマンション一階に入っているスーパーに買い物に降りていた。三人娘がこのマンションを選んだ理由の一つが、スーパーとマンションの正面玄関口が隣り合わせで、ほとんど表に出る事無く食料雑貨の調達が可能だからである。ちなみに隣接するのは総合病院で、二人の病人の万一の事態に備えていた。部屋は五階にあり、真下の正面玄関口を常に見張れる位置にある。さすがは我が弟子達と夏子は誇らしく思う。あらゆる角度から考え抜いてある。

 だが相手は悪知恵において、徳川自衛軍創設以来並ぶ者がいなかったあの武田口だ。ここも決して安全とは言えない。

 にしても──と夏子は思う。

 三人娘は姐御・ニケ様・おねーちゃん。少尉は大尉。太田のおっちゃんはナターシャ。奥さんは五十嵐さん。今崎未亡人は夏子さん。悠子ちゃんは夏姉ちゃん。キララっちはなっち。

 私はなぜみんなからこうもバラバラの名前で呼ばれるのだろうか。ま、別に、悪い事じゃないから、いいけどさ。それぞれの立場や感覚の違いから、こうなるのはむしろ当然──

 夏子はマンションより若干距離を置いた路地を注視した。一台のワゴンが停車し、中から男が六人降りて来た。スーツ姿、ネクタイ無し、軽装と、服装はバラバラだが、見るからに刑事ドラマやってますというコスプレ連中だ。おまけに髪型、眼鏡、付け髭等、精一杯変装してはいるが、ケルベロスのメンバーであるのは一目瞭然。あの悪党め。犯罪捜査にかこつけて、聞き込みやらせやがったに違いない。そっちの方は何気な来館者に紛れて見落としたようだ。糞。だけどお前ら限り無く刑事っつーよりヤー様だ。

 夏子は舌打ちし、太田に言った。

 「おっちゃん。緊急通信」

 「お、おう」

 太田はスマホを取り出すと、その場にいない仲間に緊急メールを送信する。

 「みんなを起こして。奥さんはスーパーに留まるように」

 「判った」

 刑事に化けたケルベロスの連中が、ぞろぞろとこっちに向かって来るのが見える。

 夏子はカーテンを閉め、双眼鏡を置き、カップボードの引き出しから愛銃のコルト・ガバメントを取り出すと、セーフティ・レバーを外し、遊底をスライドさせ、ドアの脇に立った。太田もまた愛銃のS&Wを構えて来たが、

 「ここは私だけでいい。おっちゃんは彼女達を護って」

 「う、うむ」

 夏子の言葉に頷き、太田は三人の女性が身を寄せ合っている寝室に戻った。連中が偽の捜査令状なんかを管理人に突きつけて、堂々乗り込んで来た頃だ。夏子はドアのロックとチェーンを外した。ドアに耳を押し当てる。少尉や三人娘、太田夫人のそれとは明らかに違う、複数のドカドカという無遠慮な足音が聞こえる。近所迷惑だ馬鹿者。止まった。

 夏子はためらう事無く、いきなりドアを思い切り開く。ドア前に立っていた偽刑事──アルゴスが、鼻血を吹き出しながらぶっ飛んだ。その横でぽかんとしている、ミノタウロスというコードネームの、牛のような顔とゴツい体格の男を、まるで子供扱いにして捕らえ、その首に腕を回して楯とすると、コルトの銃口を廊下の連中に突きつけた。大柄なミノタウロスもせいぜい夏子の肩に届くくらいだ。ケルベロスの連中も皆拳銃を引き抜き、夏子に向かって構えている。

 アルゴスはハンカチで鼻を拭いつつ、ブローニングを抜いて言った。

 「随分な御挨拶だな、ニケさんよぉ」

 「あらごめんなさい。痛かった?」

 「そいつを人質にしても楯にしても無駄だぜ。俺が命じればあんたもろとも蜂の巣にするだけの事だ。覚悟は出来てるだろうな、ミノタウロス?」

 「そ、そんな、あんまりだ、兄貴よォ」

 ミノタウロスは半べそ顔で言った。

 「部下を粗末にすると嫌われるわよォ。あんたの今のボスがいい例じゃん」

 「うるせェ。大人しく投降するなら弁明の機会を与えてやってもいい。嫌ならあんたを撃ち殺し、奥にいる女共を連れ去って、残りの連中を誘い出すだけだ」

 「そいつはちょっと、頂けねえな」

 廊下の左側に現れた西村少尉が、六四式小銃の銃口をアルゴス達に突きつけてそう言った。

 「そいでもってこっちにもいるわよー」

 普段着姿の三人娘が、それぞれ特製拳銃(ライラプス)、モーゼル、両手の指に挟んだ八本の投げナイフを構え、廊下の右側に並んでいた。夏子はニヤリと笑い、アルゴスに言った。

 「という訳で、あんたら包囲されてるけど、どうする?」

 「うぐぐぐぐっ」

 アルゴスは顔を真っ赤にして唸った。ブローニングを握る手がわなわなと震える。西村と三人娘が言う。

 「ここはファミリータイプとワンルームが混在していてね。俺と三人娘はそれぞれワンルームに控えて、こういう事態に備えていたのさ」

 「まーウチらが戻って来てからで助かったわー」

 「夕べのうちに来られてたらアウトだったね」

 「ほんと」

 夏子はアルゴスに言った。

 「ねーアルゴスー。このまま黙って引き上げた方が、お互いの為じゃない? 私らもあんた達の背中を狙うような真似はしないからさー」

 「黙れ! これ以上失敗を重ねてボスにどやされるくらいなら、今ここでお前達と血風呂(ブラッドバス)で心中した方がましだッ!!」

 アルゴスはそう喚いて夏子の顔に銃口を突きつけた。他のケルベロス・メンバーも、青ざめた顔で左右の西村と、三人娘に銃口を向ける。夏子もまた硬い表情でアルゴスの狭い額に狙いをつけた。西村と三人娘も緊張する。

 ヤバい。こいつ武田口に責められ続けて相当煮詰まってる。相討ち覚悟で乱射が始まれば、下手すりゃ本当に双方共倒れだ。一人か二人、生き残っても、ケルベロスの残りのタロスやスキュラ共に対抗出来るか、判らない。ただでさえ多勢に無勢、こっちの戦力は一人も欠かせない。どうする。この手詰まり状況をどう打開する。ミャンマーのジャングルなら、こういう場合──夏子は悩んだ。

 「そこまで」

 夏子の後ろから声がかかった。

 綺羅々が出て来た。奥でパジャマに着替え、休んでいた筈だったが、スーツになぜか白衣をまとって、お医者さんスタイルである。後ろから心配そうに太田が続く。

 「みんな銃を下ろして。こんな所で撃ち合ってどうするの」

 「お、おい、出て来るな、キララ」

 夏子は困惑した。綺羅々は夏子を押しのけるようにして廊下に出た。同じく困惑しているアルゴスに冷静に呼びかける。 

 「夏子の言う通りよ。ここはいったん、お引きなさいな、アルゴス」

 なぜか顔を赤らめて、アルゴスはまた喚く。

 「そ、そんなまねが出来るか! どの面下げて、今さら──」

 綺羅々はアルゴスをじっと見つめ、ふいに腕を組み、クンと鼻を鳴らして言った。 

 「臭うわよ、アルゴス」

 「え」

 アルゴスはきょとんとして綺羅々を見返す。綺羅々は完全に瑞谷医師モードに入り、言葉を続ける。

 「どうせCEOに責められて、ヤケ酒あおったんでしょ。気持ちは判るけど、それは駄目だと言ったじゃないの。断酒はまだしなくてもいいけど、毎晩寝酒の一合のみ、これを厳守。守れないようなら、断酒会に出てもらいます。そう言った筈でしょ。みんなの前で、自分の恥ずかしい体験を告白し、みんなにいろいろ言われて、反省し合う、あなたに出来る? どうなの?」

 「そ、それは」

 アルゴスは言葉を失い、場の空気が急速に微妙になって来た。夏子とミノタウロス、ケルベロス・メンバーと西村、三人娘、敵味方で顔を見合わせている。美貴に至っては唇を噛んで、吹くのを必死にこらえている有様だ。やがて完全に患者の顔のアルゴスが言った。

 「あ、あの、先生、こういう場面で、そんな話は」

 「こういう場面も何もないでしょう。──いいわ。あなたがどうしても、このままじゃ帰れないと言うんであれば、私が人質になりましょう」

 「え」

 当人以外の全員が仰天した。

 「そ、そりゃあ、駄目だ、先生!」

 後ろから太田が叫んだ。皆が口々に叫び出す。

 「先生、何て事言うのよ!」

 「駄目よ、絶対!」

 「いけない!」

 「馬鹿を言うな、キララ!」

 「先生、いけません!」

 「静かに!!」

 瑞谷医師は一喝し、全員が沈黙する。夕べヘレネ号船上でやつれ切っていた姿とは全く別人の、圧倒的な威厳を以て、彼女はその場を制していた。夏子すら気圧(きお)され、固まっている。アルゴスらもまた絶句していた。瑞谷医師はアルゴスに向き直った。

 「大体重病人二人を人質にするなんて、そちらの負担も大きいでしょう? 考えてごらんなさい、万が一の事でもあった場合、どうなっちゃうか、この人達、怒り狂うわよ。恐ろしいでしょ?」

 「······お、おっしゃる通りです」

 「とりあえず、その銃を下ろして、あなたのボスに連絡しなさい。さあ早く」

 「は、はい、先生」

 アルゴスは言われるままに銃を下ろし、スマホを取り出して、CEOに連絡した。

 「──アルゴスです。······ええ、ボスの見立て通りでした。ですが、それが、その······あの、現在、睨み合いというか、膠着状態······お、お怒りはごもっともですが、その、瑞谷せ、いえ医師が、自分が人質になるので、とりあえず引き上げろと······はい、そうです。結果的には、同じ事ではないかと······本社ビル(オリンポス)で迎え撃った方が、こちらも有利······はい、ありがとうございます」

 アルゴスはスマホを切り、瑞谷医師に告げた。

 「先生、御同行願います」

 瑞谷医師は頷く。アルゴスは半ば呆然としている夏子に言った。

 「あんたも銃を下ろして、そいつを放してやってくれ。お前らも銃を下ろせ」

 敵味方全員がそれに応じた。アルゴス一人、気乗りのしない様子で、綺羅々に銃口を向ける。

 「すみません、先生。一応、こうさせて頂きます」

 「いいわよ。どうせ撃たないでしょ」

 「と、当然ですよ」

 アルゴスはそう答えて、部下達に命じる。

 「俺と先生、テュポンとテルシテスはエレベーターで降りる。残りは階段を使え」

 ケルベロス一同は引き上げにかかった。

 「丁重に扱えよ、アルゴス!」

 西村少尉が叫ぶ。 

 「言われるまでもない、ケイロン」

 アルゴスは応じた。

 「キララ、待ってろよ、すぐ行くからな」

 夏子が声を震わせてそう言うと、綺羅々は微笑して頷いた。

 背中に銃を突きつけられた綺羅々が先頭を歩き、べそをかいている三人娘の前を横切って行く。

 「先生、行っちゃ駄目」

 「行かないで」

 「先生」

 綺羅々は彼女達に笑顔で手を振り、エレベーターに消えて行った。






 次回は決戦前夜でございます。

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