サイアクおやじがカンカンだってさバカバーカッ
今回と次回は三人称になります。
「どこにもいません、見当たりません、手がかり無しです、そんな報告しか持ち合わせずに、よくも私の前に立てたものだな、お前達ーッ!!」
SCS・CEO「ゼウス」──元徳川自衛軍経理部主計大尉で、機密費多額横領の罪により不名誉除隊処分となった恥ずかしい奴、本名武田口將暢は、大理石製のデスクをガンガン殴りつけながら喚き散らした。
彼の前には内務班の三ツ首と呼ばれる三幹部──アルゴス・タロス・スキュラがうなだれている。
「百眼巨人」のアルゴスは名に反してむしろ小柄、しかし極めて敏捷そうな筋肉質の肉体に、鋭い目付きの持ち主。
「青銅巨人」のタロスはこちらは名前の通りぬーぼーとした無表情で不気味な大男。
「半人半犬女」のスキュラはまあでかいメスのブルドックといったところか。
「八方手を尽くして捜しておりますが」脂汗を流しつつ、内務班長アルゴスは答えた。「全員、行方不明でして」
「暗殺班メンバーも全員消えたとはどういう事だ!」
ゼウス──いや、今後は本名で呼称しよう、武田口は叫んだ。
「えーこのような書き置きが控え室に残されておりましてぇ」
タロスがむっつりと一枚の書面を差し出す。それをひったくるように手にした武田口は、文面に目を通してまた怒り狂う。
「『暗殺班構成員九名はこの件につきましては中立の立場を選択致しました。会社に敵対しない代わりに彼らの味方もしません。機会がありましたらまた雇って下さい。以上。各員署名』何だこれは。人を馬鹿にしおってーッ!!」
武田口は書き置きをびりびりに引き裂き、床に投げ捨てた。
「ケイロンが以前より、密かに根回ししていた模様です」目を泳がせながらスキュラが答えた。「エリス・メンバーを巻き添えにせず、かつ敵にも回さずといったところで」
「うぬぬぬぬーっ」
革張りチェアにどかっと腰を落とし、武田口は唸った。
(何という事だ。徳川政府崩壊後の我が身の振り方や組織の維持ばかりに気を回し、どんなに頭が良かろうと所詮は小娘のやる事よと侮り、アガメムノンいや馬崎の如き低脳に丸投げにしていたツケが、こんな形で回って来るとは。糞。一生の不覚だ。そ、それにしても、ゆゆ許さんぞ、あの小娘共がァ。恩を仇で返すとは、まさにこの事だ。誰に育ててもらったと思ってやがるーッ!)
子供に虐待の限りを尽くしておきながら、いざ反抗された途端に身勝手極まる親の権威と都合を振りかざす、馬鹿な父親そのものの顔で、最高神を僭称していた恥ずかしい男は、己が真っ黒なはらわたを煮え繰り返し続けるのであった。
「あのう、CEO」遠慮がちにアルゴスが口を開く。「今回失踪した連中の個室を調べましたところ、手がかりになりそうな自前のスマホやパソコンなどは全て持ち出されておりました。それとその、え、得物も」
「奴らは前々から叛逆の機会をうかがっとったんだ。当たり前の話じゃないか。何が言いたいのだアルゴス!」
「そ、そのー、とりわけカサンドラの部屋なんですが、残していった私物の、膨大な本やらソフトやら映像・音響機器の類いにことごとく『さわるな』『触れるな』『いじるな』『動かしたら殺す』といった貼り紙がべたべた。いかがなさいます。全部ゴミに出しちゃいますか」
「そんなくだらん事をいちいち俺に──いや待てよ。いやいや待て待て。それらは全てそのままにしておくのだ。あの小娘共をふん捕まえ、思い切り痛めつけ、なぶりものにする過程において、奴らの大事な私物をことごとく、その眼前において、ほれほれ潰すぞ燃やすぞと、これ見よがしに処分してしまうのだ。うんとあの可愛い顔を泣かせてやるわい。けけけけけっ」
ようやく少し気分が良くなり、武田口は三人を下がらせた。入れ替わりにやって来たのがアポロン精神神経科病院々長、コードネーム「プルトン」であった。その銀髪は乱れ、痩せた頬はさらにこけ、顔色は真っ青、目は血走っている。彼はよたよたと武田口のデスクの前に歩み寄り、叫び出した。
「綺羅々がおらん! 未亡人も、半身不随のあの娘もだ! どうするのだゼウス、どうするのだ!」
「落ち着け! うろたえてはいかんっ」
ついさっきまで自分がうろたえまくり、叫び散らしていたにもかかわらず、自分以上に狼狽している人間を見て、武田口はますます落ち着きを取り戻すのであった。
「奴らが攻めて来る、ここまで押し寄せて来るぞ! 逃げなくては、早く逃げなくては!」
「血迷うな! ここにいれば安全だ。ケルベロスの奴らもおる!」
「当てになるものか! あの三人娘の実力は、私が一番良く知っておる!」
「そりゃそうだろ。何しろあんたが『作った』んだしな」
武田口はそう言って、肩をすくめた。
「かてて加えて、ニケとケイロンまでおる! なぜあんな奴らを組織に加えたのだ! 大体あの二人とテセウスは徳川自衛軍監察部の回し者」
「かてて加えて、特殊部隊経験者。百も承知で受け入れたさ」
「ではなぜ」
「俺と馬崎が『拝借』した機密費を、きっちり利子付きで返済した後も、軍との腐れ縁は断てなかったせいさ。先日の大作戦がいい例だ。お互い『商売相手』だからな。まあ政府の弱体化と自衛軍の分裂・混乱に乗じて、テセウスとニケはまんまと海外に飛ばしてやったが」
「なぜケイロンを残した」
「あいつは暗殺班の現場元締めみたいになっていたからだ。女子供は絶対殺らないだの、気にくわない仕事はしないだの、散々こちらの手を焼かせてくれたが、アガメムノン、いや馬崎のような間抜けでは、どうにもまとまりがつかなかったのだ」
「アガメムノンを殺ったな」
「あいつは裏切り者だ。あちらに身売りしようとして失敗し、無様にもセーフハウスのシャンデリアにぶら下がって、タマを潰され失神していた。今は東京湾のヘドロの中で安らかにお眠りさ」
「私はまだ眠りたくなどないぞーッ!」
プルトン院長は絶叫し、武田口は失笑した。
「今さら何だい。そんなに自分の過去が後ろめたいのかね、浦之巣先生?」
「その名で呼ぶのはやめろーッ!」
プルトン院長の本名は浦之巣史朗という。曾祖母が在日のドイツ人と結婚しており、先にも触れたが、八分の一ドイツ人の血が混じっている。あちらでもこちらでも代々医者の家系。さらにどちらの家も戦時中はドイツ本国や大陸において、非人道的な人体実験に手を汚したのであった。戦後様々な工作と裏取り引きにより、戦犯指定をかろうじて免れたという点も共通している。
史朗少年の父はそれを恥じ、医師の道を選ばず、遺伝子工学博士となって、浦之巣遺伝子研究所を設立し、数々の実績を残して、息子にその跡を託した。
史朗の父は倫理意識の厳しい人物で、いわゆる「神の領域」を侵す事を慎重に避け、また怖れてすらいた。己の父の過ちを繰り返すまいとしての事だが、その息子たるや何ともそれがまだるっこく、跡を継ぐなり先祖返りとも言うべきか、さっそく軍と政府の一部過激派と組んで、超人的な能力を持つ、いわゆる「人間兵器」の開発に邁進したのであった。親の心子知らずとはまさにこの事である。
以来浦之巣研究所で密かに行なわれているらしい非人道的実験については、警察も察知はしていたが、後ろ楯の軍・政府からの圧力により、どうにも手を出せずにいたのである。
前述の「クロノス」今崎茂三郎元警視正は、これに強い憤りを覚え、発足したばかりの非合法仕事人組織「アルペイオス」の初仕事の標的にこの研究所を選び、ガス爆発事故に見せかけて建物を破壊したのであった。
当然、科学者としての良心を捨て、悪魔に魂を売り渡した研究者達は全員処刑──とはならなかった。
所長の浦之巣史朗は逃亡し、捕らえられた十三人の男女の科学者達を、クロノスは殺さなかった。いや、殺せなかった。このへんが「仕事人」元締めとしては甘いところだったのかもしれないが、彼は彼らに選択の余地を与えたのだ。
このまま死ぬか、非人道的な科学者としての記憶を失い、我々の組織の「清掃員」として働くか、どちらかを選ぶがいい、と。
全員が後者を選び、彼らは現清掃班の構成員となり、今も働き続けているのであった、黙々と。
この際、彼らにその処置を施したのが、警察病院の医師で今崎警視正の友人、「アルペイオス」発足時の同志であった瑞谷夫妻、瑞谷綺羅々の両親である。
「洗脳」自体、非人道的なのは、彼らとて百も承知であったが、いくらなんでも殺すよりはまし、さらには浦之巣研究所の地下保管庫に並べられていた、膨大にして想像を絶するホルマリン漬けの「失敗作」の山を目にしては、これもやむを得ない処置であった。
そして「成功作」が破壊される間際の研究所より運び出された。
保育器に入れられた三人の赤ん坊、いずれも女の子。今崎・瑞谷夫妻らは彼女達を「普通の女の子」として育てるつもりで名付けたのであった。佳代・美貴・由美と。
ところが「人間兵器」としての彼女達の将来性に目をつけていたのが、当時のコードネーム「ディオニュソス」武田口將暢と、こちらは変わらず「アガメムノン」馬崎陣八郎であった。
彼らは現ケルベロス構成員らと予定通りクーデターを敢行、今崎茂三郎、瑞谷夫妻と「アルペイオス」発足時の同志達は全員事故に見せかけて殺害され、組織は「ゼウス」となった武田口に乗っ取られた。
ここで姿をくらませていた浦之巣元所長が、岩井という偽名を付けて現れる。
彼に「アルペイオス」襲撃の情報を伝え、逃がしたのは、事前に取り引きをしていた武田口であった。
多額の現金を武田口に渡し、生命の保証とその後の地位の安泰を得た浦之巣は、まんまと創設されたばかりのアポロン精神神経科病院の院長に就任した。本来は遺伝子工学博士の浦之巣だが、自身は経営に徹し、診察は人脈を生かして集めた医師達に丸投げしたのだ。
ここにわざと生かしておいた今崎未亡人を強制入院させ、口封じと利用価値の為、投薬他によって廃人同様に仕立て上げたのであった。
瑞谷夫妻の一人娘で当時まだ小学生だった綺羅々は、浦之巣が養父として引き取り(自分の偽名がばれるのを恐れ、籍は入れなかった)、厳格な教育を施した。
将来の「人間兵器」である三人の赤ん坊は、武田口の手に落ちた。もちろん、この男に子育てなど出来よう筈も無し、彼女達は養護施設預けと相成った。それぞれに壇ノ浦、四条畷、求塚などという大仰な姓と共に、「天文学的な借金の山を築いて死んだ無責任な親達」というでっち上げの話をくっ付けて。
そして今日に至ったのであった。
「あの三人娘の身体能力はとにかくとして、知恵のレベルを並み以下にしておけば、こんな事にはならなかっただろうが」
武田口は苦々しい表情になってそう言った。浦之巣は青い顔を赤くして怒鳴った。
「何を言うか! そんなふざけたまねが出来るか、あらゆる面で、容姿、体力、知力、情緒も、全て完璧をめざした成果があの三人娘なのだ! 彼女達は私の最高傑作なのだぞ!!」
「その愛しい最高傑作に命を狙われるはめとなった訳だ」
「それはお前さんとて同じ事だ」
「まあいいさ。どの道奴らは草の根を分けてでも捜し出す」
「その前に襲って来たらどうするのだ」
「受けて立つさ。こちらとて殺しのプロの集まりだ。返り討ちにしてくれるわ」
「信用出来ん」
「じゃあ出て行くんだな。馬崎同様、あんたもセーフハウスくらい用意してるだろう。いつものキャデラック──いや、ここの車はあいつら全て熟知してる筈だから、何で行っても案内するようなもんだろうな。変装して、裏口からこっそり出て、バスかタクシー使って行くのが、一番安全かもしれないよ、先生」
あの男の冷酷非情さは知り尽くした上で付き合って来たが、まさかこれ程とは思わなかった。何がゼウスだ、「クロノス」があいつをディオニュソスと揶揄を込めて名付けたのはもっともな事だった。アル中の人格破綻者の分際でこの私を追い出すとは。けしからん。地獄に堕ちればいいのだ。糞。本来なら私がそこの王だというのに。
プルトンことハデス、冥界王の浦之巣史朗博士は、かように頭から湯気を立てながら、SCS本社ビルの裏口から、這うようにして表に忍び出たのであった。
こういう御仁の常として、悪いのは全部相手であり他人であって、「信用出来ん」などと口走った自分が悪いとは決して思わない。
そのいでたちたるや精一杯の変装ぶりで、上はソフト帽、伊達眼鏡にマスク、古ぼけたトレンチコートに杖を突き、腰を思い切り曲げて哀れな年寄りを装っておられる。だがこれは日頃出来るだけ偉そうに、しかも若々しさを見せつける為にふんぞり返って歩いている分、足腰に年齢相応の負担が蓄積していたので、あながち演技とは言えなかった。
彼はよたよたきょときょとと裏通りを歩き、三人娘とその一味が今にも襲いかかって来るのではないかとびくびくしながら、一刻も早くタクシーを捕まえねばと焦っていた。
だがその一方で、いやあの三人娘にとって私はいわば産みの親、綺羅々に至ってははっきり育ての親なのだ。よもやその私に対して手荒なまねなどする筈が、などと、追い詰められた人間特有の希望的観測に心の隅ではすがってもいた。
やはり裏通りではいくら待ってもタクシーは来ない。彼はやむなく、表通りに出、車道にタクシーの姿を求めたのであった。
その時、彼は足に衝撃を覚えた。見ると、一人の少女が追い抜きさま、彼の足にぶつかったのだった。おかっぱ頭にワンピースの、小学生くらいのその子供は、謝るどころか振り向きすらせず、そのまま走り去り、雑踏の中に紛れて行った。
「こっ、こらっ!」
浦之巣博士はカンカンに怒って、既に見えなくなった少女に向かって叫んだ。周囲の通行人も目を丸くしている。
何というガキだ。まったく最近の子供はけしからん。親の教育がなっとらん。顔を見たいものだ。再び頭から湯気を立てつつ、博士はガードレールに手を掛けて、車道に身を乗り出しかけ──右の膝に激痛を覚え、思わず呻き声を洩らした。
慌てて右膝をさする。出血はしていない。ズボンも裂けてはいなかった。彼はハッとした。針だ。ツボを一突き。あ、あの子供だ。しかしおかっぱ。いやそんなものはカツラで。こ、こんな芸当の出来る者は、め、メッ、
「大丈夫ですか、お爺さん?」
博士の左右から、学校帰りらしいセーラー服の少女が二人、そう声をかけ、彼の身体を支えた。激痛のあまり声も出ない博士の顔を、心配そうにのぞき込む、ツインテールとお下げ髪、揃って眼鏡の女子中学生は、口々に言った。
「大変、冷や汗でびっしょり」
「すぐ病院に行かなくちゃ」
「救急車呼ぼうか」
「急がないと駄目よ。あ。空いてるタクシーだ!」
「タクシー! 停まってーッ!!」
そこにタイミング良く現れた一台の個人タクシーが乗り付け、後部座席のドアが開いた。お下げ髪が先に乗り込み、ツインテールが博士を介抱しながら後に続く。博士は親切な二人の少女にはさまれる形で、タクシーの後部座席に落ち着いた。タクシーは走り去った。
心配そうに足を止め、見守っていた通行人達は、やれやれと安心して歩き始めた。さっきの小学生はとにかく、今の中学生の女の子達は立派なものだ。今どきの子も捨てたもんじゃない。悪い子と良い子の両極を見た思いで、善良な通行人達は少し複雑な、しかしほっこりした思いを抱いて、その場を立ち去ったのであった。
だがそんな通行人達の思いとは裏腹に、タクシーの車内においてはかつての冥界王にとっての本物の地獄が始まろうとしていたのであった。
「お客さん、どちらまで?」
ほっそりとした体格の中年男性の運転手が、振り向かぬまま尋ねた。
「とりあえずまっすぐ、お願いしまーす」
ツインテールが答える。この期に及んで状況が理解出来ない程、浦之巣博士も馬鹿ではなかった。
「お、お前達はッ!」
ようやくそんな声が出た。
「こんにちはー、院長先生!」
眼鏡を外したお下げ髪のB・Bこと壇ノ浦佳代が、満面の笑顔でそう言った。
「どーもー、お久し振りでーすっ」
ツインテールのカサンドラこと四条畷美貴が、これまた笑顔で挨拶する。
「お客さん、気分悪そうですねぇ、大丈夫ですかぁ?」
バックミラーで後部座席を見ながらさも心配そうに声をかける運転手は、当然ケイロンこと西村峯一、徳川自衛軍監察部所属のOBにあらず、実は現役の少尉であった。
「先生、ハイちょっとまたチクッとしますよーっ」
佳代は笑顔のまま右手に握った小さな注射器の針を、問答無用で浦之巣博士の首筋に突き立てた。
「あ、アルコール消毒を・・・・・・」
医療従事者の本能で思わずそうつぶやきながら、彼の意識は闇の中に呑まれて行ったのであった。
次回はちょっと洒落になりませんので御了解下さい。