死と生と今
ヒトミはバスケットの中からペンダントを取り上げる。
やはりあの夢に登場していた、そしてあの現場に落ちていたペンダントに違いなかった。
ヒトミは、ゆっくりとペンダントを開こうとしたが、まるで時間を経て錆び付いたように、開け口は固く閉ざされていた。手の力を最大限に使い、あらゆる角度から開けようと試みた。しかし、どれも成功しない。
悔しさに顔をしかめながらペンダントをじっくりと観察すると、その横に微かに差し込むような細い口を発見した。部屋の隅にあるベッドサイドのテーブルの上に、細身の銀のナイフが静かに輝いていた。ヒトミは迷わずナイフを手に取り、ペンダントの細い口に差し込んだ。すると、ペンダントは抵抗を感じさせるような音を立てながら、勢いよく蓋が開いたのだった。
いつも見ていたあの夢やあの現場で見た映像の通り、ペンダントの中には、優しげな黒髪の女性。そして、同じく黒髪を持つ可憐な少女の写真が収められていた。
写真は、蓋が突然開く力によってわずかに位置がずれていた。ヒトミはその写真をそっと手に取り、整えようとしたとき、驚くべきことに写真の下から何かが姿を現した。それは、微細な茶色の粒。その粒はほんの5mm程の大きさで、普通では見過ごしてしまうような存在だった。
ヒトミはその粒を近くに持って目を凝らし観察していたが、その静寂は突如、病室のドアをたたく音に破られた。彼女は素早くペンダントとその謎の粒を布団の奥深く隠し、不意の来客に心の準備をする暇もなくドアを開けた。
ドアの向こう側には、おなじみの2人の顔が浮かび上がった。大柄な少女のメガナと、逆に小柄な少女ピクシーだった。
今思えば、ミランダのお見舞いの品を探るというこの一時的な現実逃避がヒトミにとって幸いだったのかもしれない。床に伏した状態で彼女たちが訪れていたら、ヒトミはこれまでのように抜け殻のような状態で来訪者を追い払っていただろう。しかし、ペンダントを手に入れることで心に変化が起こったヒトミは、既に起き上がっていた。その状態で2人の来訪者を迎えることになったヒトミは、自然と、彼女たちを出迎える必要が出てきたのだ。
ピクシーの目には真摯な心配が滲む中、彼女は柔らかく、そして慎重に言った。「ヒトミ、大丈夫なの?」
声をうまく出せないヒトミは、「うん」と、首を縦に傾げる。
ピクシーの瞳はヒトミの前に置かれた食事に移った。「よかったわ」と、一切手をつけられずに残されている食事に目を落としながら、それでも強く、明るく頷いた。
メガナの声はピクシーの心配よりも、少し軽やかであった。「ミランダが、病室で怒鳴り散らかしていたらしいな」彼女らはアイリスの話題に触れることなく、ただヒトミの心情を察するように続けた。
「この山盛りのリンゴ。ヒトミがリンゴを特に好むわけでもなく、しかも皮をむく手間まで考えると、まさにミランダらしいセレクションね」メガナの声には軽い皮肉と温かな冗談が混ざっていた。
ヒトミの顔には、その冗談に応えるように、幾分作られた微笑が浮かんだ。それを見たメガナは、すかさず話題を転換させた。
「実はこのブドウ、皮ごと食べられるんだよ。薄い皮で、本当にジューシーで美味しいの。植物園のグリーンウェイ先生が新しい品種を開発したらしいよ」メガナはそのブドウを一粒、優しくヒトミの手に渡した。
ヒトミは少し迷った後、メガナから手渡されたブドウを受け取った。彼女の瞳の隅でメガナとピクシーの期待に満ちた視線を感じ、そんな二人を裏切るわけにはいかないと感じて、躊躇しながらも一粒を口に運んだ。
そのブドウの果肉を切り裂いた瞬間、甘く濃厚な果汁があふれ、彼女の舌と口の中を柔らかく包み込んだ。その甘さと絶妙な酸味が絶妙に絡み合い、彼女の感覚を魅了した。ブドウの皮の張り具合が歯ごたえを生み出し、鼻腔にはブドウの独特な香りが広がった。
その一粒の魅力に取り憑かれたように、ヒトミは再び手を伸ばした。これを察知したメガナがにっこりと笑いながら、さらに一粒を彼女に差し出した。
それを味わい終えると、もう止められなくなったヒトミは、メガナからブドウの房を受け取った。そして、その房は驚くほどの速さで次々と空になっていった。
このブドウがなぜこれほど美味しいと感じるのか疑問に思っていたら、のどの渇きがブドウの果汁によって満たされていることに気づいた。ヒトミは食事が配膳されたテーブルに目を向け、コップに注がれた水を見つける。彼女は迷わずコップを手に取り、一気に飲み干した。のどの渇きが解消されると、今度はお腹の空きを感じ始めた。彼女は前のめりになり、テーブルの上の食事を素早く食べ始めた。その様子をメガナとピクシーは暖かい眼差しで見守っていた。
ヒトミは食べる速さに自分自身を失ってしまったが、そのせいで一口が大きすぎて、食べ物が喉に詰まってしまった。メガナとピクシーは直ちに彼女の横に駆け寄り、コップに水を注いで渡し、同時に彼女の背中を力強く叩く。幾つかの緊急の瞬間の後、詰まりが解消され、ヒトミは再び食べ始めた。しかし、その眼からは静かに涙が流れ、ご飯の粒が顔にこぼれた。彼女の嗚咽が止むことはなく、時折むせながらも、その食欲は止められなかった。
おそらくヒトミがこれまでに「生」をこんなにも強く実感した瞬間はなかったであろう。どれだけ心が圧迫されていても、身体は飢えを感じるものだ。なぜ自分だけが生き残ってしまったのか、死ぬべきだったという罪悪感を抱えていても、空腹は否定できない感覚だ。それを満たしていく中で、自分が「ここで、今、生きている」という真実を深く感じる。ヒトミはその生の実感と共に、だからこそ、「親友の死」という重い現実を直視することができた。
ヒトミの胸は重く、息が詰まるような感覚に取り囲まれた。深く息を吸うことさえも忘れるほどの衝撃を受けた彼女は、声の出し方を思い出すように、揺れ動く感情を声にのせた。
「アイリス…死んじゃった…」
彼女の声は無垢な新生児のように、力強く、制御不能に病室に響き渡る。
「アイリスが、死んじゃった!」
心の中の嵐を言葉に変え、現実を受け入れるかのように、ヒトミは繰り返し叫んだ。
メガナとピクシーは涙と共にヒトミを包み込み、病室は彼女たちの悲痛な声で充填されていった。その響きは施設のあらゆる場所に広がったが、その部屋に足を踏み入れようとする者は誰もいなかった。
病室の外、静かに少女の姿が浮かんでいた。金髪をなびかせた美少女は、手にしたリンゴを握りしめながら、足早に去って行った。廊下のまばゆい電光の下、少女の頬は強く輝きを放っていた。
実は、この話を書きながら涙が止まりませんでした。
ところで、あなたが図書館にいたとして、パソコンをカタカタさせながら涙を流しているやつが近くの席にいたら怖いですよね?
それ私です。
この話を書いた時は図書館にいました。はい、あの時はすみませんでした。
実はこの『インヴィトロ・ヘブン』という作品は、「インヴィトロ・ヘブン」という題名が決まる前から数えると5回くらい書き直しています。10数話書いては書きなおしを5回やってる感じですね。その後も、というか現在も、細かい設定のつじつま合わせや読み直しのたびに文体を校正したりしているので、もっと書き直してはいるのですが、積み上げたものを「はい、全部だめー!」というレベルの書き直しは5回くらいです。
本当は、この作品について、全部の話を書き終えてから投稿しようと思ってました。仕事もあるし、ある程度貯金が必要ということもあったのですが、一番は胸を張って、「この作品が面白いから読んで!」って周りの人に言えないとだめだと思ったからです。なので、最後まで書き終えて自分で面白いと思えなかったら、そのまま捨ててしまおうと考えていました。
そう思っていたのですが、この話が頭に流れてきたとき、そしてそれを文章に落とし込んでいくとき、自分で自分の作品に感動することができたんです。なので、方針を変更して、自分が感動できたなら、胸を張って「面白いよ!」と友達に薦められる作品になったと思い、完成前に公開するにいたりました。
実はこの話は前後も含めてプロットには本来なかった話で、別の話が来る予定だったのですが、本能的に勝手にペンが動いてしまい、理性で抑え込まないでその様子を見守っていたら、できた話でした。
そして、この話を起点にして前後のプロットを変更したので、0からではないのですが、大規模な改修工事が行われたりもしました。
この話を書けただけで、自分としてはいい経験ができたかなと思ってます。もちろん、結果を求めないわけにはいかないので、それで満足してはダメですが、自分の人生の中でもそこそこ大きい出来事だったのかなと認識してます。
忘れてました。いいねと感想是非お願いします!