殺し屋始めました
ここは世界のどこかにある、ごくありふれた、人殺しが禁止されている国「××」――。
「人は何物にも縛られず自由である」
そうだな。その通りだよ。俺もそう思う。まあ、限界はあると思うがな。
空を飛べねぇのに「俺には空を飛ぶ自由があるんだ」とか言われてもどうしようもないわけで。
あ、一応言っとくと、「飛行機に乗ること云々」とか「上空からパラシュート降下すれば云々」とかの、「空を飛ぶというのはどのような定義か」みたいな議論はナシで。めんどくせぇから。
話の腰を折っちまったな。えーっと確か、言いたかったことは、アレだアレ......
では何故、人殺しというものが禁止されているのか?
そんな素朴な疑問を街行く人々に尋ねてみれば、
「法律で定められているから」
「殺せば捕まるから」
「自分が殺されたくないから」
などなど大半が変なモノを見る目で返してくる。ここには載せていないが人によって色々な理由があるようだ。
え? 当たり前? 何言ってんだよ。それでもちゃんと確認することは大事なことなんだぞ。
もう面倒くせぇから突っかかってくるなよな。もう......
では逆に、人を殺したいと思ったことは無いだろうか?
ほら、あるだろう?
自分だけ死ぬほど辛い目に遭っているのにのうのうと生きているアイツとか。
特定の人物に重大な秘密を握られ、色々と厄介なことになっていて殺すしか方法が無いとか。
誰でもいいから殺したくて殺したくてうずうずしたくなることとかないか?
そんなことを聞くとさっきまで答えてくれた人々は口をそろえて、
「お前、異常者か?」
なんて言ってくる。
失敬だな。把握してるよ、それくらい。
ん? 何? 俺が何者か? 何ってそりゃ......ああ、自己紹介がまだだったな。俺は石田リュウヤ、灰色の髪に黒い眼をして中肉中背のただの清掃員だ。
所属していた組織が国の方針で綺麗サッパリ消えてなくなってな。伝手のようなものに拾われて今じゃ昔取った杵柄で清掃員のような真似事をやっているどこにでもいる一般人だ。
何? 信じられない? 何言ってんだ。俺の格好を見ろ。清掃員である証拠に青色な作業着、じゃなくて黒色のクリーニング済みのパリッパリなスーツを着ているが、その、あれだ、立派な清掃員だ。ほら、この通り、清掃用具の入った特殊金属製のアタッシュケースを左手に持っているぞ。
え? 清掃員にアタッシュケースは必要ない? 偏見だぞ、それは。
まあそんあことより、今日はいつも通りな仕事があってな。真夜中のオフィス街にある、とあるビルの、どこまでかは知らんが、とりあえずどこかの地下に仕事で来ている。
ここに来るまで結構時間かかったが、決して迷子なんかじゃないぞ。
......えっと、何の話をしていたっけか、生きる自由と殺す自由が対立した場合はどうするか、だっけ?
ああいや、これは少し前に酒の席で相棒がブチ切れながら一方的に話しかけてきた議論モドキのテーマだったな。
そういや、アイツ、何か仕事で嫌なことがあったのか、普段よりイライラしていたなぁ。
えーっとぉ、確かぁ、相棒が言うにはぁ、「話し合う余地なんてない。相手よりも先に仕掛けて勝った方が正しい。つまり、あたしが正しい」だったらしいか? いやー、普通に考えて頭おかしいだろ。アイツが先制攻撃したら勝ち確だろ。議論になんねぇし、俺の反論や「死ぬ自由」についても聞いてくれなかったし。そもそも、勝敗ってどうやって決めるんだろうな?
いやいやそうじゃなくて、と俺が脳内で色々と話しながら壁も天井もコンクリートで申し訳程度に彩られた色とりどりなタイルが床に敷かれた通路を歩いていると、通路まで響く男の悲鳴と少女の楽しそうな声が聞こえてきた。
この先にある部屋で何かやっているのだろうなぁ、あ、何かっていうのは未成年というか一般人には見せられないものだよ? たぶん絶対。という、薄暗くて先が全く見えないことと学のない俺の底辺語彙力のため、この程度の感想しか出てこない。
本当はどんなことが起きてるのか分かってるんだけど、皆さんにお見せしたくないんだけどなぁ、でもまあ一応仕事なので、ということで割り切った俺は仕方なく耳を澄ませて会話を聞き取り、起こっている出来事を想像しながら部屋に向かっていった。
「む゛ー! ん゛ー!」
「はぁ。おじさん。その悲鳴は12回目の時と同じ音程とリズムだよ?
もうレパートリーが無くなったの? 残念だねぇ。これでもう3回目だから失格ね」
「ん゛!? ん゛ー! ん゛ー! ん゛ー!」
ふむふむ、なるほどなるほど。
一応、男の声であることは聞けば分かるのだが、口を何かで塞がられているのか、くぐもったような声しか聞こえてこない。しかし、その声を間近で聞いているであろう少女は聞き分けが正確にできるようだ。そんな少女の声は、最初は楽しそうだったのだが、何かがお気に召さず、徐々に不満げなものへと変わっていった。
その少女の声か、それとも、台詞を聞いたのか、男の声が先ほどよりも大きくはっきりと何かを叫んで訴えるかのように聞こえてきた。
結局のところ、口をふさがれているせいで満足に話すことができず、何を言いたいのか全く伝わらないのだが、男の必死さが伝わったのか、少女はとてもうれしそうに笑う。
「あはっ♪ 最後に良い悲鳴が出たねっ。2回目の時よりもずっと良いよ。
やっぱ、適度に追い詰めたほうが良さそうだなぁ。メモメモッと。
あ、そうだ。ありがと、おじさん。これであたしの研究も捗るよ。んじゃ、バイバーイ」
「ん゛ーー」
ザクッ、ブシュゥッ......
お礼を言われた相手の返答を待たず、少女は男の命を奪った。
案外あっけなく終わったな、でか、そんなことより、俺が来ると同時に殺るとか狙ってんだろ、身構える前の時間を返せよ、あと、せめてお礼の言葉くらい言わせてやれよ、と色々と脳内でツッコミを入れながら、ちょうど出入り口にたどり着くと同時に少女のいる部屋が静かになったので、俺は止まることなく歩いて来た速度のまま、その少女がいる薄暗い部屋の中で唯一明かりが点いている場所へ向かいながら彼女に話しかける。
「終わったか?」
「あ、リュウヤ。ちょーどピッタリじゃん、あたし色々と寄り道したのに。タイミング見計らってたの? さっすが、あたしの相棒」
「偶然だ。キリサキ、お前の方こそ俺のこと把握してんじゃないのか? 今回は抑え気味だったようだしな」
なんで俺がお前のことを把握しなきゃいけないんだよ、と思いながら俺は、仕事の相棒であるショートな黒髪で赤眼の少女、キリサキに近づいたおかげで、彼女の状態をはっきり見ることができた。
キリサキの泥汚れすら付いていない服や肌を見た俺は、色々と寄り道した割にはあんまし汚れちゃいねぇな、ここに来るまでの道中、後処理に気を配ってたようだったし、丁寧にやったことは間違いないだろう、となれば、今回は実験するほどでもなかったようだな、目の前の壁に何か張り付いてるけどそれは無視で、と勝手に彼女の仕事ぶりを想像していた。
掃除の大変さやその掃除をする俺のことを考えて仕事をできるようになったんだなぁ、と俺がキリサキの成長に少し感心していると、彼女があっけらかんと言い放つ。
「そんなことないよ。今日は仕事の途中で気分が変わって3人くらい殺したし、このおじさんにも本当は2回のチャンスだったところをあまりに呆気なかったから『泣きのもう1回ルール』を追加したところだったんだ」
ああ、駄目だ、人を殺すことに関して一切の妥協を許さない快楽主義的殺人鬼な少女に清掃員の苦労なんか分からないし知ろうとしないんだ、と何度目か分からない僅かな希望を打ち砕かれた俺は、せめての抵抗として、キリサキのツマミ食い感覚で殺した人間の数と謎の反論について声をあげた。
「はぁ。お前な。3人じゃなくて5人だろ? いいかげんツマミ感覚で殺した人間の数くらい覚えてくれよ。
それに、泣きのもう1回ってなんだよ」
「えぇ!? リュウヤ知らないの? 最近流行ってるんだよ」
駄目だ、全く聞いていない。それに、カウンターとして最近の若者文化について聞かれてしまった。
俺の実年齢は25歳だが、今までの仕事の関係上、若者文化なんてもんには触れてこなかったからこういうのを聞かれても分からん。
だからか、俺は強く出ようとしたが見た目16歳のキリサキに圧倒されてしまう。
「いや、知らねぇよ――」
「えっとね。本来だったらもう勝負がついているのに敗者が泣いてお願いするところが滑稽で、それで、その敗者が逆転するところがドラマチックとか、逆に負けてもやっぱりなっていうお約束感を与える、尺に困ったときに使うエンタメの手法ってテレビの偉い人が言ってた気がする」
「気がするって、曖昧だなぁ。
んで、数を数えられない理由は?」
会話を中断されてしまったが、俺は諦めず、大人としてキリサキの言葉をきちんと聞いた上でぐうの音も出ないほどに反論してやろうと思ったのだが、キリサキにアッサリと躱されてしまう。
「殺してもつまらなかった人の数なんて覚えられないよ。あたし、そこまで記憶力ないしぃ?」
「はぁ。記憶力が良いんだか悪いんだか分かんねぇなぁ」
都合のいい記憶力してんな、お前、と俺は思いながら即座に素直な気持ちを言ったが、キリサキは聞いておらず、鼻歌を歌いながら赤い色の液体が付いた刃物を布かなんかで拭ったり、刃こぼれを確認したりして手入れをしていた。
ああ、もういいや、こいつと有意義な話ができた瞬間なんて、ほとんどないんだから。
と、何度か行われてきた、色々と悲しくなりそうなやり取りを思い出しつつ、俺はキリサキに簡単な指示を出す。
「まあいいや。
おい。掃除を始めっから、お前はあのオッサンに報告してくれ」
「うん、分かった。
......ってあれ? オッサンもう来てる。なんか近くの飲み屋で飲んでるってさ」
俺はその場にしゃがんで、持っていたアタッシュケースを床に置いてから開き、中にある色々と見せられないものを取り出して仕事の準備にかかるが、キリサキが上着の右ポケットから取り出したスマホを見て俺に話しかけてきた。
オッサンというのは、俺やキリサキでも正体を知らない謎の男である。実際、男なのかどうかすら分からず、年齢も分からない。俺が前あのオッサンを見た時はクソダセェシャツとパンツとサンダルに麦わら帽子にグラサンという明らかに浮いている格好で、知り合いだとは思われたくないほどであった。
一応、知ってる範囲で補足をすると、キリサキの運営する殺人依頼サイトで警察にバレないよう工作や依頼者を斡旋したり、俺の使用する清掃道具を扱っていたりしている。さらに言うと、俺が組織にいた時に清掃道具を卸していた自称商人らしく、当時の俺と面識があるっぽいが、俺は覚えていない。
まあ、そんなオッサンだが、本当に神出鬼没で、大体タイミングが良過ぎる時に地味に近いところにいることが多い。たまに、いて欲しいときにいないことがある。
今回もどうせ何かしらの手法で俺達のこと見てんだろうなぁ、と思いながら俺はキリサキに思ったことをそのまま言う。
「あのオッサン、俺達のことどっかで見てんだろ」
「あたしたちのことをツマミに飲んでるとか趣味悪ぅ」
まあ、キリサキが人を殺す場面を一種の観劇に見立てて酒飲む奴はよっぽどの異常者だよなぁ、だが、ツマミ感覚でターゲット以外の人間を殺すキリサキは人のこと言えないと思うぞ、と思ったが、言ったら言ったでそれはそれは面倒なことが起こるんだろうな、とも思った俺は黙ったままキリサキが部屋の外へ向かっていくのを見送った。
キリサキがいなくなったことを確認した俺は、彼女が帰ってくるまでにちゃっちゃと壁に張り付いたものや縄などのごみを除去し、床や壁に染み付いた汚れを綺麗に拭き取っていった。
掃除が終わり、持っていたアタッシュケースごと道具を処分してしばらく待っているとキリサキが串を咥えながら銀色のアタッシュケースを左手に、細長い茶封筒を右手に持って部屋に入ってくる。
「はぁ、あのオッサン、絶対依頼料から相当な額中抜きしてるでしょ。ケチだよね。焼き鳥も塩つくね1本しか奢ってくれなかったし」
「なにちゃっかり奢ってもらってんだよ。仕事前に飯食ったんじゃねえのかよ。しかもつくねっ――」
「あ、はいこれ、新しいやつ」
茶封筒の中身を見たのか、キリサキが茶封筒の中心部分を持って適当にピラピラと振るっていた。
串咥えながら喋るとか器用なことしてんな、と思いながら俺はキリサキにツッコミを入れようとしたが、突然、彼女が左手に持ったアタッシュケースを俺に向けて放り投げてきた。
慌ててアタッシュケースを両手で受け取った俺は急いでその場にしゃがみ、ケースを床に置いて中身を確認しながらキリサキに抗議する。
「うぉい! 話してる途中に投げるんじゃねぇ! 大事な商売道具なんだぞ!
......ったく、はぁ、仕方ねぇだろ。掃除道具に金かかるんだから。お前がツマミ食いしなきゃ良いだけの話だ」
「ふーん。お金、そこそこ入ってんじゃーん」
中身の無事を確認した俺はホッと一息することなく、代わりにため息を吐いて依頼料から中抜きされている理由をキリサキに言うのだが彼女は茶封筒の中身を確認しており、全く聞いていなかった。
お前、中身確認してないのにさっきの台詞吐いたのかよ、いやまあ、両手ふさがってたし、飲み屋の中で見るわけにはいかねえしな、と勝手にツッコんで勝手に納得していた俺はケースを閉じて左手に持って立ち上がり、茶封筒をミニスカートの左ポケットに雑に突っ込んでいたキリサキに次の仕事について話を振る。
「んで、次のターゲットは誰にするんだ? あっ、コラ、ポイ捨てすんな」
「んっとね。ほら、コイツ。△△市の議員さん」
キリサキがプッと咥えていた串をその辺に捨てて、上着のポケットからスマホを取り出し、少し操作をしてからとある画面を俺に見せてくる。
だが、俺は見せられたスマホの画面を見ず、真っ先に上着の内ポケットから折りたたまれた小さめのゴミ袋を取り出し、キリサキが捨てた串を拾いながらキリサキの言った言葉に反応する。
「あぁ? △△市だぁ? こっから遠いじゃねぇか。なんでまた」
「△△市って観光地じゃん? つまり、いろんな人がいるってことじゃん?」
「ああ、はいはい。いつものお前の趣味ね」
観光地に行く理由が観光地そのものじゃなくてそこに集まってくる人間目当てかよ、と俺は思ったが、キリサキのことを考えれば、まあ通常運転だよな、とも思い、軽く受け流すことにした。
すると、キリサキが若干拗ねたような口調で反論してくる。
「趣味と実益を兼ねた人間観察だよぉ? 趣味だけじゃないもん。ちゃんと仕事や研究にも役立ってるもん」
「はいはい、分かった分かった。
宿はどうする?」
「適当に安いところで良いんじゃない?」
人間観察、ねぇ。コイツの人間観察ってのは、どう殺せば気持ちよくなれるかを研究するための品定めみたいなもんだからなぁ。それで気に入った人間や色々と気になった人間を攫っては研究と称してツマミ食い感覚で殺していくんだよなぁ。
そんなことを思いつつ、俺はゴミ袋を左手にアタッシュケースと一緒に持ち、右手で上着の右ポケットからスマホを取り出して予約サイトで適当な宿と今から目的地の市まで行ける公共交通機関を探す。
「こだわりねぇなぁ。金ならそこそこあるんだし、ちょっとは住み心地にこだわってもいいと思うんだがなぁ」
「あたしは気持ちよく人を殺せればそれでいーの。他はなぁんにもいーらないっと。
あっ、生活するためのお金は要るけどね」
「そうかい、んじゃ適当に安いところにしとくわ。この時間でも乗れる交通機関も予約しとくか」
金が無いわけじゃあないんだが、キリサキは最低限度の生活水準さえ保たれていれば特に文句は言ってこない。文句を言うのは人殺しに関して細かい指定とか時間的な制限とかをされた時くらいか? じゃあなんであの時、オッサンがケチ臭いみたいな文句言ったんだよ。いや、あれはキリサキ的には文句の部類に入らねえのか。
なんてことを思いつつ、俺は両手を広げてクルクルと回るキリサキを見ながら適当な安宿と今の時間でも間に合う夜行バスの予約を済ませた。
その後、俺達は予約した深夜でも動いている夜行バスを利用して目的地が着くまでひと眠りした。
そして、朝になるころには目的地にたどり着く。
「おお、ここが観光地として世界でも有名な△△市。伝統的で文化的な街だからか、あちこちに美味そうな飯屋が並んでるな。後で寄るとするか。
それにしても、観光地というだけあって、いろんな人がいるなぁ」
「うーん。あの人はつまらない。あの親子は子供の方が良さそう。あの老人は......」
「観光地に来て早速やることが人間観察ねぇ。
ほら、宿に向かうぞ。続きはチェックインを済ませてからだ」
「はーい」
せっかく観光地に来たのに何の感想も言わないのは色々な方面に失礼だよな、と思った俺が観光地に着いた感想を簡潔に言っている間に、キリサキはそんな俺の心境などお構いなしと言わんばかりに往来の激しい街中の人々をじっくりと観察し始める。
普通、観光地に来たら建物とか食いもんに注目すると思うんだがな。
そういや、△△市って確か、この国において物凄く歴史があって云々っていう歴史的やら文化的やらな建造物や街並み、食べ物とかが国内だけじゃなく国外からも評価されてるってテレビで言ってた気がするな。
と、少しばかりの豆知識を披露してから俺は、このままでは誰か一人を攫ってしまいかねないキリサキに宿に向かうことを告げて、彼女が付いてくるのを確認してから予約した宿屋へ向かった。
見た目がボロ、いや大変趣のある宿屋に入った俺は早速、入り口付近にある受付に向かい、チェックインの手続きを始める。
「すいません。予約した石田です」
「あ、はい。確認しました。
宿帳にご記入ください」
宿帳のような虚偽の申告をすると後々何かあったときに面倒になるものについてだが、名前や年齢以外の個人情報はオッサンが用意してくれたものを使っているようにしている。
ちなみに、キリサキの本名や実年齢を俺は知らないので「サキ」という名前と16歳にして俺と兄妹関係という設定を用意している。
「えーっと、石田リュウヤと石田サキっと。年齢は25と16。日数は――」
「ねぇねぇ、リュウヤ、ここの宿、そこそこ汚いね」
そんな事情を挟みつつ、俺が宿帳に記入をしていこうとするとキリサキが俺の左腕を右手で掴んで関心を惹きながら、左手人差し指で玄関部分を指さして大変失礼なことを言った。
「サキ、お前なぁ、宿の人に失礼だろが。
確かに、玄関が汚れているというのは宿としちゃ失格だが、そういうとこだということを分かってて選んだのは俺達なんだぞ?
すいません。うちの妹が」
清掃員としての知見から玄関付近やその辺りにいる従業員を隅々まで確認すると、床の汚れや受付の上にうっすらと積もる埃、従業員の着る服のほつれなど気になる点を上げればキリがないほど清潔感の無い宿ではあることが分かる。だが、俺は大人なので文句を言ったり駄目な部分を偉そうに指摘したりすることなく、キリサキを窘めて宿の従業員に謝罪をした。
「え、ええ、お構いなく......」
「リュウヤもすっごい失礼だよね」
キリサキの失言のせいでその場にいた従業員全員が微妙な顔をしていたが、とりあえず最悪な空気ではないのでセーフ、と俺が思っていると、キリサキが俺に向けて失礼なことを言ってきた。
「お前と一緒にすんな。
......おし、手続きも終わったし、さっさと行くぞ」
「あ、待って待って」
このままここにいるとキリサキが何言うか分からんな、と思った俺は急いで宿帳を書き上げてアタッシュケースを持ってさっさと予約した部屋に向かった。
「......え、兄妹? あれ親子じゃないの?」
「25に見えない。30後半か40前半かと思ってた」
途中で後ろから失礼な声が聞こえてきたような気がするが、俺は無視した。
老け顔で悪かったな。
そんなこんなで、あとから追いかけてきた従業員に大雑把に案内されて俺達は9畳くらいの大きさの部屋に入った。
「はあ着いた着いた。じゃあ早速行ってくるね」
「おい待て。せめて依頼内容の確認と共有をしてくれ」
「はいはい。これね。めんどいから持ってて。
えっと、上が今回のターゲットの顔写真で、下があたしのサイトに書き込こまれたやつ一覧ね」
部屋に着くや否や、従業員が去っていくのを確認しないままキリサキは踵を返して部屋を出ようとするが、従業員がいなくなったことを確認していた俺は彼女の首根っこを掴んで引き止め、今回の仕事に関する話をした。
キリサキは若干不満顔でスマホを取り出して前回見せようとしていたターゲットに関する情報を俺に見せてきたが、手に持っているのが面倒になったのか俺にスマホを押し付けてきた。
俺は、キリサキからスマホを受け取り、画面を上下にスライドさせて依頼主や備考欄など今回の仕事に関する情報を確認した。
はぇー、色々とあるが、大体は金に関する不祥事だな、議員なのに金に困ってるのか? と特にこれといった感想が出なかった俺は依頼内容を確認してから適当にサイトの掲示板に大量にある匿名の書き込みを眺めていく。
「おお、こんなに色々とやってんだな。それで問題ないってことは証拠をうまく隠してるのか? それとも単なる言いがかりか」
「そんなことはどうでもいいよ。コイツをどうやって殺せば気持ちよくなれるか情報を集めることが大事だよ。そのためにこのサイト作ったんだから」
「そうかい」
色々と書き込まれた、特に女性関係の不祥事などに関する書き込みを見ながら俺は政治的な感想を漏らすが、キリサキにはどうでもよかったらしい。
まあ、お前にはこの辺りはどうでもよく感じるかもしれないが、これもまた人間観察の研究の一助になると思うんだがな。
そんなことを思いつつ俺はこれ以上特に何も言うことが無かったのでスマホをキリサキに返した。
キリサキはスマホを受け取ると、そのまま操作をしながら愚痴のようなことを言い始める。
「1人1回しか殺せないから、せっかく、一生懸命あれこれ考えた方法の中から1個しか試せないんだよねぇ。だから慎重に殺さなきゃいけないんだけど、本音を言えば色々と実験して色々と見識を深めていきたいなぁ」
キリサキの言葉に俺はなんとなく理解できる部分があったのでその愚痴のような話に少し乗っかる。
「あー、難しい問題だよな。仮に蘇生する技術ができたとしても、それはそれで何度でも生き返れるっていう思考で考え方とか捉え方が変わってくるだろうしよ」
「へぇ。そうなんだ。
凄いねリュウヤ、あったまいいー」
何の根拠もないただの自論を言っただけだったのに、なぜか、キリサキは目を輝かせながら俺の顔を見ていた。
俺がまだ組織にいた頃に色々と体験してきたり、上司や先輩方の会話ややり取りなどから学んで来たりしたことから俺なりにあれこれと考えてきたことなので、正直に言えば、俺自身、この自論が絶対的に合っているとは思っていない。
なので、俺はキリサキから予想外の反応が来たので少し恥ずかしく思いつつ、彼女の言葉を否定する。
「茶化すな。俺に学は無ぇよ。それに、あくまで俺はそう思う程度の話だし、蘇生技術なんて物語の読みすぎな馬鹿の考えることだろ。
俺なんかよりお前の方が凄ぇって。俺にはお前ほどスマホを使いこなせねぇしサイトなんて作って運営なんてできねぇ」
こんなことを組織の誰かに聞かれたら「そんなこと考えてねぇで黙って働け。口や頭を動かしてねぇで手を動かせ手を」なんて言われてしまうのだがな、と昔を思い出しつつ、俺はキリサキの方が俺なんかよりもよっぽど凄いと彼女本人に言った。
個人的に一番凄いと思っているキリサキの技能は特定個人を周囲に悟られずに攫うことだと思うんだよな。
まあたぶん、オッサンが裏で手を回してると思うが、少なくとも、対象を攫うのはキリサキ本人がやっているはずだ。キリサキの信条的にもほぼ間違いないだろう。
と、俺が思っていると、キリサキはあっけらかんと俺の言葉に反応する。
「これは趣味が高じたようなものだからね。あれだよ、無修正エロ動画見たさに習得したパソコン技術ってやつ。昔取った稲塚?」
「杵柄、な。意味も違くねえか? てか、お前の趣味とそれを同列で語っていいのか?」
お前、趣味が高じてって言ってんのに何故わざわざ別の言葉を使おうとするんだ? まあ、それは置いておいて、人類のエロへの探求心の凄まじさは俺でも知っているところではあるが、それとお前の快楽的探究心を一緒にしていいのだろうか? こう、人類に対して失礼ではないのだろうか?
と俺が若干ジト目でキリサキを見ていると、彼女は俺の視線など気にする様子もなくスマホをポケットに仕舞って、部屋の出口付近へ近づきながら俺に話しかける。
「まあ、そんなことより、これで確認と共有ができたね。
じゃあ行ってくる。夜くらいには終わると思うから」
「ああ、いつも通りってことね。俺は適当に飯食ってから向かうわ」
今が昼前で夜に終わるってことは4人以内か、最初に殺す奴はじっくり品定め中にちょっかい掛けてきた奴だろうから1人目の掃除まで少し時間はあるな、とキリサキのツマミ食いを予想した俺は無駄だと思いつつ部屋を出る彼女に自分の予定を告げた。
―――
はてさて、リュウヤと別れてから時間と場所は打って変わって、ここは夜のとある街はずれにある大きな屋敷のどこかの一室。
あたしは椅子に手足や胴体を縛り付けた今回のターゲットである議員さんをしげしげと観察していた。
今回は口を塞いでいないので議員さん、めんどくさいからおじさんでいいや、があたしに向かって何かを言ってくる。
「わ、私にこんなことをしていいと思っているのか?」
「だいたいの議員さんって最初にそういうこと言うんだよね。何? そういう生き物? 種族?」
馬鹿の一つ覚えみたいだよね、まったく、と思いながらあたしはおじさんの言葉を軽く受け流して返答する。
議員さんってさ、自分自身が身動き取れていない状況を理解すると必ずそういうこと言うよね。いっつも、現状を打破する方法があるのか期待しちゃうんだけど大体は虚仮威しで終わっちゃうから期待するだけ無駄無駄なんだけどさ。
まあ、たまーに武器を持った輩が攻め込んでくることはあったけど、ただただ相手をするのが面倒だった記憶しかないんだよね。自力で切り抜けるんじゃなくて終始他力本願だったのが本当に面白くも楽しくもなかったし。
と色々と思い出していたけど、この話をすると多分長くなるし、あたし自身が話すの面倒くさいから頼まれても絶対しないんだけどね、と思いながらあたしはおじさんにアドバイスをしてあげる。
「もっとさー、ほら、なんだっけ、ボキャブラリーってやつを増やしたほうがいいんじゃないの? 議員さんってむずかしー言葉で喋るのがお仕事なんでしょ?」
「う、うるさい。わ、私を馬鹿にして。い、いい加減にしないと――」
「あー、はいはい。本っ当、あたしの言葉を理解できない人って多いよね」
はー、せっかく人がアドバイスしてあげてるのに、ここは「はい。分かりました」っていうところでしょ、リュウヤでもたまーに言うのに、と私はさっきの台詞も含めて目の前のおじさんに不満を募らせた。
いやーほんっとさ、捕まった時のリアクションがさ、もうちょいバリエーションあってもいいと思うんだよね。みんな捕まった時の練習したほうが良いんじゃないの?
もっとさ、あたしを楽しませる努力をすべきだよ。あたしだって自分が楽しくなれるよう努力してるのにさ。不公平だよね。
と、色々と不満が溜まってきたのであたしはストレス発散に今日の不満話をおじさんにぶつける。
「今日最初に殺した、あたしをナンパしてきた自称イケイケな兄ちゃんも丁寧に説明してあげたのに最初は『殺すー』とか『ぶっ殺してやるー』くらいしか反応なかったんだよね」
「!?」
あたしが話を始めるとおじさんは静かになった。なぜか顔中汗まみれだったけどあたしは特に気にせず今日の出来事を思い出していた。
確か、リュウヤが飯食うって言ってたから時間があるなって思ったのと、最初に殺す人間だからってことで、人混みをじっくり観察して、最近得た仮説を試せるいい人材を探そうかなって思ってたんだよね。
そしたら、何を勘違いしたのか、チャラチャラした金髪の兄ちゃんが「今一人? なんかキョロキョロしてるけど、もしかして観光客?」とか色々とあたしの返事を聞かずに好き勝手なこと言ってきたんだよ。
何言ってんだろ、こいつ、と思ったことそのまま言ったんだけど何でか「俺らと遊ぼうぜ」とか言いながらあたしの左腕を掴んで引っ張ろうとしてたから、面倒だなって思って逆にあたしが攫っていったんだよね。
あ、そういえば、他に仲間がいるっぽいけど、あの場にはいなかったからまあ問題ないよね?
それで、えっと、あれか、さっきのあたしの台詞につながるんだよね。そうそう、面倒だったからアレは簀巻きにしたんだ。
「んでね、わざわざ新しい言葉を引き出させようとちょっと左手の甲を刃の先端で撫でてあげたら『人殺しになるぞいいのかー』とか『今なら許してやるー』とかわけわかんないこと言ってきたんだよ」
ハズレだなーって思った人たちほどすーぐ「殺しは良くない考え直せ」って壊れたおもちゃみたいに繰り返すんだよね。まるであたしが馬鹿みたいに言うじゃん。マジムカつくよね?
まあだから、今回の兄ちゃんは一応ハズレじゃなかったのよ。最初に比べてかなり下がっちゃったけど威勢はあったからまあ及第点くらいかな。
でも、言ってることが意味わからなかったから減点だけどね。
「人殺しになるぞいいのか」って、あたしもうすでに何十人以上も殺してきてるんですけど。正確な数は知らないけど、1日1人以上は殺ってるよ。そういえば、あたしっていつから人を殺し始めたんだっけ? うーん、まあいいや、今はそんなこと思い出してる場合じゃないしね。
えーっと、あとはー、あれか、「今なら許してやる」ってやつか。
そんなこと言われても、ねえ? なんであんたの許しが必要なんだろうね? 殺すか殺さないかはあたしが決めることなのにね。ねえ、そう思うでしょ?
あ、そうそう、「そんなに人殺しがしたいならそれが許されている国に行けばいいじゃないか」とかいう的外れなこと言ってる奴がいたなあ。アイツ、本当に自分が何を言っているのか分かってなかったのかな? あたしがどこで人を殺そうがあたしの自由じゃん。なんでそんなあたしでも分かることも分からないんだろうと思って、素直に聞いたら「殺す自由なんてあるわけがないだろ。馬鹿なんじゃねえのか」とか言い出したからすっごくムカついてすぐに殺しちゃったんだよね。で、あの後、リュウヤと議論したけどやっぱりあたしの考え方が合ってたんだよね。
およ? なんかおじさんが震え始めたぞ? なんでか分からないけど、この震え方は、あれだね、あたしに恐怖を感じている震え方だね、さっきの兄ちゃんと同じ感覚、のはず、と心の中でニヤニヤしながら、少し実験をしようと思った私は大げさな演技をするように少し溜めを意識しながらおじさんに話しかける。
「だ、か、らぁ......」
「だ、だから?」
おじさんはゴクリと唾を飲み込み、あたしの言葉を一言一句聞き逃さないよう静かに待っていた。
おお、これは面白いね。なるほど、情報を先に伝えることで脅さなくてもそれなりに恐怖心を煽ることができるのね。しかも、あたしの話を遮ることもないなんて便利でステキだね。これはメモしておきたいな。
とウキウキしながら私は、もう少し引っ張ろうかな、でも、やりすぎたら逆効果になることもあるよね、と少し悩んでからおじさんに普通に続きを教えてあげることにする。
「解放してあげたの。そし――」
「そ、そうか、なら――」
「はー。話遮らないでくれる? もう」
せっかくあたしが、気になる続きを教えてあげてるのにそれを遮るなんて常識無さすぎでしょこのおじさん。てかさ、人の話を遮るなんてこのおじさん、本当に議員さんなの?
いや、これは情報を与えて話を引っ張り過ぎたあたしのせいなのかな? 初めての試みみたいなものだったし。うーん。これは、研究が必要だね。
普段だったら怒るんだけど自分にも落ち度があったから特に不快感は無いね、とあたしは特におじさんに何かを言うことなく話の続きをする。
「まあいいや。そしたらね、『このアマがー』って言いながら殴りかかって来たんだ」
「!?
......そ、そいつは、ど、どうなったんだ?」
「えぇ? 最初に言ったじゃん。殺したって。
なに? 人の話聞いてないの?」
は? 何言ってるのこのおじさん。あたし最初に殺したって言ったよね? さすがに理解ができていないっていうのは無理があると思うんだけど。
と、ここであたしは今まで理解力が足りていないと思っていた奴らのことを思い出してある結論に至った。
「あー、もしかして、今まで殺してきた奴らって、あたしの言葉を理解できてなかったんじゃなくて聞いてなかったのが原因だったのかな? これはまた1から研究しなおさなきゃなぁ。
次からは懇切丁寧に確認をとりながら説明しなきゃね。あでも、与える情報には気を配らないとね」
なるほどなるほど、確かに話を聞いていない奴に理解させようなんていうのは無理があるよね。今までどうやって理解させようかコミュニケーションの方法とかないようとかを研究して色々と試してきたけど、そもそも根底から間違ってたんだから上手くいかないのは当然だよね。
今後はどうやってお話を聞いてくれるようにすればいいのかな、とあたしが無意識に独り言を漏らしながら考えているとおじさんが大変失礼なことを言ってきた。
「く、狂ってやがる......」
「失礼だなぁ。おじさん、言葉には気を付けたほうが良いよ? ほら、最近おじさんのような人たちがあたしみたいな人に変なことすると、なんちゃらハラスメントっていうやつで訴えられるんだよ?」
まあ、あたしは寛大だからそんなことはしないんだけどね、てか、ハラスメントっていっぱいあり過ぎてよくわかんないんだよね、と思いつつ、あたしはおじさんに訂正事項を話していく。
「それに、あたしはただの勉強熱心な若者だよ? おじさんもテレビでよく言ってるじゃん。
なんだっけ? えーっと、あれ、あーそうそう『若い研究者を育てないとこの国は終わる云々、教育に力を云々』ってさ」
そういえば、このおじさん、教育に掛けるお金を横領? 着服? かなんかしてる疑惑があるって言われてたね。なんか、国の支出に教育費が増やされるようになったけど何年たっても一向に改善されないとかマスコミに他の議員さんとほぼ毎晩高級店で飲んでいるところがすっぱ抜かれたとかで色々と黒い噂があるってあたしのサイトにマスコミも知らない情報や写真付きで書き込まれてたね。
一応、全部読んだけどあたしにはどうでもいいことだったので特に触れず、あたしは自分の言いたいことをおじさんにただただ普通に喋る。
「あたし、馬鹿だけど勉強とか研究とか好きなんだよね」
「な、なんの――」
「どうすればあたしが気持ちよく人を殺せるかの勉強と研究」
むむ? おじさんが再び静かになったぞ。今度は口を開いたままだ。効果音を付けるならポカーンだね。
ちょうどいや、話を聞いてもらえるようにするための練習としてこのおじさんにあたしの研究過程について話していこう。
「あ、せっかくだから、あたしの研究レポートってやつ聞く?
えっとね、今日二人目に殺した子連れの母親なんだけどね。
最初は一緒に攫ってきた子供は見逃せって大体の母親が言うセリフを言ってきたから試しに言われたとおりに子供を見逃したらね。今度は自分も見逃せって言ってきてね。なんて図々しいんだろうって思って、ちょっと色々とお話したの。そしてしばらくお話してそのあとね、そんなん通るわけないじゃんって言ったら、子供はどうなっても良いから自分を助けろってさ。
いやー、見逃したはずの子供を呼び戻してまで自分が助かろうとするパターンは初めてだったな。いい実験結果だったよ」
あの兄ちゃんを殺した後に少しご飯休憩して、今度は声かけられないよう陰に隠れながら観察して、ここに来てから目を付けてた子連れの母親がいたから早速子供ごと攫ったんだよね。
最初は椅子に縛り付けた子供に簀巻きの母親が殺されるところを見せてから色々とお話ししようと思ったんだけどね。母親がいつもの定型句を言ってきて、ふと、考えたんだ。実際に見逃してあげたらどうなるんだろうって。
で、早速子供を解放してあげたらね子供は「おかーさんを放せ」って言って全然逃げようとしないし、母親は「私も見逃して」とかふざけたこと言ってくるしで面倒だったね。
普通、子供ってさ親見捨てて逃げるもんじゃないの? それで、見捨てた癖に親の仇をとるだの言ってくるものだと今までの経験から思ってたんだけど、どうやら違うみたい。
どうしたもんかなぁ、面倒だからどっちかをさっさと殺したいところだけど見逃す約束したから子供は殺せないし、母親殺しちゃあさっきまでの流れが無駄になっちゃうし。
とりま、あたしが近づいてきても逃げようとしない子供に試しに刃物ちらつかせて軽く手に切り傷付けたら子供が泣きながら部屋の外へ走っていってね。その後に隠れてこっちの様子を窺ってたよ。バレバレだったけど。まあ、その時のあたしは、ラッキーって思ったよ。
これで母親は大人しくなるかなって思ったんだけど、駄目だったね。むしろもっと騒ぐようになっちゃって。
もう面倒を通り越してウザったくなっちゃったから母親の手足を何度か刺したんだよ。この時色々と考え事してたんだけど、多分無意識に口に出ちゃってたんだろうね。なんか急に大人しくなったんだよ、さっきのおじさんみたいに。
まあ、その時のあたしは特に何も思わず、どっちも見逃すなんて都合よすぎって言ったのよ、そしたら母親が泣きながら子供を差し出すから自分だけでも助けてくれって言い出してね。
なんでそうなったのか当時のあたしはよく分からなかったから、母親に子供が近くに隠れてこっちを見てるって教えてあげたら必死な形相で子供を呼び始めてね。
いやー、今でも思い出すと中々面白、じゃなくて興味深いよね。あの時考えてたのって、たしか、子供の殺される直前の純粋な反応が見たいから母親はべつにどうでもよくてーって考えてはず。
まあ、自己保身のために自分以外の人間を差し出すのは人として当たり前だからね。あたしは特に何も思わなかったけど、うずくまった母親が小さい声で何かに謝るように何度も何度も「ごめんなさい」って言ってたのは興味を惹かれたね。
そんなこんなで、子供が姿を現してね。泣きながらあたしに殴りかかってきたからあたしは母親の目の前で子供を殺してあげたのよ。子供の「い゛た゛い゛。い゛た゛い゛よ゛。お゛か゛ー゛さ゛ん゛」っていう断末魔を母親は耳をふさぐことができずにそのまま聞いて、ただただ涙を流していたところは良かったねぇ。
あそうそう、子供を殺したあたしに向かって母親が言った第一声ってなんだと思う?
答え聞くのかったるいからもう答え言っちゃうんだけどね。正解は「これで、私は解放してくれるんですよね」でしたー。
いやー、最っ高に人間してるって感じよね? あたし、子供を先に殺して良かったーって思ったのよ。みんなもそう思わない? だからあたしはね、この気持ち良さのまま、母親を殺したの。またこの時の母親の反応があたし好みでね。「と゛、と゛う゛し゛て゛、や゛く゛そ゛く゛は゛」って言いながら死んでさ。希望から絶望に叩き落されたまま死んだ人間そのものの顔でさー、もうほんっとうに殺して良かったーって思ったわけ。
え? 何? 約束? 子供を殺さない約束はしたけど、それ以外はしてないよ。それに、母親から子供を殺して良いって言ってきたし、あたしは何も破ってないよ。
「お、お前は、い、いったい、なんだ。な、なんなんだ」
このおじさん、空気読めなさすぎでしょ、人がせっかく気持ちよくなっているのに水を差すなんて。
......あー、しまった。話を聞いてくれるようあたしが気を付けて話さなきゃいけないのにあたしが勝手に喋って気持ちよくなってちゃ駄目じゃん。
「うーん、人の話を聞かない人にきちんと聞いてくれるよう話すのって大変なんだなぁ。どうしても言いたいことが先に出ちゃって相手の反応とか待ってらんないのよね。
確か、学校の先生ってそういうのを仕事にしてるよね? あとで観察してみよっと」
「お、お前は、ど、どこの、だ、誰に、い、いくらで雇われたんだ?
い、言ってくれれば、そ、その倍以上の金は、は、払うから」
あー、うん、色々と考えたいところだけど、今はどうすればこのおじさんがあたしの言うことを聞いてくれるのかを考えなくちゃいけないみたいだね。
面倒くさいなー、やりたいことができた時に降りかかるやらなきゃいけないことほど億劫なものはないよねー、と私が内心でウンザリしながら、突然変なことを言い出したおじさんを適当にあしらおうとする。
「えぇ? なに急に変なこと言っ――」
「あんたの奥さんからだよ」
すると、あたしの右側にある部屋の入り口付近から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
なので、あたしは身体の向きはそのまま顔を向けると入口の陰から姿を現したリュウヤがアタッシュケースを左手に持ったままゆっくり歩いてくる。
「なっ......」
「あ、リュウヤ。今日は珍しく早いね。やっぱ2人とおまけの1人じゃ少なかったな。もう少しツマミ食いしておけばよかったかな?」
そういえば今日は仕事を始める前に3人しか殺してないなあ。それに、途中でご飯休憩取ったし、殺すときも色々と試してたから人数のわりに普段より時間を掛け過ぎちゃってたみたいだね。まさかターゲットが生きてる間にリュウヤが来るなんて、いつぶりだろ。
んー、ん? あれ? ちょっと待って、とふと思ったことをあたしは右隣に立ったリュウヤに聞く。
「ところでさ、依頼主のこと喋ってよかったの?」
「依頼人の要望だぞ。えーっと。ほらここ、補足事項として書いてあるだろ」
あれ? そうだっけ? とあたしが頭にはてなマークを浮かべていると、リュウヤがアタッシュケースを床に置き、右手で自分のスマホを上着の右ポケットから取り出してしばらく操作し、あたしのサイトに掲載されている今回のターゲットである議員さんのページをあたしに見せてきた。
うーん? 備考欄に......あっ。書いてあった。あっぶな。リュウヤが来なかったら普通に殺してたところだったよ。
「その反応。お前、サイトの管理人なのに見てねぇのかよ」
うぐっ、まあその通りなんだけどさー。サイトの管理人だからって一言一句見てるわけないじゃん。そもそも、あのサイト自体違法なんだから管理する必要なんてないし。サイトの役目は殺したい相手とその相手に対する愚痴みたいな告発以下の書き込みで十分なんだってば。今度あたしが細かいと感じた注文は受け付けないって書こうかな。
と心の中でたくさん反論したあたしは対抗できる反論をリュウヤにぶつける。
「そ、そんな小っちゃい字なんて見えないし。そ、そもそも、あ、あたしには関係ないもん」
「いやいやお前な」
うぐぐ、駄目だ、リュウヤに対抗できていない、どうすれば、と私がウンウン唸っていると、すっかり存在を忘れていたおじさんが小声で何かを呟いているのが聞こえてくる。
「......ぜだ。
なぜ......」
あ、おじさんのことすっかり忘れてた。いけないいけない。リュウヤのせいでせっかくの実験や楽しみがなくなるのは勘弁してほしいところだね。
ん? なんか、おじさんの様子、おかしくない?
「って、ああ!! おじさん、なにしょぼくれてるの?! 最初の威勢はどうしたの?!
リュウヤ! リュウヤのせいであたしの楽しみがなくなっちゃったじゃん! どうしてくれんの!」
「俺のせいかよ」
「なぜだ。なぜアイツが私を......
あれだけのことをしてやったのに......」
ぐぬぬぬ。こうなるんだったら時間稼ぎにそれなりの人間をそこそこの数殺しておけばよかった。あでも駄目だ。リュウヤがいなかったらこのおじさんを普通に殺してたし、依頼者の要望に応えられなかったってことで色々と面倒なことになるところだったじゃん。
はぁ、次からは依頼内容をちゃんと確認しよ、と私がひっそりと決意を固めていると、リュウヤがおじさんと何か話をしていた。
「あんたの家庭事情なんて知らねぇよ」
「う、うるさいっ! 貴様らのような正義と悪の区別すらつかないくせに正義を気取る無知蒙昧で下賤な輩に私の何が分かる!!
私はこの国のために身を犠牲にする思いで必死に働き、妻のために仕事の合間を縫って高価なものをこれでもかとプレゼントしていたのだ!
それに、私を失えばこの国はどうなると思っている?! 大変なことになることくらい誰だって分かり切っていることなのだぞ!
なのに、なぜ! 殺されねばならんのだ!!」
「おお、復活した」
さすがリュウヤ、おじさんの威勢が回復したよ。でも、元の原因はリュウヤなんだからマッチポンプってやつじゃないの? てかこの二人、なんか難しい話を始めちゃったよ。どうしよ。
......うーん。これ、あたし聞かなくてもいいよね?
「だから知らねぇって。お前のことも国のことも。それに、俺らは正義も悪も何も考えてねえよ。あんたの方に何か心当たりあるんじゃないの?」
「あるわけないだろ!!
今までさんざん無能で愚かな民衆どもから根も葉もない噂話で訴えられたがすべて却下されている! 悪いことなど、人に殺されるようなことなど何一つやっていない!
国の金で豪遊だと? ふざけるな! あれは関係各所や専門家と繋がりを得るために必要なことだったのだ! にもかかわらずマスコミの切り抜きを鵜呑みにする無知な民衆どもはこぞって私を悪者扱いにしたがる。根回しをせずに話し合いをする馬鹿がどこにいるというのだ! 根回しをせねば、ただ会議が進まず無駄な時間と金を費やすだけだと何故分からんのだ!!
私がやってきたことはすべて違法ではない! すべては国のために起こしてきた行動だ! 法に裁かれるようなことを今までしてこなかったのに、どうして、殺されなければならんのだ!」
話しの大半はよく分かんないけど、分かる部分はあるね。しかも、おじさんが答えを求めてるっぽいから、ここはあたしが答えて進ぜよう。
ということで、あたしは思ったことをおじさんに気さくに話しかける。
「そんな、法で裁かれなくったって人から恨まれることなんていくらでもあると思うけどねぇ」
法で裁かれないからこそ余計に恨まれることもあるのにね。どんなに違法性が無くてそれを丁寧に説明しても相手が納得して受け止めるかどうかは別だよ。
だいたいは納得できずにただただ相手を逆恨みして色々と根も葉もないこと言うだけなんだよね。これがまた殺すときにいい味を出す、っとリュウヤがジト目で見てきてる。
えっと、議員さん的あるあるで攻めるなら......これでしょ。
「あれじゃない? 浮気してたとか?」
「そ、そんな誰もがやっている低次元な理由で殺されてたまるか!」
あれ、おじさん、明らかに様子がおかしくない? 普通だったら浮気を指摘されたら多少は動揺するかもだけど、この状況下で動揺して暴れようとするもんなのかな?
うーん、よく分かんないなー、こういう時はリュウヤに聞いてみるのが一番だよね、と判断したあたしはリュウヤに素直に尋ねる。
「ねえ、この反応。してたの?」
「ああ、らしいぞ。奥さんからさっき聞いた。ちなみに、現在進行形で複数人といったところだな」
へぇー、そうなんだ。でも、おじさんがここまで慌てる理由がよく分かんないんだよねー。
あたしは自分の持つ知識を総動員して考えようとしたけど、すぐにおじさんが大きな声でリュウヤに確認をとるように話しかけてきたので中断する。
「なっ!? た、たったそれだけのことでアイツは私を殺そうとしたのか?!」
「そりゃあ、人によってそれぞれでしょうよ。なあ?」
「まあ、あたしもよく分からないけど、そうらしいね」
聞かれたリュウヤがあたしに同意を求めてきたけど、正直、殺人動機なんて人それぞれ過ぎてあたしも詳しく知らないんだよね。
本当の動機があるんだけど最後まで隠して偽りの動機を述べる人とかいるみたいだし。あたしは純粋に気持ちよくなりたいという理由で人を殺してるけどさ。そういえば、世の中の人々はあたしみたいに単純じゃないってリュウヤが言ってたな。
あたし、そんなに単純なのかな? まあ、面倒そうなものよりシンプルなものの方が良いよね?
「そ、そんな、そんなことで、私は」
「あ、また落ち込んじゃった。
リュウヤ、なんでこのおじさんは最初は自信満々で威勢が良かったのに浮気で殺されると聞いて落ち込んでんの? 今まで殺してきたターゲットの中で断トツでつまらないんだけど」
最初に話をしていた時のおじさんって表面上では慌てた状態であたしに突っかかってきてたけど、裏ではどうにかして生き延びようとあれこれ冷静に思案してるような、だいたいの人間がとる行動をしてたんだよね。
んで、無理だと悟った人間は完全に心折れて絶望した顔をするんだよね。こんな状態で殺してもなにも反応してくれないからなんの面白味もないんだよね。あたしはつまんない人間って分類してる。
だから、ツマミ食い感覚で殺すときはなるべくあきらめの悪そうな人を選んでるんだよね。たまに見掛け倒しがいるけど、まあ誤差の範囲だよ。
おっとっと、話が逸れちゃったね。
そんなつまんない人間でもお話しだけでは心折れないんだよ。少なくとも1回はあたしに斬られていい声を上げるんだ。でも、このおじさんはあたしに斬られる前に絶望しちゃってるんだよね。
今まで殺してきたターゲットはツマミ食いで殺してきた人間の平均以上の快楽をあたしに提供してくれたっていうのにさ。
「うーん。無意識では自分のやってたことを理解していたとかじゃねぇかな?」
「どういうこと?」
おや? リュウヤがなにか心当たりがあるみたいだね。これは真面目に聞いてみよう。
「今までの連中も含めて、思考のどっかに自分は殺されるようなことをやってる自覚があったんだろ。だからまあ、最初に自分が殺される状況にあることを理解すると、マジで殺されかねないから殺されねぇよう必死で色々と反発するわけで」
「ふんふん。確かに、依頼人がいるんだから、何かしら殺される理由はあったね」
「んで、このオッサンの場合は浮気程度で殺されるとは本心から思ってもみなかったんだろ。お前がこのオッサンに何言ったかまでは知らねぇが、この状況下で流石に見逃してもらえねぇことくらいはさすがに理解してんだろ。だから今、殺されるのにそれ相応の理由ではないということに自分の人生の価値を見出せずに絶望してんじゃねえのか?」
なるほどねー。要は殺される覚悟は心の片隅にはあったけど、殺される理由には納得できないって感じかな? どんなに理由を否定しようが事実だからどうしようもないと。
そういえば、このおじさん、奥さんのことアイツ呼びしてて、一度も名前を言ってなかったな。そういうところじゃない?
うーん、勉強になるね。流石はリュウヤだ。本当に清掃員みたいな仕事しかやってこなかったのかな?
「はぁ。さっすがリュウヤ。やっぱ頭いいね」
「だーから、無ぇっつってんだろ。
昔いた組織でよくあった話をそのまま言ってるだけだよ」
「リュウヤの組織って、確か、暴力団だっけ?」
リュウヤと組むよう言われた時に、オッサンから簡単な話を聞かされてたけど、たしか、名前は忘れたけど、どこかの暴力団に所属してたんだよね。それで、国の法律かなんかで綺麗サッパリ消えちゃって路頭に迷う前にオッサンが拾ったんだっけ。
懐かしーなー、あたしとリュウヤが初めて会った時って、とあたしが今でも鮮明に覚えている昔話を思い出そうとしてると、おじさんが割り込んでくる。
「ま、待て。暴力団? それに、リュウヤという名前、まさかそれは......」
「え? オッサン。俺のいた組織のこと知ってんのか?」
「あの暴力団、あれを知らない政治屋なぞいないくらいには有名だ! それに、お前の名前もな!」
ん? どういうこと? このおじさん、リュウヤのこと知ってんの? もしかして、リュウヤって意外と有名人? てか、リュウヤって凄いとこにいたんだね。
「へえー。リュウヤのいた暴力団ってすっごく有名だったんだ。
でも、リュウヤって下っ端だったんでしょ?」
「ああ、万年下っ端だったぞ。先輩や上司もだが、同期や後輩からも名前じゃなく清掃員としか呼ばれていなかったしな。だから同姓同名の間違いじゃねぇのか?」
初めて会ったときの自己紹介で聞いてるよ。そこそこ組織にいたのにずっと下っ端で仲間や同業他社から「清掃員」とか「掃除屋」とか言われてたって。
だから、あたし、最初の頃は「なんでこんな奴と組まなきゃいけないのさー」ってオッサンに文句言ったことあるんだよね。
そしたら、オッサンがリュウヤにアタッシュケースを渡しながら「試しに一仕事行ってこいよ」って言うから仕方なく仕事しに行ったんだけどね。この時にリュウヤの実力を試そうと考えてリュウヤを撒いて適当に一人攫って殺したのよ。
お手並み拝見っていう気持ちで一人になったリュウヤの行動を見るため部屋から出ようとしたんだけど、攫ってきた部屋の入口からいきなりリュウヤが現れて、「殺したか? じゃあ、仕事の邪魔になるから出て行ってくれ」って言われちゃってさ。
まさか、撒いたはずの相手にすぐに追いつかれるどころか、あんなこと言われるとは思ってもみなくて、あたしは「邪魔って何よ、邪魔って。あんたがちゃんと仕事ができるのかあたしには見届ける権利があるんだぞ」って反論したのよ。そしたら、リュウヤが「昔からオッサンとそういう契約を結んでるんだ」と言ってきたからあたしは渋々引き下がったよ。で、少しして、再びリュウヤのところに行ってみると、綺麗に片付いてたんだよね。
いやー、あれは驚いたね。驚きすぎてついリュウヤに「どうやったの?」って聞いちゃってさ。まあ、リュウヤは「それも契約だから」って言って教えてくれなかったんだけどね。
「せ、清掃員......そ、そうか......お、お前が......あの......
は、ははは。アイツら。この化け物の価値を知らずに使い潰している気でいたのか......
は、ははは、はははははは......」
「あれ? この人壊れちゃったよ」
リュウヤの名前と前の職場について軽く話しただけなのに、このおじさん、まるで口から魂が抜け出すかのように口を開けてぐったりしちゃったよ。
これはこれで初めて見るパターンだね。この状態のおじさんを刺したらどんな反応するのかちょっと楽しみ。
試しにおじさんの左手を斬り落としてみたんだけど、おじさんは身体をピクンと動かしながら笑うだけだったよ。
目の前で手を切断されたのに前と変わらずただただ笑っていられるなんて、中々狂っていて最高だね。おじさんの笑いがどこまで続くか耐久レースをしたくなっちゃった。
というわけで、私は残った手足を適当な順番で斬り落とし、最後に胴体を横に切断しておじさんを殺した。
おじさんは終始笑いっぱなしだったけど、最後の死に際はなんでか心の底から嬉しそうだった。
あたしがおじさんの死亡を確認すると、リュウヤがアタッシュケースを手に取り、作業をするから離れろとあたしに言ってきた。
まだ話したいことがあったので、あたしが部屋の外の出入り口付近で待ってていいかと聞くと、リュウヤは許可したので、あたしはそこまで移動した。
あたしがリュウヤに話しかける前に、作業をしながらリュウヤがあたしに話しかけてくる。
「なんかごめんな。貴重な実験体だったのに」
「いいよいいよ。依頼人の指示だったわけだしさ。それに、今回は中々、普通じゃあり得ないことがいっぱい起きたから良いデータが取れたと思うよ?」
「いや、さすがにこれはイレギュラー過ぎて参考にはならんだろうよ」
「役に立つか立たないかはあたしが決めることだから」
いやー、今回は色々と勉強になったね。色々とあり過ぎてきちんと纏められるか不安だけど、まあ大丈夫でしょ。
「そうかい。じゃあ、今日殺した残りの2人についてレポートを聞こうじゃないか」
「え? 残りの2人......あっ。
さ、さては、最初から聞いてたな? 盗み聞きなんて最低だぞ。あのオッサン以下だぞ」
「はいはい、分かったから。誤魔化すな」
そうだった。子連れの母親と子供を殺した後にご飯食べて、食後の運動ということで1人ずつ計2人を殺してからここに来たんだった。
なんでリュウヤ知ってるん、ああ、掃除して来てるんだった。
どうしよう。すっかり忘れてた。容姿や年齢どころか男か女かさえも分からない。なんにも覚えてないよ。
しいて言えば、今日食べた天ぷらそばが美味しかった記憶しかない。そばの香りや程よい歯ごたえ、濃過ぎず薄過ぎないちょうど塩梅なだし、油がしっかり切られサクサクな海老天、すべてが合わさることで相乗効果以上のものを発揮する素晴らしい一品だったことしか記憶にないよ。
「うっ、うぐぅ。
つ、つまらなかった、です。あと天ぷらそばが美味しかったです」
「小学生並みの感想有難うございました」
なんの反論もできないよ。くそう。天ぷらそばのレポートしても意味ないだろうし。
と、とにかく、なにか話題を逸らさねば。なにか、なにかないのか。
「ぐぬぬぬ。
あっ、そうだ。リュウヤ。宿変えよう?」
「なんでまたいきなり。気にしないんじゃなかったのか?」
「いろんな宿に泊まるのも人を理解するうえで大事なことなのだよー」
「取って付けたかのように言いやがって。
まあいいだろ」
よっしゃ、成功したよ。まあ、様々な経験をすることは実際に勉強にはなるからね。ウソは言ってないよウソは。金持ち気分を味わえば金持ちの気持ちが少しは分かる、と思うし、それを確認するのもまた勉強だよね。
「まだここで仕事はするのか?」
「うん。もう少し実験と観察も兼ねてね」
まだまだ観察と実験のし甲斐がある人達がいっぱいいるからね。せっかく観光地に来たんだから楽しまなきゃ損だよ損。
「そうかい。
......もう作業は終わったぞ。外出るか?」
「うん。どっかご飯食べに行きたいな」
「ああ、俺もだな。お前の天ぷらそばの感想聞いて腹減ってきた」
リュウヤが部屋から出てきたのであたしはリュウヤの左隣へ移動した。そして、通路を歩きながら時折リュウヤの横顔を見てはフフフと笑う。
「いやー、楽しみだねぇ」
「宿か? 飯か? それとも仕事か?」
「んーん」
「リュウヤを殺すときがすっごく楽しみ」
「そうか。お前自身が最高に気持ちよくなれるように俺を殺してくれよ。俺も楽しみにしてるからさ」
「うん」
理由は聞いていないけど、リュウヤは死ぬことを望んでいる。特に、他者の手で殺されることを。
あたしとリュウヤの契約の最後の部分にはこう書かれてある、「キリサキが最大限満足のいく方法で石田リュウヤを殺すこと」と。
最大限満足のいく方法というのが中々難しい。すべてあたしのさじ加減で決まってしまうことではあるのだが、あたし自身、妥協も自己正当化もしたくない。
だから、どうすればあたしが最大限満足できるかを研究しなきゃいけないし、死を求めている人間の心理や精神を的確に把握しなくちゃいけない。リュウヤが、死が救済であると考えている人間なのかも分からないんだよね。
そういえば、あの時のおじさんの死に顔、もしかしてあれがリュウヤの求める答えに近かったのかな。
本当、この世界は分からないことだらけだ。
「そのためにたくさん研究しないとね」
こうしてあたしたちは外に出て近くにあった立ち食いスタイルのうどん屋できつねうどんを食べた後、ボロっちい宿に戻っていった。
―――
これは殺すことが三度の飯より大好きな快楽殺人鬼少女と自殺は嫌だけど死にたがりな元暴力団員の男との少し、いや、かなり奇妙なお話。
そこには悪も正義も無く、ただ己の欲求に対してひたむきに取り組み、自身の人生というものについて考えて生きようとする、一見するとただただ普通な二人のお話。
この二人が今後どうなっていったのか、それは、誰も知らない......