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婚約破棄された私は悪役令嬢に堕ちて慰謝料としてこの国を貰いました 〜冴えない地方令嬢の復讐劇〜

作者: 朽木昴
掲載日:2022/03/13

 明日は結婚式。

 田舎貴族の出身で、まさかこの国の第一王子と結婚できるなんて思ってもみなかった。だって私は、なんの取り柄もないただの田舎娘ですから。


 あっ、言い忘れてました。私はレイチェル、とある田舎で育った普通の貴族令嬢。茶色の髪は肩まで長く、どこにでもいそうな顔立ちなのです。ちなみに、メガネっ娘なのですよっ。


「レイチェル、レイチェルはいるか?」

「ミシェル様、レイチェルはここにおります。そんなに慌ててどうされましたか?」


 私を探しているのがミシェル様。この国の第一王子で私のフィアンセですわ。この国に住む女性たちの憧れで、性格よし、ルックスよし、オマケに……超お金持ち。

 でも、お金があるのは当然よね。だって、王子様なんですから。


「こんなところにいたのか。実は、大切な話があるんだ」

「大切な話ですの? あっ、分かりましたわ、明日の結婚式のことですね」

「うむ、まさにそのことだよ。レイチェル、驚かないで聞いてくれ」


 真剣な眼差しのミシェル様。結婚式で何かトラブルでもあったのかしら。でも大丈夫よ、ミシェル様ならどんなトラブルがあろうとも、必ず解決してくれますもの。


「レイチェルは何があっても驚きませんわ。ミシェル様を信じていますから」

「そうか、それなら……」


 大丈夫、大丈夫だから。ミシェル様はどんなトラブルでも……。


 「悪いけど、実はタイプじゃないし、話し方が田舎臭いから、婚約破棄するね。それに地味だし!」

「えっ……」


 きっと、聞き間違いよね。あのミシェル様が、そんなこと言うわけないですもの。そうよ、これは幻聴、嬉しさというガラスが屈折させたのよ。でなければ……。


「あれ、聞こえてなかったようだね。これだから、田舎娘は……。仕方ない、もう一度だけ言ってあげよう。僕はキミが嫌いなんだ、キミのすべてがね。成り行きでなんとなく婚約したけど、やっぱり、無理なものは無理。だから荷物をまとめ田舎へ帰れ、この、──野郎っ!」


 何これ、言葉にモザイクがかかるなんて。ありえない、これは夢よ、きっと、本当の私はまだふかふかのベッドで眠っているんだわ。きっとそうよ……。


「なんだ、ボーッとして。もういい、おい、この女をこの部屋から、いや、この城からつまみ出せ」

「夢でのミシェル様は怖すぎます。レイチェルはこの悪夢から早く目覚めたいのです」

「何を訳の分からないことを、衛兵! 何をしている、僕の命令が聞こえなかったのかっ!」


 私の頭は完全に混乱していた。

 昨日まで優しかったミシェル様はいなくなり、目の前には反転して闇堕ちたミシェル様がいるのだから。

 その場に崩れ落ちてしまった私は、ミシェル様の命を受けた衛兵に引きずられ城の外へ。


 そして、ようやく理解したのだ。

 私は捨てられたのだと。


「ミシェル様……。レイチェルはアナタ様を愛してたのに……。どうして……」


 私は失意のどん底に落ち、重い荷物をひとりで抱えながら、王都から生まれ故郷へと向かう。

 一歩、また一歩と足を踏み出す度に、心は闇へと近づいていく。



 婚約破棄、偽りのミシェル様、そして自分の存在を否定される。故郷に着くころには、私の心が完全に闇堕ちしていた。


 生まれ故郷のナーシャという領地。

 この地に私は帰ってきた。いえ、『帰ってきた』というのは少し違いますね。だって、今の私は……。


「お母様、レイチェルが戻りました。いないのですか? 出迎えないのはどういうことですかっ」

「れ、レイチェル!? アナタは、明日、ミシェル王子と結婚するはずだったはずよ。どうしてここに……」

「くだらない質問はよしてちょうだい。私、この地でやり直すことにしましたの」


 私を心配そうな視線で見つめる母親。

 でも、今必要なのは、同情ではないの。私が今一番欲しいものは……。


「いったい何があったんだい。ついこの間まで、あんなに嬉しそうだったのに」

「別に、何もないわ。それよりもお母様。私に当主の座を渡してちょうだい。今すぐに、ね?」


 普段驚かないお母様の顔が豹変し、口を開けっ放しにして固まっている。普通はそうよね、婚約した娘が帰ってきて、いの一番に当主の座を寄越せなんて言うのだから。


「当主の座を譲れなんて、そんなこと……」

「お母様に拒否権なんてないわよ。それとも、私が継ぐのを拒むわけ?」

「レイチェルが継ぐのに反対はしないわよ。でもその前に何があったぐらい……」


 うるさいお母様ね。ホント、めんどくさすぎます。

 今優先すべきなのは……当主の座よね。それでしたら……。


「ええ、お話しいたしますわ。ですが、先に当主の座を私にお譲りください。でなければ私……もうこの身を投げるしかありませんもの」

「──!? レイチェル、本当に何があったのよ。分かったわ、今すぐ当主の座を譲ります。誓約書を持ってくるから、少し待っててね」



 お母様はチョロすぎよ。娘の命がかかってると知ったときの顔。最高でしたわ、所詮、親なんてこんなものよね。

 この世界は力ある者が勝つのよ。ですから、弱者は大人しく従っていればいいの。それがたとえ、実の親でも、ね。


 ──十分後。

 やっと戻って来ましたね。まったく遅いのよ、ばかっ。

 早く私に誓約書をよこしなさいよね。


「レイチェル、これでいいのかしら。これで、たった今からアナタがこの『シャルロット家』の当主よ。それで、どうして戻って来たのか教えて……」

「ふふふ、いいわよ。約束通り教えてあげるわ、でも、その前に、新当主レイチェルの命令よ、今すぐ、全員この場に集まりなさい」


 たった数分で、屋敷の者たちが私の前に集結する。

 人形のように動かず、私の言葉を待っていた。


「コホン。たった今から、シャルロット家はこのレイチェルが当主となりました。これからは、レイチェルの言葉こそ絶対と心に刻みなさい」

「はっ、かしこまりました、レイチェル様」

「いいわ、最高よ。ではさっそく命令よ、お母様……旧当主をこの屋敷から追い出しなさい。逆らえば同罪にいたしますわよ」

「れ、レイチェル、アナタは何を……。王都で何がアナタを変えてしまったのよ」


 慌てふためくお母様に、私は冷たくこう言い放った。


「最後に教えてあ、げ、る。結婚式の前日に、婚約破棄されてそのまま追い出されたの。だ、か、ら、レイチェルはこの地で悪役令嬢をするって決めたのよ」

「──!?」

「驚いて言葉もでないようね。でも、その顔、最高よ、もぅ、笑いが止まりませんわね。ご褒美に、馬小屋での生活をゆるしてあげます。さぁ、お母様を連れていきなさい!」


 お母様が何か言ってるけど、私には何も聞こえない。

 これは始まりなの。この国の王子が非道なら、私はさらなる非道でこの地に君臨してやるのだから。


 あれから数日。

 屋敷を恐怖で支配した私は、自らの姿に疑問を浮かべる。


 どこにでもいる量産型の黒髪ロング。

 服はいかにもザ・田舎と言わんばかりのデザイン。

 地味なメガネは色気のかけらもない。


「何事も見た目から変えないといけまんわね。そのためには……」


 侍女を呼び出し、私はこう命令を下した。


「この街にいる、すべての美容師、デザイナー、それとメガネ職人をここに呼び寄せなさい。今すぐにですよ?」

「レイチェル様、お言葉ですが、それですと民衆の生活に影響が……」

「なるほど、このレイチェルよりも、民衆が大事だと、そう言うのですか。それなら……」


 冷たい言葉を侍女に向けると、彼女は顔が青ざめ震えあがった。完全に怯えきってしまい、私の言葉が続く前に発言を訂正した。


「れ、レイチェル様、私が間違っておりました。即刻、街中から集めますので、少しお待ちください」

「そう、分かったわ。期待、しているわよ? ひとり残らず全員集めるのです。できなければ……分かってますよね?」


 心が闇に堕ちると、こうも無感情となれるのね。それに、あの怯える姿を見ると、クセになりそうですわ。まるで何かが私の中で満たされる、そんな感じよ。


「はっ、はいっ。必ずやご期待に添えるよう頑張ります」

「ええ、よろしく、ね?」



 次に侍女が私の前に姿を現したのは、わずか三十分後という短い時間だった。

 私の指示通り、この街に住む美容師たちをすべて連れてきたのだ。


「思ったより早かったわね。レイチェルはかなり満足よ。これからも、このレイチェルのため、尽力しなさいね?」

「も、もちろんにございます」

「そっ、アナタはもう下がっていいわよ」


 一礼すると、侍女は私の前から姿を消した。

 肩を小刻みに震わせながら……。


「さ、て、とっ。急に集まってもらって感謝してるわ。そう、レイチェル、かんげきぃ〜ってぐらいの感謝よ。ありがたく思いなさいね」

「あ、あの、レイチェル様……。私たちが集められた理由が、まだイマイチなんです。それに、今お客様を待たせておりまして……」


 この男、確か美容師、だったかしら。そう、ナーシャでも指折りの名店でしたね。で、も、この私に意見するなんて身の程知らずですわ。それならば……。


「そうか、このレイチェルはお客とやら以下の存在、そう思っているのね。分かったわ、ハッサム! この不届き者を牢獄へ連れていきなさい」


 ハッサムという男は、この街の治安部隊の隊長。もちろん、私の護衛もしているの。忠実な番犬といったところかしらね。

 屈強な肉体は惚れ惚れするほど美しいの。でも、顔は私のタイプじゃないわね。


「かしこまりました、レイチェル様。さぁ、貴様はこっちに来い。牢獄で自分の愚かさを反省するのだ」

「レイチェル様、私がいったい何をしたと……」

「そんなの、決まってるじゃない。私に口答えした、これだけよ?」


 断末魔を撒き散らしながら、あの男は私の前からいなくなった。二度とあの顔を見ることはないわね。だって、牢獄から出すつもりは、まったくありませんもの。


「では、改めて、このレイチェルに意見のある者はおりますか?」


 ざわつくと思ってましたけど、それすらせず、みなは俯いてばかりね。やはり、あの男を犠牲にしただけはあるわ。


「よろしい、ないようですね。では、アナタたちに重要な任務を与えます。このレイチェルを……この国いちの美女にしなさい。安心して、お代はちゃんと払うわよ。仕事さえしてくれれば、ね?」


 震える姿は私へのご褒美。これぞ悪役令嬢って感じですわ。

 ふふふ、これで私は……身も心も生まれ変わることができるわね。


 必死に私をイメチェンしてくれた。

 おかげで、転生した気分ですわ。だって、以前の私はどこにもいないんですから。


 長い黒髪は金髪にしてカールを巻いてくれた。

 田舎メガネは深紅のカラーコンタクトに変える。

 服は最新ファッションを取り入れ、コスメも流行りモノを使用。


 まさに絶世の美女へと私は変身したのだ。


「いいわ、最高よ、アナタたち。約束通り、報酬を支払いましょう。一生遊べるだけのお金を用意するわ。で、も、この屋敷から出ることを一生禁止しますけどねっ」


 見て、あの顔、絶望のどん底って感じ。いいわ、もっとその顔を私に見せてちょうだい。それでこそ、私の心が満たされるというモノよ。


 彼らの部屋……そうね、せめて部屋ぐらいは用意してあげるとしますか。


「そんな怖がらないでね。レイチェルはそんな意地悪じゃない、よ? 豪勢な部屋を用意して、あ、げ、る」

「あ、あの……報酬はいらないので、家に帰してほしいのですが……」

「あら、つれないこと言うのね。いいわよ、それならそれで。それくらい、寛大なレイチェルは許しちゃうんだからっ」


 次々に上がる歓喜の声。

 まるで、地獄から解放されたようね。さて、彼らの望みを叶えて差し上げますか。


「ただし、無言の帰宅でよろしければですけど、ね。ハッサム、彼らはこの世界から旅立ちたいそうなので、協力してあげてね?」

「はっ、レイチェル様の仰せのままに」


 私の指令で鞘から剣を抜くハッサム。

 そのまま刃を彼らに向け切りかかろうとする。


 恐怖がこの空間を支配し、彼らは蛇に睨まれた蛙ように動けない。私はただじっとその結末を見守ろうとした。


「お、お待ちください、レイチェル様。儂はレイチェル様のご褒美をお受けいたします。ですから、どうか、儂ひとりだけでもお助けください」

「ず、ずるいぞ。私もご褒美を受けますので!」


 さて、どうしましょうかね。全員を助ける……というのもナンセンスですわ。でも、ただ殺すというのも面白味にかけますわね。


 悩み抜くこと数分、私の頭に名案が浮かぶ。

 それは──。


「いいですわよ。一度は拒絶されましたけれど、寛大なレイチェルが許してあげましょう。でも、何も罰がないのは秩序を乱すの。だ、か、ら、レイチェル好みの異性を連れてきた人だけ、許しちゃおうかなっ」


 ざわめきが室内に巻き起こる。

 そうよね、彼らにしてみたら、絶望から這い上がれるチャンスなんですもの。


「任せてくださいっ。必ずやレイチェル様のお目にかかる男性を連れてまいります」

「えぇ、期待、してるわよ? あっ、ひとつだけ、条件があるわ。もし、私の好みでなかったり、逃亡なんなんてしたら……一族全員処刑するからねっ」


 あははは、見てよ、あの絶望に満ちた顔たち。最高よ、この地に君臨してるって、実感できるわ。進むも地獄、戻るも地獄とはまさにこのことね。


 静寂が部屋を支配する中、私はさらなる絶望を彼らに与える。しかも、期限という手網で彼らの行動を制限すれば、私のため必死になるに違いないもの。


「期限は……三日ね。もぅ、レイチェルの優しさに感謝してよねっ」

「レイチェル様、明日から三日でよろしいでしょうか?」

「あら、レイチェルは冗談が嫌いなのよ。今から三日に決まってるわ」


 すでに太陽は真上に来ている。

 つまり、私への貢物は、実質二日半で届ける必要があるの。彼らに考える暇など与えない、私が与えるのは……私への忠誠心なのだから。


 今日が約束の日ね。さて、私への忠誠は誰が一番かしら。見つけられない人はいるのかしらね。もっとも、処刑だなだなんて……野蛮なことを私がするわけありませんけれど。


 私は屋敷で悪魔の笑みを浮かべながら、彼らの到着を静かに待ってた。仮に見つけられなかった場合は、私の下僕として一生をすごさせ、逃げれば一族まるごと下僕にするだけ。


 それに、あの場で『処刑』という言葉を出せば、必死になってくれる。裏切りを阻止するのに使ったのだから。


「アナタが一番のようね。それで、私への貢物は用意できたのかしら?」


 最初に来たのはファッションデザイナーの男。

 彼はゴマをすりながら私の前に立っている。安いのか軽いのか、頭をペコペコ下げる姿は、まるでししおどしのよう。

 そんな彼が連れてきた男とは……。


「もちろんにございます、レイチェル様。さぁ、失礼のない挨拶をするのだぞ」

「はっ、僕の名前はケリー、父はこの国で議長をしております。どうか、よろしくお願いします」

「議長の息子、ね。もちろん、長男ですわよね?」

「レイチェル様、その通りにございます」


 ルックスは、そうね、私好みではあるわ。それに、議長の息子というのも、ポイントが高いわね。点数をつけるなら……八十点ってところかしら。


 合格ラインを七十点と勝手に決め、それ未満なら下僕とする。もちろん、つける点数はすべて私の独断と偏見よ。


「いいわ、合格ね。セバスチャン、彼らに部屋を与えなさい」

「かしこまりました、レイチェル様」


 執事長のセバスチャンに連れられ、あの二人は私の前から去っていく。出だしからの好調っぷりに、私の心は嬉しさで満たされていた。


 そして、次にやって来たのは……。


「レイチェル様、お待たせいたしました。アナタ様にお似合いの方を連れてまいりましたので、ぜひ、お納めください」

「アナタのお名前はなんというのですか?」

「ワシの名は……」

「誰が、ちょび髭オヤジの名前なんて知りたいと思うのですか。そこの青年に決まってるわ」

「俺の名はゴンザレス、見ての通り、筋肉を愛する者なり」

「なるほど、なかなか、いい筋肉をしてるわね。ヨダレが……いいえ、なんでもありませんわ」


 顔は中の下ってところかしら。でも、あの筋肉は欲しいわね。鍛え上げられ肉体こそ、私が求めるモノのひとつなの。顔がイマイチ好みではありませんが、キープしておきますか。


「セバスチャン、この二人も部屋へ案内しなさい」

「御意」


 このあと、立て続けに五人ほど来ましたが、全員キープということで、私は彼らに部屋を与えた。残りはあとひとり、だったかしら。制限時間まで……残り五分。間に合うかしらね。


 ──バタン。

 あら、ギリギリ間に合ってしまいましたね。つまらな……ではなく、今度はどんな男を連れてきたのかしら。


「お、遅れて申し訳ありません、レイチェル様。馬車が途中で壊れてしまいまして……」

「そんないいわけなど、聞きたくないですわ。そ、れ、で、約束の男は連れてきたのでしょうねっ」

「はっ、レイチェル様に、お似合いの方をお連れいたしました」


 ふぅ〜ん、後ろの男がそうなのね。見た目は、普通、ね。でも、嫌いなタイプではないわ。でも、イケメンというには……。


「私はトーマスと言います。この度はお招きありがとうござます。レイチェル様のため、身も心も捧げる覚悟がありますゆえ、どうかよろしくお願いいたします」



 礼儀は正しいし、身も心も捧げるなら、キープしておいて損はないわね。それにこの方、どこかで見覚えが……。


 私は意識を記憶へと飛ばし、彼から視線を逸らしていた。すると、手の甲に湿った感触が伝わり、すぐに視線をその方向へと向ける。

 そこで目にしたのは──。


「な、な、な、何をなさいますのっ。こ、これは……キスではありませんかっ」


 まさかの事態に、私は動揺を隠せなかった。キスなど生まれて初めてのこと。だって、ミシェル様は私へキスなどしてくれなかった。

 異性から受ける初めてのキスに、私の心音は大きくなっていった。


「レイチェル様の寵愛を受けたく、体が勝手に動いてしまったのです。なにせ、レイチェル様はお美しいお方、きっと、蝶が蜜を求めるのと同じにございましょう」


 こ、この男は何を言っているの……。いえ、それ以前に、私にキス、だなんて。もぅ、ありえない、ありえない。胸がドキドキするのは、いきなりするから、だよ。


 トーマスの不意打ちで私の頭は大パニック。

 手の甲とはいえ、異性の唇が触れたのは初めてのこと。とはいえ、このままでは、せっかく生まれ変わったのが台無しになる。


 そこで私は、このトーマスという男を直属の下僕として、そばに置こうと考えた。私を惑わさぬよう、思う存分こき使い、二度とあのようなことをしないよう、しつけるため……。


「と、取り乱しましたわ。そうね、絶世の美女を前に、それが普通の反応ですわね。で、も、これは罰が必要なようね。トーマス、このレイチェルに、一生下僕として仕えなさいっ」


 これでバッチリですわ。少しでも断る素振りを見せれば、さらなる罰を与えてあげますから。


「分かりました。私は一生、レイチェル様のおそばで、下僕としてお仕えいたします」

「えっ……。そ、そうですの。このレイチェルに仕えることを光栄に思うがいいわ」

「もちろんです。それに、先ほど言った通り、身も心もレイチェル様に捧げましたので」

「そうね、そんなことを言ってまし……」



 ま、待って、冷静になるのよレイチェル。

 心は分かるの、だって、一生下僕としてなんだから。でも、『身も』とはどういうことかしら。はっ、まさか、そんな……。


 私の中で始まる妄想の数々。

 目の前にトーマスがいるのを忘れ、彼との妄想劇に私は悶えてしまう。いつの間にか、顔が真っ赤に染まり、体全体に熱を帯びていた。


「レイチェル様、どうかされましたか? 顔が赤いようですが……。まさか、どこか具合でもわるいのですかっ!」

「ふえっ!? か、顔が近い、近いですわ。そ、それ以上近づけるのは禁止、ぜ〜たいにっ、禁止にしますわ」


 なんで顔を近づけるのよ。それに、この鼓動……違うから、この気持ちは絶対に違うのよ。だって、私はレイチェル、悪役令嬢になるって決めたのですから……。


 紅潮した顔は戻る気配がなく、鼓動は激しくなるばかり。体の熱は冷めるどころか、熱さが増していってしまう。この初めて経験する感覚に、私は戸惑いを隠せなかった。


「ダメ、なのですね。分かりました、レイチェル様へ近づくのは、ここまでの距離にいたします」

「分かればいいのよ、分かれば。セバスチャン、この者たちにも部屋を与えてちょうだい。くれぐれも、粗相のないようにね」


 あれ、私は今なんて言ったのよ。『粗相のないうに』とか、これじゃまるで……。違う、これは断じて違うの、ただの言葉のあやなだけだわ。そもそも、トーマスなんて私のタイプではありませんし。

 って、なんでそんな考えになるのよっ。そうですわ、深呼吸、深呼吸をするのですレイチェル。主導権を取られてはいけませんの。


 トーマスを特別扱いしようとする理由が分からない。私の中で何が目覚めようとする。が、強き心でそれを拒絶し、私は心の牢獄へ閉じ込めた。

 この地で君臨するため、人の心を捨てなければならない。だって、この国はそういう場所なのだから……。


 あれから数日、片時も私は彼のことが頭から離れなかった。彼とは……トーマスという冴えない男。まるで、昔の私にそっくりなのだ。

 ひと言でいうなら地味。でも、今の私は地味娘を卒業し、立派な悪役令嬢として、この地に君臨している。はずなのに、彼の前だけでは、以前の私が顔を見せてしまう。


「決めたわ。だって、このままでいいわけないもの。闇堕ちして、悪役令嬢になるって、私はこの胸に誓いを立てたのよっ。たとえ、この気持ちが……ううん、そんなことありえないわね」


 私は屋敷の最奥でひとり考えごとをしていた。

 あの男……トーマスを全力で否定する、それが私の出した結論。きっと否定をしなければ、私という存在が消えてしまう。

 でも、トーマスを排除すれば一番効率がいいのは知ってる。だけど……私の心はその選択肢を否定したのだ。


「セバスチャン、セバスチャンはいるの? 私からの命令をトーマスに伝えなさい」

「わたくしめなら、ここにおります。レイチェル様、トーマスに伝える命令とは、いったいなんでございましょう」

「えぇ、トーマスに私を護衛をしなさいって伝えなさい。べ、別にデートに誘えと言ってるわけじゃないのよ。ただ、彼の護衛能力を試したい、それだけなんですわ」


 もぅ、何を言ってるのよレイチェル。これじゃまるで……ツンデレじゃないのっ。こんなの私じゃない、私は悪役令嬢に堕ちるって決めたのですから。


 揺れ動く心を私は強く否定した。絶対に弱みなどみせてはならない、相手に付け入る隙を与えてはならないのだ。

 鉄仮面で顔を覆い、いつもの冷たい視線をセバスチャンに向ける。彼の心臓を凍てつかすように……。


「はっ、レイチェル様の仰せのままに」

「それと、くだらぬ噂など流したのなら……即処刑いたしますと、すべての者に伝えなさい。もちろん、口にした者もすべてね?」

「御意」


 ふぅ、これで面目は保てたかしら。セバスチャンは感情を顔に出さないから、よく分からないのよね。昔からなんですけど……。


 そう、セバスチャンは本当に人間なのかと疑うほど、感情を表に出さないのだ。私が幼いころからずっと一緒だったけれど、彼の心が見えたことなど一度もなかった。



「レイチェル様、準備が整いましたので、お呼びに参りました。この度は、このトーマスを指名していただき、感謝の極みにございます」


 トーマスが私の元を訪れたのは、わずか数分後であった。鉄仮面で心を隠し、冷徹な視線で彼の心を支配しようとする。


 ん? なんで、心を隠す必要があるのよ。別にデートするわけじゃ……って、違う、そうじゃないのよ。私はただ……彼を思うがままに操りたり。ホントにそれだけなんだから……。


「ふんっ、遅いわよ。このレイチェルを待たせるだなんて、いい度胸でないの。これから街へ繰り出します、ですから、護衛をお願いするわ。行き先は、トーマス、アナタが決めるのよ? もちろん、このレイチェルを満足させなければ、どうなるか、お分かりよね?」


 よし! これで主導権は私のモノよ。ふふふ、あの困惑した顔、ゾクゾクするわ。そうよ、これが今の私なんです、ですから、あのような気持ちは偽りに決まっていますもの。


 冷酷な笑みを浮かべ、私はトーマスを見下ろしていた。

 このナーシャを支配する私が、ただひとりの男に心を惑わされてはならない。これは、秩序に関わる重要な問題なのだ。


「お任せください、レイチェル様。デートという任務、このトーマスが見事成し遂げてみせます。この身をレイチェル様に捧げると、この場でもう一度誓います」


 で、デートですって!? あれ、もしかして……私、口が滑って、デートなんて言ってしまったかしら。というより、この身を捧げるって、違う、そんなんじゃないわよ。もぅ、なんでこの男はこうも私の心を乱すのよ、ばかっ。


 鉄仮面の下では……私の顔はわずかに赤く染まっていた。妄想が私を惑わす中、トーマスを引き連れ街へと出かけたのだ。


 今私は馬車で街道を進んでいる。

 馬車、そうよ、狭い空間でトーマスと二人っきり。会話なんてものは……私の辞書に存在しなかった。


「……トーマス、何か面白いことでも言いなさい。発言の許可を与えてあげわますわ」

「はっ、このトーマス、ご期待に添えてみせます」


 べ、別にトーマスと話したいわけじゃないのよ。そ、そう、無言というこの状況が嫌いなだけ、なんだから。


 本当は視線を逸らしたいほど恥ずかしかった。だけど、それは負けを意味すると、勝手に理解し、私は鉄仮面のまま冷徹な視線を向けていた。


「実を言うとですね、私には心に決めた女性(ひと)がいるのです。誰にでも優しく、笑顔がステキでいつも遠くから眺めておりました」

「へ、へぇ〜、そうなんですか。まるでストーカーのようですわね」

「周りから見たらそうですね。でも、女性(ひと)は私を見ると、天使の笑顔で返してくれたのです。かといって、それ以上近づく勇気など私にはなく、気がついたときには婚約して、二度と届かない場所へ行ってしまったのですよ」

「失恋した、ということですわね。それで、未だに未練タラタラでその方を思っているのですか。ホント、男ってキモイですわ」


 何よ、好きな人いるんじゃないの。それでいて私にあんな……って、何を考えてるのよ。こんな男は、私のタイプではありませんのに。


「自分でもそう思いますよ。でも……忘れられないんですよね。あの笑顔が、私の中にずっと存在して」

「あら、その割には、このレイチェルの元へあっさり来たのね。結局、その程度ってことじゃないの」


 これじゃまるで……私が嫉妬してるみたいじゃないですかっ。もぅ、なんでこの男の前だと普段通りできないのよ。


 鉄仮面の裏で繰り広げられる葛藤。

 トーマスという存在は、なぜか私を翻弄させる。ううん、きっと私が勝手に翻弄されているだけなのよ。


「レイチェル様の仰る通りかもしれません。届かなくなったから、諦めてしまった。もし、一度離れてしまった女性(ひと)が、手の届く距離にいたのなら……私は今度こそ想いを伝えたいと、考えております」

「悪いけど、その願いは永遠に叶わないわよ。だって、アナタは……このレイチェルのモノとなったのですから。でも、そうね、今日だけは特別に、このレイチェルが、その方の代わりを務めてあげてもよくってよ?」


 ノーーーー。私はなんてことを言ってるのよ。勝手に口が動くなんて、これはもう病気よ病気。うぅ……一度口に出しちゃったら、引っ込められないじゃないのぉ。


 冷たい視線とは裏腹に、私の中で繰り広げられる熱き戦い。

 もはや、感情のコントロールが効かなくなりつつあった。


「分かりました。レイチェル様のお誘いを断るわけにはいしません。どうか、今日一日だけ、私の想い人となってください」

「仕方ありませんね、このレイチェルは寛大な心の持ち主、ですから、今日一日だけは、その想い人と思って接することを許しましょう」

「はっ、光栄の極みにございます」


 はぅ……どうしてこんなことに。で、でも、これはチャンスだと思わなければなりません。この私がトーマス如きに翻弄されていない、ううん、ボロくそにして元の私に戻るのよ。


 私の視線は相変わらず冷たい。だけど、胸の鼓動は……大きなリズムを奏で始める。それはまるで何かを期待しているようでもあった。


「では、さっそく今からそういたしますわ。今日だけは、レイチェルと呼び捨てにしなさい、これは命令よ」

「はい、レイチェル、今日は思い出に残る一日にすると、約束しますね」


 トーマスの言葉が、私を妄想の世界へと引き込んでしまう。なぜそうなったのか、自分では分からず、その世界に浸っていると……。


「な、な、な、なんで隣に座ってますの!?」

「ですから、今日一日はレイチェルが私の想い人の代わり、ですから」


 このとき、私の鉄仮面は完全に剥がれ落ちてしまった。


 私の顔は今……鏡を見なくても分かる。だって、こんなにも心音が大きくなっているのだから……。


 ──ドクン、ドクン……。


 何が起きたの、お願い止まってよ。体が熱い……こんなの、私じゃないよ。だって、これじゃ、何も変わってないもの。男なんて……どうせ最後には、私を裏切るだけの存在なのよ。


 ミシェル王子からの婚約破棄が、私を闇へと(いざな)った。男など利用するだけでいい、それが私のたどり着いた結論だった。それなのに……どうして、心がこんなにも揺らいでしまうのよ。


「トーマス、いいこと、ぜ〜たいにっ、おいた(・・・)をしたら許しませんからねっ。一族、すべてに地獄の苦しみを与えるわよ」

「お任せください、私はレイチェルを悲しませない。必ず、笑顔にしてみせますゆえ」

「そっ、分かっていれば、いいわ」

「はい。あっ、レイチェル、動かないで……」

「──!? こ、ここで何を……」


 だ、ダメ、トーマスを払い除けなくちゃ。でも、力が…入らないよ。心をしっかり持つのよ、レイチェル。ここで流されたら……意味がないんですからっ。


 急に顔を近づけるトーマスに、私は頭が真っ白となる。必死に抵抗するも、体が思うように動かない。そして、想いに反し、私は自然と目を閉じてしまった。

 まるで心が何かを期待するように……。


 緊張の中で、頬に優しく柔らかい何が触れる。それが何かはまったく検討がつかなかった。だって今の私には……胸の鼓動しか聞こえなかったのですから。


「終わったよ、レイチェル。汚れっぱなしじゃ、綺麗な顔が台無しだよ」

「ふぇっ!? えっ、あっ……そ、そうね、ご苦労なことですこと。これくらいできて、当然ですわ」


 もぅビックリさせないでよね。いくらなんでも、こんなところで……キスするわけないわ。いえ、違うわね、だって初めて会ったときに、手の甲とはいえ、私にキスをした前科があるんですから。

 この男、どこまで私を翻弄すればいいのよ、ばかっ。


 トーマスの存在を一緒忘れ、私はもうひとりの自分と対話していた。この動揺は彼のせいであって、私のせいではない。そう何度も言い聞かせる。

 他の男どもと同じ態度が取れるよう、自己暗示をかけていると……。


「──チェル、レイチェル。目的地に着きましたよ」

「と、トーマス!? つ、着いたのね、そう、やっと着きましたのね。それにしても、この街は……」

「なんでも、若いカップルに人気のデートスポットです。とは言いましても、レイチェルに仕える前に聞いた話なのですが」

「デート……スポット……。そう、ですよね、私、トーマスとデートを……」

「どうされましたか、レイチェル?」

「な、なんでもないわよっ。ほら、早くこのレイチェルをデートに連れていきなさいよね?」


 ち、ちょっと待って。デートって、ち、違う、間違いよ、本当は護衛っていうつもりだったのです。だってそうでしょ、今日の目的はあくまでも護衛ですし、デートだなんて……。

 で、でも、今日一日はトーマスの想い人になるって言ってしまいましたし、護衛と言い切ってしまうのも、なんだか違和感がありますから。


 私は自分の中で、理由を考え納得しようとする。

 今日はレイチェルであって、レイチェルではない。あくまでも、トーマスの想い人なのだと……。


「レイチェル、その、手を握ってもよろしいでしょうか?」

「あ、当たり前じゃないのっ。今日一日はアナタの想い人なんですからねっ。これは、レイチェルとしての命令よ。その……ちゃんと楽しませなさいよっ、でないと、処刑じゃ許さないですからね」


 初めて感じたトーマスの温もり。

 それは私の心に何かを刻む。


 笑顔を崩さない彼に連れられ、私は初めてのデートへ繰り出そうとしていた。


 小さな街ではあるが、トーマスの言った通り、カップルが目立っていた。デートスポット、それは私にとって未知の領域。だけど、下手に動いて弱さをこれ以上見せられない。

 だから私は……トーマスにすべてを任せようとしていた。


「トーマス、すべてをアナタに任せます。が、今日一日は想い人の代わりとは言っても、このレイチェルを怒らせないことね。い、い、わ、ねっ」

「はい、肝に銘じておきます。ではレイチェル、私がこの街を案内しますね」


 トーマスは嬉しそうな顔で、私の手を引っ張り歩き始める。

 もちろん、鉄仮面は馬車の中に置きっぱなしで……。


 カップルだらけですわ。デート……か、そういえば、ミシェル様とは一度もしなかったわね。王子という立場があるって、分かっていましたけど。でも、ううん、ミシェル様は私をゴミのように捨てたのよ。

 もし、王子でなかったら……亡き者にしていたかもしれません。


 私の中で忘れ去られた復讐という言葉。

 それは、冷静ないまだからこそ浮かび上がってきた。

 だけど、復讐などしたら、たとえ領主といえただでは済まない。そんなことは分かっているのよ。


「レイチェル、私とではやはりつまらないですか?」

「えっ、そ、そんなことないですわ。少し考えごとをしていただけですから」

「考えごと……それって、まさか……」


 えっ、トーマスは心を読む力があるというの。そ、それじゃ、今までの私の考えが、バレちゃってるってことよね。ど、どうしましょう、あんな気持ちを知られたら……。


「トーマス、アナタが今思ってることなど、断じてありませんわ。このレイチェルがそのような細かいこと、気にするはずがないですもの」

「そう、ですか。私の早とちり……ですよね」


 なんで残念そうな顔をしてるのよ。この私に復讐しろ、そう言いたいのですか。でも、さすがに王子相手に復讐は……反逆者として囚われてしまいます。

 復讐……か。


 トーマスの想いに、私はなぜか応えようとしてしまう。心の中に燻り始めるミシェル様への怨念。それが、解放されようとしていた。


「そうだ、レイチェル。ここのソフトクリームが絶品なのです。食べてみますか?」

「えぇ、食べますわ。ちゃんと、このレイチェルに食べさせるのが、トーマスの責務ですからね」


 私から不意に飛び出した言葉。

 それは何も考えずに勝手に出たモノ。

 それが本心なのか、その場の流れからなのか、私には分からなかった。


「レイチェル、はいっ、ソフトクリームですよ。どうぞ、召し上がってください」

「へっ? このまま食べろというのですのっ!?」

「レイチェルが『食べさせなさい』と言いましたので……」

「そんなこと、このレイチェルが言うわけ……」


 あれ? 言ったかも、しれませんわ。も、もう、なんでそんなことを言ってしまったのよっ。うぅ、仕方ありません、ここは素直に……。


「言いましたわね。少しトーマスを試しただけ、ですわ。そ、それでは、食べさせてもらいますわね。あ〜ん」


 ──パクリ。

 私は赤面した顔のまま、ソフトクリームを口に入れてもらう。クリーミーで甘くてとても美味しい、そのはずなのですが、私の頭はそれどころじゃなかったのよ。


 だって……トーマスの笑顔が眩しすぎるのですもの。

 心に湧き上がる何かが、再び私を乱し始める。気のせいかもしれないけど、瞳が潤んでいるように感じていた。


 でも、そんな気持ちは一瞬で崩壊してしまう。

 それは、すれ違ったカップルの噂によって……。


「ねぇ、聞いた〜? ミシェル様、シェリーという女性と結婚したんですって」

「知ってるよっ。それに確か、前に婚約した人が、噂と違ってタイプじゃなかったから、婚約破棄したって噂もあるんだよ〜」

「そうなの? それは知らなかったかな〜」

「なんでも、その場の勢いで決めたみたいだけど、冷静に考えたら生理的に無理だったとか、ね」

「えー、なんだかその人可哀想すぎる〜。でも、ミシェル様なら許しちゃうかもっ」


 何気ない噂話に私の顔は豹変してしまう。

 馬車から突如届いた鉄仮面をつけ、復讐の炎を灯そうとしていた。忘れようとしていた怒りが、トーマスの存在を忘れさせたのだ。


 デートを途中で切り上げ、私は屋敷へ急いで戻った。帰りの道中は、トーマスに心を奪われることなく、ずっとあのカップルから聞いた話を考えながら……。


 トーマスが心配するも、私にその声はまったく届かない。今の私は……トーマスと出会う前に戻ってしまったのだから。


「セバスチャン、ゴンザレスを大至急呼びなさい」

「御意……」


 イラつく、イラつく、イラつく、イラつくわ。何よ、生理的に無理とか、その場の勢いとか。私の心はどうでもよかったのね。許せない、ホント、許せないわ。

 この苛立ちを解消するには……癒しが必要よ。そして、あの男……ミシェルへの復讐を考えないと、いけませんわ。


 私の頭にトーマスはもう存在しない。かわりにミシェルという悪魔が住みついている。


 私が闇堕ちした元凶、悪夢の婚約破棄。


 王子だからと遠慮していた。でも、王子だからといって、乙女心を踏みにじっていいはずがない。だけど、怒りに身を任せれば、我が身を滅ぼしてしまう。そこで私は、マッチョという癒しで、頭を冷やそうとした。


「お呼びでしょうか、レイチェル様」

「遅いわよ、この筋肉バカ。まずは、何も言わずに、上着をすべて脱ぎなさい。そして、自慢の筋肉とやらをレイチェルに見せるのです」

「は、はい、ただちに……」


 何を照れてるのかしら、この筋肉ダルマ。アナタは所詮、私の癒し道具にすぎないのよ。それ以上でも、それ以下でもないわ。


 一枚ずつ脱ぐ姿を私は冷たく見つめていた。

 そう、あの男はただの道具よ。私を癒すためだけの存在なの。少なくとも、今はね?


「お、終わりました。これでよろしいでしょうか、レイチェル様」

「ふんっ、遅いわよ。待たせるなって言いましたわよね? まっ、でもいいわ。寛大なこのレイチェルが、すべてを許してさしあげましょう」

「はっ、有り難き幸せであります」

「ではさっそく……。何をしてるの、このレイチェルのそばまで来なさい、なぜ、それが分からないのよっ」

「申し訳ございません。ただちに向かいます」


 これは八つ当たりね。たとえそうであっても、私の気が晴れるなら構わない。だってこの街は、すべて私のモノなんですから。


「こ、これが……鍛えあげられた肉体なのね。いい、いいわよ、最高よ。この硬さ、もぅ、レイチェルクセになっちゃう」

「あ、あの、レイチェル様。俺はどうすれば……」

「うるさいわね、今いいところなのよっ。邪魔しないでくれるかしら。大人しくそこで突っ立ていればいいのよ」

「はっ、も、申し訳ございません」


 はぁ、このさわり心地、たまりませんわ。人々が絶望した顔よりも、私の心を満たしてくれる。そうよ、これまるで戦場に咲く一輪の花よ。

 だって、疲弊した心を癒す唯一のオアシスなんですもの。思わずヨダレが出てしまいそうですね。


 ゴンザレスに夢中になること数十分。

 彼の視線に違和感を感じたことで、私の手は止まった。


「……な、何か文句でもあるのかしら、ゴンザレス。このレイチェルに言いたいことなど、ありませんわよね?」

「も、もちろんにございます。ただ、その……俺の体を触るのはいいのですが、その、なんと言いますか……」

「もぅ、じれったいわねっ! 男ならハッキリといいなさいよっ」

「はっ、頬擦りはやめていただきたく、思いまして……」


 何を言ってるの、この筋肉妄想ダルマ。

 私が頬擦りなんて……あっ、いやぁぁぁぁぁぁぁ。

 い、いつの間にこんな体勢になってるのよ。もう、信じられない。こんな姿、はしたなすぎますわ。


 私は知らずのうちに、ゴンザレスの腹筋に顔を擦り付けていた。しかも、両膝をついて……。


「……こ、これは、そうよ、アナタを試しただけよ。どこまで、耐えられるかをねっ」

「試すとはいったい何を……」

「うるさい、うるさい、うるさーーーい。もういいわ、さがってちょうだい」

「はっ、お役に立てて光栄であります」


 ふぅ、あ、危なかった、上手く誤魔化せたわよね。うん、かっと大丈夫ですわ。それにしても、どう鍛えたらあんな体になるのかしら。他の部分も気になり……って、私は何を考えてるのよ。


 未開の地へ踏み込む寸前で、私はなんとか踏みとどまった。もし、ゴンザレスの視線に気がつかなければ……。そんなことまで脳裏を掠めてしまう。

 羞恥心に襲われながらも、心が完全に癒えた私は、ミシェルへの復讐を考え始めようとした。


 さてと、復讐はどうしましょうかね。正面からいっても武が悪いですし。何か名案は……。

 しかたありません、ここは下僕どもに意見を聞くとしますか。


「セバスチャン、彼らを全員呼んでちょうだい。あっ、ご、ゴンザレス以外をね?」

「御意、すぐに呼んでまいります」


 ゴンザレスには、しばらく顔を合わせられませんわね。だって、つい先ほど醜態を晒してしまったんですもの。あんな私の黒歴史……何があっても、流出だけは避けませんとね。


 屋敷にある私の部屋。

 そこが、ミシェルへの復讐計画を立てる場所よ。あの腐れ外道に泥水をすすらせ、地べたにひれ伏させてみせるの。そのためなら私は……なんでも犠牲にしてみせるから。


 ──コンコン。

「入ってもよろしくってよ」

「はっ、では失礼します。レイチェル様、彼らをお連れいたしました」

「そっ、ご苦労セバスチャン。さがってよいわよ」

「御意……」


 トーマスもいるのね、まっ、当たり前のことですけれど。って、なんで彼のことが気になってるのよ、ばかっ。これじゃまるで……ううん、ダメよ、そんなことはないから。

 どうせ男なんて……ミシェルと同じ、そうよ、だから、彼も利用するだけ利用してあげる。そうすれば、私を惑わす者などいなくなるのだから……。


「よく集まってくれたわね。レイチェルは感激よ? まっ、この程度でお礼などしませんけれど」

「レイチェル様、どのような理由で、僕たちをお呼びになったのでしょうか? もちろん、レイチェル様のお呼び出しとあらば、すぐに駆けつけます」

「ケリー……だったわね。確かにアナタの言う通り、理由ぐらい教えないとね」

「寛大なレイチェル様に感謝いたします」


 『ミシェルへの復讐』と、本当のことを話すべきでしょうか。少し悩んでしまいますね。かといって、そこを濁してもろくな案が出てきそうにないわね。

 それなら──。


「理由は簡単よ。心して聞くがよい、このレイチェルを辱めたにっくきミシェルに、今こそ裁きを与える。それが理由よ、異論などありますか?」

「い、いえ、異論などありません」

「ふふふ、素直な子は好きよ。そうですわ、いいことを思いつきましたの。も、し、ミシェルに鉄槌をくだせたのなら、このレイチェル、身も心も捧げてもよくってよ?」


 まっ、本当にそんなことするつもりはありませんけど。でも、効果的面みたいですわ。所詮は男、この美貌に手を出したいと、目の色が変わりましたわね。

 ケダモノに触れさせるほど、私の体は安くないのにね。


「あら、ご不満かしら? それこそ、一日中、朝から夜まで、好きなようにしていいのですよ? レイチェルの体では、アナタたちを満足できないかしら?」

「と、とんでもございません。我らは必ずやその使命を果たしてみせます」

「ええ、期待、してるわ」


 投げキッスまでして、もう、恥ずかしいわよ。でも、これは復讐のため、これぐらい耐えないといけませんわ。それに、彼らには『最後』ぐらい、夢をみさせてあげないとね?


 意気揚々と部屋を出ていく彼らを、私は冷たい視線で見送った。所詮、男は私の道具、使い終わったら処分するだけ。もう惑わされない、たとえ、トーマスであろうとも、私の心は動かせないのよ。


 なんで、彼の名が出てきたのかしら。べ、別にいいわ、どうせ彼も例外ではないのだから。


「セバスチャン、中にお入りなさい。アナタに重要な任務を与えます」

「どのような任務でしょか?」

「難しい任務ではないわ。もし、レイチェルの企みが漏れたり、復讐が成功したのなら……。彼らを処分しなさい。お供にハッサムとゴンザレスを連れていくといいわ」

「御意、方法はいかがいたしますか?」

「任せるわ、お好きなように、ね」

「それと、報告を定期的にお願いするわ」

「お任せください、レイチェル様」


 ふふふ、これでいいわ。たとえ失敗しても、私に害が及ばないもの。あとは報告を聞きながら……裏で操ればいいのよ。裏でね。

 そういえば、お母様にもまだ使い道があったわね。シャルロット家は私が当主ですけど、それはナーシャ内での話。だ、か、ら、万が一の保険として、使わせてもらいますわ。


 私はこの広い部屋で、悪魔の笑い声を響かせる。

 だって、復讐に愛など……一番不要なものなのだから。


 私はひとり、部屋で報告を待っていた。

 静かに笑みを浮かべ、吉報が来るのをじっと……。


 最初の連絡は三日後。私の部屋へ電話をかけた、セバスチャンからであった。抑揚のないいつもの声で、私に状況を報告してきた。


「レイチェル様、お耳に入れたいことがございます」

「どうしたの、セバスチャン。それは、よい知らせなのかしら? それとも……」

「残念ながら、悪い報告にございます」

「そう、なのね。では、内容を教えてくれるかしら?」


 ミシェルにバレたのかしら。でも、たとえバレたとしても……手はありますからね。それとも、裏切りなのかしら、どっちにしても、セバスチャンの話を聞いてから、対応を考えましょうか。


 心の動揺などまったくない。むしろ、怖いくらい平静を保っている。まるで、この状況すら楽しむように……。


「はい、実は、ミシェルを直接殺害しようとする者が現れまして、それを聞きつけた警備のものが嗅ぎ回っておるのです」

「それで、その者たちは捕まったのかしら?」

「いえ、逃亡中とのことで、まだ捕まっておりません」

「なら、予定通り、始末しなさい。それと、嗅ぎまわってる者は、どこまで知ってるのかしら」

「どうやら、まだ単独行動のようです。ですが、上に報告されるのも時間の問題かと」


 この状況を好転させる方法を考え始める。単純に始末するだけなら、私のことが漏れる可能性はかなり低い。が、復讐の妨げになるのは間違いない。

 そこで、私はある方法を思いつく。

 その方法とは──。


「では、逃亡中の者をまず見つけて始末しなさい。それと、追っ手に情報を流し、同じ場所で始末するの。争った結果で、共倒れにみせるの」

「御意」

「あとは……ケリーを利用し、お母様の命令と偽って、お母様の処刑もお願いするわ。議会のコントロールは、セバスチャンに任せます」

「かしこまりました。それではさっそく……」

「いえ、もうひとつ、お願いがあるの。今、名案を思いついたのよ」

「名案、ですか」


 私の考えを整理するとこうですわ。

 お母様は、『婚約破棄』で狂って復讐に走ってしまった。

 お母様の名で暗殺しようとするも、警備と争って共倒れ。

 議会でお母様の処刑が決定、すぐに執行される。

 そして……ミシェルを議会に呼び出し尋問するの。そこで、婚約破棄についてすべてを語ってもらいます。もちろん、私もそこに出席し──。


「なるほど、それは名案ですな。しかし、今走り回ってる者たちは、いかがいたしましょう」

「口封じで屋敷の牢獄に閉じ込めておきなさい」

「はっ、ひとり残らず捕らえますゆえ、ご安心してください」

「期待、してるわよ」


 セバスチャンに任せれば安心ね。あんなに有能な執事は、他に見たことがありませんわ。忠義に厚く、そして、目的のためなら手段をえらばず、確実に任務をこなせるだなんて。

 あの人を雇ってくれたことは、お母様に感謝しませんとね。


 これを機に、私はミシェルへの復讐を開始する。

 下僕たちには悪いけど、名案が思いついてしまったのだから仕方がない。もちろん、許してくれるわよね。


 だって、もし、私がその地位についたとき、弱みになるのだから、早めに処分するのが妥当でしょ。そ、れ、に、使えなくなった道具は、きちんと処分しないと環境破壊に繋がりますし。


 あとは、セバスチャンの準備が整うのを待つだけ。ミシェル……もうすぐよ、もうすぐでアナタを地獄へ堕としてあげますからね。


 ふふふ、準備は整いました。お母様、私の幸せのため、犠牲になったことを感謝しますわ。


 次は、ミシェル、アナタに鉄槌をくだすとき。

 でも、トーマスだけは行方不明と言っていましたね。逃げたのかしら……今はそんなことより、ミシェルの最後を楽しみますか。彼が絶望するところ、早くみたいわね。


「さて、そろそろ議会へと向かいますかね」


 屋敷をあとにし、私は議会のある街へと馬車を走らせた。結果は変わらないけれど、その過程でミシェルの心を完全に破壊する。もちろん、フィアンセのシェリーもね。


 この国は良くも悪くも、議会に決定権がある。今までは王族の傀儡であった議会。でも、今の議会は私の人形なのよ。だって、彼らにも弱みというものがあるのだから。


 そう、その弱みこそが彼らを操れる唯一の方法。

 ある者には人質を取って脅し、またある者には、多額のお金を渡したり、方法は様々だった。

 それに、セバスチャンが言うには、ミシェルを快く思わない人もいたとか。すべてが私の復讐を祝っている、そんな気がしますわ。


「ここが、議会ですか。初めて見ましたけど、立派な造りですわ」

「レイチェル様、お待ちしておりました」

「セバスチャン、中へ案内してもらえるかしら」

「御意」


 石で造られたトンネルを抜けると、大きな広間が見えた。天井などない、青空の下で裁きが行われる。セバスチャンが私に教えてくれた。


「ここに座っていればよろしいのかしら?」

「はい、議会はもうじき開幕いたします」

「ありがと、セバスチャン。もうさがってよいわよ」


 議員たちはすでに着席しているのね。ふふふ、あの傲慢なミシェルが地に落ちるときが来たのよ。何が『生理的に無理』だから婚約破棄よ。その代償を払ってもらいましょうか。


 あくまでも鉄仮面を貫く私。

 しばらくして、ミシェルがこの議会に姿を現す。だけど、余裕の笑みを見せていた。それもそうよね、議会は自分の思うままだと、思っているのだから。


「まったく、この国の第一王子である、僕を呼びつけるだなんて、議会も地に落ちたんじゃな〜い?」


 これがミシェルの本性ね。傲慢の名を欲しいままにしてますわ。で、も、その態度がいつまで続くのかしら、ね。


 私にまったく気づく様子もなく、ミシェルは議会を罵倒し続けていた。そこで私は……彼を挑発し宣戦布告をする。


「あら、見掛け倒しの王子様。アナタって、器が小さいのね、それじゃ……周りから見捨てられるわよ?」

「キミは誰だ! って、いい女じゃない。そうだ、僕の愛人に……」

「ふふふ、鏡を見てから出直して来なさい。このレイチェルに、クズ王子様では釣り合いませんわよ?」

「レイチェル……どこかで聞いたような名前だな……」

「覚えているんですの? 議会に呼び出された原因、そして、クズ王子が婚約破棄したそのレイチェルですわ」


 あの顔、どうやら思い出したようね。まったく、ここに呼び出された理由も知らないだなんて、ホント、いいご身分ですこと。


「き、キミがあのレイチェルだって……。だって、レイチェルは、田舎臭くて、キミのようにスタイルがいいわけでも、ましてや、絶世の美女でもなかったぞ」

「ふふふふ、クズ王子はご存知ないのね。アナタが会ったレイチェルは影なのよ。今、アナタの目の前にいるのが、本物のレイチェルなのだから」

「えっ、そ、んな……。そうだ、婚約破棄を破棄するから、僕とやり直ししないか? キミだって、この国の妃になりたいだろ」


 この男はすでに国王気分なのですね。確か、国王は病気と聞きましたし。でも、クズ王子の運命はもう決まっているの。だって、あの男は……。


「残念ですが、クズ王子の話には乗れませんの。だって、影レイチェルは……婚約破棄の責任を取って、もうこの世界のどこにもいない。つまり、クズ王子にも同等の責任を負ってもらう。それが、アナタがここに呼ばれた理由よ?」

「僕が責任を負うって? バカバカしい、だいたい議会は僕のモノなんだ、責任なんて、僕が追うはずないだろ」


 ついに始まりましたわ。ミシェルの反応は当然ですね、だって……『今まで』はそうでしたもの。でも、時代は変化していくもの、それをその身で味わうといいわ。


 私は不敵な笑みを浮かべ、この開戦に応じようとしたのだ。


「静粛に、これより『ミシェル王子の婚約破棄』について、裁判を始める」


 やっと始まりましたわ。結果が分かっているシナリオ裁判がね。最初はミシェルの言い分を聞くとしましょうか。いえ、言い分ではなく、ただの独り言でしょうけどね。


 心の中で高笑いする私。

 顔にはまだ出してはダメ。耐えて、耐えて、耐え抜いてこそ、最高の喜びになるの。だから、今はまだ鉄仮面が必要なのよ。


「議長、婚約破棄は妥当でしょう。だって、好きでもない人、しかも、ちょっとしたノリというか、ジョーク的婚約なんですし。それに、元々、僕の本命はシェリーだけ。つまり、それ以外の女性なんて、道端のゴミと変わらないのさ」


 これが本音というわけね。ふふふ、ダメよ、鉄仮面、鉄仮面をつけて……られるかぁぁぁぁ。このクズ王子、このレイチェルをゴミ扱いにするとか。いいわ、いいわよ、ゴミはどちらか、ハッキリさせてあげるわ。


 怒りのボルテージが高まり、鉄仮面にヒビが入ってしまう。でも、感情に身を任せてはダメ、そう心に言い聞かせ、私はクズ王子へ反撃した。


「あら、そのようなことを言ってもいいのかしら? そうね、ゴミにもならない、クズ王子よりはマシだと思いますわ。そ、れ、に、レイチェルは深く心を傷つけられたのぉ。だから議長、クズ王子に慰謝料を要求するわ」

「ふっ、そんなバカみたいな話が通るわけ……」

「ふむ、慰謝料の請求は妥当だの。反対する者は挙手を願う」


 当然ですけれど、反対するものなどいないわ。ほら、クズ王子の顔、化けの皮が剥がれて醜くなっていくの。今までのように、この議会はクズ王子の道具でないのだから、仕方ありませんけどね。


「な、なんで誰も反対しないんだ、この僕を誰だと思ってるんだ! この国の王子だぞ、それに賛同しない議会など、存在する価値がないね」

「夢の時間は終わりです、クズ王子様っ。そろそろ、現実の話にまいりましょうか。議長、婚約破棄でこのレイチェルは、母親も心も何もかも失いましたの、ですから、それ相応のモノをいただきたいのです」

「要求を聞こうではないか」

「ありがと。で、は、レイチェルが要求するのは……この国ですわ。だってレイチェル、それだけ傷ついたんですもの」

「そんなバカな要求受け付けるわけが……」


 青ざめてますわ。もう一押し、というところですわね。


「あら、では、採決してもらいましょうか? クズ王子が言う、『自分だけ』の議会でねっ。それとも、自信がないのかしら、そうよね、自信がなければ、採決しなくてもよくってよ?」

「くっ……いいだろう、後悔するなよ。議長、この要求に対して採決をしろ。もし、満場一致で通るようなら、国と言わず、僕の財産をすべてくれてやる。そのかわり、通らなかったら……」

「細かい男は嫌われるわよ? 議長、採決をよろしくって?」

「では……レイチェル様の要求に意義がある者は、挙手を願う」


 時間が止まったのか、それとも、一枚の絵なのか。

 静寂に合わせ、誰も動くことはなかった。

 つまり結果は……。


「ば、バカな……。なんで、なんでだ! この議会は僕の意思で動くはずだろ、これは陰謀に違いない、でなければ……」

「往生際が悪いわね、クズ王子。あっ、もう王子ではありませんか、クズ男さん。では議長、この判決通り、レイチェルが国をもらう、ということで、よろしいですわね?」

「通達はすぐにいたしますゆえ。ミシェル元王子、即刻城から退去せよ」


 崩れ落ちる元王子(クズ男)は警備兵により連れ出される。いや、ゴミのように追い出された、と言った方がいいかしら。死んだ魚の目となり、暴れる気力すらなさそう。

 でも、私にはもうどうでもいいこと。だって私は……新しいおもちゃを手に入れ満足しているのだから……。


 私はこの国を手に入れた。

 ここから見える景色だけが、私の心を満たしてくれる。

 私を闇に堕とした元王子(クズ男)は、もうこの国にはいない。ううん、この世界からその存在を抹消したのだから……。


「レイチェル女王、お耳に入れたいことがございます」

「それは何かしら、セバスチャン」

「はっ、実は牢獄に行方不明であったトーマスがおりまして、刑の執行をしてよいものか迷っておるのです」

「そんなこと決まってますわ。聞くまでもありません、そのまま……」


 あれ、言葉が続かないわ。トーマスだからなの? ううん、だってあのときは、彼に対してなんとも思わなかったじゃないの。なぜ今になって……。


 その理由がまったく分からない。だから私はセバスチャンに命じて、トーマスと話をしようと考えたのです。


「では刑の執行をいたし……」

「待ちなさい、その前にトーマスと話をしたいわ。べ、別に深い意味はないの、ただ……どうして投獄されたか、聞くだけだから」

「御意、すぐに連れてまいります」


 そうよ、処刑するなら、その理由ぐらい知らないといけませんし。本当にそれだけ、なんですから……。


 私は玉座の間でトーマスを待った。数秒が何時間にも感じる中、セバスチャンに連れられたトーマスが、私の元へ連れて来られた。


「レイチェル女王、お連れいたしました」

「そっ、セバスチャンはさがっていいわ」

「かしこまりました」

「さて、トーマス、アナタにひとつ尋ねたいことがあるの」

「はい、なんでございましょうか」


 なんですの、なんで……処刑が決まっているのに、トーマスは笑顔でいられるの。それに、なぜそれを私が気にしてしまうのよ、どうして……。


 揺れ始める心を抑え、私はトーマスに処刑の理由を尋ねた。


「トーマス、アナタはなぜ投獄され処刑が決まったのかしら? 深い意味はないわ、ただ、少しだけ理由を知りたいと思っただけよ」

「私が投獄された理由は……ミシェル元王子を殺害しよとして、失敗したからです。だって、許せなかったんですよ、レイチェルを泣かせたこと、だからなのです」

「な、なんで呼び捨てなんですのっ。今やこのレイチェルは女王なんですか……」

「半日、私の想い人になるって約束が、まだ半日残ってますから。ダメ、でしょうか?」


 トーマスの言う通り残ってるけど、なんでこの状況でそんなこと言えるのよ。だって私は……アナタを処刑しようとしたのよ!


 乱れ始める心に、私の思考はパニック寸前。

 だからこそ、トーマスの返事に頷いてしまったのよ。


「そ、そうね。そうだったわね、それくらい許してあげるわよ」

「ありがとう、レイチェル。それに、私は今日で最後ですからね」


 最後……そうよ、だってトーマスは処刑が決まっているのです。なのに、なんで体が熱くなるの、どうして私は彼の前で平静を保てないのよ。


「あの、レイチェル? 泣いているのですか?」

「だ、誰が泣いてるですって、このレイチェルが涙など……」


 嘘……どうして、涙なんて、あのとき枯れ果てたはずよ。それなのにどうして……。


 床にこぼれ落ちる大粒の涙。

 トーマスに言われるまで気づかなかった。

 私の仮面は彼のひと言で完全に壊れてしまった。


「これは違うの、断じて涙なんかじゃ……」

「レイチェル、最後だから本当のことを言うね。私の想い人は……変わる前のレイチェルだったんだよ」

「──!?」


 えっ、今なんて言ったの。トーマスの想い人、その名前……レイチェルって、言ったよね。私の気のせいじゃ、ないよね。


 困惑する私に構うことなく、トーマスは話を続けたのだ。


「だからね、レイチェルの傍にいられるだけで、幸せだったんだ。たとえ、その姿が変わろうとも、私の想いは決して変わらないのだからね」

「トーマス……」

「でも、これでお別れだね、レイチェル。最後にキミと話せてよかったよ。これからは、幸せな人生を歩んでね。それじゃ、私は行くね」


 ダメ……ダメよ、絶対にそんなことさせない。だって、ようやく分かったの、私は、私の気持ちは……。


「セバスチャン! トーマスの処刑内容を中止します。そのかわりに、このレイチェルに一生その身を捧げる、そのように刑罰の変更をしなさい。いいですわね!」

「はっ、レイチェル女王のみこころのままに」

「レイチェル、それって……」

「か、勘違いしないでよねっ。別にトーマスのことなんて、なんとも想ってないわよ。ただ、想い人になる約束が、まだ残ってるだけなんだから……」

「でも、一生って……」

「うるさい、うるさい、うるさーーーーい。いいから、このレイチェルに黙って従えばいいんですからっ、ばかっ」


 素直になれずとも、悪役令嬢に堕ちようとも、こんな私をずっと想っていてくれた。

 だから私はトーマスと道をともに歩もうと決めたのだ。たとえ、悪役女王と呼ばれようとも。

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