第一話
☆1☆
「ねぇ聞いた聞いた!? 彼女がやって来るって噂!」
兵舎へ入ってくるなり、頬を上気させたトンボちゃんが、荒い息を吐きながら、まくし立てるようにしゃべりまくる。
そんな彼女をやんわりと押し止どめながらナデシコちゃんがおっとりと、ささやくようなウィスパーボイスで、
「ええ、そのお噂なら飛行場に集まっていた教官たちも、かなり興奮したご様子で朝早くから口々におっしゃっていました。わたくし、聞くともなしに、誰にも気づかれずに聞いてしまいましたが、決して聞き耳を立てていたわけではありませんよ」
ナデシコちゃんは天然忍者、と言われるほどの情報通だ。
ちなみにトンボちゃんはうっかり屋さん、ネコちゃんが小さい胸をはり、
「ついに彼女がやって来るのか! だけどボクは全然期待してないけどね! ウフフ!」
ネコちゃんは女の子なのになぜか自分の事を男の子みたいにボクって言う変わった子だ。
とっても気分屋さんな所があって、隊のみんなからは猫みたいって、いつも言われている。それでネコちゃん、ってアダ名って言いたいけど、実は本名が寝子と書いてネコって読むから、まんまネコちゃんでオケーってこと。
とにかく、
「待ちに待った彼女が! 赤月風華が! ついに神風特攻少女隊に来るんだよ!」
赤月風華。
白銀市でこの名を知らない者はいない。
大東亜戦争初期に、惜しくも亡くなった名パイロット赤月大牙の娘。
その才能を引き継ぎ、彼女もまた零戦のテスト・パイロットとして、いかんなくその才能を発揮している。
その赤月風華が! 神風特攻少女隊に志願したというのだ! 神風特攻少女隊の面々が大騒ぎするのも仕方ない。
きらめく海に近い兵舎の前に集められたあたしたちは一人の少女と対峙した。
そして少女が挨拶を述べるのかと思いきや、
「戦況は日々悪化の一途をたどっているわ。新聞やラジオは軍のいいなりになって飼い犬のように景気よく戦勝報道をしているけど、ただのプロパガンダよ。でなければ女子供が戦場に駆り出される事なんてありえないわ。大日本帝国はいずれアメリカに負けるのよ。そして、この先、百年たってもアメリカに勝つことは出来ない。まず最初にその事は言っておくわ」
教官も含めて、神風特攻少女隊の全員がアゼンとなる。
鉄拳制裁を食らってもおかしくない状況で、赤月風華の言葉が抜けるような真夏の青空ときらめく海をバックに再びリンと響く。
「だけど、このまま素直に負けるわけには行かないわ。一人でも多くのアメリカ兵を殺して道ずれにするのよ、奴らに一泡吹かせて一矢報いる。それが神風特攻少女隊の使命よ。私の足をひきずる子は容赦なく特訓するから、全員、その覚悟をしなさい」
海風になびく長い黒髪、切れ長の鋭すぎる瞳、シャープな口元、ほっそりとした少女らしい身体に似合わない、堂々とした威厳に満ちた態度、
「はあ~、とても同い年とは思えないよ~」
あたしがうっかり口を滑らせると、優雅な足取りで赤月風華が近づき、
「あなた名前は?」
「ひっ、日ノ本コロナ、14歳です!」
次の瞬間、彼女のしなやかな腕が目の前に上がったかと思うと、
バァンッ!
「年齢は聞いていない! 質問にだけ答えろ!」
いきなりほっぺたを派手にひっばたかれた。
赤月風華が続けて、
「飛行経験は?」
「さ、3ヶ月です!」
バァンッ!
また、ひっばたかれた。
いた~い!
「450時間と言え! 報告は正確に!」
「は、はいっ!」
「アメリカ兵は私の平手打ちではすまない! 実弾を容赦なく撃ってくる、命の取り合いだ! 殺しあいだ! 生きるか死ぬかだ! いつまでもたるんでるんじゃない!」
「はっ、はいっ!」
「よしっ、全員、浜辺を十回往復する、ついて来い!」
「「「ええ~~っ」」」
「この浜辺は一往復するだけでも2キロあるんだよ。10回だと20キロだよ! ウソでしょ~っ!」
ネコちゃんが抗議するけど、教官に尻を叩かれ泣く泣く走り出す、
「赤月さん、これって何の意味があるんでしょうか? アメリカ軍に特攻するために戦闘機の飛行訓練をしたほうがいいんじゃないでしょうか?」
赤月風華と横に並び息も切らせず、ナデシコちゃんがヤンワリたずねる。
「なぜ日本が負けるか貴様はわかるか?」
「その前に自己紹介しておきますわ。わたくしナデシコと申します。白銀重工業社長の一人娘でございます」
赤月風華が鼻で笑う、
「元テストパイロットの、つまり、私の元スポンサーというわけか、だが、今は関係ない」
「父を鼻にかけるつもりはございませんわ、先ほどのご質問ですが、答えは明白ですわ」
「それは何だ? 言ってみろ」
「日本は国土が小さく、食糧生産能力が乏しく、資源も無く、人口も少ないですわ、これでは欧米列強に勝てるはずがありません」
「では、食糧が豊かにあり、資源も潤沢、人口も今の三倍に増えれば勝てるか?」
「それなら勝てると思いますわ」
「いや、それでも日本は勝てない」
「それはなぜでしょうか?」
「戦いにおいて一番大事な物は根性だからだ」
「「「え?」」」
「アメリカ人はそれをガッツと言う」
ナデシコちゃんがまゆをひそめ、
「そんな、非論理的な」
「合理的でも論理的でもないかもしれん。が、人間に秘められた最高の力を、最大限に引き出す力とは、根性をおいて他にない。お前たちは操縦うんぬんの前に、まず、そのたるんだ精神を叩き直し、根性を鍛え上げなければならい、根性なくして特攻などありえないのだ!」
「………」
突然の根性論にナデシコちゃんも言葉を失う。
赤月風華はお話にならない根性論者だったのだ!
連日続く、わけの分からない地獄の猛特訓に、ついにネコちゃんが音をあげる。
「もうボク無理だよ~、もうボク神風特攻少女隊やめる~」
ウサギとびの姿勢のまま砂浜にぶっ倒れるネコちゃん。
あたしも同意する。
「そうよそうよ! こんなのあんまりだわ!キチガイじみてるわよ! あたしも、もうや~めた!」
平手打ち覚悟であたしも砂浜に身体を投げ出す。
もうテコでも動かないんだから!
そこへ赤月風華が鬼のような形相であたしとネコちゃんに詰め寄る。
あまりの迫力にあたしはその場に正座した。
あたしってなんて意思が弱いんだろう。
我ながら情けない。
赤月風華が背後を振り返り、
「トンボにナデシコ、あんたたちはどうなの? あんたたちもやめるの?」
ナデシコちゃんが口を尖らせ、
「わたくしも少々うんざりですわ」
赤月風華がうなずき、
「わかった、やめるという事ね、トンボ、あんたはどうなの?」
トンボちゃんが目を泳がせながら、
「ア、アタシは、その、飛行機が、とっても大好きだから、ここに来たんです、だけど、今は………」
「わかったわ。全員、やめていいわよ。徴兵解除するわ」
「やった!!」
思わず口走るあたし。
そんなあたしを赤月風華が物凄い目付きで睨みつける。
ところが一転、フフン、と皮肉な笑みを浮かべ、いかにも腹に一物ありそうな不気味な声で、
「ただし、一つだけ条件があるわ」
神風特攻少女隊の面々に緊張が走る。
一体どんな条件なのか? まったく予想が出来ない。
「なんですの? その条件というのは?」
ナデシコちゃんがたずねる。
すかさず赤月風華が、
「根性を私に見せなさい。それが条件よ」
「「「え!?」」」
一同、目が点になる。
「根性なんて、どうやって見せたらいいんだよ、ボクにはさっぱり分からないよ」
ネコちゃんが抗議する。
赤月風華がそれを聞き流し、
「私と空戦で勝負しなさい。もしも、私に勝てたら、あなたたちの根性を認めて除隊にしてあげるわ。もちろん、戦闘は私一人対あなたたち全員でいいわよ。この条件でどうかしら?」
ネコちゃんが俄然、小さな胸を張り、
「フンッ! ボクたちを馬鹿にするにもホドがあるよ! 4対1で勝てると思ってんの? 根性なんて関係ないね! 楽勝だよ!」
「その言葉に二言は無いわね、なら機体に乗りなさい」
ナデシコちゃんが思案顔で、
「ネコちゃんも仕方がないわね。だけど、その条件なら、なんとかなるかも知れないですわ、わたくしたちを甘く見るにもほどがありますもの」
「その通りだよ!」
ネコちゃんが同意し自分の機体に向かう。
あたしは残ったトンボちゃんに声をかける。
「どうしようトンボちゃん、大変な事になっちゃったよ、あの赤月風華と戦うなんて、どうしたらいいのかな?」
トンボちゃんがニパアっと、だらしない笑みを浮かべ、
「えへへ~、勝っても負けても飛行機に乗れるのは嬉しいよ~」
と、のたまう。飛行機大好き女子に質問したあたしが馬鹿でした。
☆2☆
キラキラ輝く海にプカプカ浮かぶ銀色の機体、主翼と尾翼には日の丸が真っ赤にペイントされている。
ニ式水上戦闘機、それがあたしたちの訓練機だ。
飛行挺だから水さえあれば、どこでも離着陸出来る。
足が重いからドッグファイトには向かないけど。
あたしが機体に乗り込むと、教官が戦闘機の鼻ずらにクの字型の棒を差し込みグルグルまわす、あたしはすかさずエンジンを始動する。
ブルルンッ!
エンジンに火が入り、プロペラが小気味良く回転する。
蜂の羽音みたいなエンジン音とともに軽い振動に包まれる。
あたしはスロットルのレバーを押し出す。
波に揺られながら機体がゆっくりと前進を始める。
足のペダルを踏み右ヨー、左ヨー、尾翼で向きを微調整する、最後に操縦捍を慎重に引くと、フワリ、さっきまでのフワフワした不安定さが嘘のように消え去り空へ向かってグングン飛んでいく。
ゼロ戦、零戦、本当に付けたかった名前は霊戦なんじゃないかな? と、あたしは思う。
それぐらいに、この機体には日本人の霊魂というか、魂が注がれているような気がする。
ただ、霊という言葉は死を連想させて、なにかと縁起が悪い、なのであえて同じ発音の零を使ったんじゃないかな、と、あたしは勝手に想像していた。
『遅れてるわよ、コロナ』
ナデシコちゃんから無線が入る。
赤月風華は米粒のように見えるぐらい先行しているが、あたしたちは四機並んで編隊飛行を組んでいた。
『ごめ~ん、ちょっと考え事してた』
ネコちゃんが自信満々に、
『まっ、どっちにしろボクたちの楽勝だよ。赤月風華の鼻をあかしてやるんだ』
続いてトンボちゃんが、
『とにかく久し振りの空が楽しいです~』
と、相変わらずお気楽だ。
あたしは叫んだ、
『来たッ! 赤月風華だ!』
空にキラリと光る機影が見えたかと思うと、すれ違いざまに、
ダダダダダッ!
ビシャビシャビシャ!
ペイント弾なので水がはねるような音が響く。
トンボちゃんが、
『やられちゃいました~、離脱します。うう~、せっかくの空戦が一瞬で終わっちゃいました、残念無念です~』
ネコちゃんがいきりたって、
『なんて奴だ! ボクがカタキを討ってやる!』
ネコちゃんが急旋回、猫みたいに俊敏な機動、翼の先が水蒸気を作り、美しい弧を描く。
『とりゃあああ!』
ダダッ! ダダダッ!
赤月風華が急ブレーキをかけつつ樽のまわりを回るように飛ぶ。
バレルロールだ。
ネコちゃんは勢い余って背後を取られた。
『し、しまった! ボ! ボクとしたことが、なんたる失態!』
気づいた時にはペイント弾のエジキとなっていた。
『ムキ~!』
とか言いながら離脱するネコちゃん。
『あたしに任せて!』
あたしは赤月風華の背後を取ろうと懸命に努力する。
が、左上方向にフワリと浮いた瞬間、まるでツバメのように右下方向へ、
スパッ!
と、切り替えされる。
『ウソッ! 追い付けないよ!』
とても同じ機体に乗っているとは思えない鋭い機動にあたしは愕然とする。
赤月風華を見失ったあたしが右往左往していると、いつの間にか背後を取られる。
『イチかバチか!』
あたしは急ブレーキをかけ、バレルロールとはいかないけど、ゆっくりと左右へ行ったり来たりする。
さすがに低速で左右に振られると、赤月風華の照準も、そう簡単には合わない、攻めあぐねた赤月風華の背後からナデシコちゃんが襲いかかる、
『バッチリ背後を取りましたわ! ありがとうですわコロナちゃん!』
そう、あたしはオトリ役だったのだ、本命はナデシコちゃんの攻撃。
ナデシコちゃんの機関砲が火を吹く、赤月機にバレルロールをするだけの速度は無い。
これ以上速度を落としたら失速間違いなしだよ! と思ったら、赤月風華がモッサリと機首をあげる、そしてプロペラが止まる。
『え!? ウソッ!』
当然、機体は失速して自由落下して、
『えええっ! ど、どういう事ですの?』
ナデシコちゃんも動揺するが、相手は失速して落ちていくので、そのままナデシコちゃんは赤月機の上を通り過ぎた。
それを待っていたかのように赤月風華がエンジンを起動、再びプロペラが回り始める。
赤月風華が下から上に向かって飛び、猛然とナデシコちゃんに襲いかかる。
ペイント弾がビシビシ当たり、ナデシコちゃんが撃破された。
『こんな滅茶苦茶な飛び方、見たことないよ!』
あたしは最後の手段に出る。
急上昇し反転、太陽を背に赤月風華に一騎討ちを仕掛けたのだ。
煌めく海から上昇してくる赤月風華目掛け、
ダダダダダーッ!
と機関砲を撃ちまくりながら下降するあたし、赤月機とスレ違う瞬間、キャノピーがペイント弾で真っ赤に染まった。
『あうっ!』
あたしたちは負けたのだ。
たった一人の赤月風華に!
☆3☆
「私に負けた以上は今後は私のやり方に従ってもらう。異議のある奴はいないな」
砂浜に正座したあたしたちは、居丈高にふんぞりかえっている赤月風華の言葉に対してグウの音も出なかった。
四対一で負けたのだ。意気消沈してみんな、反論する気も失せている。
赤月風華の瞳がキラリと光り、
「これから地獄の特訓に入る」
ギクリ! 全員硬直した。
「だが、その前にまず、編隊飛行の隊列、及び副隊長を発表する。その後、本格的な飛行訓練を行う」
トンボちゃんが間の抜けた声で、
「もう、ウサギ飛びはやらなくっていいんですか~?」
赤月風華が鋭く、
「やりたければ、一人だけやっても構わん」
トンボちゃんがあわてて、
「ごっ! ご遠慮します~!」
赤月風華がせきばらいし、
「まずは一番機。これは飛行隊長である私だ。次に二番機。副隊長は日ノ本コロナ。お前にやってもらう」
「えっ! あたし? あたしですか? 何であたしが?」
「最後まで生き残ったからだ。と言いたいところだが、オトリ役を引き受けたり、太陽を背にして攻撃したり、そこそこ使える奴だからだ。次に三番機」
残りのみんなが息を飲む。
「三番機は諸星寝子。飛行技術は未熟だが、私に向かって来るガッツは認める」
「クソ~! 次こそ勝ってギャフン! って言わせてやる!」
ネコちゃんが息巻くが、赤月風華が無情にも、
「戦場に次は無い。次、四番機は」
バッサリ切り捨てる。
「南雲撫子。私の死角、死角へと、なかなかとらえられない動きは悪くない。が、オトリになったコロナが与えた最大のチャンスを生かせなかったのはマイナスだ。ドンジリではないが四番機が妥当だな」
「まったくもって、おっしゃる通りですわ。四番機役、つつしんでお受けいたします」
ナデシコちゃんが四つ指ついて、しとやかに引き受ける。
優雅だ。
「最後に五番機、美空とんぼ。ひばりとまではいかないまでも、せめてトンボ並みには飛んでみせろ。一瞬で落とされてはトンボの名が泣くぞ」
「はう~。その通りです~」
トンボちゃんが泣きべそをかく。
赤月風華がそれを無視して、
「では今後の予定を発表する。まず」
そこへ教官が猛然とダッシュで近づき、
「大変だ! 敵機が白銀基地に近づいてくる! 訓練中だが、軍は君たちにただちに出撃するよう命令してきた。出撃してくれないか?」
赤月風華が冷静に、
「敵の戦力は?」
「前線の島からの報告によると、一機、たぶん偵察だろう、とのことだ」
「偵察……、新型を探りにやって来たのか?」
やや間をおいてから、
「では、神風特攻少女隊、これより出撃します。トンボ、あなたが行きなさい。偵察機を見つけしだい基地に戻って報告。交戦する必要はないわ。相手もその気はないでしょうし。簡単な任務でしょう」
「えっ! ア、アタシだけでですか? 一人で大丈夫でしょうか」
「いいから、余計な事は考えないでサッサと出撃しろ!」
赤月風華が激を飛ばす。
それを見かねたあたしが口を挟む、
「トンボちゃんだけじゃ無理です! 敵が偵察機じゃなくて、攻撃機だったらどうするんですか! トンボちゃんが死んじゃうじゃないですか! 副隊長として、あたしもついて行きます!」
赤月風華がため息をつきながら、
「コロナ、トンボが死ぬことを前提に話をするな、だが、まあいい。ではコロナ、あなたがトンボのフォローをしなさい。二人ともただちに出撃!」
☆つづく☆