Pitch night, Sun light
真っ暗な夜の中で、自動販売機が光っていた。
「砂利道は素足で歩くには、少し痛いのではない?」
たまたま通りかかった私に、それはそうやって声をかけた。
それは私の身なりを言っているのだろう。確かにこの舗装されていない道を、私は靴すら履かずに歩いている。
……けれど私はその愚問に答えることはしなかった。ただ、無言で立ち去るのも何か違うように思えて、結局私は、型に嵌った挨拶を返す。
「今晩和」
「今晩和」
と、自動販売機もそうやって挨拶をした。
そしてせっかくだからと、私はそれにお願いをする。
「くださいな」
「何が欲しいんだい」
「そうね」
けれど私は、彼が何を売っているのかを知らない。
小首を傾げて尋ねてみる。
「何があるの?」
「何でもあるさ」
けれどそうやって、あまりにも楽しそうに言うから、私は自動販売機を苛めてやりたくなった。
私は高飛車を装って、
「それなら、あなたの持っていないものを頂戴」
「やあ、持っていないものは売れないよ」
「嘘吐きね。何でもあるって言ったのに」
「ああ。何でもあるよ。――君の求めるもの以外なら」
それを聞いて、私は思わず目を丸くした。
頬を膨らませながら、告げる。
「意地悪」
「お互い様」
くくっ、と小さな笑い声とともに、自動販売機はそう言った。
私のからかいへの、仕返しのつもりだったのだろう。
小さくため息をついて、私は自動販売機に寄りかかった。
そんな私へ、からかうように彼は言う。
「疲れたのかい」
「休憩よ。夜はまだ長いから」
「成る程。賢明な判断だ」
自動販売機の隣に立つ外灯が、ジジ、ジジジ、と音を立てて点滅を繰り返している。それほど遠くない未来、寿命が尽きるだろう。果たしてそれは数分後か、数日後か――それはわからないけれど。
けれどそれもいつかは、
「死ぬのね」
「……うん?」
不意に吐かれた私の言葉の意味がわからなかったのだろう。突然どうしたい? と、心底不思議そうに、自動販売機は言った。
それに私は、なんでもないわ、と答える。今更考えるまでもなく知っている当たり前のことを、そんな感慨深げに吐いたのだと、思われたくはなかった。だからそう言えば、彼はただ、そうかいと言った。私の考えになど、興味はなかったようだ。
明かりを求めてやってきた蛾が、自動販売機に止まった。それを見て自動販売機は、やあ、可愛いなあ、と楽しそうに言う。無機物にとって、有機物は慈愛の対象になるのだろうか。
蛾がまた飛び立っていくのを見送りながら――
「そういえばこの間、業者が来てね」
彼はぽつりと、そんなことを言った。
「業者?」
「僕の中身を補充して行った」
「ふうん」
「明けない夜はないよと、そういう歌を歌っていたよ」
「そう」
暗い夜が私たちの周りに広がっている。
この夜もいつかは明けるのだという。
けれど私は疑問に思う。
――だからどうしたと言うのだろう。
「そろそろ朝が来るよ。お行き」
自販機が言った。
こうべを上げて東を見やるけれど、まだ闇が広がっていた。
西も南も、私の頭の上も、まだ黒いままだ。けれど自動販売機がそう言うから、私はそれを信じることにする。
「ええ」
さよなら。言えば自動販売機は、さよなら、と言った。私との別れを惜しんでなどくれなかった。私が別れを惜しんだことなどないのと同じように。
素足で砂利道を歩く。
石が足の裏にめり込んで痛みを感じる。
少し歩いてから振り返ると、舗装のない道の橋で、自動販売機がぼんやりと光っていた。ものを売らない自動販売機が。
その横に佇む電柱はもう光っていなかった。だから自動販売機は、たったひとりで、ただ静かに、誰のためでもなく、阿呆のように光っていた。光らざるを得なかった。
朝が来れば世界は明るくなるだろう。
果たして朝は来るのだろうか。
私は足元を見た。
その道は薄暗く、私は照らす灯りなど持ち合わせていなかった。
「嗚呼」
だから私はそれに今気づいたかのように、そしてまるでそれを嘆くように、天を仰いでみた。けれどそれは仮初めの仕草だった。ただ、そうしてみたかっただけなのだ。
嘆くまでもなく、もうずっと昔から気づいていた。
私は無力だ。
「…………」
無言で天を仰いだところで、そこにもただの暗闇しかなかった。
私はそれに失望などしなかった。ただ、そこにあるものへの諦念だけを感じていた。
*
そろそろ朝が来るよと。
自動販売機は言っていた。
明けない夜はないのだと。
業者は歌っていた。
果たして朝は来るのだろうか。
いつかは来るのかもしれない。
もしかしたら来ないのかもしれない。
けれどどちらでも構わない。
どちらにしろ、世界は何も変わらない。
朝日は誰も救わない。