優しい朝
「……ん」
ふいに目が覚める。
昨日徹夜で研究をしていたにも関わらず、今朝の起床時間はいつもと変わらなかった。
ゆっくりと右手の人差し指にはめられた指輪を窓にかざし、下りていたシャッターを上げる。
「おはよ、甲斐」
「ん、ああ、おはよう」
隣で寝ていた妻の未衣も目を覚ました。
腕には枕が抱かれている。
結婚当時、かわいいからと未衣に買ってやったものだ。
いつもと変わらぬ朝。
今日の天気は曇りであった。
「徹夜明けだというのに、今日もアカデミー?」
「ああ。助教授は大変なのさ。まだ眠いだろう? もう少しゆっくりしているといい」
「でも、甲斐がアカデミーに行くのなら朝食を作らないと。甲斐は自分でご飯を作れないんだから」
未衣がくすりと笑う。
齢十六。
俺よりも二歳年下の、系統図で言えば叔母にあたる人の一人だ。
「それに、そろそろ由衣も起きるだろうし」
「そうだな。じゃあ起きようか」
まったりとした朝の一風景が始まろうとしていた。
「あ、おはようございます。甲斐様、未衣様」
寝室から出たところで、廊下を掃除中の猫科の亜種、ミノワに出会った。
黒味がかった髪、ふさふさのネコミミ、ぱっちりした目が特徴である。
「おはよう、ミノワ」
「朝からお疲れ様です」
「そ、そんな、とんでもございませんっ」
ミノワが手を止め、深々とお辞儀をして俺たちに挨拶をかえす。
「朝からそんなにがんばらなくても大丈夫だぞ?」
「い、いえ、メイドたる者、ご主人様よりも先に起床しないとは愚の骨頂です」
「あいかわらず律儀ね、ミノワは」
「そんなことありません。私のような亜種をこのような立派な家で働かせていただいて、私はそのご恩をお返しをしようとしているだけで…あ、わわわっ」
興奮したミノワはそばに置いてあった水入りのバケツに誤ってぶつかってしまい、大きな音を立てて転倒してした。
水があたりにぶちまけられる。
「ああっ、すみませんすみませんすみません…! 今すぐ片付けますのでどうかお許しを…」
「大丈夫だって。それくらいで叱ったなんてしないから。ほら、俺たちに謝っているんだったら、早く片付けるんだ。今から朝食を作るから、一緒に食べよう」
「は、はい、申し訳ございません………」
ミノワは背中を小さくしながら、急いでその水浸しになった廊下を片付け始めた。
俺たちはミノワにエールをおくり、キッチンへと向かった。
「ミノワも一生懸命でいいね」
「たまにドジをするところがネックだけどな」
「でも、それがまた可愛らしくていいんじゃない」
未衣は相手が亜種だろうと動物であろうと、なんでも愛する温厚な性格で、それは俺が惚れた理由の一つでもある。
「今日の朝食は何がいい?」
「そうだな……なるべくさっぱりしたものが…………」
「おとーさま、おかーさま。おはよーございます」
唐突に、由衣がとことこと入ってきた。
「由衣、おはよう。よく、眠れた?」
「うん! ゆい、ぐっすりねたよ!」
由衣はもう5歳になる。
少し病弱だが、それでも可愛い俺の娘だ。
「ねーねー、ミノワは? いまどこにいるの? おみみさわさわするー」
「ミノワなら向こうで掃除をしていたぞ。でも、邪魔したら悪いから、もう少ししてから、な?」
「うん。そうするー」
由衣が満面の笑みを見せ、俺は由衣の頭を優しく撫でた。
この笑みは母親に似たのだろう。
思わず抱きしめたくなるほど愛らしい。
「それじゃ、朝食を作ろっかな」
「頼む。なるべく早めにな」
「ゆいも、おかーさまのおてつだいするー」
「由衣は向こうで一緒にくつろいでいような」
由衣の手を引き、俺は居間へと移動した。
「さて、テレビでも見ますか」
テーブルの上にあるリモコンを手にとり、テレビをつける。
この家にはアナログな機械が多い。
このテレビも十数年前のリモコンを使わないといけないタイプだし、料理用機械もない。
今の科学ならボタン一つで飯など10秒で作れるのだが、あえて我が家は手料理である。
未衣が料理好きなのが大きな理由だ。
「次のニュースです。今日未明、新たに惑星が発見されたとの報告があり――」
テレビでは、ロボットののニュースキャスターが淡々とその役割を果たしていた。
新たに惑星が発見されたとのことである。
(今度は何光年離れたところの惑星だろう?)
惑星が発見されるなどのニュースは今時珍しくもなんともなかったが、宇宙そのものに興味のある俺は、いつもそれがどこでどのような経緯で発見されたのかをチェックしていた。
「その惑星はテスとシズマの対極の位置に存在しているとし、さらにテスに非常に酷似しているとして詳しい調査が現在行われているとの――」
そのニュースを聞き、俺は驚愕の色を隠せなかった。
「甲斐、今日のニュースは何?」
料理を作り終わった未衣が居間に入ってくる。
「ああ、なんでも、シズマの向こうに新しくテスに似た惑星が見つかったそうだ」
「へえ……びっくり」
言葉とは裏腹に表情に驚く様子はなく、未衣はそのまま料理をテーブルの上に並べた。
「……今日のアカデミーは忙しくなりそうだな」
「死なない程度にがんばってくださいね」
「がんばってくださいねー」
未衣の真似をする由衣の頭を優しく撫で、目の前の朝食を急いで平らげた。
ミノワが現れたのは、俺が自分のぶんをすでに食べ終えた後だった。