186.体操着……。
許さん……許さんぞぉぉぉ!!
我の安眠を妨げた不届き者めぇぇ!
耳元でゥ~ンッなどと鳴きおって!!
叩き潰してくれる!
両手で挟み潰して、血潮を噴出させ、惨めな死を与えてやるわい!!
訳:寝てる時、蚊が耳元で鳴くので、何か対策しないと……。
「はぁぁ……昨日の今日でまた来ることになるとはな」
「あ、あはは……新海君も、リヴィルちゃんも、ゴメンね、今日は来てもらって」
赤星も急に招集させられた側だろうに……。
俺達への気遣いを感じ、少し気を取り直す。
「ハヤテもリアも今日はオフなんだよね? 昨日、握手会があったから」
チラチラと周囲から注目を集めていることも気にせず。
リヴィルはジーンズのポケットに手を突っ込んだままそう尋ねる。
……うーむ、別に無茶苦茶お洒落してるってわけでもないのに、やっぱりリヴィルは素材が相当良いんだろうな。
「うん。志木さんや律氷ちゃん辺りは……確か収録があったはずだから、明後日が代わりに休み、だったかな」
「ふーん……そんな貴重なオフなのに、一体何なんだろうな、逆井の奴……」
未だその当人が来ていなかった。
俺は持って来ていたバッグの中身を思い浮かべる。
“学校の体操服持って来て! 2着ね!”とは、呼び出しメールの末尾にさり気なく付されていたものだ。
危うく何の疑問も持たずにいるところだったが、そうはいかない。
なんで集まって出かけるのに体操着がいるのか、全く説明などされていないのだ。
昨日のハイエース内での、梓と逆井のやり取りも気になる。
あまり油断はしない方が良さそうだ……。
「――おーい、お待た~!」
丁度、改札から降りてきた逆井がこちらに向かってくる。
……それは良いけどさ。
“お待たせ~!”をそう略すとどう聞こえるか、考えてんのかコイツ……。
「おいっす~。……いやじゃなくて。何、お前やっぱビッチなの? 朝から卑猥な言葉呟かずにはいられないお年頃なの?」
「はぁぁ!? アタシがビッチとか、意味わかんないし新海っ! どこをどう見たらそんな、その、遊んでそうな軽い女に見える訳!! ねぇ!?」
プリプリと怒り、同意を求めるように赤星・リヴィルの方を向く。
だが二人は俺の言葉の意味が分かり、逆井の不注意だと判断したのか……。
「う、うーん……」
「……これはマスターの言う通り、かな? リアが気を付けた方がいい」
「えぇぇぇ!? アタシが悪いの!? むぅぅ……」
逆井は呻り声を上げながら自分の言葉を振り返る。
俺たちは逆井が自分で気づくのを待った。
…………。
「――ちっ、違うし!! アタシ、別に股緩くないもん! 全然、むしろ、貞操観念ガッチガチだかんね!?」
逆井は顔を真っ赤にし、慌てて否定する。
いや気づいたはいいが、むしろその暴走のせいで更に変なこと口走ってんぞ!?
「ってか昨日のハイエースでのシチュエーション、興奮とかも全然してないから! それで新海のこと思い出したとか、これっぽっちも――」
「分かった! 分かったから! これ以上自分で傷口を広げるな!!」
ただでさえリヴィルの容姿で周囲の視線が集まりやすいんだ。
逆井も赤星も変装しているとはいえ、こんなところで叫ばれたら堪ったもんじゃない。
体操服の件で優位に立つためだったんだが、やりすぎたな……。
□◆□◆ □◆□◆ □◆□◆
「へぇぇ……ここ、ウチの学校の体操服売ってるんだ。ってか赤星、よく知ってたな?」
学校も違うのに、という意味で案内をしてくれた赤星を見る。
支社というだけあって、店内はそこまで広くはない。
ショーウインドーに見本の制服、体操服などがマネキンに着せて飾ってある。
部活用のユニフォームコーナーに視線をやりながら、赤星は頷いた。
「あはは……去年まで陸上やってたから。どこにどんな店があって、どんなものが売ってるかとか色々と細かく気にしてたんだよ」
「ふふ~ん! だから今日はハヤちゃんにも同行してもらったってわけ」
何故か逆井がそれを自慢気に告げる。
目的の場所につく頃にはすっかり元に戻っていたが、何だかな……。
「いや、それはいい。だが逆井、お前、肝心なことに答えてないだろう」
「うぐっ!! え、えーっと……何のこと、かな?」
お前……分かりやすすぎるだろう。
目がスイミングしまくってんぞ。
「昨日のマスターとは大違いだね」
「うん。志木さんに追及されても、新海君、凄いしれっとしてたもんね」
リヴィルさん、赤星さん……君ら何気に俺のことディスってる?
何かその言い方だとさ。
俺が相手の叱責を意にも介さない、サイコパスみたいに聞こえるんですが……。
……まあいいけどさ。
「逆井……――何で体操服を買う必要があるんだ?」
浮かんで当然の疑問を投げかける。
が、逆井は何だそんなことかと胸を撫でおろす。
「え? もう、だから、別に新海がお金払って買う必要はないって! アタシが2着分買って、新海にプレゼントしてあげる!」
「いや女子から体操着のプレゼントされるって何なの!?」
え、最近ってそういうこと普通にやるの?
念のため赤星の方をチラッと見るが……。
「あ、あはは……」
苦笑い。
……危ねぇ。
やっぱ違うじゃねぇか。
「…………」
ジト目で逆井を睨みつける。
やはり何らかの後ろめたいことがあるのか、直ぐに逆井は視線を逸らした。
「え、えーっと……うん! 善は急げだよね! よし、アタシ、買ってくる!」
「あ、おい――」
だが止める間もなく、逆井はレジの方へと逃げていった。
変装しているとはいえ……。
“すいませーん! 男子高校生用の体操着2着くださーい!”と女子高生が言うのはどうなんだ……。
……あっ、ほら、店員さんも若干戸惑ってるじゃねぇか。
「……何か“彼氏へのプレゼント”とか言ってる」
逆井の小賢しい言い訳をリヴィルが指摘する。
「うーん……自分で言ってて恥ずかしいらしいね。何度も噛んじゃってるよ、梨愛」
見ている赤星も、流石に友人の挙動に思う所があるらしい。
珍しく居心地悪そうにモジモジしながら、逆井の帰りを待っていた。
「――お待たせ~! 買ってきたよ、体操着っ!」
学習したのか、先程と同じ間違いはしない。
だが、その手に男物の体操着を抱えて、満面の笑みで戻ってくる絵面はどうなんだ……。
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外に出て、再び駅近くに戻ってくる。
腰かける用の細長いポールがあったので、そこで一度落ち着くことに。
「……これ、か?」
持ってきた自分の体操服を取り出す。
逆井はまるで、お宝の山分けにありついたような笑みを浮かべる。
…………。
「そそ! それそれ! ニシシッ……はい!」
さも当然の様に、先程買ったばかりの体操服を俺に渡してきた。
「……何この物々交換?」
そして逆井は俺の体操着を自然に掴み、取り上げようとしたのだ。
……何してんの?
俺は体操着を掴んだ力を緩めず、もう片方の手で逆井の掴んだ手を引き離そうと試みる。
「え? いや、新しいのだけあっても、あれでしょ? 下取りした方がいいかと思って!」
「下取り!? 体操着に下取りとかあんの!?」
あれってテレビショッピングで新しい家電買う時のシステムじゃねぇの!?
いや勿論他にもその場面はあるだろうけど、今は違う!
女子に体操着プレゼントされて、そのお返しみたいに自分の着た体操着を引き渡はしない!!
「はぁぁ……――新海君、ゴメン、その、さ。梨愛に体操着、あげてくれないかな?」
「……え?」
赤星からそんな言葉が出てくるとは思ってなかった。
意外な申し出に思わず掴んでいた手の力が緩む。
俺の体操着はそのまま逆井の手元に。
「やっ、やた! ハヤちゃん、やったよ!」
「えーっと……うん」
赤星も一枚噛んでいた、のか?
いや、多分正確にはそうじゃない。
逆井の喜び様に反して、赤星はそこまで嬉しさの感情を表していない。
というか……何か、恥ずかしがってる?
「えっと、新海君、やっぱりそれだけじゃ、不満だよ、ね? ちょっと待ってね……」
そう言って赤星は自分のショルダーバッグを漁り始めた。
そこから何かを取り出し、恥ずかしそうに胸に抱える。
そして、思い切ってグイっと突き出し、俺に強引に渡してきた。
「はっ、はい! いらなかったら、勿論、捨てても良いから! 何ならもう雑巾でも、何にでも使っていいから!」
「お、おう……」
普段は見ない、赤星のあまりの勢いに、思わず頷き返してしまった。
だがまだ受け取らされたものをよく見ていない。
何か衣類の生地、みたいな手触りなんだが……。
しかしその場で広げようとすると赤星からストップがかかった。
仕方なしにバッグの中に入れ、その中で広げて見せる。
「…………」
「えっと……その、私の、陸上時代の、ユニフォーム上下、です」
何、だと……?
赤星が陸上やってた時、実際に袖を、脚を通した……ユニフォーム?
「その、昨日の内に、リヴィルちゃんに相談したら、均衡を図りたいなら、私のこれがいいんじゃないかって」
ギロッ。
ササッ。
……リヴィルめ、視線を逸らしやがった。
コイツ確信犯か……。
とはいえ、どうすべきか扱いに困る。
赤星は雑巾でも、何でも使っていいとは言ってくれたが、流石にそうはいくまい。
どうしようかと悩んでいると、そんな俺に声がかかった。
「――あら? え、もしかして……あの時の?」
顔を上げると、数メートル先に品の良さそうなお祖母さんがいた。
そしてその隣には、年の離れた孫くらいの少女がいて……ん?
「あれっ、うわぁぁ、ツギミーじゃん、どしたし! めちゃ偶然!」
逆井が立ち上がり、あちら側に駆けていく。
ツギミー……あっ、空木美桜!?
赤星の方を見ると、無言で頷き返してきた。
……本物かよ。
ってか、このお祖母さん……。
――あっ、あのCDの!!
「うわぁぁ……梨愛ちゃんに颯ちゃん……昨日ぶり……」
空木はやはり逆井達と同様顔バレ対策なのか、軽く変装していた。
「どうも、その節はお世話になって……おかげで孫にサプライズ、成功できました」
俺たちはお祖母さんとその孫ということらしい、空木美桜と出くわしたのだった。
感想の返しは……すいません、また午後に時間をとりますので、その際に行おうと思います。
折角送ってくださった方々には申し訳ありませんが、もうしばらくお待ちください。




