165.え、これ、来るなってこと?
お待たせしました。
ではどうぞ。
「くぅ~ん、くぅ~ん!」
「…………」
――ヤバい。
わんこ型ラティアの攻めが、無茶苦茶に手強い。
昼食も兼ねた朝食をとり、ソファーに座って寛いでいた。
そこに、ラティアは容赦なく襲って――もとい、甘えてきたのだ。
俺の膝上に倒れかかって甘えた声で鳴いたり。
あるいは、時折スマホを手に取り『犬ですので……ご主人様の顔を舐めてもいいですか?』などと伝えてきたり。
勿論、舐めるのは流石にマズいと判断。
何がマズいかって?
……色々だよ、色々。
「あ~、ラティアの毛並みは最高だな~。いつまでも撫でたくなる」
何とかラティアの髪の毛を撫でてやることで事無きを得ている。
……本当だよ?
何もなかったんだよ?
「んっ、わっ、わふ~」
気持ち良さそうに声を上げるラティアに、グッとくるものを感じる。
……流石に気分が高揚します。
――って、いやいや!
大丈夫、誰か一人でも帰って来れば俺の勝ちだ。
そうはいってもルオはお泊りだから、事実上リヴィルとレイネに期待するしかない。
それでも、俺はこの戦いに勝って見せる!
……赤星と桜田に、一つメールでも送っておくか。
「くぅ~ん、くぅぅ……」
犬の物真似の延長線上なのか、頻りと鼻をスンスンと鳴らし。
かと思うと、頬を俺の太もも辺りに行ったり来たりさせる。
……え、構ってほしいって合図?
…………。
――ハッ!?
メールすら送らせないつもりか!?
くっ、俺が策を弄して、リヴィルとレイネを早く帰らせようとしてることに勘づいたか!
手強い、手強すぎる……!
今までがむしろ大人し過ぎたのだ。
引いて駄目なら押してみろのラティアはヤバい……。
――このままでは、食われる!!
「さ、さーて……ゆっくりテレビでも見ながら、のんびりとしようか」
ラティアの髪を優しく撫でながら。
俺はリモコンを手にとり、電源を入れる。
画面が点くと、情報番組を丁度やっていた。
俺とラティア以外の音が入るだけでも、ずっと気が楽になる。
内容があるかどうかは問題じゃない。
こうして何気なく過ごすことこそ、本当にその日をゆったりと送ることに繋がるのではなかろうか。
「んっ、わふっ……」
ラティアはテレビを点けたこと自体には抗議しなかった。
ただ、その交換条件だとばかりに、動き出す。
「…………」
起き上がると、体勢を変え、俺の膝の上にそのお尻を乗せた。
俺が腕をお腹に回さないと落ちてしまいそうになる。
拒むこともできずなし崩し的に、ラティアを後ろから抱きしめる形を許してしまった。
……くっ。
『……先日、参議院の本会議審議を経て、いわゆる“ダンジョン関連法改正法案”が可決されました』
番組ではダンジョン関連の特集が組まれていた。
今国会での目玉法案として注目されていた物だけに、力の入れ具合も凄い。
簡単な概略をVTRで流した後、画面はスタジオに戻った。
巨大なボードを前に、出演者たちが集まっている。
『中でも注目されているのが、“ダンジョン探索士”を支える役割を期待されます“ダンジョン探索士補助者”ですね』
アナウンサーが手元の進行表を読み上げながらも。
ボードのテープを剥がしていく。
「ああ、そっか……」
そう言えばそのこともあって、ルオは今回皇さんところに行ったんだ。
ルオも“ダンジョン探索士補助者”にならないか、皇さんに誘われていた。
どうすべきかはルオ自身の判断に任せると言ってあるので、今日その返答もあって皇さんのところに行ったのだろう。
「くぅ~ん、くぅ~ん」
「ん? どうした、ラティア?」
膝上でお尻を擦り付けながら、切ない声で鳴く。
……そう言う下半身の動きは出来れば控えて欲しいと思いながらも、態度には出さず。
ラティアが差し出したスマホ画面を覗く。
『その……背中を、撫でていただけませんか?』
「え゛っ」
驚きに、思わず変な声が出てしまう。
確かにペットの犬がいたら、その背中をも撫でるのだろう。
でも、ラティアの背中と言ったら……。
「…………」
今のラティアは、殆どはサキュバスの正装だ。
つまり、生地面積が圧倒的に小さいエナメル水着のようなもので。
俺の目からは、その背中は殆どが肌しか見えない。
……これを、撫でろ、と?
それはもう夏場の海辺で、女性の背中にサンオイルを塗るイベントに等しいハードルがあった。
『政府の説明では“既に一定の成果を出しているダンジョン探索士制度に、更なる勢いをつけ国民の安全・安心に質するべく、ダンジョン探索士補助者の資格を設ける”と……』
テレビからは、今もなお、主にダンジョン探索士補助者に焦点を当てた説明が流れている。
それは今この瞬間、俺に冷静さを取り戻すきっかけをくれた。
……そうだ。
変に意識しすぎるから、かえってドツボにはまるのだ。
ラティアは、今日は自分は犬だと、そういう風に言ったではないか。
なら犬にするように、普通に撫でてやればいい。
うん、意識する方がおかしいんだ。
「ほらっ……おっ、ラティア、やっぱり良い肌触りしてるな~どうだ、気持ちいいか?」
30㎝もない目の前の綺麗な白い背中に、手を当て。
そうして柔らかく滑らかな肌を、上から下へそっと撫でて行ったのだった。
「んっ……あっ……くっ、くぅぅん……」
…………。
ラティアさん、今一瞬犬の真似を忘れたでしょ。
色っぽい声、出てましたよ?
□◆□◆ □◆□◆ □◆□◆
『――続いてはエンタメ! シーク・ラヴの志木花織さん、皇律氷さんが、今度行われる初の握手会イベントを、宣伝しました!』
「おっ、志木と皇さんの二人か……」
皇さんについては、丁度さっき考えていたこともあり。
意識を先程よりも集中させ、画面を見ることにした。
「くぅぅん……わふぅぅ」
その際、ラティアへのケアも忘れない。
ラティアの攻勢も少し落ち着き、今は俺の膝枕に頭を預け、リラックスしている。
……モゾモゾ動いて股間の方に頭を寄せようとするのは意図的なのかね。
それとも無意識的な、本能のなすことなのだろうか……。
『あはは。いえ、初めてですよ。律氷もそうですが、ずっと女学院ですので』
その番組が記者会見の後、独自に時間を取ってもらうことに成功したらしい。
形式的に探索士補助者の件を聴いた後。
志木と皇さんに、今度の握手会のことを尋ねていた。
『皇さんはどうでしょう? やっぱり緊張したりします?』
『はい。御姉様がおっしゃったように、殿方と、それも多くの方と触れ合う機会というのは、ありませんでしたから……とても』
収録済みの皇さんは緊張気味に、でもちゃんと言葉を選びながら答えていると言った感じだった。
『志木さんは? 率直に、どうでしょうか?』
『男性と長い時間、握手をするなんて……どうしましょう、恥ずかしい、今からドキドキしてしまいます』
「…………」
「…………」
……え、誰これ。
おおう、流石のラティアも、これには堪らず素の表情に戻ってるな。
黒かおりんを知る者にとっては、白かおりんはそれだけ強烈だということだろう。
『ファンクラブに入っている人は、別途午前の部で、先に並べると聞いてます』
そう言って質問者は実際にファンクラブ会員カードを取り出そうとする。
なるほど……。
単独でインタビューさせてもらう代わりに。
ちゃんと、握手会に関する広報のことも協力しますよ、ということだろう。
『まあ! 嬉しい! 実際にこの目で会員になって下さった方を見ることが出来るなんて!』
まあ、俺は強引にその一人にされてるけどな……。
なのにそれで何かが変わったわけでもなく。
俺はむしろ、そもそもファンの枠にカウントすらされてないってことか。
泣けてくるぜ……。
画面右下に、実際のカードが映し出される。
スタッフの個人情報はちゃんとマスキングされているが、正真正銘、本物のようだ。
…………って、あれ?
うわっ、やっぱり!
そのカードには、探索士の制服姿をした志木が映っている。
いい笑顔、純度100%の白かおりん。
ちょっとえっちぃ恰好をしたり、恥じらいを含んだ顔をした黒かおりんなんていなくて……。
『これらのカードを、当日係りの人に見せていただくと、午前の部に参加できることになります。お忘れなきよう、お願いしますね?』
皇さんがあえて告知っぽさを演じて告げる。
それでインタビューの場に笑いが起こっていた。
インタビューはその後も和やかに進行して、次の話に移る。
だが俺はある意味、心穏やかではいられなかった。
「これ……俺、握手会、来んなってことかね……」
だって、行くとして、あんな恰好をした彼女らのカードを、係員に見せる訳だろ?
とすると、絶対“うわっ、コイツ、こんな破廉恥なカードもってやがる! もしかして偽造したんじゃね? キモッ!”とか思われることに。
そして最悪の場合は警備員さんに連行され……。
これは、暗に俺にだけはその午前の部に来るなってことの意思表示、なんだろうか……。
「当日、今日みたいに家でゆっくりしてようか、なぁ、ラティア……」
沈んだ気分になったのもあり。
俺は、そんな地雷になり得る言葉を、それと気づかずに口にしていた。
「…………くぅぅん」
とても色気を含んだ鳴き声が、何故かラティアから上がっていたが。
それも殆ど意識することなく流れてしまったのだった……。
食わず嫌いがあるという人に、それを食べさせるためにはどうすればいいか。
とりあえず、それと分からないよう別の料理に少量でもいいので組み込んで先ずは食べてもらう。
それで食べたという事実を積み重ねてもらい、種明かしをして、心理的ハードルを低くするんだとか。
――え? 何の話かって?
……ラティアが最近見た番組の概要。




