政略結婚のお相手は、黒い噂の絶えない悪役王子【短編版】
「グレン王子が帰ってきたぞ!」
王国は、20年前に姿を消したはずの王子が立派な青年となって国に帰還したことに沸いていた。
「グレン殿下、なつかしいねぇ。若いころ王宮に務めていた時にあったことがあるよ。生きていてよかったねぇ」
「それはそれは可愛らしくて聡明な王子だったとか」
「でもなんで今さらになって帰ってきたんだい?」
城下町は王子の噂でもちきりだ。買い物帰りの主婦たちが井戸端会議に花を咲かせている。
「あんたたち、なにいってんのさ、知らないのかい?」
訳知り顔の女が、声をひそめて言った。
隣国に亡命したグレンは身分を隠し、若くして王族付きの騎士団長になったが、部下に裏切られてその地位を失い、追い出される形で国に戻ることになったと――
無表情に剣を振るうその姿はまるで悪魔の化身。自分の邪魔をするものは処刑し、拷問し、騎士団長まで成り上がったのだと――
グレンは、自分のお眼鏡にかなう婚約者を探しており、どこぞの可哀そうな令嬢が犠牲になるらしいと――
「ああ、恐ろしい!気に食わなかったらその令嬢のことも処刑してしまうんじゃないかい」
「指名されても逆らえないってわけかい。とんだ冷血騎士だね」
冷血騎士、グレン。
誰が言い出したのか、その話は尾ひれがつきながらたちまち国中に広がり、人々はグレンの恐ろしさと可哀そうな花嫁についての噂話に花を咲かせるのであった。
「ミア、あなたの婚約者が決まったわ!!」
母親はそのビックニュースを娘に知らせようと、娘の部屋に駆け込んだ。自室で本を読んでいたミア=フローレンスは勢いよく開いたドアと母親の大声に驚き、顔をあげた。
「すごい方よ、とんでもないくらい大物で、ああどうしよう、なんでミアを選んだのか―――」
「お母さま、ちょっと落ち着いて……ほら、一回座ってお水を飲んだら?」
興奮で呂律の回っていない母親をミアは苦笑しながらなだめた。水を差しだすと、母親は息も絶え絶えにそれを飲み干した。玄関からここまで走ってきたのか、肩で息をしている。ミアはその背中をさすってやった。
「どう、落ちついた?」
「ごめんなさい、私ったら……長年の悲願が実ったと思うとつい、嬉しくって」
母親は涙をうかべてミアの手を握った。
ああ、ついにこの日がきてしまったか――とミアは翡翠色の瞳を細めて苦笑した。
ミアはフローレンス家の令嬢である。
昔は三大貴族の一角として栄華を極めたフローレンス家も、今や没落の一途を辿っていた。お家復興に燃える母親にとって、ミアをどれだけ身分が高くて有力な貴族に嫁がせるかが最優先事項であり、長年の悲願でもあった。娘の婚約者を探して数年、貴族同士の交流会に出かけていっては今日もハズレだと悔しがる母親を見てきたが、ついにお目にかなう相手との縁談をこぎつけたようだった。
政略結婚には、ミアも納得している。
貴族の娘は誰もが当然にやっていることだし、自分にはその義務があると思っているからだ。フローレンス家の財政は火の車で、これからも変わらずメイドや庭師たちの月給を払ってやるためには少しでも有力な貴族と婚姻を結ぶべきである。
――本当は、物語の主人公のように焦がれるような恋愛をしてみたいという思いもあったのだが。
それが難しいという事実にはとうの昔に気持ちの折り合いをつけているので、少しずつでも好きになれるような優しい人が相手であれば十分だ。
「それで、お母さま。私の旦那様になる人は誰なの?」
母親はいままでの興奮が嘘のように押し黙り、神妙な顔をしてミアの翡翠色の瞳を見つめた。その迫力に、ミアも思わずごくりと唾をのんだ。
たっぷりとした沈黙のあと、母親は告げた。
「グレン王子。グレン=フォン=エイブラムス王子よ」
「……へ?」
あまりに予想外の名前に、ミアは持っていた水差しを落としてしまった。ガシャン、と大きな音をたてて水差しが割れ、絨毯はたちまちびしょぬれになった。
しかし、それには目もくれずにミアは母親の肩をつかんだ。
「聞き間違えでなければ、今グレン王子と言った?まさか冗談よね」
「まあ、冗談なんかじゃありません。この間隣国から帰還されたと噂の元騎士団長、グレン王子よ。」
そのへんの貴族なんて目じゃないわ。グレン王子と結婚すれば王族の仲間入りよ、と母親はうっとりしたようにつぶやく。
「待って。私、婚約者を探してくれるお母さまには感謝しているし、家のためなら相手はハゲてたって太ってたって構わないといったわ。でも、私を大事にしてくれるような心優しい人にするって約束したわよね」
「大丈夫。グレン王子は絶世の美男子らしいわ。私も会ったことがないから詳しくは知らないけれど、きっとミアも気に入るわよ」
だめだ、話が通じない。
ミアは眩暈がして頭を押さえた。
グレン王子の噂ならミアも知っていた。恐ろしい冷血騎士が花嫁を探していると。
年頃の貴族の娘たちは戦々恐々としていたが、相手は仮にも王子なのだから、大層身分の高くて美しい令嬢が相手に選ばれるのだろうと他人事のように思っていた。
それがまさか、平凡な没落貴族の自分に白羽の矢が立つとは思ってもみなかったのである。
「とにかく、もう決まったことだから。週末に王宮に行って顔合わせをするから、急いで新しいドレスを注文しなくっちゃ。そうそう、このことはまだ誰にも秘密にしてね、相手が相手なんだから」
「ちょっと待ってよ、まだ話はっ……」
あっけにとられているミアを置いて、母親は小走りで部屋を出て行った。
目もくれられなかった割れた水差しが、足元で不満そうにカチャリと音を立てた。
あれやこれやと準備をしているうちに、あっという間に週末になりその時は訪れた。
ミアは王宮に来るのは初めてではない。小さい頃に何度か両親に連れられて足を踏み入れたことがあったが、最近は特に用事もなく来ることもなかった。改めて見てみると、フローレンス家の屋敷とは比べ物にならないくらい豪華で美しい造りをしている。あちらこちらに飾られた彫刻の数々や、手入れの行き届いた庭を見ていると思わずため息が漏れた。
侍女に案内されるがまま、迷路のように広く長い廊下を抜けて控室に通された。母親はぴったりと付いてきて、ミアの前髪の角度や化粧の具合をひっきりなしに気にしている。
「ミア、頑張ってちょうだいね。今回の顔合わせで失敗したら、婚約の話だってどうなるかわからないんだから」
「はいはい、わかってるわ。だけど今さらどうにもならないんだから、今日は私なりに頑張るだけよ」
ミアはにっこりと笑って、婚約する当人よりよほど張り切っている様子の母親をなだめた。
「ちょっと外の空気を吸ってきて良いかしら。少し一人になれば、緊張もほぐれるかも」
「ええ……そうね。まだ少し時間もあることだし、行ってくるといいわ」
母親の許しを得たところで、ミアは部屋の外に出た。
ああ、やっとこの息の詰まる空間から脱出できる。
グレン王子との衝撃の婚約発表から数日が経ち、今回の話に至った経緯も少しだけ詳しく知ることができた。
どうやら冷血騎士ことグレン王子は、何もミアだけに白羽の矢を立てたわけではないようだった。すでに何人かの令嬢に婚約の打診をして、顔合わせをしてはお眼鏡に適わずその場で婚約破棄しているらしい。
つまり、ミアもただ婚約者候補の一人として選ばれたにすぎず、本当に結婚するかどうかはまだ決まった訳ではないのだった。
――グレン=フォン=エイブラムス。なんて失礼な男なのかしら。
そう思う半面、ミアはどこか安心していた。数々の美しい令嬢が切り捨てられてきたのだから、自分だって例外ではないだろう。母親には悪いが、自分のような平凡な女が冷血騎士に選ばれるはずがないのだから。
グレンがどんなに恐ろしい男だろうと、今日は無難にふるまって彼の機嫌さえ損ねなければ良いのだ。
そんなことを考えながらあてもなく歩いていると、宮殿の隅にある中庭に出た。
「あ……ここ、懐かしい」
小さい頃、両親に連れられて王宮に来たは良いものの、大人たちはおしゃべりをしてばかりで自分にかまってくれないのが退屈で、この中庭で一人で遊んだのだ。美しく咲く花も、木漏れ日のベンチも時が止まったみたいに昔のままだ。宮殿の中でも奥まった場所にあるこの中庭にはほとんど人が来ることはない。
鼻歌を歌いながら静かな庭園に足を踏み入れて、子供の頃のように木の下でくるくる回ってみる。ドレスのすそがはためいて、栗色の長い髪が舞った。
ミアはこの小さな中庭の主になったような感じがして、気分が良くなる。
気が済んだところで、庭にあのまんなかにある白いベンチに座った。
「なんだ、もういいのか」
背後から、低い男の声。
人がいるとは思っていなかったミアは、座ったままで飛び上がった。
人に見られていた。一体いつからだろう。
血が顔にあつまって、顔が赤くなっていくのを感じる。
「あのっ……これは、ですね」
ミアはぎこちない動きで振り向くと、アイスブルーの瞳と目が合った。
そこにいたのは、美しい青年だった。
吸い込まれそうな青い目と、絹のように艶やかな黒髪。長身で細身だが、しなやかでしっかりと筋肉のついた体躯。前髪を少し伸ばして隠しているが、右目には革の眼帯を付けている。その少々の不吉さが輪をかけて男を特別な存在に見せていた。
――きれいな人。でもなんて、静かで悲しい目をしているんだろう。
ミアは弁明することも忘れて、彼の目を見つめた。静かな湖面のような瞳から、目が離せない。
「おい、どうかしたか」
怪訝そうに声をかけられてはっとする。
しばらくの間止まっていたミアの思考が、やっと動き出す。
「あの、ずっとここにいらしたんですか?」
「ああ。ずっとそこにいた」
男は無表情に木陰のベンチを指さした。ミアのところからは影になって見えなかったようである。
「楽しそうに鼻歌を歌っていると思ったら、急に回転しはじめたから心配になったが、大丈夫そうだな」
ミアは耳まで顔を赤くして、最大限に体を小さくする。
「ごめんなさい……」
「べつに、好きに続ければいい。ここは俺のものという訳でもないからな」
男は目を細めて笑った。
どきん、とミアの心臓が大きく脈打つ。
「私、用事があって今日ここへ来ていたんです。だけどなんだか居場所がなくて、息苦しくて。このお庭を見たら緊張が緩んで、つい」
ミアは言い訳するみたいに、早口でまくし立てた。
だが、これからグレン王子とお見合いするのだとは口が裂けても言えない。
「そうか。なら俺と同じだ」
「え?」
「俺も居場所がなくて、逃げていた」
男は形のいい眉を少し下げて、ポツリとつぶやいた。
何気ない一言だったが、彼の抱える孤独を感じてミアは胸が苦しくなった。きっと、自分には到底わからない大変な苦労をしてきたのだろうと直観的に感じた。
「意外とだれもが、同じように思っているのかもしれないな」
「えっ……はあ、そうですね」
男が冗談めかしてそう言ったので、それ以上追及することはできなかった。
「隣に座ってもいいか」
「ええ、どうぞ」
ミアは腰を浮かして、男が隣に座れるスペースを作った。
しばらく黙っていた2人だったが、どちらからともなく、ぽつり、ぽつりと他愛ない世間話をした。
天気のことや、この庭のこと。意気投合したり、盛り上がった訳でもなかったが、ゆっくりとして穏やかな時間が過ぎた。
「そういえば、用事があると言っていたが、時間は大丈夫なのか」
「……あっ!」
ミアの顔から血の気が引いていく。中庭へ来てから、どのくらいの時間が経っただろう。人生で一番遅刻をしてはいけない場面で、時間を気にせず話し込んでしまうとは。
「すみません、私、行きますね」
「ああ、気を付けて」
ミアはドレスのすそを引っかけないように細心の注意を払いながら、全力でもと来た道を駆け出した。
――心臓が早鐘を打っているのは走っているせいであって、断じてあの青年のせいなどではない。
――緊張しているに違いない。これから冷酷騎士とお見合いをするのだから当然だ。
そう自分に言い聞かせて、不自然なくらいに高鳴る胸を抑えた。
そそくさと去っていた令嬢を黙って見送った後、眼帯の青年は歩き出した。
男は、久しぶりに何の邪心も駆け引きもなく普通に人と話せたことに驚いていた。
彼がこの国で冷血騎士と呼ばれるようになってからは、ほとんどの人々は恐れて目も合わせようとしない。
それだけならばまだ良かったのだが、仮にも王子という身分を利用してやろうと不自然に媚びる輩が次々とやってくることには寒気を感じていた。
そんな環境には辟易していたが、特別に傷ついた訳でもなかった。
彼が騎士団長になるために様々な手段を用いて障害を排除してきたことは事実だったし、恐れられたりすることにも慣れていたからだ。
それでも彼は彼なりに、自分の信じる正義のために戦ってきたつもりだった。
1を殺して10を救う、それが彼のやり方であった。
――その末路が、部下に裏切られて強制送還。政略結婚させられて政治の道具とは。
お似合いだ、と彼は自嘲的に笑った。
婚約者探しは、彼が自分で望んだことではなかった。また適当な理由をつけて断ればいいのだが、父親(つまり現国王だが)は、何人断ろうが次の縁談を見つけてくるだろう。
はあ、と男はため息をついて頭を掻いた。
先ほどの令嬢の名前を聞いておくべきだったかもしれないと思う。
白いドレスで木漏れ日の庭で舞う彼女を見たとき、天使みたいだと思った。
彼女は照れ臭そうに笑って、まっすぐな目で自分を見た。
――あなたの悲しみが、私にはわかる。
翡翠の瞳はそう言っているように見えた。
その時確かに、救われた気持ちがしたから。
しかし、今はそのことは忘れなければならない。
今からどこの誰とも知らぬ女と見合いをするのだから。
そう、彼こそ冷酷騎士と言われたグレン=フォン=エイブラムスその人である。
二人の運命が再び交わるまで、あと10分。
読んでいただきありがとうございました。
主人公にだけ優しい不良みたいなキャラが好きです。
《追記》
※連載版の投稿をはじめました。続きは連載版へどうぞ。