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第7話 会話

 その夜、俺は夕食の後、いつもの野球中継も見ないで2階に上がりパソコンの前に座って、今日購入したばかりのiPodに音楽を入れるべく、説明書を睨んでいた。

 どうにか曲をダウンロードするサイトにアクセスしたは良いのだが、それから先が一向に分からず、何度も同じ操作をしては、やり直していた。

 20分ほどモニターを睨みながら、マウスを操作していたが、何度やっても同じ事の繰り返しに嫌気がさし、俺は半ば諦めかけて椅子の背もたれに寄りかかってため息をついた。会社では、エクセルだのロータスだのを操作するのにも、若い奴から手取り足取り教えて貰いながら使えるようになった俺だ。ある程度使えるようになったので、自力でもいけるだろうと考えたが、やはり甘かったようだ。仕方がない、明日、車の誰かに聞いてみようなどと考えていると、部屋の半開きになっていたドアの向こうに、下の階に下りていく娘の姿が目に入った。

「おい、青海」

 俺の呼びかけに気付かなかったのか、はたまた無視されたのか、娘の足音はドアから遠ざかっていった。「ふうっ」と俺は短くため息をつき、またパソコンの方に向き直ると、パタパタと廊下をスリッパで歩く音が近づいてきた。どうやら引き返してきたようだ。程なくして、ドアの向こうから娘が顔を出した。

「呼んだ?」

 俺が声を掛けたのが意外だったのか、娘はきょとんとした顔で俺にそう聞いた。

「ああ、ちょっと教えてくれないか?」

 そう言って俺は今日買ってきたiPodを娘に向けた。

「あっ、お父さん買ったの? iPod」

「ああ、聴きたい曲があってな。通勤中の暇つぶしになるかと思って買った」

 少し、娘に後ろめたさを感じた。いや、聴きたい曲があるのは嘘じゃない。買った経緯をわざわざ言わなくても良いだろう。俺は自分への言い訳のようにそう答えた。

「ふ〜ん」

 そう言いながら娘は近づいてきた。長袖Tシャツに膝長のジャージといったラフな格好だった。風呂から上がって間もないせいか、ショートカットの髪から、ほんのりとシャンプーの香りがする。

「サイトにアクセスしたは良いのだが、そこから先がさっぱり分からないんだ」

 娘は「お父さん、ちょっとどいて」と良いながら椅子に座り、マウスを動かしながら聞いた。

「決済はクレジットカード? それともアイチューンズカード?」

「えっとな……帰りにコンビニで……あった、これだ。これで頼む」

 俺は鞄からプリペイドカードを取り出して娘に渡した。クレジットカードでも良かったのだが、まずは試しにと思い、帰りがけにコンビニで買ってきたのだった。

 娘はカードを受け取ると、そこに記されたコード番号を打ち込んでいく。慣れた感じでとてもスムーズに画面が切り替わり、着々と進行していく。俺が20分ほど掛けていた作業を、娘は僅か2分ほどで終わらせてしまった。その間も「このパソコン遅すぎ」とか文句を言いながら、何度かマウスを振っていた。

「これでOK。それで、なんて曲入れるの?」

「えっとな、コブクロって歌手の歌なんだが、分かるか?」

「えっ? お父さん、コブクロなんか聞くの?」

 娘が驚いて聞いてきた。振り返り、俺の顔をまじまじと見る。俺がコブクロ聞いたらそんなに驚きなのか?

「なんだよ。そんなに変か?」

「変じゃないけど、ちょっと意外って感じ。へぇ〜コブクロかぁ」

 そう言って娘はまたモニターに向き直り、パソコンを操作する。

「蕾って曲が良いんだが、他にも何曲か良いのが有ったら聞いてみたいんだ。なんか適当に入ってるアルバムみたいのは有るのか?」

 CDじゃないからアルバムと言うのか分からなかったが、俺はそう娘に頼んだ。

「ちょっと待って。確かベストが出てたと思うんだけど」

 スクロールする画面にずらり並んだ文字から、娘は一つ選んでクリックした。

「これは? 割と最近出たベストみたい。視聴してみる?」

「視聴なんかも出来るのか」

 程なくして、パソコンから電車の中で、彼女と聞いているあのフレーズが流れてきた。「おお、この歌、良い歌だな」

 俺はそう言いながら、流れてくる曲に合わせて鼻歌を歌った。娘もそれに合わせて、小さな声で口ずさんでいた。さびの部分が終わった後、娘と目が合い、娘が笑い、俺もまた笑ってしまった。

「お父さん、ホントに好きなんだね、コブクロ。あたしも割と好きだな」

 娘はそう言って、またパソコンを操作する。

「お前も、低い声の方にメロっちゃうクチか?」

「あははっ、何それっ、お父さんから『メロっちゃう』なんて聞いたら、なんか鳥肌立っちゃうよ」

 そう言いながら笑う娘の顔を見ながら、俺はミッキーの言っていた言葉を思い出していた。

『ハルちゃんって呼んでみたら?』

 やはり、俺には出来そうになかった。しかし、そう呼ばなくても、そう呼べなくても、少しだけ、娘との距離が近くなった気がした。

 大丈夫だよ、ミッキー。俺たち親子は。ちゃんと会話しているだろう?

 だが、そう思わせてくれるきっかけを作ってくれたのは、他でもない、ミッキーなのだと俺は思った。ありがとう、ミッキー。

 曲のダウンロードが終わり、続けてiPodに曲を入れる作業の時も、俺と娘はコブクロの話題で話を続けた。こんなたわいもない話題で、娘と話をするのは久しぶりだった。コブクロ以外でも、「この人達のこの歌が良い」とか「この歌の歌詞が良い」とかで、娘は色々俺に教えてくれた。俺はほとんど分からなかったが、熱心に、また楽しそうに話す娘の姿を見ているウチに、何だかとても楽しくなっていた。それは電車内でミッキーと話す時とはまた違った楽しさだった。

 それと、ダウンロードの仕方も色々と教えてくれたのだが、いっぺんに憶えられる訳もなく、また近いウチにレクチャーしてくれるという約束をした。

 一通り作業が終わり、娘が部屋を出ようと立ち上がった。

「ありがとう。助かったよ。俺じゃ夜が明けちゃうところだった」

 俺がそう言うと娘は「うん」と照れながら頷いてドアに手を掛けた。

「iPod、良い色選んだね」

「そうか? 少し若すぎた気もするんだが」

「ちょっとね。でも、なんかお父さんぽいかも。似合ってるよ」

 ミッキーと同じような言葉を残して、娘は部屋を出ていった。

 俺っぽいか―――

 iPodを手に、少しぼうっとしながら、椅子に座り、俺はミッキーのことを考えていた。彼女と出会って、この1ヶ月あまりの間、俺は色々な体験をした。俺の心の中で、彼女の存在が徐々に輝きを増していき、不安と期待の入り交じった得も言われぬ感情がわいてきている。本末転倒も甚だしいことだが、いつしか俺は、仕事に行くためにあの電車に乗るのではなく、彼女に会うために乗っている気がする。彼女に会い、話しをするに従い沸き上がる勝手な妄想と、馬鹿げた期待に、いつしか俺は酔っていた。

 そんな自分の感情を、簡単に表す言葉を俺は知っている。しかし、それを素直に認め、言葉にするには、俺は年齢的にも、立場的にも出来ない事である。そして何より俺自身、それを認めたくは無かったのだ。

 いずれ、彼女は俺の前から居なくなる。それは分かってる。今まで通り、彼女と電車で話し、時には今日みたいに町を歩いたりして、そんな微妙な関係を続けていくウチに、彼女が目の前から居なくなった時、俺はどんなことを思うのだろうか?

 年甲斐もなく、臆病になっている自分に、笑ってやりたい気分だった。

 そんなことは最初から分かっていたことだろう。身の程知らずという物だ。そうなったらまた1月前の自分に戻るだけだ。そう自分に言い聞かせた。だから、もう少しだけ、この状況を続けよう。彼女が、俺の前から居なくなるその日まで、『俊介とミッキー』でいよう。

 俺はiPodを鞄に仕舞い、椅子に引っかけてあった上着に袖を通しつつ、パソコンを閉じて明かりを消し、部屋を出て玄関に向かった。

 俺は毎日、夜自宅の周りを散歩するのを日課にしている。去年まで犬を飼っていて、犬と一緒に散歩していたのだが、年末に老死して仕舞い、今では俺一人で散歩している。元々犬のために始めた夜の散歩だが、犬が居なくなった今でも、長年の習慣のせいか、一人でも散歩に出かけている。散歩に出かけないとよく眠れなくなってしまった。

「じゃあ、ちょっと行ってくるぞ」

 玄関から家内に声を掛けて、俺は玄関を出て夜の散歩に出かけた。夜はまだまだ肌寒く、俺は着ていた上着のジッパーを首元まで上げ、歩き始めた。

 後は、風呂に入って寝るだけだ。明日、娘との会話を彼女に話そう。彼女はなんと言うだろうか。彼女の言葉を想像しつつ、俺は夜空を眺めながら歩いていった。

 早く明日にならないだろうか―――



 何にでも終わりはある。

 必ず最後はやってくるものだ。

 出会いが唐突なら

 別れもまた、突然だと相場は決まっている。

 だが、それは俺にとって

 あまりにも突然で

 そして

 あまりにも残酷な形でやってきたのである。



どうも、鋏屋でございます。

初めて読んでくださった方、ありがとうございます。

毎度読んでくださる方、大変感謝しております。

第7話更新です。

ミッキーとの奇妙な関係が切っ掛けで娘との距離が少しだけ近づいた俊介です。少し娘が素直すぎたかなぁ…… もう少しすれていても良かったかもしれませんね。

さて次回から物語の展開が変わります。今回の最後でも判るとおり、ミッキーが俊介の前から居なくなってしまいます。その辺りの俊介の葛藤なんかが上手く伝わると良いのですが……

鋏屋でした。

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