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第5話 サボタージュ

 彼女と出会い、電車の中で話をするようになって、もうすぐ1月が過ぎようとしていた。 今まで、終始、ただ電車の規則正しい振動に揺られながら新聞を読むだけの、単調な俺の通勤時間を、彼女はその持ち前の明るさと、一種の痛快さをも憶える話し口調で、とても新鮮で楽しい時間に変えてくれた。

 会社に着いたところで、通勤電車の中以上に単調な業務だった。

 俺の会社での仕事は、社内の他部署から上がってくる顧客クレームや、社内システムの評価などを、ただひたすら収集しデータ化していく、限りなく単調な仕事だ。何を生み出すこともなく、何かを決める訳でもなく、ただただ、集めたデータの積み上げと整理するだけの、出世とは縁のない完全な非生産部署である。

 そんな単調な毎日の中で、この1月あまりの、車内での彼女と過ごす一時は、俺に活力のような物を与えてくれていたのである。朝の40分足らずの限られた時間の中だったが、彼女と話すことで、俺は何か、彼女から溢れるエナジーの様な物を分けて貰うような、そんな感覚を味わっていたのだった。

 この頃俺は、自分の中に、ある感情が芽生えつつあることを、おぼろげながら自覚していた。それは、もう記憶が霞む位昔に、確かに経験したことのある、息苦しくなるような、もどかしくなるような、ある感情に酷似していた。 

 だが、それを素直に認めるには、彼女は若すぎて、俺もまた歳を取りすぎていた。

 何事にも、必ず終わりがある。いずれ、この通勤電車内の奇妙な関係にも、終止符が打たれるだろう。それは分かっている。

 いつまで続くのだろうか。

 いつ彼女は、俺の前から居なくなるのだろうか。

 願わくば、それが少しでも先であることを思いながら、俺はまた、いつもの電車の、いつもの席に座り、彼女が乗り込んでくるの待っていた。



 その日、いつものように乗り込んできた彼女は、いつになく、少し元気がないように見えた。いつも抱えているテニスのラケットケースも持っておらず、鞄だけを持ち、耳から伸びるピンクのイヤホンコードを揺らしながら、俺の隣に座りため息をついた。

「どうしたんだ?朝からため息なんかついて」

 そう言う俺に、彼女はイヤホンを耳から外しながら、もう一度ため息をついて俺に言った。

「来月の大会のね、レギュラーから漏れたの。まぁ、分かってたんだけどね。代わりに後輩が出ることになってさ、ちょっと落ち込んでる訳よ」

「えっ? 分かってたって……だってミッキー、中学のジュニアチャンピオンだろ? 去年も全国ベスト8って言ってたよな。そんな選手を外すか?普通」

 俺は彼女の部活の事は、よく彼女から聞いていた。小学校から、お父さんの影響でテニスを始めて、今までかなり優秀な成績を収めていたと聞いた。部活も3年になってキャプテンに推薦されたが辞退したと言っていた。そこまで実力のある選手をレギュラーから外すなんて、にわかに信じられない気がした。

「ちょっとね、年末から年始に掛けて、体壊して入院した事があったのよ。その後も、どうも上手い具合に調子が出なくてさ、他校との練習試合でも良いとこ無しだったし。ダブルスでもミスが多くて、逆にペアの足引っ張っちゃったし」

 そう言った後、彼女は「がっくりダヨ」と呟きながら、少々オーバーにコクンと頭を下げた。口調や素振りはそれほど落ち込んでるようには見えないが、いつもの彼女とは、やはり何処か違うように見えた。

「一応、朝練には顔を出そうと思って、いつもと同じ時間に出たんだけどさ、バス乗ってから、ラケット忘れたことに気付いちゃった。あはは、お間抜けだね、あたしってば」

 そう言って彼女は笑った。俺は少しでも気の利いた言葉を探すが、口に出たのは月並みの言葉だった。

「元気出せよ。秋にもあるんだろう?公式戦。その時までがんばって練習して、またレギュラー獲れば良いだろう。今がたまたま悪いだけさ。そんな時もある」

 もう少しマシな事が言えないものだろうか。

 俺は自分の引き出しの少なさに、嫌気がさしながらも、なんとか励まそうと必至に言葉を繋ぎながら彼女に言った。

「秋かぁ……そうだね。がんばんなきゃね、あたし」

 そう言って彼女は俺の方を向いて、薄く笑った。その表情は、やはり何処か寂しく、悔しそうに見えた。

「ありがとう、俊介。あたし、もっかいがんばれそうな気がしてきたよ」

 その言葉に、俺は照れて、またいつものように鼻の頭を人差し指でこする。そんな俺を見つめて微笑む彼女の目が、とても優しげで印象的だった。

 しばらく、俺たち2人は、無言で電車に揺られていた。明らかに口数の少ない彼女は、車窓の外に流れる風景に目をやり、さっきの部活の話しに気を遣いつつ、俺はそんな彼女の横顔をチラチラ見ていた。

 次の停車駅が近づいたことを告げるアナウンスが流れ、不意に彼女が話しかけてきた。「ねえ俊介、降りない?」

「えっ?」

 俺は言葉の意味が分からず、聞き返した。

「次の駅で降りるの。2人でサボっちゃうの。あたしは学校。俊介は会社。そんでもって、今日デートすんの。どう?」

 どう?って聞かれても……

 俺はとっさに言葉が出なかった。いきなり何を言い出すのだ。

「いや、それは……それに、ミッキーさっきがんばるって言っただろ? 朝練どうするんだ?」

「がんばるよ。でもほら、今日ラケット忘れて練習になんないし。授業だって、試験まだ先だし、今なら充分取り戻せるもん。あたし成績もそこそこ優秀なのよ」

 いや、そういう問題じゃなくて。

 会社無断欠勤して、制服姿の女子高生とデートしてました、なんて社の誰かに知れたら、会社での立場もさることながら、どんな目で見られるか、想像したくもない。

 いやいや、それ以前に、俺のような中年男が、電車内で隣で話すぐらいならともかく、朝っぱらから女子高生と並んで町を歩いたら、絶対怪しまれるに決まっている。下手をすれば、警察に職務質問されるかも知れない。

 そのことを話すと、彼女はいとも簡単に笑い飛ばした。

「あはは、俊介って意外と度胸無いのね。警察? あたしが親子ですって言えば大丈夫よ。俊介は堂々としてれば問題なし。深く追求なんてしてこないって」

「しかし、会社もあるしなぁ」

「俊介、10年以上も真面目に休まず働いてきたんでしょう?有給なんて使ったこと無いって、この前言ってたじゃない。1日ぐらい休んだってクビになんかなんないよ、きっと」

 確かに、彼女の言う通り、俺の部署には部下が3人居て、長の俺が欠勤したところで、業務に影響があるとは思えない。だが、そうは言っても、休む理由が理由だけに、簡単にOKを出すのには、大いに抵抗がある。

 そんなやりとりをしているうちに、電車は駅に止まり、ドアが開いた。そこは彼女がいつも降りるはずの駅から、2つほど手前の駅だった。

「行こう、俊介」

 そう言って彼女は俺の膝を軽く叩き、立ち上がった。そして、俺の「ちょっと待て」の言葉を背に、乗り込んでくる乗客をスルリと交わし、ドアの外に出ていってしまった。俺は慌てて膝の上の鞄を掴むと、彼女の後を追った。俺は閉まりかけるドアに、左肩をぶつけながらも、何とかドアの外のホームに滑り出た。

 痛む肩をさすりながら、そんな俺に見向きもせず発車を促した車掌と駅員を睨んでやろうと、電車の後方に目をやるが、車掌は電車が走り出したことを確認すると、すぐに車内に首を引っ込めてしまった。駅員の方は、まるで俺など眼中に無いらしく、指さし確認を終えて、過ぎゆく電車を見送っているところだった。

 まったく、人身事故でも起こったらどうするつもりなんだ。

 そう心の中で毒づき、俺は鞄を持ち直し、彼女の方を向いた。

 彼女は、そんな俺を振り向きもせず、歩き出した。

 俺は慌てて彼女に声を掛けた。

「なぁ、ちょっと待ってくれよ」

 俺のその声に反応して、彼女が振り返った。その表情は、少し意外そうに、驚いているようだった。どうやら、俺が降りたのに気付いてなかったようだ。

「俊介……やだ、ホントに降りたの?」

「おいおい、そりゃないだろう」

 彼女のその言葉に、思わずガックリきてそう答えた。なんだよ、俺が降りると思わなかったのか?

「だって、会社はどうすんの?」

 今更自分でそれを聞くのか。やっぱり俺には、まだまだ彼女を理解できないらしい。俺はため息をつきながらこう返す。

「ミッキーの言う通り、確かに1日くらい休んだって、どうって事ないよ。今のところ、さして重要な業務も無いし。後で電話入れとくさ」

 そう言いながら、彼女に笑いかけた。そんな俺を、彼女は無言で見つめていた。

 その時の彼女の表情を、なんと表現すればよいのだろう。

 それも、一瞬のことで、彼女はすぐにクルリと背を向け、こう言った。

「よ〜し、何処に連れてってもらおっかな〜」

 その声は、いつもの、あの少し鼻に掛かった明るい声だった。俺はその変わり身の早さに、呆れながらも苦笑しつつ、彼女の元気な後ろ姿に安心した。

 俺は少し早足で彼女に追いつくと、肩を並べてホームを歩き出した。

 不意に彼女は、俺にチラリと視線を移しながら、少し笑ってこう言った。

「2人でサボって秘密のデート。なんか、駆け落ちっぽくない?」

 俺はその言葉に、少しうろたえてしまった。

 やめてくれよ、後ろめたさが余計に増幅されるじゃないか。なあ、意味分かって使ってるのか、その言葉。

 そう心の中でツッコミながら、俺はどことなく居心地の悪い彼女の隣を、ぎこちない足取りで、歩幅を合わせつつ改札に向かって歩いた。

 そんな俺を見ながら、彼女は時折「あははっ」と声をだして笑っていた。


 中年男と女子高生の秘密のデート。


 何となく、いかがわしいビデオのタイトルの様だ。

 まるで周囲の人間が、全員俺を見ているような気がする。

 親子だと、堂々としていれば問題ない、と彼女は言っていた。そんなものなのだろうか。

 どうひいき目に見ても、親子。

 そこに、一抹の寂しさを感じて、俺はまた苦笑する。

 いったい、どう見られたら、俺は満足すると言うのだ。


 この日を、彼女が、その胸の内にどんな悩みを抱え、何に怯え、どんな思いを秘めながら俺の隣で過ごしていたのか。この時、俺はその片鱗すら感じてやることが出来なかった。

 どうして、気付いてやれなかったのだろう。

 何故俺は、もっと気の利いた言葉を掛けてあげられなかったのだろう。

 その17歳という年齢では、明らかに重すぎる選択を迫られていた彼女の状況を、少しでも和らげることの出来る言葉を―――




どうも、鋏屋でございます。

初めて読んでくださった方、ありがとうございます。

毎度読んでくださる方、大変感謝しております。

さあ、物語も佳境にさしかかっております。どのような形で、この2人の微妙な関係に終止符が打たれるのか、作者も考え所です。

こんな恋愛の形が、ホントにあってもいいかな、って思いながら、完結に向かい、がんばっていこうと思います。

また感想の方、宜しくお願いいたします。

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