第4話 コブクロの歌
翌日から、彼女と俺は、この電車で毎日会うようになった。
俺がいつもの席に座っていて、彼女が次の駅で乗り込んで来て、俺の隣に座る。最初のウチは、周りの乗客の目が気になって仕方がなかったが、彼女の方は全然気にした様子もなく、まるで仲の良いクラスメイトのように、いつも気さくに話しかけてきた。
どうもぎこちなく、照れながら『ミッキー』と呼ぶ俺とは対照的に、さも当たり前のように、自然に、彼女は俺を『俊介』と呼んでいた。
1週間ほどすると、俺もだんだんと慣れてきて、周囲の目を気にしなくなっていった。 朝、乗り込んだとき、多少乗客が多いときなどは、わざとらしく自分の鞄を隣に置き、彼女が乗り込んできて、自分の隣に座れるように備えるなんて事もやった。
そんなとき、ミッキーは決まって「隣に座って欲しいんだ?」と含み笑いをしながら、俺をからかった。
ミッキーと話していると、俺は年齢を忘れてしまう時がある。彼女の言葉の一つ一つが、心の中を波紋のように広がっていく心地よさに、俺は酔っていった。それはまるで、もう何年も前からの、同年代の親友のような錯覚を与える。
親子ほど歳の離れた2人。
お互いをニックネームで呼び合い。
電車の中だけの、限定された関係。
彼女は、この40分足らずの電車の中で、色々と自分のことを俺に聞かせた。
学校のこと。
どんな授業が好きで。
何が得意科目で。
あの先生が面白くて。
この先生が嫌いで。
ウチ部活のA美は、バスケ部のG君Loveで。
このバンドのこの歌が良くて……
彼女の話に、ジェネレーションギャップを感じ、困惑する俺。そしてその俺の困惑ぶりを見て、可笑しそうに笑う彼女。そして、それが妙な快感を俺に与え、一緒に居る時間を短く感じさせた。
歌と言えば、俺は初めて『コブクロ』という歌手の歌を聴いた。
「ねえ、俊介。この歌知ってる? 」
そう言って、彼女はあのピンクのコードの付いたイヤホンの片方を俺に渡した。
「俺、今時の曲なんてわかんないよ」
そう言う俺に、彼女は尚も薦める。
「良いから、聞いてみなさいって、良い曲なんだからっ」
そう言って、半ば強引に、俺の耳にイヤホンを潜り込ませた。
しばらくして、メロディーが流れてきた。
後から知ったが、それはコブクロの『蕾』という歌だった。
良い歌だ。俺は素直にそう思った。歌詞の感じから春の歌なのだろうが、切ない感じがしてジーンとくる。俺は歌詞を耳で追いながら、ふと彼女に視線を向けた。
彼女は、目を閉じて歌を聴いている。もみあげからうっすらと垂れ下がる、彼女の髪の間を、俺の耳から分かれたもう片方のコードが、ピンク色の細い糸のように、彼女の耳へと伸びている。
今この時、俺と彼女は、一つのコードに流れる同じ曲で繋がっている。
そんなことを考えると、なんだか自分が、してはいけないことをしているような感覚になり、俺は鼓動が速くなるのを感じた。
こんな自分の気持ちが、コードを伝って、彼女に流れていって仕舞うのではないかと、本気で心配した。
「どう?」
突然彼女は振り向き、そう聞いた。
目が合った瞬間、俺はそんな心を見透かされまいと、反射的に目をそらしてしまった。
「あ、ああ、初めて聞いたけど、良い歌だなぁ」
俺は慌ててそう答えながら、イヤホンを外し、彼女に返しながら、動揺を隠すように、感想を述べた。
「コブクロって言うの。聞いたこと無い? 」
「ゴメン、知らない。でも低い声のパートを歌っている人の声は、俺も好きな声だよ」
「でしょーっ! 小渕さんの声も良いけど、やっぱり黒田さんの声のにメロっちゃうのよね。あたしは」
「メロっちゃう?」
「メロメロになっちゃうってことよ。優しそうで、背高くて。ねぇ俊介知ってる? 黒田さん、身長193Cmもあるんだよ」
だから知らないって。存在自体、今初めて知ったんだから。
そう心の中でツッコミながら、俺は彼女の話に耳を傾けていた。彼女はさらにコブクロという歌手のことを熱く語り、その口振りは、居残りさせた生徒を一心に指導する、熱血教師を連想させた。解らないながらも相づちを入れながら、俺はそんな彼女を見つめていた。
「ねえ、俊介ってさ、娘さんが居るんだよね?」
唐突に彼女がそう聞いてきた。
「な、なんだ、やぶからぼうに……」
彼女の話が突然変わるのは、良くあることだったが、いきなり俺の娘の話が出てきて、いささか狼狽した。
「名前は? 」
と、さらに質問する。
「ハルカだよ」
「ハルカちゃんかぁ。どんな字書くの?」
「青い海って書いて、青海【ハルカ】。ちょっと読めないけど」
俺は、持っている鞄の裏に、娘の名前を指でなぞりながら答えた。
「へぇ〜、素敵な名前。誰が付けたの? 俊介?」
「家内と二人で考えたよ。青く澄んだ海のように、綺麗で広い心を持つようにって。ちょっとクサイけどな」
俺は少し照れて、鼻の頭を指でこすった。
「そんなこと無いよ。良い感じじゃん。確か中3って言ってたよね」
「そう。来年高校だよ。それがどうしたんだ?」
「中3かぁ……」
そう言って彼女は、背にある電車の窓に頭を預け、うつむいた。
「ああ、今年は高校受験だからな。親としても気を遣う時期さ」
そう言って、俺はため息をついた。
高校受験。そして3年後には大学受験が控えている。確かに自分も通ってきた道だが、いざ自分の娘がそこを通る段になると、複雑な気持ちになる。
決して与えている訳ではないのだが、結果的に感じてしまう親のプレッシャー。焦りや不安と言った、負の感情に立ち向かって行かなければならない娘の事を考えると、つい憂鬱になってしまう。
何か、少しでも手助けをしてやりたいと感じ、気を遣いながら接して、煙たがられ、疎ましく思われてしまうジレンマが、娘と父親の距離をさらに離してしまうのだろう。
そんな時期が、俺たち親子にも訪れるのだろうか。
「ねえ、俊介は青海ちゃんと、よく話をするの?」
そう彼女が聞いてきた。俺は彼女の意図が掴めず、「えっ?」と聞き返した。
「いやね、俊介はさ、ちゃんと自分の娘と会話してるのかな〜って思ってさ」
どういう意味だ?
確かに最近よそよそしくなった感はあるが、娘と全く会話しないと言うことは無い。むしろ他の家より会話は多いと思う。
よそよそしくなったと言っても、世間一般的に、中学3年生にもなれば、女の子はみんな父親を意識して、多少関係がぎくしゃくしてくるものだろう。
よくTVドラマなんかで出てくるような、『クサイ』やら『ウザイ』なんて理由を付けて、父親から遠ざかり、ほとんど顔も合わさない家庭も実際にあると聞くが、それに比べたら俺たち親子は比較的仲の良い親子だと俺は思っている。
「してるさ。夕食だってちゃんと一緒に食べてるし、今日学校で何があったとか、部活の練習がキツイとか、聞けばちゃんと答えてくれるよ」
「う〜ん、ちょ〜と違うんだよなぁ……」
彼女は少し考えた後、こう言った。
「それって、会話なのかな?」
彼女のその言葉に、俺はハッとなった。
―――それって、会話なのかな?
彼女の言葉が、俺の鼓膜と頭とを、何度も行き来しているようだった。
会話―――
自分は会話をしているつもりだったが、言われてみればその通りなのだ。それは会話ではない。娘は俺から聞かれたことに答えてるだけにすぎない。それはもはや、報告ですらない。
俺は急に足下の地面が消えていくような不安さを感じながら彼女に言った。
「何故そう思うんだ? 何故そんなことを聞く?」
彼女は少し間を置いて、こう答えた。
「だって、俊介、コブクロ知らなかったじゃん」
えっ?
そんな理由なのか?
「中学3年生の女の子がいて、名前も聞いたこと無いってあり得ない気がする」
彼女は、鞄から取り出したIpodを操作しながら、そう言った。
「そりゃ、青海ちゃんの曲の好みなんて、あたしには分からないから一概にそうとは言えないよ。でも、この人達の歌って、結構CMとかにも使われてるから、わりかし耳にする機会って多いと思う。
一緒にさ、テレビなんか見てたら、名前ぐらいは聞いたことあるんじゃないかなぁ。
現に俊介、いま『良い歌だ』って言ったでしょ? これ誰が歌ってるんだ? みたいな感じで青海ちゃんに聞いたりしないのかなぁって、そう思ったのよ」
彼女は、Ipodのイヤホンコードを巻き取ると、それを鞄の中に仕舞った。
俺は考え込んでしまっていた。
一緒に夕飯を食べ、その後俺は軽く酒を飲みながら野球中継やニュースなんかを見ながら過ごす。
娘は早々に自分の部屋に行ってしまう。
娘がどんな番組を見て、どんな歌を聴いているなど全く知らない。興味すら感じたことはない。おおかた、くだらんバラエティか、連ドラだろう、ぐらいにしか思わず、見たければ自分の部屋で見ればよい、としていた。
俺は聞いた質問に素直に答えが返ってくることに安心し、分かったつもりになっていただけなのかもしれない。
娘の年齢は、子供以上、大人未満の扱いの難しい年齢にさしかかっている。こんな形の親子関係に安心しきって、理解しているふりを続けて行って、近い将来娘が本当に辛い困難に直面したとき、俺は娘の良き理解者として見守ってやれるのだろうか。
「やだ、ちょっと、なにマジに悩んでんのよ。あたしがちょっとそう思っただけなんだから。そんな深刻な顔しないでよ」
そう言って彼女は「あははっ」と笑いながら、俺の膝を2,3度軽く叩いた。
そうこうしているうちに、車内アナウンスが次の停車駅を告げる。彼女が降りる駅が近づいていた。
「俊介、あたしと話してるみたいにさ、青海ちゃんと話してみたら? そうだな…… ハルちゃん、とか呼んでみたり」
ハルちゃん!?
娘を愛称で呼ぶなんて、考えたこともない。小学校の低学年ぐらいならならまだしも、来年高校に進学する娘を『ハルちゃん』なんて呼んだら、気持ち悪がられるに決まっている。
「そりゃ、俺には無理だよ……」
俺はため息混じりに、そう答えた。
「そう? 悪くないと思うけどな。案外喜ぶかもよ? そしたらあたしみたいにハルちゃんも、『俊介』って呼んでくれたりして」
ないない、絶対にない。
というか、呼ばれなくても良いよ、別に。
やがて、電車が止まり、ドアが開いた。
「まあ、ガンバリたまへ。おとうさんっ」
彼女はそう言って、いつものように、鞄とラケットケースを持ちながら立ち上がった。
「またね、俊介」
そう言う彼女に、俺は片手を軽くあげ電車を降りていく彼女を見送った。
――――ハルちゃん。
彼女らしい自然な呼び方だった。
何故彼女は、こうも自然に呼べるのだろう。
彼女ほど自然に娘をこう呼べたなら、きっと娘も嫌がらないんじゃないか?
自分が娘に『俊介』と呼ばれることに、若干のこそばゆさを感じたとしても……
初めて読んでくださった方、ありがとうございます。毎度読んでくださる方、感謝いたしております。
この回からミッキーと俊介は急速に親しくなっていきます。ミッキーの破天荒な性格に少しばかり戸惑いながらも俊介は徐々に惹かれていきます。真面目で不器用な中年サラリーマンである俊介の葛藤なんかを楽しんで貰えれば嬉しいです。
鋏屋でした。




