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第3話 俊介とミッキー

 翌日、俺はいつもの電車に乗るのを迷った。昨日の印象から、また彼女に会うのが少し気まずかったからだ。

 昨日彼女は、俺をどう思ったのだろう?

 正直、恥ずかしい話だが、俺はそのことが気になって昨夜の寝付きが悪かったのだ。

 情けない話である。

 1人の女性、いや、俺のような中年男が女性と認識するには、明らかに幼すぎる10代の少女の言葉に、心を乱されている。それどころか、それが原因で13年間乗り続けた通勤電車に乗ることを迷っている自分が居る。

 全く持って情けない話だ。

 やがて、ホームに電車の到着を告げるアナウンスが流れ、しばらくしてゆっくりと電車がホームに入ってきた。

 いつものドアが、俺の前で止まり、空気の抜けるような音と共にドアが開いた。

 今日はやけにドアが開くスピードが速く感じる。まるで俺を『良いから早く乗れ』と急かしているような気がした。

 俺は重だるい足を引きずるように電車に乗り込み、いつもの席に着いた。そして、きっと頭に入らないだろうと思いながらも、鞄の脇ポケットに挟んであった新聞を広げた。

 電車はすぐに発車した。

 俺は新聞の脇から、向かいの席の後ろにある車窓の外の流れる風景を眺めていた。

心なしか、今日はいつもよりスピードが速い気がする。

 自分の中にある、彼女と顔を合わせる気まずさが、そう思わせている事は解っている。解ってはいるが、ならば、尚のこと文句を言いたい気分だった。

 

 『サイアク……』


 昨日の彼女の言葉を思い出す。


 ―――そもそも、俺は彼女にどう思われたかったのだ?


 やがて、電車は彼女の乗り込んでくる駅へとさしかかった。

 俺はそそくさと新聞を少々上げ気味に広げ、読む振りをしながら行き過ぎるホームを目で追った。彼女と直接顔を合わす勇気は、俺には無かった。

 しばらくして、電車は止まり、ドアが開いて乗客が乗り込んでくる。俺は持っている新聞の陰に隠れながら、今日彼女が乗ってこないことを祈っていた。


 数人の乗客が乗り込んでくる気配。

 発車を告げるベル。

 ドアの閉まる音。


 俺は、少しずつ目線を上にズラし、そして手に持っていた新聞を徐々に下げていく。

 ガクンという振動と共に電車が動き出した。

 最初に目に入ったのは、ピンク色のコードだった。

 俺は、はっとして見上げた。

 少し大きめの、子猫のような愛くるしい瞳が俺を見下ろしていた。

「隣、良いですか?」

 彼女は、左耳からイヤホンを外し、そう俺に聞いた。

 初めて声を掛けてきたあの時と同じ、彼女の声。

 俺は一瞬、返事を忘れていた。

「すわっても良い?」

 彼女はもう一度聞いた。

「あ、ああっ、どうぞ」

 我ながら間抜けな反応だったと思う。俺はそそくさと新聞を片手に折り、席を右に詰めて座り直した。

 彼女は「どうも」と呟きながら俺の隣に座り、手に持っていた鞄を膝の上に置いた。その際、やはり初めてあったときと同様、清楚な柑橘系の香りがした。

 俺は緊張した。昨日の彼女の言葉が蘇ってくる。

 何故、この娘は俺の隣に座ってくるのだ? 

 昨日の件の釈明を聞きに来たのだろうか。  

 だが俺はなんと答える?

 決まっている。ただ落とし物を拾って届けただけだ。中を空けてみたのだって、持ち主を確かめるために仕方なくした事だ。そう言う観点から見れば、至極当然な行為である訳で、決して彼女の事をアレコレ詮索するつもりだった訳では断じてない。

 ―――しかし

 本当にそうだったと言えるのか?

 通勤電車の中で見かけた可愛い女子高生のプライベートを覗いてみたいと、少しも心の中に無かったと言えるのか?

 いいや、いいや俺は、断じて……

「昨日は、ありがとう」

 唐突に彼女がそう言った。

「えっ?」

 完全に肩すかしを食らった感の俺が聞き返した。

「昨日、お礼を言いそびれたから。確かに、貴方の言う通り、アレは大事な物だったのよ。だから一応のお礼」

 一言一句、確かめるような彼女の言い方だった。

「ああ、いや、俺の方こそ、すまなかった。勝手に見たりして」

 俺はそう言って、軽く頭を下げた。

「貴方、名前は?」

「えっ? 名前?」

 俺は言葉に詰まり、聞き返す。

「ああ、先にあたしからか。あたしは……」

 と彼女が言いかけるのを俺が遮った。また余計な事を言った。何故か彼女の前だと緊張して余計な、言わなくても良いことを口走ってしまうのだろう。

「アンドウミキコさん」

 その言葉に反応して、彼女が俺の方に振り向きながら、その大きめの瞳を、瞬きして見つめる。

「あっ、いや、昨日の、ペンダントの裏に彫ってあったから」

 俺は慌てて弁解しつつ彼女に言った。本当に情けない。

「ああ、なるほどね」

 彼女は納得したように頷いた。どうやら怒ってはいないようだった。少しほっとする俺に彼女が先ほどの質問を再度言ってくる。

「それじゃ、今度は貴方の名前、教えて?」

「鈴木……です」

「ブ〜っ、反則です」

 彼女が、口を尖らせて文句を言った。

「は、反則?」

「名字だけは反則。そっちはあたしのフルネーム知ってるのに、不公平じゃない。イエローカード1枚。で、下の名前は?」 

 何故、名乗らなきゃならないのだろうと思ったが、確かに彼女の言い分にも一理ある。 いや、そうじゃないな。

 そういう言い訳を、俺は自分の中で作っているのだ。

 だが、そういった理由が無くても、きっと俺は彼女に名前を教えていたと思う。彼女はそんな雰囲気にさせる不思議な空気を持っているように感じた。

「鈴木……俊介、39歳」

 何故か年齢まで言ってしまった。

「あはははっ、別に歳は聞いてないよ」

 そう言って彼女は笑った。

 知らないで見ていたら、何故笑っているのか、もの凄く知りたくなるような、そんな笑い方だった。なんだかこっちまで可笑しくなってくる。

「鈴木さんって面白いね。よく言われない?」

 初めて言われたよ。

俺は心の中でそう答えながら鼻の頭を指でこすった。照れてる時の俺の癖だった。

「あたしは今年17歳の高校3年生。これでおあいこね」

 高校3年生か…… 

 学生服来て無ければもう少し上に見えるな、と思った。俺の見方が違うのもあるのだろうが、来年高校生になる自分の娘と比べると、ずっと大人びている気がする。それほど離れていないはずなのに、たった2,3年でこうも違うのだろうか。

 そんなことを思っていると、彼女がこう言った。

「ねぇ、俊介って呼んでも良い?」

「えっ? 」

 俊介って、速くも呼び捨てですか?

 いや、それ以前に、俊介なんて家内にも呼ばれたこと無い。現役の女子高生が俺のような40男を捕まえて、『俊介』と呼ぶなんて、なにかおかしくないか?

「代わりに、あたしのこともミッキーって呼んでも良いよ。部活の友達はみんなあたしのことそう呼んでるから」

 そう言って彼女は俺を見る。

「ミッキー?」

「ミキコだからミッキー。ミッキーマウスのミッキー。割と自分でも気に入ってるの。だから俊介もミッキーって呼んでもOK。ミキコって呼ばれるのはちょっと苦手かな」

 彼女は自然に俺を俊介と呼びつつ、自分のあだ名の説明をした。普通に彼女に使われると、それほどおかしく無い様に聞こえるのが不思議だった。

「俊介って呼ばれるの嫌なの?」

 無言で考えている俺に、彼女がそう聞いてくる。少しきつめの口調に、有無を言わせぬ圧力を感じ、俺は降参した。

「いや、別に嫌って訳じゃないが……」

「じゃ、俊介決定〜」


 俊介にミッキー


 おいおい、何を、俺みたいなおっさん相手に。

 いや、自分が名前で呼ばれるのも少し戸惑うが、俺が見ず知らずの女子高生をミッキーなんてニックネームで呼ぶ事になるなんて、想像したことすらない。妙な気分だった。

 妙な気分だが、不思議と不快ではなかった。

 そのうちに、彼女は片方のイヤホンを外し鞄に仕舞うと、代わりに昨日のあのペンダントを取り出し開いた。

 昨日見たのと同じ、さわやかな、はにかんだ笑顔の青年が移った写真。

「気になる?」

 彼女がそう言って、ペンダントを少し俺の方へと傾けた。

「いや、別に……」

 まぁ、気にならない事もないが、また余計な事を言う可能性があるので適当に答える。

「気にならないの? 普通、気になると思うんだけど」

 何となく、気にしない方が怒られそうな言い方だった。俺は慌てて写真とは違う質問を投げかけ、話題を反らした。

「その裏にある名前の上の記号はなんだい? ISSなんとかって掘ってある……」

 彼女はペンダントを裏にして不思議そうにしばらく考え、少しして俺を見ながらこう言った。

「はは、なるほど。コレはね、暗号。秘密の暗号。まだちょ〜っと俊介には教えられないかな〜」

 そう言って彼女は笑った。少し鼻に掛かったような、特徴のある彼女の笑い声。

 その彼女の声と笑顔は、俺に晴れ渡った5月の美空を連想させた。

 

 車内に次の停車駅を告げるアナウンスが、彼女の降りる駅の名を読み上げた。

「ねぇ、俊介、明日もこの電車に乗るの?」

「ああ」

 それは間違いない。よほどのことが無い限り、俺は他の時間帯の電車には乗らない。

「そう、じゃあ明日も会うかもね」

 彼女はそう言いながら、足下に置いてあったラケットケースと膝の鞄を持ち、席を立った。

 やがて電車が止まり、ドアが開く。

「じゃあ、またね。俊介」

 彼女はそう言って、ホームに降りていった。

 昨日と同じく軽快な足取りでホームを歩き、階段へ向かう彼女の姿を、俺は目で追っていた。どことなく、嬉しそうな雰囲気に見えるのは、俺の中にある、希望的な気持ちがそう見せているのだろうか。

 しばらくして電車はまた走り出した。

 1人残された俺は、無造作に畳まれた左手の新聞を開き掛けて止めた。どうせまた頭に入ってこないだろう。


 俊介

 そしてミッキー


 彼女は俺を『俊介』と呼んだ。

 果たして、彼女ほど自然に、俺は、彼女をミッキーと呼べるのだろうか。

 そんな事を心配し、やはり俺はまた可笑しくなった。

 ふと、俺は思いだしたことがあった。


 そう言えば彼女、1度も俺をオジサンと呼ばなかったな。


 名を知る前も『貴方』だった気がする。何故だろう。

 俺は外見的にも、そう若々しく見える訳ではない。とりわけ老けている訳でもないが、歳相応と言ったところだ。そう呼ばれてもおかしくない。いや、むしろそう呼んだ方が自然である。そこに何か意図があるのだろうか。

 都合のいいように考えている自分に、また笑う。


 ―――じゃあ、明日も会うかもね  


 まいったな……

 年甲斐もなく、その言葉通りの事を期待している自分がいた。俺は、少し口元を緩ませながら、鼻の頭を指でこすっていた。

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