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昼休み、例の理科室でユレさんと待ち合わせる。
話し合うべきことがたくさんあったので、内心待ち遠しく思いながらユレさんをまった。ほどなくして彼女が教室に入って来た。
「ユレさん」
「黒場さん、教室でまってたんですね」
そういえば、これまでは僕は窓の外から話をしていた。言われて気づく。
「別にいいんですけどね、人に見られたらめんどうだなって」
「それはユレさんもでしょ」
「わたしはここの教室の掃除当番だから、大丈夫です」
「あ、そういうこと」
なるほど、そういうことなら合理的な待ち合わせ方法だったんだなと感心した。この辺に人が来るのはまれだし、もし来てもごまかせて、話し声は近くの道路からの走行音で消せる。
「ん、なんか床がよごれてるな」
ユレさんが下を向いてじっとよごれを見つめる。それは僕と矢橋が忍び込んだ時のものだった。
「まさかとは思いますが教室の窓に外から入り込んだわけじゃないですよね?」
「まさかそんなことする必要ないですよ」
一階渡り廊下の出入り口の両側いまだに封鎖されていたが、二階、三階から第二校舎に問題なく行けた。
「この雑巾使ってもいいですか?」
「えっ、いいですけど」
「いやー僕掃除好きで、汚れを見ると気になって」
「あ、分かります」
僕は悪霊にとりつかれたこと、矢橋がその悪霊を退治したこと。でも、一部逃して学校外に出て行ったことなどをユレさんに話した。いくら必要ないと思った部分は省いた。
「そうですか…」
彼女はすこし俯いて、なにか考えているようだった。
「私はその時間体育の授業でグラウンドにいました。なにか起きているのは感じ取れました。この第二校舎の二階の校庭側教室に、悪霊が集まっているのも分かりました。たぶんあの二人のどちらかが、除霊しているのだと思い、とりあえず様子をうかがってました。まあ起きてしまった被害については、とても残念としかいいようがないですが、その後の経過としては悪くない、かと。階段の将棋倒しになって人たちは、大けがした人はいないようですし、悪霊は学校から消えた」
「でもユレさん、こういうことって起きてしまった後でしか、何かすることはできなかったのかな?」
「そういうわけでは、ただそれは難しいことでして…。それはともかく、黒場さん重ねて注意してください、その逃げた女の霊には」
「矢橋はその霊の名前を本人から聞きいたらしです、その名前からこの学校に遺恨がありそうな死者を見つけ出せれば、居場所のヒントになる、そういってました」
「その子の名前は、私たぶんわかります。アリスって言ってませんでした?」
僕は内心ちょっとギョッとした。
「ええ、そうです。どうしてわかったんです」
「霊的なセンサーを張ってますと、ここ最近何度もアリスという名前が耳に入ってきました。人々のあいまいな噂や、記憶から、アリスという言葉を何度も聞きました。こういうのは自分の恨みを知らしめたい悪霊がやる典型パターンの一つですね。アリスさんの呪い、とかそういう創作でありそうなのを作り出したいわけです」
「悪霊が悪霊のパロディをやるんですか?」
「まあ、そうなりますね。それで不満が満たされる、そういう奴がいるのは分かるでしょう?」
「分かります」
「私、もう少しだけそのアリスって子について調べてあります」
「さすがです。それじゃあ僕も安心ですね」
「ただ、なんでそのアリスが黒場さんにとりついたのかが気になります」
ユレさんは腕をくんで、じっと前を見据え、難問に頭を悩ましてるようだった。
「ああ、それは…」
「悪霊が自身が出元の噂のなかに、私がそのアリスとデートしていた、ってのがありまして、もう笑っちゃいますよね」
彼女はまったく馬鹿馬鹿しいとばかりに苦笑いしていう。僕も調子を合わせて貼り付けた笑顔で応じる。
「……はい」
「もしかして悪霊の挑発かな?」
そういってユレさんはまた悩みだしたようだった。
「あのユレさんじつはですね」
僕は意を決して真相を語ろうとした。
「あ、誰か来ます。たぶん先生だ」
僕は一瞬窓から逃げようと思ったが、タイミング的に危うい気がしたので結局教室に残るはめになった。
「お、内田早いな。って、誰だ~そいつは~?」
低くて迫力がある男の声が教室に響く、
僕はとっさにこの場にいる言い訳がすこしでもたつようにちょうど持っていた雑巾で床を磨くポーズをと
っていた。先生のほうに顔を向ける。知っている先生、というか僕の去年の担任であった人だった。
「お、アリスじゃん。なにしてんの?」
「床が汚れているの気になって」
「ふーん。なんで内田と二人でここにいんの?」
「先生、黒場さんは兄さんの一番の友達ですから、それでちょっと色々、最近話す機会が多くなって」
「あ、そうなの」
先生はそれ以上もう追求しない様子だった。ただ黙って僕ら二人を見る、僕もユレさんもすこし緊張した。そして真面目な声のトーンで僕に話かけた。
「内田は今すごく大変だからさ、多分見た目以上にいろいろな負担があると思うんだ。それを今俺ら教室のみんなで支えようとしてるんだ。ひとりひとり小さいことしかできないけど、みんなでやればそれが内田を支える大きな力になるって思うんだ」
先生はすこし屈んで僕に視線を合わせて、じっと僕の目を見ながらいった。僕はユレさんの方を少し見た。彼女は無表情に床を見ていた。
「アリスにも頼んでいいか?」
「わかりました」
この先生は、こんな感じの先生だった。屈託のない、連帯感の強くて、思いやりのある、と言った感じの。先生は返事を聞くとにっこり笑いその後隣の準備室に入っていった。
「僕の去年の担任だったんだよ。久しぶりに話したな」
「今は私のところの担任です」
「へぇー」
それから、ユレさんはおずおず、と聞いてきた。
「あのー黒場さん、アリスって名前マジなんですか?」
「マジ」




