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内田は濁りのない明朗で穏やかなトーンの声の持ち主で、彼の声は小さくとも不思議なほど聞き取りやすかった。
「悪いんだけど黒場。僕は今手元に金がなくて困っているんだよ」
「それより、体調は大丈夫なのか?」
「あんまりよくないな、でもようやく動けるようになってきたし、食欲も出てきた。そう、水と食べ物がほしいのだけど、財布や携帯が病室なかったんで、困ってたんだよ」
「おまえ病室を黙って抜けてきたのかよ!」
よく見ると、内田はすこし喋るたびに、苦い顔をして少し黙って、また絞り出すように喋り、という感じで辛そうだった。
「ともかく、ここからでよう。外でなんでも買ってやるから」
「ああ、ありがとう。でも、外に行く前に店の奥に自販機があるから、小銭貸してくれるとうれしい」
僕は、すぐにコンパネに積んでいた50円玉を3つ内田に渡すと、内田は軽く頭をさげてうけとり、勢いよく自販機に駆けて行った。
一緒に店の外に出る。内田は隣でごくごくお茶を飲んで、すぐにペットボトルを空にした。
「ようやく、一息つけた。病院から家までどう行こうか、途方に暮れてたところだったが、黒場が見つかって助かった」
「直線距離で8キロはあるから、道なりにゆっくり歩くと二時間ぐらいかかるな」
「病院から駅前まで歩いて、へとへとになったよ。人生で初めてキセルのやり方を知りたくなった。どうやるんだろうね。それともキセルは昔の話で、今はもうできないのか?」
「それより体調は大丈夫なのか、その、……悪魔の攻撃を受けてずっと眠ってたんだろ?」
内田はすこし黙ったあと、なぜか、申し訳なさそうな、悲しそうな顔で僕に答える。
「黒場を巻き込んでしまったわけか」
「いや、僕は平気だから」
巻き込まれたと思っていたけど、実は僕は……
「どうなっているのかは、おおよそ察しがついている。今後の事は心配ない」
「心配ないだって?内田、お前の妹や弓削も矢橋もあいつにやられてしまったんだぞ!」
僕の言葉にも、内田は動じず、悠長に空になったペットボトルを道端の自販機の横のゴミ箱に捨ててから、僕の驚いた顔に向けて答えた。
「だろうと、思っていたよ。霊の様子から、あの悪魔に対抗する何物も既にこの地にいないということが、知れたさ。あいつも大した奴だよ」
敵を褒める余裕までみせる内田を、僕はすこし訝しく感じた。
「そうだ。ユレさんの話だと、悪魔を消さない限り、おまえが目覚めることはないとの話だったんだが、どういうことだ?」
「致命的な攻撃を受ける前に、自分の身を護る呪術を唱えた。そのおかげで時間差はあるものの呪いを打ち破って、おのずと目を覚ますことができた。目が覚めてすぐは、霊力の巡りがわるかったが、今ようやく、十全とまではいかないけど、そこそこ回復してきたんだけど。それより、今は空腹が問題だ」
内田はとにかく何でもいいから手早く食事をとりたいというので、ファストフードのハンバーガーに決めて、店内で2人夕食をとることにした。内田は最初はよい食いっぷりを見せてたが、すぐにテーブルの下の膝に手を置き、青い顔を見せた。そこでようやく、何日も寝ていて、その間、胃がまったく働いていなかったことを思い出した。
「内田もうそれ以上食べない方がいい。コーラを飲め」
「ああ、おいしいんだけどね。これは無理だ」
「店を出よう。ずっと食べてなかったから、胃が驚いてるんだよ」
「ああ、そうでなくとも僕は胃弱だった」
2人とも半分ぐらい食べかけて、店を後にし、次はコンビニに入った。店内に入り、いつもは絶対に注意を向けないような商品をじっくりチェックして回る。
「やっぱりゼリーなんかがいいと思うんだけど。でもお腹が満たされないかな」
「そうだな。もう夕食はゼリーでいい」
「僕はおにぎりでいいか」
コンビニの出入り口、時刻は7時半をまわり、空をすっかり黒くなって、駅前は人通りが賑やかになっていた。内田がゼリー飲料で栄養を無表情で摂取する傍ら、僕はすこし悪いと思いつつおにぎりを食べる。さっさと食べ終わって、しゃがみこんで駅前の人通りに目を向けている内田に上から声をかける。
「これから家に帰るんだろう。僕もついていこうか?」
「どうしようかな?」
「えっ?」
そういって、内田は飲み干したゼリー飲料の容器をゴミ箱に捨て、ふくろから同じものをもう一つ取り出し、キャップをひねって、またしゃがみこんで飲みだした。
「黒場はあの悪魔のこともういろいろ知っているんだろう?」
僕は心拍が上がる、ぼんやりと黙って人通り見て、自分を落ち着かせる。
「ああ。驚いたけど……、内田はずっと前から知っていたのか?」
「いや、僕はそれをしらなかったから、不意をつかれたんだ。つまりそのことがあいつの奥の手だった、ずっと用心深く切り札を隠して。ここぞ、という場面でそれ用いたんだ。結果見事にやられたよ」
「あいつは、追い詰められて、とった行動だと言ってたな。一世一代の賭けだとも」
「してやられたよ。ほんと」
内田の声はいつもどおり濁りなく静かだったが、どこか冷徹な響きが混ざっていた。
「それじゃあ。この地の呪いについては、誰かから聞いたか?」
「知らないな」
「ユレも弓削も教えなかったのか、重要だと思うんだけどな」
「もしかして、E公園にその呪いがかかっているんじゃないのか?」
「ああそうだよ。でもかかっているというより、あの公園に縁のものが安置されているんだ。それであそこを中心にこの地に邪悪が広がった」
内田はゼリー飲料を表情も口も顎もまったく動かさずに、飲み口を咥えだまってゼリーを吸い込んだ。そして、口を離して滔々と語りだした。
「昔、そうも昔じゃないけど、ここと同じ県のA行政区画という場所の話、当時この国は急激な経済成長を進めていて、そのA行政区画も多くの建物や工場が公共事業でつぎつぎ建てられ一気に都市化が進んでいた。それから、大きな震災があったそのA行政区画は大きな被害を受けた。昔のことだから、震災も今より深刻な被害が出た。倒壊する建物も多かったから、押しつぶされて死ぬ人や、もちろん地震後には火災がおきる。その被害も甚大で、犠牲者の内のかなりの割合が火災で焼け死んだ」
「そういう人たちの怨念が呪いになったのか?」
「いや、それだけの話じゃない。当時の国家は一貫して徹底的な貧困者、弱者切り捨て政策を続けていて、多くの貧困者が都市に流入し、あちこちにスラム街ができた。Aという土地は特に大きなスラム街ができていた、労働政策も福祉政策もなく、多くの人が劣悪な暮らしを強いられていた」
「そうやって苦しみながら死んでいった人の呪いか」
「震災の混乱でも死ななくても済むような人たちが、たくさん死んだ。Aのスラム街の人々が、流言を根拠に動いた自警団に暴行、殺戮される事件もあった。」
「それも、呪いか」
「震災後全国的に大不況になる、A行政区画では金がないので子供が育てられない人が多くいて、そういう人は子供を養子に出した。それにはとうぜん最初に手数料とそれから月々の養育費を払わないといけないはずだけど、養育費の方はいらない手数料だけでいい、という斡旋人がいて、お金のない人はそういう人に手数料を払って子供を養子に出した。さて、どういうことだろうか?」
僕は心を刺されるような、おぞましさを感じた。
「ああ、もらい子殺しか……」
「そういうことが横行していた。もっとたくさんの記録されていない悲惨と残酷があの地であっただろう。それからAの土地の施政者のトップの一人が謎の奇病で血を吐いて死ぬ事件があった。その家族にもみんな同じような症状がでて騒然となったが、そこの細君の知り合いに霊能力者がいたらしく、その地から離れるように助言され、事なきを得た。その後もその奇病は行政の関係者まわりで発病するものがあらわれ続け、ついにこの地にまつまわる呪いと認知されて、霊能力による対処が極秘裏に行われた。当時はまだ、霊能力者は一部の人々から支援され、尊敬を保っていて、社会とつながりがあった。すぐに何人か熟練した霊能力者が集められたけど、もうどうしようもないほどの、憎しみや恨みがその地に渦巻いていた。そこで”ものうつし”という呪術をおこなうことにした」
「”ものうつし”?」
「当時まだ農村部で穏やかな霊場であるこの地に発達した都市が生み出した邪悪を移し替えた技だよ。つまりここでも施政者と霊能力者は弱者に対する酷薄な行為を繰り返したわけだ」
「……」
「その”ものうつし”を術をするには、恨みや呪いに由縁がある”もの”を集めてきて、徹底して穢す必要があって、」
「穢す?」
「そうすることで、悪霊の憎悪をあおり、集めた”もの”に執着させて、とりつかせる。その後に悪霊を”もの”に固定したまま余所の地にどうにか運び出す。その後悪霊が完全にその地に定着するまで、霊能力者が境界を取り囲みその地に抑え込む、半年ぐらいで悪霊はその地に定着され術は完成さ。高度な協調ができる霊能力者のグループじゃないとできない呪術だ」
「その”もの”は今のE公園にあるんだな」
弓削は静かに頷く、気づくと夜の闇が濃くなっていた。




