招く
そこまで大きくない広告デザインの会社に勤めはじめて、早5年。友人や同僚は結婚、出産を経験し、「お母さん」をやっている者が多い。
会社の小ささに比べて、大きな企画だった。この企画が通れば、私の夢が実現できるチャンスだったのだ。その為だけに、この企画を受けた訳ではないのだが、それでも私にとっては大きな転機になりうるものだった。そうなるはずだった。
ぐるぐると同じ思考が頭を掻き回す。考えても考えても変わるわけではない。堂々巡り。
「やーめた。疲れるだけだわこれ。」
私は強く言葉を発して気持ちを整理する。考えても仕方ないことは考えない。これが一番だと思う。
「お腹すいたなぁ。明日お休みだし、何か食べて帰ろっと。」
コートの上からお腹に手をやる。ここの所まともに食事を摂っていなかったのもあって、お腹はぺこぺこだ。
(駅前のパスタが美味しいって聞いたなぁ。あぁでも、西公園前のカレーも久しぶりに食べたいな。)
どうせ家に帰っても、缶ビールと買い置きの惣菜が私を待っているだけだ。
ご飯のことを考えるだけで、こんなにもウキウキした気分になれるのだから、人間って単純。
そんなことを考えながら、コツリコツリとヒールを鳴らす。
ふと、歩みを止める。
「…こんなところに、招き猫?」
とても似つかわしくない光景だった。
薄汚れた自動販売機の横。
「種島酒店」と「八嶋文具」との間に割ってできたかのような細い路地。
その路地の入り口に、汚れ一つ無い真っ白な招き猫が鎮座していた。紫の座布団の上に乗って。
日曜夕方の落語家達よろしく、お澄まし顔で座っていた。
(…?、変なとこに招き猫置いてあるな。)
そうは思いながらもスマホを取り出し、招き猫に向ける。
ピロリロリーン。ピロリロリーン。
珍しい物を思わず写真に撮ってしまうのは、現代人の性であろう。後でSNSに上げなくては。
少しニヤつきながら、スマホをいじっていると、ふと、招き猫と目が合う。
何故か私は目を逸らすことが出来ない。そのまま招き猫の前で固まってしまった。
その目線は、誘導されるかのように招き猫の後ろの路地へと移動する。
官能的なピンクのネオン看板、薄黒く汚れた赤提灯。酔った人間の騒ぐ声や音、酒やけしたハスキーボイスの歌声。
その楽しさと騒がしさの間を綺麗に裂くように、伸びる路地の奥に、小さな木造の建物。
淡いオレンジの光りが揺らめく、温かい煌めき。
私はそのまま、光に誘われる虫のように、その建物に近付いて行った。