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チョコ一口

作者: みちゆき

 異常気象だか何だか知らないが、未だ凍った雪に足をからめとられる早朝の通学路を、俺は全速力で走っていた。

 寝ぼけ眼におぼつかない足取りの中坊を押しのけ、塗り壁のごとき防御壁を形成する女子の集団を破壊し、つるつるの地面に体勢を崩されるよりも速く足を踏み出す。

 周囲の人々が巻き戻されているかのような錯覚に陥るスピードで走る今、我は平成のメロスなりと名乗りを上げんばかりの熱き闘志を胸に秘めていた。

 校門に佇む生徒指導の教師が大きなくしゃみをするのと同時に、俺は校門を通過した。

 目指すセリヌンティウスはあと少しだ。

 階段を一段ずつ飛ばし、自分の学年のフロアに突入すると、各教室の組をすばやく確認する。

 あった。あの教室だ。

 確実に中にいる。

 その教室の前で激しくブレーキを切り、呼吸も整わないうちに思いきり戸を開けた。

 その衝撃で中にいた生徒が一斉に振り返る。

 俺のセリヌンティウスは、わざわざ早朝から集まって駄弁る男子達でも、ご苦労に教科書を広げるガリ勉でも、直向きに仕事をこなす日直でもない。

「姫香さん、チョコをください!」

 席に座って二、三人の女子と喋っていた姫香さんは、俺の第一声が自分に向けられたものだと悟ると、この世の終わりを見事に表情だけで表現したのだった。


 バレンタインデー。

 その起源はキリスト教にあるらしく、巷では聖バレンタインデーなどと持てはやされているが、俺はバレンタインデーこそ最後の審判であると認識している。

 チョコを貰った男子は天国だが、チョコを貰わざる男子は地獄に落ちたも同然である。女子という名のキリストから、俺達男子に直々に審判が下るのだ。

 正直言って、俺はモテる。

 小中学校では結構な数のチョコを貰った事がある。

 しかし高校生になってから、俺は一つの悩みを抱えている。

 相変わらず女子からはモテているし、チョコの数もそう変わりはない。

 だが俺の本命である女子、美人で評判の鈴木姫香さんからは貰えた例がないのだ。

 ここで普通の男子なら、告白したいのに緊張して声もかけられないなどとウブな悩みに悶えるだろうが、俺は臆する事無くアタックし続けてきた。今までの女子なら簡単に落とせたのに、彼女だけは俺になびく様子がない。

 俺の魅力を伝えるため、今までバレンタインに貰ったチョコの数だけ付き合ってきたと豪語した事があるが、それが原因ではないだろう。

 そして俺は、バレンタインデーの今日に勝負を掛けたのだ。

「あのさ有原君、バレンタインに勝負掛けようが掛けまいがどうでもいいんだけど、いつも人前で声高にアタックするのやめてくれない?大体私からじゃなくたって、去年も誰かしらから貰ってたじゃん」

 流石だ姫香さん。俺の心を読むなんて、いよいよ俺と脈がある気しかしない。

 何故か若干のどが疲れていたが、まさか言葉に出していたわけではないだろう。

「良いじゃん姫香、そろそろ付き合ってあげたら?」

「そうだよ。今時ここまで馬鹿正直な奴なかなかいないよ」

 姫香さんの周囲にいた女子がそううながした。

「何回も言っているけど、私誰とでも簡単に付き合う人嫌いなんだよね。どうせ付き合ってしばらくしたら他の人に懸想して、私も有原君の彼女歴に加わるだけじゃん」

 姫香さんのこの言葉を、俺は彼女と出会った数だけ聞いてきた。しかし俺は諦めない。こうして簡単に付き合ってくれない清純な性格が、より一層俺の恋心を募らせるのだ。

 俺は時間が許す限り粘ってみたが、ホームルームが始まって七分くらいでそのクラスの担任に蹴り飛ばされて幕切れとなった。


 俺だって馬鹿ではない。

 午前中で十回アタックしてもチョコが貰えなかった事から、もしかしたら彼女は本当に俺に渡す気はないかもしれないと推測はしている。

 そこで俺は予定を変更した。チョコが貰えなくても、俺の元に姫香さんのチョコがあるという事実があれば、それはもうチョコを貰ったとカウントしても良いのではないだろうか。

 俺の元にチョコが来るなら、本人から渡されようが自力で奪おうが一緒だよね。

 俺はバレンタインという風習に、新たな風を吹かせたようであった。


 姫香さんのバッグを開くと、授業道具に紛れて、可愛くラッピングされた小さな袋が出てきた。恐らくこれだろう。

 姫香さんは俺以外の男子との噂も無く、同級生からの人気にそぐわぬ淡泊な恋愛観を持っている。その代わり同性との仲は良い。

 ならば、バレンタインに同性間でやり取りする友チョコを持ってきている可能性がある事を、俺は見出した。

 現在は五時間目後の休憩時間である。

 姫香さんのクラスは体育だから、戻ってくるまでに時間がかかる。その虚を突き、俺はもぬけの殻となった教室で事に及んでいた。

 姫香さんのチョコを手にし、何食わぬ顔ですばやく教室から出ようとした時、

「あれ、お前有原じゃね」

 背後から声がした。

 ゆっくりと振り返ると、小さな箱を手にした男子が、教室の入り口に佇んでいた。よく見るとその箱から茶色い粒をつまみ、流れるように口に運んでいる。

「お、お前こそ何だ。何だよそれ」

「ああ、沢山貰ってた他の奴から恵んでもらった」

 そうか、と言いかけて手にしている箱をよく見てみた。

「馬鹿。有原君へって書いてあるじゃないか。俺の貰い物だ」

「ああ。お前がいない朝にクラスの女子が、お前の席に沢山置いてた」

「貰った本人の前でこれ見よがしに食うな」

「ケチケチするなよお前への好意が消えるわけじゃないし。チョコは消えるけど。それで肝心の本命からは貰えたのかよ」

 その言葉で今の状況を思い出した俺は、即座にチョコの袋を背にして、教室から出た。

 次の時間は、俺のクラスが体育であった。

 俺はすぐにジャージへ着替えると、姫香さんのチョコの置き場所を思案した。

 いずれ姫香さんは自分が用意したチョコが無くなっている事に気がつく。そうすれば真っ先に疑われるのは俺だ。疑われる?いや違うな、友チョコの役目を優先して一旦返却を要求されるかもしれない。

 何だ疑われるって。人を泥棒みたいに。

 俺は何度もアタックして、否応に関わらず返事を受けている時点で姫香さんとの縁ができているわけだから、このチョコを貰える可能性には入っているはずだ。

 まあそんなところで、一旦このチョコの袋を安全な場所へ隔離する必要がある。

 当然、俺のクラスは駄目。

 ならば化学室や美術室か?いや遠すぎる。

 ならば男子トイレか?いや一番安全かもしれないけど衛生的に一番危険だ。

 ならば校舎裏に埋めるか?いや埋蔵金じゃないんだから。

 そうだ、これから体育という状況を利用し、体育倉庫というのはどうだろう。終わってから片付けという名目で取りに戻れば万事解決だ。

 そう決心した俺は、一目散に体育館まで駆け出した。

 一番乗りで体育館に来ると、神は我に味方したのか、体育倉庫は開いていた。これ幸いと中に入り、卓球のラケットといった小道具が入っているカゴに袋をねじ込んだ。

「何しとるんだ!」

 青天の霹靂。

 じゃなかった体育倉庫の静寂を裂いた大声は、表も中身も強面で知られる体育教師のものだった。

「いや、その、早く来ちゃったんで授業の準備でもと」

「何だそうか。最近容易に人が立ち入らんのを良い事に、体育倉庫でいたずらをする奴がいるからな」

 そう言われ、俺は体育教師から解放された。

 それから授業中、倉庫の袋が露見する事はなかった。


 授業後、袋を取りに倉庫へ出向くと、いきなり中から出てきた体育教師と鉢合わせして面食らった。

「片付けも手伝ってくれるのか?内申点の為かどうか知らんが、やけに積極的だな。だがもう片付け終わった。残念ながらな」

 言葉尻まで聞かずに倉庫へ入り、カゴの中を覗いたが、袋は見当たらなかった。別のカゴだったかと考えたが、どこにも袋は見当たらない。

「何か探し物か」

 流石に不審に思った体育教師が近づいてきた。しかしチョコの事を説明する気にもなれず言葉を濁していると、

「さっき俺が見つけたのは、チョコの入った袋くらいだ。大方バレンタインデーだからと、女子の誰かが持ち込んで隠していたんだろう。校則で持ち込みは禁止されているのにあの手この手で持ち込むからな」

 その言葉で弾かれたように体育教師へ俺は詰め寄り、

「そ、それで、そのチョコはどうしたんですか」

 と尋ねた。

「返すにしても見当がつかないし、大体校則違反の物だ。罰として一口で食ってやった。ま、大分長いこと置いていたんだろうな、傷んだのかあまり美味しくはなかったが」

 そう言って苦笑いする体育教師の顔が、俺は鬼に見えた。

「俺は不幸な男だ」

 ああ、この世の終わりとはこういう事なのか。

 膝から崩れ落ちた俺の心情を理解する者は、この学校に一人としていないだろう。


「どうしたの姫香、さっきからバッグあさって」

「チョコが無くなってる」

「何それ。誰に送る用の?」

「送るっていうか、釣るっていうか」

「釣る?」

「ほら、有原君凄いチョコほしがってたじゃん?もしかしたら勝手に盗むんじゃないかって思って。それを見越して、凄い不味く作ったチョコ持って来たんだよね。味見した時、呑み込めなかったほどの」

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