プロになれない作家とプロになれる作家の違い
ふとエッセイを見た。
一々新着から探すのもアレなので、勿論ランキングからだ。そんな中でも、私の目を引いたのはとある作家の「小説家になろうにテンプレ作品ばかりを溢れさせているのは、作者じゃない、読者だ」である。
タイトルには一理ある、人間と言うのは自己を知らしめたいと言う欲がある、これは恐らく、親が子に自身の知識を教えるミームと言う奴が捻じれ曲がって発生した自己顕示欲と言う奴だ。
これがあるからこそ、人類は様々な物を後進へと教え、気が付いたら宇宙へ飛び出すようになった。
言うなれば、人間は皆知ったかぶりしたいのだ。最初の一歩は知ったかぶりからとアインシュタインさんも言っていたような気がする、あくまで気がするだけだ。
それはこう、貴方の横にでも置いて、後で不燃ゴミでも出して欲しい。誰でも持っている欲だ、追加は貴方も要らないだろう、私も要らない。
さて、確かに目を引かれるタイトルだった、内容は、そのあれだ。概ね納得は出来るが、概ね納得できなかった。
一番納得できなかった一文はこれだ。
「お前はプライドに殉じて小説家になるチャンスを逃せ」
ん?
小説家になるチャンスだったら賞にでも投稿すればいいだろうに、何故にこんな駄作のゴミ捨て場みたいな場所でプライドに殉じても結果は変わらないのは解り切った事じゃないだろうか?
……もしや彼は賞に投稿せず、プロになろうと考えているのだろうか?
それは隣町に行くのに地球一周してから行くような遠回りだと気付いているのだろうか。
さて、ここからようやくエッセイの本題だ。
「小説家になろうでプロになれる作家と、なれない作家の違い。」
それは単純に実力の違いだ、小説家になろうでプロになれる方々は確かに幸運に恵まれていると言えるだろう。
だが、幸運に恵まれているから自分でもなれる、と勘違いしてはいけない。
彼らは元々プロ級の腕前を持っているのである、むしろ彼らこそ今まで幸運に恵まれなかった人々だと言ってもいいだろう。
賞に投稿すると、その文を読むのは様々な文に触れているプロ中のプロだ。
一次選考で文章として体を成していない駄文の集合体を落とし、二次選考で小説になっていない駄作を落とし、三次選考でようやっと面白い作品の選考が始まる。
かくいう私も三次選考までしか通過した事が無い、私の小説は勢いだけで素直につまらないからだ。
だが、その面白い面白くないを選考するのはプロである、その他大勢の大きなお友達ではない。実際、大賞を取っても大して売れずに消え去る小説も多い。
つまりだ、私の小説は面白いと言う訳だ。こうやって自分を慰めるのも文章書きにとって必須のスキルだ。
閑話休題。
さて、では本題に戻りましょう。
このネットスラムの如し、混沌とした小説家になろうでプロになれるには理由がある。まずは沢山のブックマークを持っている事だ、これを本として出せば、これ位は売れると言う指標になる。
プロになったからと言って好きな話が書ける人間は少ない、何しろ、プロである、お金がかかっているのである、お金を稼がせるからこそ、先生と呼ばれるのだ。好きな物を書いてお金を稼げるのは一部の怪物だけだ。
そしてテンプレチート作品を書き、それを受けさせると言う事は流行り物を受けさせるだけの力があると出版社は判断する。
本気でプロを目指すと言う事は、しかもここで目指すと言う事はそう言ったスキルを見せつける必要がある、日間ランキング一位ではなく、月間、贅沢を言えば四半期一位と言う結果によって。
それだけの実力があれば、後は幸運判定だ、みんな大好きダイスのお時間だ。更新しながら出版社のお声がかかるのを祈るしかない。
さて、ここまでで解っていただけただろうか、結局、幸運を掴み取るにはまず実力がないと話がないと言う事に。
結局、プロになれる人間が書く物語は、どんなものを書いても面白いのだ。逆に、なれない人間はどんなものを書いてもつまらない。
小説家の世界は実力社会だ。
本気でプロになりたいなら、実力を示すしかない、ここで実力を示すにはやはりランキングに乗るしかない。
乗れないなら、所詮貴方はその程度だ、好きな物を書けば面白いなんて幻想はとっとと捨てる事をお勧めする。
ん?
好きな物を書けば確かに面白い作家?
居ない事はない。居ない事はないがごく少数だ。
その作家がプロになれないのはなろうと読者が悪い?
ちょいとお待ちよお兄さん、いや、お姉さん? どっちでもいいか。
ではそんな持論を持つあなたにお聞きしよう。
そこそこ売れると解っているジャンルを面白く書ける作者と、一つのジャンルしか書けない作者。会社にお金を齎してくれるのはどっちでしょう。
正解は前者。
会社としては十万部売れる一発屋より、一万部売れる作品を二十書ける小説家のがありがたい。
じゃあプライドを捨てられない作家はどうしたらいいだと?
知るか!
と言いたい所だが、それにもちゃんと道はある。君はこんな所にいないで、今すぐ書いた小説をプリントするなり、原稿用紙に書き写すなりして郵便局へ行くべきだ。そこから雑誌でもネットなんでもいいので賞をやっている出版社を調べて郵送したまえ。
実力があるなら、そこでプロにはなれる。
実力がないならとっとと諦めるか、もっと作品を書いてほしい。
どこで、書けばいいだって? ここ。
厳しい事を言うようだが、私も貴方達、売れない、読まれない、さして面白くない作家の一人だ。
私がここに書いたのは同族の現実だ。厳しくてくじけそうになってしまう現実だ。
このエッセイで言いたいのは二つか三つ位だ。
本気でプロになりたいなら、読者のせいとか、サイトのせいとか、誰かのせいにして現実から目を反らさないで自分の実力を見つめるのが第一歩だ。
まず、自分の話がつまらない事を認めよう。
んで、何をどう書いたら読んでもらえ、面白がって貰えるか考えてほしい。
小説と言うのは読んでもらえない限り無駄の極みだからだ。
え、エターばかりさせる作者?
そんなものは論外だ、と言うか作者ですらない。書いたら書いたできっちり完結させろ。完結させると言うのはレベルアップに丁度いい経験値なのだから。
と言う訳で、これからもがんばっていきましょうか。
自作に刻まれたブックマークが私のプライドだ。
気分を害されても知らないんだからねっ!