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昼御飯の用意も、朝食と同様に遅れているようだった。
ダニエルゼは椅子に座って、窓から外を眺めていた。
低木が植えられた裏庭は、それほど大きなものではない。小さな花壇が木々の合間を縫うように作られている。
小さな花が敷き詰められた花壇は、職人が丹精してくれたものだ。
黄色の花は、花びらが小さく丈も低い。赤い花はそれよりも少し背が高い。ところどころに湖にうかぶ島のように、紫の花のまとまりがあって花壇に彩りを添えている。
低木には緑の葉が生い茂り、暑気を和らげてくれている。
ダニエルゼの部屋からは、二本の小道が延びていてそれは庭園を一周するように裏側で繋がっているのだ。
つまり、この庭はダニエルゼに見せるためだけに存在している。
百歩もないようなこぢんまりとした庭だとはいえ、贅沢な話だ。かつてアグネリアが、ソーラス城の庭園の貧相さを嘆いていたが、ダニエルゼにはこれで十分だった。
(この庭園を整備するお金を、私の手当にしてもらえやんのやろか)
そんな不遜な考えも浮かんでしまう。
ただ、ダニエルゼは、ビエントの街並みから伺うリュンクス山脈の尖った尾根や、山麓に向かって流れ落ちる緑の壁のような木々の力強さのほうが好きだった。
人工的な空間に押し込められた木や花は、どこか行儀が良すぎるような気がするのだ。
(……あれは)
ふとみると庭木の隙間で、シータよりも幾分年若い少年が腰をかがめて、一心不乱に花と睨めっこをしていた。
「なにをしているの」
ダニエルゼの声に、はじめて少年は部屋の主の帰還に気づいたようだ。
耳まで真っ赤になった少年が、風に倒された草のように深いお辞儀をした。
「……ひっ、姫様……」
頭を上げた少年は、そのまま絶句した。手を突っ張ったまま、目だけはせわしなく逃げ場所を捜すように、あちこちを彷徨っている。
少年の脂汗が額に浮き上がるのが、はっきりと分かった。
何と続けたものか、ダニエルゼも迷った。
しかし、唇を震わせて何も言えない少年を見て、じれったくなってしまった。
「別に咎めているわけではありません」
朝も同じようなことを言ったな、と思いながら、早口でそれだけを言うと、少年はさらに縮み上がった。
「……庭の手入れをしていたのですか」
ダニエルゼは少年に問いかけた。その声に僅かな苛立ちが混ざっているのが、ダニエルゼ自身気がついた。
「……切り戻し」
返ってきたのは、消え入りそうな小さな震えた声だった。
切り戻しという言葉の意味がわからず、ダニエルゼが眉を寄せると、さらに少年は縮み上がった。
そのままダニエルゼが無言のままでいると、少年はおずおずと花壇にかがみ込むと、錆の浮いたハサミでしおれている花をいくつか摘んだ。
「それが切り戻しですか」
少年が頷く。
「どんな意味があるのですか」
ダニエルゼの問いに、少年は目を大きくして、何も答えない。
「花を切って、何をしているのですか」
少年はますます小さくなっていく。
「必要な作業です」
つまり意味を知らないのだ。少年は困ったように、周りを見回した。
ちょうどそこに庭の奥から壮年の庭師が、姿を見せた。短く刈り込まれた茶色い髪は手入れを全くしていないのか長さが不揃いな上に、土がこびりついてところどころが跳ねていた。日焼けのために黒いシミがいくつもうかんだ顔には、強ばった笑みが張り付いていた。
「これは、殿下。ご帰還に気づかず失礼いたしました」
庭師は手に持ったショベルを脇に置くと、膝をついて胸の前で合掌をした。それを真似て、少年も膝をついて合掌をした。ダニエルゼにとって、最近見慣れた光景だ。
「この者が、何かご無礼を致しましたか」
声が震えており、庭師は深々と頭を下げた。
なぜ、ここまで恐縮する必要があるのか。
ダニエルゼ自身は、何も持たないひとりの人間にしか過ぎない。それなのに、無条件に敬意を表されることに、居心地の悪さを感じる。せめて、ハルキの会計知識のような、或いはニコの剣術のような、誇れるものがあれば別なのだが。
そういうと、ニコは力を込めて否定してくるのだ。ダニエルゼには、そのようなものとは別のもっと素晴らしいところがあるのだ、と。他方で、ハルキは、地位というのも才能だとしたり顔でいう。いくら努力しても手に入れられないものを、生まれながらに持っているのだから存分に利用しろ、と。
一番、ダニエルゼが納得するのが、シータだ。シータに、居心地の悪さを話すと、深く頷くのだ。理由のない畏敬の念をもたれることほど、腰の据わりが悪いことはない、と。同意をもらえると、ダニエルゼもほっとする。シータも、その外見から、道を歩くだけで、ひと目を引いてしまうために、気持ちが分かるのだろう。
ただ、シータの言葉は続いてこうなっている。そもそもイエナではなく、ハルキ様が上に立つべきなのだから、さっさと地位を譲り渡したらどうなのだ、と。
分かっている。
ダニエルゼも、公都に来て分かってきたのだ。
ハルキ、ニコ、シータがいる価値。その、ありがたさに。
目の前でかしずく、二人の庭師にダニエルゼは視線を向けた。ダニエルゼの周囲には、もしかしたらこのような人間しかいなかった可能性があったのだ。ただ公爵家の次女というだけで、頭を下げる人間。本当のことは、何も話すことはできずに、相談することもできない。周囲にそんな人間しかいない状態のことを想像すると、ダニエルゼは目眩を覚えた。
「そこの少年に聞いたのですが、切り戻しをしていたとか。切り戻しという作業は、なぜ必要なのですか」
ダニエルゼの言葉に、庭師は一瞬不思議そうな顔をした。そしてその不思議な顔のままで、答えた。
「萎れた花を摘むことによって、花壇を綺麗に保つのです。いつまでも、盛りの過ぎた花を残していると花壇の見栄えが悪くなります。一時的に切り戻した株には、花がなくなりますが、分枝して逆に見栄えがよく花の数も多くなります。結果として切り戻したほうが、花壇の寿命も長くなり、花数も多い盛りの良い花壇になるのです」
「……そういうものですか」
庭師の説明にダニエルゼが感心すると、同じように少年も目を輝かせていた。
ちゃんと説明を受けていなかったのだろう。
庭師は説明を終えると、恐縮するように背を丸めて出て行った。
入れ替わるように、女給仕が入ってきて食事の段取りをする。
皿を並べ終えた女給仕に、ダニエルゼが声を掛けた。
「後は私がやりますから」
「……はい、畏まりました」
ダニエルゼが退出を命ずるのは、珍しいことではない。もともと面倒を見てもらうというのが、好きでは無いのだ。
女給仕が退出していくのを見届けてから、ダニエルゼは水差しを傾けて水をコップに注ぐと、口に運んだ。自分で思ったよりも、喉が渇いていたようで、もう一杯注いだ。
二杯目を飲んでいると、ノックの音がした。
「はい」
ダニエルゼが答えると、扉が開く前に声がした。
「殿下。インハルトでございます」
どうぞ、とダニエルゼが続けてようやく扉が開いた。一歩、インハルトが中に入ってきて、一礼をする。
「失礼いたします」
そして、合掌。
指先まで神経が行き届いており、背筋が伸びている。なかなか堂に入った所作だ。城門を預かる長として、礼儀は徹底的に鍛えられたのだろう。
見ている側は、少し疲れるが。
「どうぞ、こちらへ」
ダニエルゼに食卓を囲む席を勧められたインハルトは、直立したまま動かない。
「いえ。殿下と同席するわけには参りません」
この対応にもすでに慣れている。
「これは、命令です」
「……それでは失礼します」
インハルトは、背筋を伸ばしたまま、椅子に座った。ただ背もたれに、背中が付いていない。視線はまっすぐに前に向けられたままだ。
この融通のきかなさはなんとかならないのか。
城門のところで、軽く会話をしていただけのときはここまで堅くは見えなかった。
いや、これでもくだけているほうなのだろう。
「インハルトも、厨房で聞き取りをしてくれたそうで、ご苦労さま」
「いえ、滅相もございません。ハルキ様よりのご依頼、精一杯勤めさせていただきました」
インハルトはそこで口をつぐむ。
「聞き取りのほうはどうでしたか」
「はっ。問題なく終わりました」
そこで会話は途切れる。
ダニエルゼは外に視線を向けた。
「暑い日ですね。こんな日は、川に水浴びでもすると気持ちがいいかも知れない」
「はっ。全く、おっしゃる通りです」
無言。
部屋に沈黙が落ちる。
(ま、間がもたん)
庭から、鳥のさえずりが聞こえた。
ダニエルゼは、黙々とパンを食べて、スープを飲んだ。
ダニエルゼが綺麗に昼食平らげたところで、ノックの音がした。今度は廊下からではなく、隣の部屋の扉だ。
「殿下、お帰りですか」
ハルキの声にダニエルゼは救われた心地になって、返事をした。
「はい、どうぞっ」
自分が思ったよりも、大きな声になった。
ハルキが隣の部屋から顔を出した。
(このままだと、スープの皿までなめ回さないといかんとこやった)
「ハルキ様。お先に失礼しております」
インハルトが席を立って、手を合わせる。
「あなたはそこに座りなさい」
ダニエルゼが席を差すと、ハルキはインハルトの隣に座った。話が早くて助かる。
「それで、どうでした」
ダニエルゼが話を切り出した。
厨房の調査を言い出したのはハルキだから、もしハルキとダニエルゼの二人であれば、ハルキが音頭をとるところだがインハルトが入るとそうはいかない。
とても面倒くさいことではあるが、ここは公女であるダニエルゼが仕切る必要がある。
「私も調べて初めて知ったのですが、奴隷手当というものが出ていました。ひとりにつき、80キルク、月の給与に上乗せされるのです」
インハルトがハルキに黙礼をしてから、まず口を開いた。話の内容はダニエルゼの側でも、帳簿を見て把握した。
奴隷を一人連れてくると、一ヶ月で80キルクの手当が付くのだ。
「今日、休んでいたものの名前は、フリッツという男のコックです。フリッツは常に10人の奴隷を伴って働いており、奴隷が10人より減ることはないそうです。確認すると、フリッツは10人以上奴隷を所有しており、体調を崩したものは連れてこなかったようです。フリッツの基本手当が1100キルクですから、80の10人分ということで800キルクを足して、1900キルクをフリッツの給与として支払っているということでした」
インハルトが奴隷を所有という表現をしたところで、ハルキがかすかに眉を動かした。その辺りの機微を、インハルトは理解していない。ハルキは奴隷を所有するという言い方を、酷く嫌がる。憎悪していると言って良い。ハルキがかつて住んでいた地域は、奴隷というものがいなかったようなのだ。
それから、今の話を聞いていてわかったが、インハルトはある程度数字を理解しているようだった。
「フリッツは、それなりのベテランのようだったが、それで基本手当は1100だったのか」
ハルキがインハルトに確認した。
「厨房の料理人は、950キルクから給与が開始して、慣れてくると徐々に上がります。1100というのは、おかしい金額ではありません」
「そうか。私の勘違いかも知れないが、兵士の手当は、1500キルクからと聞いたことがあるが」
「1500というのは、高いですね。勤め向きによって異なりますが、1000キルクからの兵士もいるはずです」
「では、働きはじめてすぐにもらえる給与がもっとも高いのは、何になる」
「公爵閣下付きの、近衛兵です。8000キルク、と聞いたことがあります」
「8000……、それは高すぎるのではないか」
ハルキが、ちょっと引いたような顔をした。ダニエルゼもその金額は法外過ぎるように思えた。
「殿下、ハルキ様。近衛兵は、貴族の次男や三男などしかならないものです。そして、その中でも、剣技に優れ、学業も優秀なものだけが就ける花形の兵です。それぐらいは出してほしいところです」
「長男はなぜならないのだ」
ハルキが真面目に聞き返してきたために、インハルトが一瞬口を閉じてから、説明をする。
「家を継ぐからです」
「継がないことはできないのか」
「継ぐ義務があります」
そういうものか、ハルキは頷いた。あまりに的外れな発言に、インハルトが戸惑っているのがわかった。
「うーん、と」
ハルキがこめかみの辺りをぽんぽんと叩いた。
「本来ひとりあたり950キルク払うべきところを、80キルクで済ませているわけだから、フリッツが奴隷を10人連れてきていることによって、近衛兵ひとり分程度の給与支払いを、公爵家は免れていることになるのか」
インハルトはハルキの計算についていけないようだったが、ダニエルゼは何とか理解できた。
「それでは、厨房でのフリッツの評判はどうだったのですか」
ダニエルゼがインハルトに尋ねる。
「評判としては、特に悪くもなく、良くもありませんでした。奴隷をつれてくること自体は、他のものもしていることですし、それで評価が上がったり下がったりすることはないようでした」
「奴隷そのものの、評判はどうなのですか」
「奴隷自体は、皿を並べたり、簡単な盛りつけをしたりという単純作業を担当していました。フリッツの奴隷は、まじめだということでうけは良かったようです。ただフリッツの指示にしか従わなかったので、フリッツが休むと全員が休むということになります」
「私は、フリッツの自宅を確認してきました」
ハルキが話を継いだ。
「フリッツの家は、一般的な町民の区域である公都の東地区にありました。治安のよい落ち着いている地域です。周囲には、民家が多く、道路の幅は広く大人五人が並んで歩いても大丈夫な程でした。軒先に馬車がおいてある家も多く、また病院が見られましたので、比較的裕福な住民が多いのでしょう。フリッツの家は、門構えのある立派なもので、庭もありました。時々、家のものが出入りしていましたが、年齢はまちまち。十歳ぐらいの少年から、40を過ぎたような女もおりました。着ているものは、ところどころほつれのあるかなり粗末な服でしたが、清潔感がありました」
淡々としたものいいで、ハルキが報告する。
「周囲の住人にそれとなく、フリッツのことをきいてみましたが、すこぶる評判はよかったです。きっぷがよく、親分肌で面倒見が良いということで慕われていました。奴隷を使っていること自体が、何らかのマイナス要因になっていることはないようでした」
そう言ったハルキの言葉は、尖ったナイフのような鋭さがあった。
いつも、「公爵家の財務長官」を読んでいただきましてありがとうございます。
今年は、7月過ぎ……でしたっけ、突然、順位が上がって慌てましたが、それ以降は普段通りになっています。
いまは全体としてブックマークが減る一方ですが、新たにブックマークしてくれている人もいる……と思ってがんばっております。
個人的には、今年は子供ができたのが一番のビックニュースでした。
途中から、執筆速度が遅くなったのは、仕事とかストレスとか、酒の飲み過ぎとか、全く関係ないです。
ひとえに、子育てにその原因があります。
来年も子育てをしつつ、「公爵家の財務長官」を執筆してまいります。
皆さんにとって、旧年が良い年であったことを願いつつ、さらに新年が希望に満ちたものになることをお祈りいたします。
良いお年をお迎え下さい。
あ、メリークリスマスのほうがいいのかなぁ、ま、いっかー。
2016/12/25 多上 厚志




