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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第五章
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 ニコとシータが騎士学校に入校したのは、ニコが褒賞を受けてから、十日後のことだ。

 シータは、強硬に騎士学校に入ることに反対した。そもそも騎士になるつもりがない、というシータの主張を、春樹はにっこり笑って却下した。

 騎士学校は、人脈をつくるには最高の環境だ。

 日本にだって、学閥という言葉があるように、同門であるということはそれだけで心理的な障壁が低くなるものだ。騎士学校に来ているのは、貴族の子弟が多く、また公募により試験をパスしてきたものたちは、何事にも積極的で前向きな生徒ばかりだ。

 ダニエルゼの味方は多いほどよい。騎士学校で名前を売るのは、味方を増やす手っ取り早い手段だ。

 それには、騎士学校に入るのは一人より二人のほうが良い。単純に、知り合う人数が多くなるからだ。

 ニコは嬉々として騎士学校に通っている。公爵家の剣となり、盾となるためには、騎士となることが第一歩。ニコにとっては、目標への足がかりを手に入れたことになる。


 他方、シータにはいい迷惑なようで、毎日頭の上を何かに押さえつけられているような顔をしながら騎士学校に行っている。


「馬鹿ばっかり」


 それが口癖だった。

 ニコに聞くと、シータはろくに授業を聞いていないようだ。それでも春樹としては全くかまわない。別に勉強するために、騎士学校に通ってもらっているわけではない。そこにいるものたちと、面識を得ることに意味があるのだ。

 シータには、好きにやっていい、とその行動に太鼓判も押していた。


「そうは言っても、ああ周りに非好意的な眼差しばかりだと、面識はあっても良い意味ではなくて、敵を作るだけかも知れないよ」


 ひと月たって、ニコのそのコメントを聞いたところで、春樹はあっさりと方針を変えることにした。

 君子豹変す、などと自分に言い訳をしながら、シータを呼び出した。


「シータ。学校でもう少し愛想よくできないのか」


 シータははっきりとそっぽを向いた。それから、春樹に向き直って抗議をした。


「騎士学校をやめさせて下さい」


 何度も聞いていたことだ。ここで引いては、方針を変えた意味がない。


「そんなに、騎士学校は嫌なのか」

「時間の無駄です」

「勉強するのも悪くないと思うが」

「良い悪いではありません」

「楽しくないか」

「楽しいわけありません。ソル公爵家の建国神話やら、法律や、軍機構や権限、詩やら、楽器演奏やらを勉強していったい何になるのですか」

「……いや、楽しそうだけど」


 騎士学校は、かなり広範に勉強をするようだ。

 春樹は気になった点を聴いた。


「そういや、数学はやらないのか」

「数学は、騎士がやることではないそうで」

「ということは、会計もないのか」

「ないですね。世の中を回しているのは数字なのに、そんなことすらもわからないレベルの学校です。騎士に出ている俸給も、どこに何人を配置して、どのように保存食を配給するかも計算して行っているのに」


 シータは、女子中学生が担任の若い男性教諭を揶揄するようにいった。シータが言うことはもっともだ。

 とはいえ、そういった計算をしている部門があるはずで、そこにいる人間達が公爵領を回しているのだ。


「まぁ、それはともかく。授業そのものはおもしろそうだけどな」

「おもしろくありません」

「そ、そうか」


 柳眉を逆立てるシータに、春樹は頭を搔いた。


「剣も下手くそばかりだし」

「どれくらい下手なんだ」

「私は学校で、三番目に強いです」


 二番ではないのか。

 ニコ以外に、シータよりも剣の上手がいるというのは、少し意外ではあった。だがそれは春樹のおごりだということにすぐに気がついた。ゲオルグという教師に恵まれたとはいえ、春樹とシータが剣の鍛錬をした期間は短い。ニコが元々の基礎があったうえで、ゲオルグからの教えを上乗せしたのと根本的に違うのだ。

 そう考えると、騎士学校にシータより剣の腕がたつものが一人というのは、少し寂しい。


「だけどな。あそこに通っていれば、貴族達とのコネクションという、目には見えないが、価値のあるものが手に入る。それに、貴族に限らず、これからの公爵家を支える人物達と、面識ができる」


 春樹はシータに言い聞かせる。


「顔をつなぐのは、ニコだけで十分ではないですか」

「男と女では、人脈がまったく違うだろ」


 シータが唇を尖らせた。すねた時の表情だ。長い間、一緒にいるからか、ダニエルゼと表情が良く似てきた。ただ同じ表情でも、ダニエルゼがすると本当に小憎たらしい感じだが、シータがすると不思議と愛らしい。


「あそこに通っている時間があれば、ハルキ様の身の回りのお世話をしているほうが、よほどハルキ様のお役に立てます」


 なんだ、と春樹は思った。

 案外、単純な話なのだ。


「私の役に立てることであればいいのか」

「はい」

「それでは、ニコを監視してほしい」

「ニコをですか」

「そうだ。授業をサボっていないか、しっかりと人脈を広げているか、見張ってほしい」


 シータは春樹の言葉に、黙って耳を傾けている。


「ニコには、これから将軍になってもらって、私の誓いを手伝ってもらわなければいけないから」

「奴隷解放ですね」

「そう。それにニコ自身が、公爵家の剣となり盾となれるかを見守る、というのはシータの誓いだろう」


 春樹達のそばで、その誓いを見守るというのが、シータの誓いであり当然ニコもその中に含まれている。そのことを持ち出すとシータは仕方なく、騎士学校への通学を承諾したのだった。


 ダニエルゼはというと、公爵との約束通り、ノイマールの帳簿をつけることになった。こちらは、自らが言い出したことのため、嫌だとは言わないものの、だんだんと不機嫌になった。公爵に対して能力があるところを見せるという、強い動機が無ければ続かなかっただろう。


 公爵に認められることは、次期公爵になることを目指しているダニエルゼには、必須のクリア事項だ。


 だが、毎日帳簿に向かって、数字を記載するという作業がダニエルゼの性分に合わない。

 会計の知識を持っていたとしても、それを根気よく行使しつづけることは案外むずかしい。

 実際、春樹自身も税理士として仕事を始めたばかりの時は、誰と会うでもなく日がな一日仕訳をきって、総勘定元帳と睨めっこをして、財務諸表を眺めるのは精神的にかなり参った時期もある。


 ダニエルゼは不平を並べながら、辛抱強く城の一角にある財務府に通っている。


 一度春樹も覗いて見たのだが、帳簿が壁にずらりと並んだかび臭い部屋で、十代から五十代程度の幅の広い年齢層の事務官が、黙々と帳簿を付けていた。

 たしかにダニエルゼでもなくとも、嫌になりそうな陰気臭さだった。事務官の中で一人ぐらいは、時の流れが止まったような事務室で、150年間帳簿をつけ続けているといわれても、春樹は驚かなかっただろうし、むしろそれぐらいの者がいたほうが、自然なことのように思われた。


 この場所の帳簿を精査すれば、公爵領全体のお金、物流、人事などの動きが分かる。それは公都にいながら、公爵領を把握することになる。


 ただ、もちろん自分が担当している帳簿以外は見せてもらえない。逆にいえば、覗こうと思えば、いつでも覗くことはできる。数字の重要さが、あまり認識されていないのだろう。

 不正な手段で、帳簿を見る気はないものの、そのセキュリティの低さに春樹は驚いてしまう。


 宝の山の事務室ではあるが、やはり毎日通うには気が滅入る場所だ。


 あそこに通わないといけないと考えると、春樹もベットから起き上がるのにかなりの精神力が必要になりそうだ。

 それでもダニエルゼは、通っているのだから大したものだ。


 ダニエルゼ、ニコ、シータ、それぞれが自らの誓いに向けて、行動をしている。春樹としても、ぼんやりとしているわけにはいかない。

 奴隷解放という誓いに向けて、春樹に欠けているのは、この国の常識と、情報源にも後ろ盾ともなる人脈、それにやはりなんと言ってもお金だ。

 奴隷解放を達成するためには、権力が必要だ。

 権力には裏付けがある場合と無い場合があるが、裏付けがある場合のわかりやすいもののひとつにお金がある。

 お金を稼ぐというのは、当面の目標として悪くない。


 お金を稼ぐにはどうすればいいかというと、窃盗や詐欺など遠慮したいものから、富くじを買うという運任せのものもある。運任せというのであれば、一番簡単なのは、街をぶらぶら歩き回るというのも、お金を手に入れる可能性がある。

 道ばたに大金が落ちているかも知れないからだ。


 ただ、それはやはり現実的ではない。

 お金を稼ぐというからには、労働を伴うべきだ。労働の伴わないお金というのは、身につかない。


 では、どうするか。


 商売だろう。


 雇われて働くというのも悪くはない。

 悪くはないが、稼げる金額に限界がある。


 大金を稼ぐには、自分で商売をする必要があるのだ。それに一般常識を手に入れたり、人脈をつくるのも、自ら商売をしたほうが良さそうだ。


 ただ春樹はいままで、税理士業という商売以外を営んだことがない。クライアントにはしたり顔で、アドバイスらしきものを吹き込んだことはあるが、所詮は数字を根拠にした財務面からの忠告に過ぎない。


 曰く、原価率が高すぎる。もっと、値段を高くするか、仕入れを押さえろ。

 曰く、固定費が多いために、損益分岐点が下がらないから、人件費を下げろ。

 曰く、交際費の使途が不明確なために、渡しきりの交際費として給与認定される。しっかりと交際費の内容を明示しろ。

 曰く、営業キャッシュフローがマイナスだから、早晩資金ショートする。もっと、本業で稼げ。


 偉そうにいろいろなことを、中小企業の社長や経理担当者に無責任に忠告してきた。

 そんな春樹自身は、税理士業すら実際の経営は秋子がしていたのだ。


 春樹の経歴を知るものがいれば、商売などしないほうがよいと真面目にアドバイスをするだろう。

 幸いにも、或いは残念ながらというべきか、この国には春樹の日本での経歴を知ってるものはただの一人もいない。


(できるかどうかわからないけど、チャレンジしないと)


 何をするかは、まだ決めていないが、とにかく春樹自身で商売を始めることにした。

 四人の誓いを守るためというのが、一番大きな理由だが、それだけではない。


 もっと、切実な課題があるのだ。


 それは、ダニエルゼが身請けすることになった兵士達をどうするかということだ。

 ニコが表彰を受けたあとで、ダニエルゼは正式に城門の警備の職を解かれた衛兵達の身請けを申し出た。身請けと言っても、芸者の身請けのようにお金を払うわけではない。単純に、路頭に迷った兵士達によかったら、ダニエルゼの元で働かないかと声を掛けたのだ。


 大半の兵士はこの申し出をうけなかった。


 久しぶりに公都に戻った幼い公女のことを、信用する兵士は少数だった。それでも公女殿下という肩書きはそれなりに効果があるらしく、三人の兵士がダニエルゼの元に残った。

 最初は、ダニエルゼの名前を使って、奉職する場所を捜したが、やはりというか当然ながら、引き受け手は現れなかった。公爵がその身元の不確かさを嫌って、首を切った兵士を雇うものはいなかったのだ。


 そうなると、ダニエルゼが雇う流れになる。

 その資金をどうするか。


 ダニエルゼは、公都に戻ってきたことで公爵から手当が支給される。わかりやすくいえば、お小遣いだ。

 その金額が多額であれば、何も困らないのだが、この金額が一ヶ月で、1500キルクだ。


 1500キルクというのは、若い兵士の一人の給料のちょうど一ヶ月分程度だ。日本の一般的な家庭から考えれば、お小遣いとしては破格の値段だ。春樹も、高校生の時のお小遣いは、5000円だった。働いている大人の一ヶ月分のお小遣いというのは、日本の感覚からすれば、非常に高額だ。


 だが、公爵家の次女としては、とてつもなく少ない。

 もう泣けそうなほど、少ないのだ。


 衣食住については、公女としての立場ですべて保証されている。

 夜会用の華美な式服もダニエルゼが申し出れば、作ってくれる。


 では、何が少ないのか。


 付き人の給料を、この手当の中から払わなければいけないからだ。

 付き人といっても、様々だ。春樹達のような護衛兼お側付きである従者から、身の回りをする侍女はもちろん、お付きの料理人を抱えたり、面談時の会談を記録する書記官も必要だろう。

 それらをこの手当から、手配しなければいけないのだ。


 いくらなんでも少なすぎるのではないか。

 ダニエルゼが妾腹だとしても、城に住まわせて公にその存在が認められているのだから、もっとしっかりとした金額が拠出されてもバチはあたらないはずだ。春樹が首を傾げたところ、その理由はすぐにわかった。

 ダニエルゼが7500キルクという金額を提示されながら、辞退したのだ。

 それはもうきっぱりと断ったらしい。

 ゼロでいい、というのがダニエルゼの主張だったが、家令(シェセーロ)のヨゼフが少しだけでも、と1500キルク支給してくれることになったのだ。

 この心遣いに、春樹は泣きそうになった。


『何もしていない身で、そんなに手当をもらう訳にはいかんやろ』

『公女として振る舞うだけで、お金はかかるぞ』

『服はつくってもらえるんやし、食べ物はいくらでも食べられるんやし、どこでつかうんや』


 真顔で言われるのだから、困る。


『お前な、手当から付き人の俸給を支払ってるのを知らないのか』

『へっ』


 と、間の抜けた顔をしたかと思うと、すぐに澄ました。


『ハルキに給料はいらんやろ』

『そりゃあ、私はいらないさ。ニコもシータも』


 従者は城にいる限り、食事と泊まるところは保証される。公女と違い服は支給されないが、ビエントから持参した服があるから当面問題はない。


 問題は春樹達ではない。


『兵士を雇ったの忘れていないだろうな』

『覚えてるさ。あったり前やないか』


 まさに当たり前のことなのだが、なぜかダニエルゼは自慢げだった。


『一人当たり500払えば、十分なんやないか』


 だめだ、相場をしらないのだ。

 この国に来て、一年とちょっとの春樹のほうが、人件費の相場を知っているというのは、どうかと思う。そもそもダニエルゼは、一時期は町娘と同じような生活をしていたはずなのだ。


 春樹は首を振りながらも、その金額を兵士達に提示すると、意外なことに全員が首を縦に振った。

 アルバイトの高校生と比較しても、酷い給金のはずだ。

 どうやら残った者達は、全員が公女殿下としてのダニエルゼではなく、ダニエルゼを個人的に知っているものたちばかりのようだ。

 その一人がインハルトだ。公都に帰還した日に、城門でダニエルゼに話しかけた兵士だ。


「話したこともない相手に、仕えるのはもうやめます」


 ちょっと肩の力が抜けたように、インハルトは春樹に笑いかけた。

 ダニエルゼも兵士達に頭を下げた。


「本当にありがとう」

「もったいないお言葉です、殿下。ただ私どもは殿下からお声かけていただけなければ無職となって、路頭に迷うところでございました。礼をいうのはこちらでございます」


 インハルト達三人が深々と頭を下げ返す。三人とも家族がいないため、今ある貯蓄を切り崩せば、当分は500キルクの給金で大丈夫なのだという。


 本当に有り難い話だ。


 だからといって、いつまでも500キルクで働かせるわけにはいかない。

 春樹が彼らと協力して、商売をして儲けなければいけない。


 そのために、何をするかというのが喫緊の要事である。


『商売か……』


 ダニエルゼが小首を傾げると、斜め上に目を向けた。


『私はちょっと忙し……』

『お前も手伝えよ』


 春樹がソル公爵領の片田舎のビエントの街の郊外に降りたってから、二年目の夏が始まろうとしていた。



 ◆



 鷹王(アシピテル・レキシス)の臣下の名前を何人言えるだろうか。


 普通の社会人でも、4人は堅いところだろう。ロドメリア史を専攻している受験生なら、20人ぐらいは一息で並べられないと合格レベルには達していない。

 大学入試では、最頻出事項だ。

 それだけあの変革の時代というのは、ロドメリア公国にとって重要だった。


 受験生とまではいかなくとも、少し歴史が好きな人であれば、10人程度は知っているものだ。


 最初の4人の中に入る側近というのは、誰しもが変わらない。

 だが10人となると、意見はかなり割れる。


 これは歴史家にとっても、おもしろい質問になるだろう。4人の名前が不動なのは、一致するだろうが、残りの6人となると、かなり議論は紛糾する。


 私ならば、その6人にアグネリア・ソルを含める。


 知らない人のために、簡単に彼女の経歴を記そう。


 アグネリア・ソルは、ソル公爵家の長女として生まれた。

 性格は、非常に温厚であり、部下の誰からも慕われたという。また非常に聡明であり、ニホン語を幼いときから、流暢に操った。

 容姿は、女ですら振り返るレベルであった。(アージェンタム)のシータと並ぶ美人だとする歴史家もいるが、これはどうだろう。シータは前から歩いてくれば、足を止めて正面から凝視してしまうぐらいの美女とされている。

 シータの容姿については、ソル家だけではなく、イグニス家等の他家の史書もわざわざ言及しており、神がかった美人だったのは間違いない。一方でアグネリアの容姿について記載があるのは、ソル家の年代記だけであることからも、一般的な美人だったというのが冷静な評価だろう。

 とはいえ結局のところ、写真がなく、肖像画しかない時代の話であるから、実際のところは分からない。


 アグネリアが歴史の表舞台に現れるのは、分裂状態にあったソル公爵領を鷹王(アシピテル・レキシス)が平定してからだ。


 ウェントゥス家や、イグニス家との交渉の先頭に立って、折衝に当たったのだ。

 交渉の場でのアグネリアは、普段の彼女とは全く異なり、目をつり上げて口角から唾を飛ばして、決して妥協をしなかったという。

 この時代では、女性が他家と交渉をするというのは極めて珍しいことだった。そこからも、アグネリアの優秀さを推察できよう。


 さて、アグネリア・ソルを入れるのであれば、他の5人はどうなのか、という話になる。


 だがそれは、少し待ってほしい。


 語り尽くされている感があるとはいえ、やはりここは鷹王(アシピテル・レキシス)の話から入るのが筋だし、アグネリアのことを記載する前に、鷹王の脇を固めた4人について記述するのが正しいだろう。



シャーペンをノックしたときの芯の先っぽ程度しか物語が進まないこのお話に、お付き合いいただきありがとうございます。


次回から、6章になります。


これからも、ぜひよろしくお願いします。

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