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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第五章
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 アグネリアを連れたニコ、春樹、シータ、そしてダニエルゼの五人を、城の前で兵士達が取り囲んだ。そしてアグネリアが軽く手を振ると、歓声があがった。

 街に微かな朝の気配が漂い始めていたが、まだ夜の空気が8割ほどを占めている時間帯だった。

 歓喜の渦の中心にいるのは、アグネリアとニコだった。


 アグネリアは笑みを浮かべて、兵士の歓呼に応えていたが、ニコの視線に余裕はなかった。

 春樹はニコの気持ちがよく分かった。城門の兵士達、少なくともひとつの城門は完全にソル公爵家を裏切っていたのだ。いま、アグネリアを取り囲んでいる兵士達が、いつアグネリア切りつけてもおかしくはないのだ。


 春樹はダニエルゼとシータを連れて、一歩離れたところからニコ達を見守っていた。


 春樹は、ダニエルゼに不審な視線を向けているものがいないかを注意深く探りながら、警戒を続ける。


 今夜は、夜会のときは、ローランドのような貴族連中の相手に気をつかって、それからはニコの応援に駆けつけるために走り続けることとなった。

 春樹の体は泥水を被ったように重かった。


 しかし手は剣の柄に当てて、いつでも迅速に対応できるようにしておく。気を抜いたときに、狙われるのが一番怖い。


 ただどうやら、ダニエルゼやシータ、それに春樹が見る限りでは、アグネリアを狙っているものもいないようだった。


 春樹の視線をしっかりと観察していたらしいダニエルゼが、不満そうに声を尖らせた。


『ハルキまで、姉上の警護をする必要はないやろ』


 かなり険が含まれた日本語だった。


『ニコは、ダニエルゼのためにアグネリアを警護しているんだろ』


 まぁまぁと、片手でダニエルゼをなだめた春樹が、応援を求めてシータを見た。


 シータはまったくこちらの会話を聞いていなかった。


 重そうな瞼を動かして、シータがゆっくりと長い睫毛を揺らして瞬きをした。

 そして、本当に心の底から気持ちよさそうに、シータは大きなアクビをひとつした。


 それが、この慌ただしい夜の終わりの合図だった。



 ☆



 春樹が目を覚ましたのは、昼が幾分か過ぎてからだった。


 眠る前にあった泥のような疲れは、すっかり体から洗い落とされていた。睡眠の効果をしみじみと実感しながら、春樹は体を大きく伸ばした。


 傍らにはシータが立って、にこやかな笑みを浮かべていた。


『ハルキ様。おそようございます』


 春樹は、シータに笑みを返した。

 かつて、母によく言われたことのある言葉だ。春樹がこの国に来てから、何度か使っていたのを聞いて、シータも覚えたのだろう。

 日本だと、遅く起きたことへのイヤミのようなニュアンスがあるが、シータは単純に遅く起きたときの挨拶だと思っているようだった。


『シータは早かったのか』

『はい』


 それで、とシータは続けて、春樹にいくつかの出来事を報告した。


 春樹が寝ている間に、随分と事態は動いていた。


 ダニエルゼからの知らせを聞いたクリスト公爵は、すべての城門衛兵の首を切った。この首を切ったというのは、物理的なものではない。免職だ。衛兵からの聞き取りなどは一切せずに、即断したという。

 そして、貴族の子弟を後釜に据えた。


 この処置に一部の貴族達は喜んだ。

 やはり公爵は貴族を信頼されている、というわけだ。


『これどう思うシータ』

『恐らくは、人質と思われます』

『するどい。私もそう思う』


 城門の衛兵というのは、つまるところ公都に詰めることになる。貴族が反乱を起こした場合は、すぐに拘束できるのだ。貴族達の子弟を、城門の衛兵とすることによって、貴族へのけん制となる。

 また、これには別の意味もあるだろう。今回、反乱した城門の兵士達は、貴族に連なるものがいなかった。貴族の子弟をつけることにより、もしその子弟が反乱を起こせば親元である貴族を取りつぶすという脅しになる。


 貴族達の反乱へのけん制、そして衛兵そのものの裏切りの抑止。この二点の意味がある。


 その意味では、無邪気に子弟を城門の衛兵となること喜んだ貴族は裏が無いとも言えるが、そもそも公爵の意図をくみ取って、わざと喜んでいるかも知れないので、一概には判断ができない。


『この話はアバーテ伯爵が知らせてくれたのか』


 春樹の問いに、シータが頷く。


(公爵への援助の渡りを付けられなかったのに、まだ味方をしてくれている……か)


 いまいち裏が読めない人物だ。

 しかし現時点の情報だけでは、春樹はアバーテ伯爵の行動の裏を推測しかねていた。


(考えても仕方ないか)


 ここのところ、こんな割り切りばかりだ。もっと、公都の情報を頭にいれる必要がある。

 それは、明日からの話だ。


 春樹はシータの肩越しに、部屋に飾られた絵を眺める。緑が茂る夏山を描いた絵だ。

 どこかしらビエントの街からみた山々の風景を思い出させる。耳を澄ますと、ビエントの強い風の唸る音が聞こえてきそうだ。


 テーブルには、黄色い一輪の花が飾られている。

 春樹とシータがいるのは、ダニエルゼの従者として与えられた部屋だ。


 シータが聞かせてくれたのは、衛兵の話だけではない。


 ニコが褒賞されることとなった。

 これも公爵の取り計らいだという。アグネリアは、この処置に反対していたようだ。どうもニコがダニエルゼの従者であることに、アグネリアには不満があったらしい。

 自分の命を助けてもらったのに、よくそんな態度に出られるものだと感心する。とはいえ、アグネリアはニコに救われたことは、否定していない。嘘はつかない、というのが貴族の気概なのだろう。


『それでニコはどこにいるんだ』

『賓客用の部屋です』

『公女殿下の命の恩人を、従者用の部屋というわけにもいかないか』


 春樹がベッドから降りようとしたところで、扉が勢いよく開いた。


『従者用の部屋が駄目だっていうんなら、私の部屋に泊まればよかったんだ』


 足音高く部屋に入ってきたのは、ダニエルゼだ。春樹達がいる従者用の部屋の隣が、ダニエルゼの部屋となっている。建前上は、ダニエルゼの雑用こなすために、隣り合っているのだが、春樹とシータはダニエルゼの面倒など見ていない。

 ダニエルゼもそんなことは求めていない。


 今も、ダニエルゼの髪は、肩口のところでピンピンとはねたままだ


『それのほうが問題でしょ』


 シータが冷静な突っ込みを入れた。


『何も問題あらへん』

『男と女が同じ部屋に泊まるというのは、それだけで問題だろ』


 ダニエルゼはぴくりと頬を振るわせて、そしてみるみる首を赤く染めた。


『阿呆、そんなことせえへんわ。私が従者の部屋に寝て、ハルキとシータとニコが私の部屋を使えばいいってことや』

『それも問題あるって』


 やれやれと、シータは首を振った。


『それでニコはいつ褒賞を受けるんだ』

『授与されるのは、今日です。簡易ではありますが、式典も開かれるそうです』


 従者の立場としては、破格だろう。


『その簡易ってのも、気に入らないんやが……ま、それはいいか』


 ダニエルゼは外の景色に視線を向けた後で、声の調子を切り替えた。そして部屋の中央、テーブルの前にある椅子に腰掛けた。それから春樹とシータにも、テーブルにつくように促した。


『ハルキに聞きたいことがある』


 テーブルの上で、ダニエルゼが手を合わせる。


『職を失った城門の衛兵達を助けたい。どうしたらいい』


 それは、極めてダニエルゼらしい提案だった。衛兵としての俸給を失ったら、生活が困窮するのは目に見えている。独り身であれば、どうにでもなろうが、家族や、まして子供がいると、住む場所なども融通がきかないだろう。


 どうすればいいか、というと、方法としては単純で、何らかの新たな職を与えれば良い。


『放っておけばいいじゃないですか』


 シータが突き放した物言いをする。


『別に殺されたわれでもないですし、生きてさえすれば、どうにでもなります』


 たしかにそうだろうが、巻き添えをくらった形となる衛兵達は理不尽に感じているだろう。

 それは、ソル公爵家への失望に繋がる。


『少なくとも、春樹様が手を煩わせるようなことではないですよ』

『職を失ったものは、とばっちりを受けたに過ぎないだろう』

『本当にとばっちりなのかも分かったものではないでしょう。実際、一つの城門の衛兵は完全に裏切っていたわけですから』


 ダニエルゼの言葉に、シータはにべもなく答える。


『助ける利点はある』


 春樹は二人の会話に割り込んだ。


『公爵の立場として、城門の衛兵の総入れ替えは、仕方のない処置だ。私だってそうする。公爵の対応は理にかなうものだが、この対応を冷たいと受け取るものは多数でるだろう。誰もが理屈で動くわけではない。人は感情の動物なのだ。だから衛兵を助けるということは、ダニエルゼに人情的だという肯定的なイメージを付けることができる。ただ、一方で衛兵を助けるという場合、具体的にどうするのか、という問題がおきる』

『それはもちろん新しい職を見つけてやらないといけないだろ』


 春樹はダニエルゼに向かって頷く。


『そうだろうな』

『簡単やろ。城門の衛兵として取り立てた貴族の子弟の後釜に放り込んだらええ』

『ことはそう単純なことじゃない』


 春樹はテーブルの上に、指を置いてコンコンと鳴らした。


『どうして、衛兵を首になったかを忘れていないか』


 ダニエルゼが眉を寄せてから、それから口を大きく開いた。


『そう……。そもそも反乱の危険性を考えて免職したのに、その免職したものの職を探すというのは、道理に合わないだろ。』


 やはり、というかダニエルゼはそのことを全く考慮していなかったようだ。

 困っているものを見捨てるということを、ダニエルゼはできない性分なのだ。




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