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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第五章
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 それは唐突だった。


 どこまでも夜の中を走り続けそうだった馬車は、短い嘶きとともに道路脇に身を寄せた。

 キャリッジの扉が開くと、のそりと闇に溶け出すようにして男の影が降り立った。ニコは息を潜めると、建物の影に身を隠した。


 男に続いて降りてきたのは、アグネリアだ。


 黄色いドレスの裾には、何かの飲み物か染みが付いていた。もしかしたら、血なのかも知れない。アグネリア自身は怪我をしているようには見えない。


 しかし猿ぐつわを口にしっかりとはめられており、声は出ないようだ。両手両足は拘束されておらず、自分の足で歩いている。ドレスは汚れてしまっておりみすぼらしいが、しゃんと背を伸ばしており卑屈なところはまるでない。


 男達はアグネリアを粗雑に扱うことはなかったが、左右を固めてしっかりと逃げられないようにしている。


 三人の姿がこぢんまりとした小屋に消えると馬車は走り出した。

 一瞬、迷ったものの、ニコは小屋の見張りを続けることにした。


(馬車はどこかに乗り捨てるのだろう)


 三人が消えた小屋に、窓はあるものの灯りが漏れることはなかった。ニコは忍び足で、近づいていく。

 小屋自体は、どこにでもあるもので、特徴があるわけではない。木造で少し板がズレているところが、数カ所見て取れるが、崩れそうなほど古くはなかった。ひとりで生活するには申し分ないが、二人で住むには狭いだろう。

 とはいえ、一時的に十人程度が潜伏しても問題のない大きさだ。


 二十歩程度の距離のところで足を止めると、隣の建物の影に身を隠す。これ以上、近づくと通行人が来た場合に、明らかにその小屋を監視しているのが分かってしまう。


 耳をそばだてて、じっと息を潜める。

 様子をみる限り、すぐにアグネリアが殺されるようなことはなさそうだ。もしも、殺すつもりであれば、ここまで連れてくる必要はない。


(しかし……何かを聞き出した後で、殺される可能性はある)


 とはいえ、小屋の中に躍り込んだところで、アグネリアを人質に取られてしまっては、ニコに打つ手はない。


 忍耐が必要だった。


 遠くで、猫が鳴いている。夜道の先から、何かが歩いてくるような気がして、注意を向けるが黒々とした闇が横たわっているだけだった。

 自分の息づかいが、急に大きくなったような気がして、ニコは体を小さくして小屋を見つめる。


 小屋の窓からは、相変わらず光は見えない。

 その窓に張り付いて、中を覗き込みたい衝動に駆られる。


(せめて、小屋の裏に出入り口があるかどうかは確認しよう。ここで朝まで見張って、小屋の裏出口から逃げられました、じゃあ、イエナ達に顔みせできない)


 ニコは、音を立てないように注意しながら、あまり近づきすぎないようにして、ぐるりと周囲を確認した。


 慎重に足の置き場を吟味しながら、枯れ枝や小さな石を踏みつけないように気を配った。

 小屋を一周するのに、さほど時間は掛かっていなかっただろうが、長い時間立ち続けていたときのように、太ももの裏に張りを感じた。


 ひとつの作業を行うのに、酷く緊張した。


(まさか、ディルクのときみたいに、床に抜け道が空いているということはないだろうな)


 その懸念は、完全には払拭できなかった。

 だとしたら、見張っているのは無駄になる。そして今から踏み込んでも、手遅れということになるだろう。


 何らかの音が聞こえないかと、耳に意識を集中する。


 すると、本当にかすかではあるが中から声が聞こえてきた。


「……私……つもりだ……は……、それは……」


 アグネリアだ。


(どうやら、床に抜け道はないみたいだ)


 ニコは、小さく拳を握る。

 周りが静まり返っているからか、声は小さいが一部の内容が聞き取れる。


「……なんだ……程度……で……」


 アグネリアの声に恐怖の色はないが、言葉尻に固さがあるように思えた。


(いや、声が固いということが、怖がってるということか)


 しかしアグネリアが震えるような声を出して、命乞いをするような人間にはみえない。どこまでも虚勢を張って、殴られたら平手打ちを返しそうな女だ。


 朝まで、ここで時間を潰してどこかに行こうとしているのか。

 だが予想外の抜け道がないのだとすれば、門を通るしか逃げる手段はない。


(門はいくつあるのだろう)


 複数あるにしても、朝まではまだ時間がある。ハルキ達が事件を衛兵達に伝えさえすれば、すべての門は押さえられるに違いない。公女殿下の誘拐が行われて、城下町からまんまと逃げられるよなうことがあれば、衛兵達の面目は丸つぶれだろう。


 逃げるとしたら、何時ぐらいか。

 朝早くであれば、商人達が門には殺到しているだろうし、少し遅い時間であれば道の往来が増えてしまい犯人達が目立つだろう。


 いつ逃げるのか最善なのか、これといった時間帯が思いつかない。ただ、いずれにしろ、門はしっかりと封鎖されるだろうし、ここでニコが見張り続けるのだから、見失うことはない。行動を起こした犯人達の後をニコが付ければ良いのだ。そしていずれかの門を通ろうとするところで、検閲をしている衛兵に事実を告げれば良い。それで犯人達は拘束される。


 犯人の包囲網はすでに完成している。

 ニコは確信した。

 あとはニコ自身の役割である見張りをしっかりとこなせばそれで良いのだ。


 小屋の中からの声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。朝まで時間を潰すつもりなのだろう。

 犯人達は休むのだろうが、ニコは寝るわけにはいかない。目を皿のようにして、小屋を見張らなければいけない。けれどそれで疲れ切ってしまって、犯人達を見失ってしまっては元も子もない。そうは言っても、小屋の見張りを怠るわけにはいかないのだ。


(なんだか、鶏が先か卵が先か、みたいな話だ)


 堂々巡りをした自分の思考を頭を振って消し去る。


 そのとき、低い金属音を立てて、小屋の扉が開いた。


 ニコにとって、予想以上に早い展開だった。

 一瞬の躊躇いの後に、ニコは体を小さくして建物の影に移動する。


 星明かりのある野外よりも、より暗い小屋の内部から男が出てくる。

 目つきの鋭い男達が四人。身のこなしは慣れており、四辺を警戒をしながら隊列を組んだ。


 一人が中に視線で合図を送る。


 すると、続いて三人が小屋から出てきた。

 これで七人が小屋から出てきた勘定になる。

 全員が、土の聖霊(バスキュラ)の神官の旅装を身にまとっていた。

 先の四人は、長衣を着ていたが、フードは被っていなかった。後ろの三人は、フードを目深に被り顔は見えない。

 だがその後ろの三人のうち、一人がアグネリアであることが、ニコにははっきりとわかった。顔はわからないが、歩き方を見ればニコには明白だったのだ。

 アグネリアだけが胸を反らし気味で、足をつま先から接地していた。あれは、貴族の歩き方だ。


 しかし見た目は、一般の信徒と全く見分けがつかなかった。

 あの姿をしたものが、城門に現れたどうするか。

 門番は、神官であるかどうかの確認のため、手形を確認する。そしてその手形さえ確認したら、それ以上なにもいうことはない。


 各地を旅をすることは土の聖霊(バスキュラ)の信徒にとって、信仰の顕れだと、聞いたことがある。多くの場所を旅するほど、より信仰が篤いという証明になるのだという。

 そのため、旅を急ぐ信徒が多い。

 次の街に早くつくには、真夜中から出立する信徒もかなりにのぼる。よって、各街の門番は、土の聖霊(バスキュラ)の信徒には便宜を図るのが不文律となっている。


 だが、土の聖霊(バスキュラ)の神殿が、偽手形を発行することがあるだろうか。


(偽手形とは限らないか)


 信徒が犯人の中にいれば良いだけの話だ。


 アグネリアが、黙って連れられていくとも思えないが、いまのところ暴れることもなく、黙然と犯人達に従っている。

 脅されているのか、懐柔されたのか、二人の男に両脇を固められた状態ではあるものの、アグネリアは自分の足で歩いている。どのように強制されているのかは不明だが、最後までこのまま犯人達のいいなりだと考えるべきだろう。

 ダニエルゼであれば小屋を出た瞬間に肘鉄でも食らわせているかも知れないが、そこまでアグネリアに期待するのは間違っている。


 ゆっくりと男達が、進み始める。ニコは後を付けて歩き出した。隠れるような真似はしない。

 そもそも隠れて追跡できるような訓練を積んでいないのだ。


 馬車のような騒がしい音に紛れて後をつけることはできるが、人混みではなく、追跡対象と自分しかいないような道を追跡するというのは、とてつもなく難しい。


 小屋から出てしばらく歩いたところで、男達はニコの存在に気がついた。あからさまに、振り返ることはなかったが、こちらの気配を探ってくるのがわかった。


 ニコは、腰に佩いた太刀に意識を伸ばした。


 その存在を頼もしく思いながらも、手を伸ばすようなことはしない。まだこちらを敵と認識したかどうかは不明だ。


(いっそ、襲いかかってきてくれた方が助かるんだけど)


 アグネリアから、男達が離れてくれさえすれば、あとはニコと男達の単純なぶつかりあいになる。

 1対6になるが、アグネリアを人質に取られる状態を回避できるだけでも、ニコにとってはありがたい。


 ニコの期待を余所に、男達はこちらに向かってくることはなく、粛々と歩みを続けた。


 真夜中のことだ。

 さきほどまでは、星が見えていたのに、雲が出てきたらしく空は重い暗幕を引いたようにのっぺりとした闇で塗り込められていた。


 旅装の神官の列は、城下町の家々の連なりを無音で進んでいく。死んだように眠る街並みは、無言でその列を見送る。前触れもなく吹いた風が、旅装の裾をはためかせる。誰も顔を上げることもない。それは死者を弔う葬列のようであり、また腹を空かせて街を彷徨う野良犬の影にも似ていた。

 家々の軒先には、一つの明かりも灯されていない。


 湖の底のように、街は静まり返っていた。


 どこかで、野犬が鳴いた。

 中空に漂った鳴き声は、街の壁に反響するでもなく消えていく。まるで、この静寂を破る声を戒めるように、街全体で声を吸い込んでしまったかのようだった。


 人間の存在すら消し去ってしまいそうな、闇のとばりだ。

 しかし闇にニコは恐怖を覚えない。今まで奴隷として様々な仕事をしてきた。その中には、夜に出歩くものもあった。

 そのお陰で、どんなに暗くともそれを理由に行動が鈍ることはない。


 旅装の7つの影は、一糸乱れず歩みを進める。


 ニコはその後を追いながら、焦っていた。

 はっきりと城門がみえたからだ。

 このままでは城門から、逃げ出される可能性が高い。

 城門にざわついた雰囲気はない。篝火がひとつ焚かれており、それが周囲の闇を一層深くしていた。

 アグネリア誘拐の情報は城門の衛兵まで伝わっていないことは明らかだ。


(……ん……いや、まてよ?)


 そこまで考えてようやくニコは先ほどの自分で考えていたことを思い出した。


 そうだ。

 考えてみれば、簡単なことだった。


 つまり。

 城門の衛兵に助けを求めればいいのだ。


(公女殿下を危険にさらすことになる……が)


 ここに至っては、それも仕方がない。

 城の外に逃げられては、アグネリアの危険は更に増すだろう。城門の衛兵を巻き込めば、人数的な不利を挽回できる上に、頃合いを間違えなければアグネリアの安全を確保できる可能性だってあるはずだ。


 そうニコは腹を括った。


 それは男達が、まさに城門にたどり着いたタイミングだった。

 衛兵が二人、小さな詰め所から出てくる。そして何事かを問いかけると、旅装の集団から手が伸びる。

 どうやら、それが旅券を示す手形のようだ。


 ニコは足が不自然に速くならないように、城門に近づいていく。体中が熱を帯び始めていた。体は戦闘態勢に入ろうとしていた。


 衛兵はニコの姿に気づいたようで、手形を持つ手を止めて視線を投げてくる。それはどこまでも自然で、せいぜい真夜中なのに客が多いな程度の確認であって、目の前にいる者達が誘拐犯だとは考えてもいないようだった。


(どうして、公女殿下は衛兵に助けを求めないんだ)


 ニコは、喉から漏れそうになる言葉を飲み込んだ。まだ距離がある。ここからでは、届かない。


 衛兵は、手元の手形に視線を落として、すぐに頷いた。

 問題ないということだ。


 まずい。

 あとは、アグネリアの顔を見て、衛兵が咎めてくれることしか期待できない。。

 しかし旅装の中の顔をそれぞれに確認することすら、衛兵はしなかった。そのまま城門に向かうと、門の中にある小さな扉に手をかけた。夜間用の通用口だ。

 その扉を開けられては、おしまいだ。


「待てっ、扉を開けるなっ」


 ニコは叫びながら、静から動へとギアを変えた。

 前傾姿勢のまま三歩でトップスピードにのり、そのまま抜刀する。


 犯人達も、すぐさま剣を構える。剣の先には、十分な凄みが光っている。


(なかなかっ)


 だけど。


「遅いっ」


 ニコは、アグネリアの両脇を固めていた男達の剣を弾いた。二人は剣を取り落としはしなかったが、一瞬の隙が生まれた。


「殿下、後ろに」


 ニコは引きずるように、アグネリアの手をとると背後に庇う。そのときに、フードがはずれて、髪が広がった。

 夜目にも、はっきりと分かる金色の長い髪。そして驚いたようなアグネリアの表情。


 衛兵からもアグネリアの顔が確認できただろう。


「そなた。ダニエルゼの……」


 アグネリアからも、ニコの顔がわかったようだ。背後から、アグネリアが息を呑む気配が伝わってきた。


 衛兵とニコ達の位置関係は、抜群だ。

 丁度、犯人達を間に挟むような形になった。


 騒ぎを聞きつけたのだろう。ニコが立っている場所の右手にある詰め所から、更に二人の男が出てくる。男達の視線ははっきりとアグネリアを捉えていた。もちろん、二人とも剣を帯びている。


 アグネリアを数字に入れないとしても、これでニコと衛兵四人、そして犯人達六人。

 5対6である。


(何とかなる)


 とはいえ、油断するつもりは毛頭ない。

 ニコは肺に溜まっていた空気を吐き出して、目の前の太刀の切っ先を向けた。


 その時だ。


「あぶないっ」


 アグネリアの叫び声が聞こえた。


 右側からの剣気を感じ取って、ニコは転がるようにして体を倒した。目の前を剣が通り過ぎる。

 もし声がなければ、完全に切られていた。


 すぐさま立ち上がりながら、ニコは一瞬で状況を理解した。


 衛兵達の剣先は犯人達に向かっていない。

 ニコ達に向かっている。


 5対6ではなかった。

 1対10だったのだ。

 


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