表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第五章
93/103

93

 アグネリアがさらわれた。


『姉上が……』


 さらわれたのか、と反射的に聞き返えそうしたところに、四騎の騎馬が血相を変えてダニエルゼ達の脇を通り過ぎていく。

 拍車を掛けているようだったが、それほど速度が出ているようには見えなかった。


『初動が遅い』


 呆れたようにハルキが呟いた。


 手入れが行き届いていない馬は、いざという時に役に立たない。あれでは、馬車と同じぐらいしか速度が出ていないに違いない。


 つまりは追いつけない。

 日頃の馬の世話の手を抜いたという怠慢が、いましっぺ返しされて戻ってきているのだ。


 あのような馬に乗るぐらいであれば、走ったほうが早い。それを騎士であるという見栄のために、わざわざ騎乗して追っているのだ。


(本末転倒だ)


 唾を地面に吐き付けたくなった。


『ニコは追いつけたやろか』

『一頭立ての馬車だから、ニコなら振り切られる心配はない。しかもこの視界の悪さだ。馬車もそれほど速度は出せない。観察しながら、余裕をもって追尾しているだろ』


 馬車の速度は全力でも、たかが知れている。健脚の男であれば、日が出ている間ずっと後を付けて走ることができるだろう。

 もちろん、それは追う側が何の荷物も持っていない場合に限る、と注意書きが付く。

 馬車の利点は、速度ではなく荷物を大量に運べるところにあるのだ。


『今から、ニコを追いかけたら……』


追いつけるだろうか、と続けようとしたが、ハルキからの刺さるような視線を受けてダニエルゼは押し黙った。


『そやけど、ニコにだけ危険なことを押しつける訳にもいかんやろ』


 ハルキは首をゆっくりと横に振った。


『無駄に危険なことをさせる必要はないが、これは避けられない危険……いや、選択しても良い危険だ』


 そこでハルキは、力強い笑みを作った。


『ニコを信じろ』


 そう言われてしまっては、ダニエルゼに反論は無い。


 誓いの仲間を信じないで、何を信じるのか。

 ただ、心配ではあった。


『いますぐ、周りに助けを求めたらどうやろ』


 周囲には民家が建ち並んでいるのだ。


『それは駄目だ。アグネリアの身に危険が及ぶ可能性がある。それに民に助けを求めて、何をさせるつもりだ』

『それは……』


 ダニエルゼは言いよどんだ。はっきりと言ってしまえば、アグネリアの安全よりも、ニコの危険を排除したい。

 だがそれでは、ニコが身を挺して追っている意味がなくなってしまう。


(祈ることしかできやん……のか。いや自分にできることするだけや)


 ダニエルゼは夜の星を見上げて、手を握る。


『よっし、じゃあまずは兵士達に事態を報告せな』


 ダニエルゼの言葉を合図に、三人は城のほうに向かって走り出した。一番近い兵士の詰め所がある方角だ。


『兵士……兵士かっ。くそっ』


 走りながらハルキが突然、大きな声で叫んだかと思うと、立ち止まった。

 夜気を振るわすような声に、シータが珍しくハルキを咎めるような視線を送った。


『ハルキ様。どうかなされましたか』

『この城には城門はいくつあるんだ』


 シータの言葉に答えずに、ハルキが食いつくように、ダニエルゼを睨んできた。


『ビエントに行ってから変わっていなければ、四つだ』

『四つか……くそっ。やはり詰め所に行くしか無いか。……間に合うのか』


 ハルキは忌々しそうに呟くと、先ほど以上の速度で走り出した。


『早く……早くっ』


 ハルキは息を切らしながら走った。その隣でダニエルゼはハルキ以上に、息が切れていた。

 ドレスなのだ。ダニエルゼは。


 走ることなんて、考えられていない装いだ。

 一歩ごとに、スカートの裾が絡まって邪魔をしてくる。


『くそっ』


 スカートをつかんで、腰の辺りで結び上げた。足が太ももまで露わになるが、構っていられない。

 一秒でも、早く兵士に事情を説明することが、ニコの安全に繋がるかも知れない。そう思うと、ダニエルゼができることは、とにかく走ることだ。


 ダニエルゼが止まってしまうと、護衛であるハルキ達も立ち止まってしまう。それは結局、ニコの身が危険にさらされる時間が長くなってしまう。


(走れ、もっと早く)


 自分自身に言い聞かせながら、ダニエルゼは夜道を走った。



 ◆



 ニコは夜道を走っていた。

 馬車が視界から切れるか切れ無いか、程度の距離を保って後を追っていた。馬車の速度は、ダニエルゼ達と別れたときと比べるとかなり遅くなっている。


(これなら見失うということはないだろう)


 ダニエルゼは見ていなかったようだが、アグネリアは猿ぐつわをされて二人の男に挟まれていた。抵抗していなかったが、ニコ達を見たときに微かにすがるような色合いに瞳が染まった。


(どうすればいい)


 問題は二つあった。

 ひとつは、どのタイミングで仕掛けるかだ。正直なところ、今すぐ襲撃することも可能だ。追いついて、馭者を切り捨ててしまえば、馬車は制御を失う。

 ただそうなると、アグネリアの安全を確保できない。


(すぐに馬を制御すればいいのだが……)


 これは、ニコに暴れ馬を御する技術がないため、却下するしかない。


 もうひとつは、ニコが助けたときに、アグネリアが素直にいうことを聞いてくれるのか、という問題だ。なにしろ、ニコはアグネリアの前で、アグネリアの部下達に刃を向けているのだ。

 これはもう、助けてみるまで分からない。

 アグネリア自身をさらったものたちよりも、ニコが危険視されていないことを祈るしかない。


 ハルキのような話術があればどうにかできるだろうが、これも運任せだ。


(本当にないないづくしだな、僕は)


 情けなくなってくるが、いまは気づかれない距離を保ちながら、馬車を見失わないことが第一だ。


 星が落ちそうな夜。


 馬車が土くれを飛ばす音が、からからと遠くの街並みから届いてくる。ニコは息を殺しながらその後を追った。


 馬車は城壁に沿って、進んでいる。ここは城壁内であり、外に出るためには閉まっている城門を破るか、或いは明日の朝まで潜んで日中に何食わぬ顔で出て行くしかない。


(城門を破るというのは、現実的ではない。とすると、朝までどこかで潜んでいるというのが正解だろう)


 そこでニコの胸にえも言われぬ不安がわき上がった。だがそれは形をなすことなく、すぐに消えてしまった。


(潜むということは、建物の中に隠れるということ)


 いずれ馬車が止まったときに、どこの建物にアグネリアと共に身を隠すのか、それをはっきりと特定することがニコの仕事になりそうだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ