91
箸につかんだ肉料理を口に入れないまま、ローランドはニコ達を見つめてきた。
「殿下の従者をしていたのか」
「少し前からですが」
首を少し斜めにして問いかけるローランドに、ハルキが落ち着いた様子で答える。
「なんというか……意外でした」
たぶん、品が無いとか、振る舞いがなっていないなど、いろいろと注文のつけどころが多すぎる従者なのだろう。
(あまりに酷いと、イエナに迷惑がかかるかも知れない)
改善すべきこととして、覚えておく必要がありそうだ。とはいえ、騎士学校にいけばその辺りも教えてもらえるかも知れない。
ぜひそうであってほしい。
そうでなければ、周囲の振る舞いを見て覚えるしかない。
「殿下は、これから公都に住まわれるのですか」
「そのつもりです」
ノイマールの帳簿を付けるという仕事を、公爵から引き受けた以上、ビエントに戻ることはないだろう。
「殿下は、ビエントの光の聖霊神殿に修行に行かれていたとお聞きしておりますが……その……」
そこでローランドが言いよどんだ。箸につかんでいた肉料理を口に運ぶのではなく皿にもどすと、ローランドは音のしないように箸をテーブルに置いた。
「不躾ではございますが、光の聖霊の加護は得られたのでしょうか」
その問いに、ダニエルゼは頬に手を当てた。
「意外です。このような話を、ヘルト家の方が口にするとは」
「この話は、ヘルト家を代表して聞くわけではございません。そもそもこの場での私は、一人の従者でしかございません」
ローランドは、背中を伸ばしたままダニエルゼを見る。
「殿下は、最近の市井のものたちの噂話をご存知でしょうか」
噂話……、大きなところでは、穀物の出来がよくない、とか、ウェントゥス家との戦になりそう、とか、小さいところでは、近所のガキが乱暴だ、とか、台所の椅子ががたついている、までいくらでもありそうだ。
「公爵領の南西地方、つまりノイマール辺りからの噂話なのですが」
「ノイマール……ですか?」
ダニエルゼの声が、少し高くなった。ハルキが地名を聞いたときに、伏し目がちだった顔を上げた。ニコも身を乗り出したくなるのを、ぐっと押さえた。
三者三様のその態度に気づいたのか、ローランドが視線を、ダニエルゼ、ニコ、ハルキの順で動かしたが、追及の言葉はなかった。
「ノイマールというと、特定の地域のようですが、公爵領内の南西の地域全般である噂です。噂の内容は、ある活動が盛り上がっているという噂です」
「どのような活動なのですか」
ダニエルゼは、にこやかな笑みを浮かべていたが、瞬きをしていなかった。
「非常に不敬な話ですが、ソル公爵家に公爵領を治める資格無しとして、公爵家の転覆を謀っている、とか」
「何だとっ」
自分でも、驚くほど大きな声をニコは出してしまい、周囲の注目が集まった。だが、その視線など気にしている場合ではない。
「それは事実なのですか」
固い声だけは何とか柔らかくして、ニコはローランドに尋ねた。
「事実かどうかはわからない。ただ、私の耳にそのようなことが入っているということは、当然公爵閣下はご存知であろうし、つまりは殿下のお耳にも入っているものかどうか、と思いまして」
そのことでしたか、とダニエルゼが笑みを深くしながら頷いて見せた。
「やはり、すでにご存知で」
「噂話ということで知ってはいました」
ダニエルゼはコップを傾けて、水を飲んだ。その喉の微かな震えをみて、ニコはダニエルゼが嘘を言っていることに気づいた。
当然、ハルキも見破ったようだ。
こういうときのハルキのフォローは早い。
「申し訳ございません。私とニコは、そのような活動があるということは知りませんでした。具体的にはどのような内容なのでしょうか」
ローランドはダニエルゼに軽く会釈をして、こちらに向き直った。
「ソル公爵家は、五公爵家の中で、筆頭という立場にある。その理由は、その守護聖霊であられる光の聖霊が唯一無二の存在だからだ。空にはただ一つの太陽が輝き、地上にはただソル公爵閣下お一人が、光の聖霊のお言葉を代弁する。そのことに疑いを持っている連中がいるのだ。つまり公爵家の方々が、光の聖霊の加護を得ていないということを理由に、公爵家の人間たる資格なし、とするのだ」
「聖霊の加護など、大イエナの神威を上げるために、後生の人間が作り出したものであろう」
ダニエルゼの言葉に、ローランドもテーブルの上で手を組んで同意を示した。
「私もそのように考えていました。しかし公爵位につくときは、今でも聖霊の加護を得る場面が儀式として残っているのも事実。そして、その不敬な連中がいうには、聖霊の加護を得ている人間かどうかを、儀式によって判別できる、といっているのです。そしてその儀式を受けて、聖霊の加護を得ているとはっきりとわかっている人間が、公爵位につくべきだ、というのです」
ダニエルゼは首を横に振った。
「それでは、五公爵家はすべて資格なしになってしまうではないか」
ローランドはダニエルゼの呟きを受けて、続けた。
「市井のものたちの間では、そもそも聖霊の加護などという言葉自体あまり知られていなかったのに、その連中の話を聞くようになってから、やにわに公都でも、聖霊の加護に関する話を耳にするようになりました」
口を閉じたローランドに対して、ダニエルゼは問いかけた。
「それだけの話、すべて噂話ということで、切って捨てることは難しいのではないですか」
「どうでしょう……。いまノイマールは跡継ぎが居らず非常に不安定な状況です。ちょっとした噂話が、針小棒大となり伝わってくることもありましょう。ただ最近の公都では、市井の間だけでなく、貴族の間でも、何かと口にのぼる話題であります。ルーク様の行方がわからないのも相まって、不敬なことをいう輩がいるのです」
「まさか、兄上の行方が分からないのは」
ダニエルゼの言葉尻に震えが混じった。ローランドが目を閉じた。
「左様です。この連中が拉致したのではないか、という話がまことしやかに囁かれているのです」




