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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第五章
88/103

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(不審者は、お前だよっ)


 春樹はニコを指さして、叫びたくなった。しかしダニエルゼが斬りかかるよりは、100倍マシだ。

 主人を馬鹿にされて、激怒した従者というのならばまだ言い訳がきく……と思いたい。


 男達は完全にニコの迫力に負けており、刃を向けられていない吊り目の男も固まっている。


 ダニエルゼは自分がやりたかったことを代わりにされて悔しそうに歯がみをしており、シータは面白い見世物を見るように口だけで笑っていた。


 これは春樹が場を執りなすしかないようだ。

 どうやってこの場を収めようかと思い、とりあえず刀を下げさせようと春樹が手を上げたところで、車輪の音が聞こえた。

 振り返ると、二頭立ての紫の馬車が庭に入ってきたところだった。


 その窓に、アグネリアの姿がはっきりと見て取れた。

 馬車が姿を見せてもニコは、刃を引かなかった。今さら太刀を引いても、見られているのだから後の祭りだ。


 けたたましい嘶きを上げて、馬車が玄関の前に停まった。


「あいかわらず、騒ぎを起こしますね」


 馬車から降りてきたアグネリアが、ダニエルゼを見てうんざりしたようになじった。それから、黒服の男達をみた。

 男達の体がこわばるのが分かった。

 ダニエルゼを一瞥したアグネリアが、抜き身を握るニコの姿に怖がる様子も見せず近づいてニコの肩を叩いた。

 自分が切られるわけはないと、確信した振る舞いだ。


「刀をお引きなさいな」


 その言葉も、また自分の命令を聞かないものはいないと、確信したものだ。


 しかし、ニコは太刀を引かなかった。

 そのニコの態度に、場の緊張感が高まるのがわかった。


(ニコ、引け。……気持ちは分かるが、太刀を下ろせ)


 春樹は視線でニコに電波を送った。だが、ニコはそもそも春樹を見ていない。ニコは視線は太刀を向けられた男に向けつつ、体全体で気配を探っている相手はアグネリアと、そしてダニエルゼだ。


 ニコがアグネリアに命じられて太刀を引く訳がないのだ。春樹にだって、それは分かる。


 アグネリアの頬が引きつった。


「刀を引け、と命じたのが聞こえなかったの」


 背筋が凍りそうな冷たい声で、アグネリアが繰り返した。その言葉に反応したのは、ニコではなく黒服の二人だった。太刀を突きつけられているにきび男だけでなく、側にいる吊り目の男まで、明らかに狼狽して顔色を無くしていた。


「もう良い、ニコ」


 そこにダニエルゼの言葉が、割って入った。

 すると、ニコは太刀を何の予備動作も見せずに後ろに跳んで春樹の隣に立つと、鞘に太刀を収めた。


 そう、ニコがアグネリアの命令に従うはずが無い。ニコが命令に従うのは、ダニエルゼだけだ。春樹とシータだと、お願いのレベルのだろう。

 ましてや、アグネリアに命じられて、太刀を引くはずがない。


 アグネリアが低く唇を鳴らした。

 その目には親の仇を見るような、鋭い憎しみがある。


「切りなさい」


 アグネリアの指先が、ニコの顔に突きつけられる。それはタクトを振るう指揮者のようなものだ。

 まず、ニキビの男が、抜刀した。


 そしてニコに向かって、刀を振り下ろした。

 ニコの右腕が円を描くように、振るわれた。


 甲高い鉄の響き。


 ニキビ男の手から剣が飛ばされて、玄関の柱につき立った。そして、吊り目の男が動くよりも先に、ニコは瞬足で駆け寄ると男の腰から剣を奪い取った。


 男が慌てて、自分の腰の辺りをまさぐるが、目的の剣はすでにニコの手に収まっている。


 一部始終を見ていたアグネリアが、呆れたようにため息を吐いた。


「不甲斐ないこと」


 アグネリアはいまいましそうにニコを睨んだが、さすがに斬りかかるようなことはしなかった。そこがダニエルゼとの違いだろう。


「主人も主人なら、従者も従者のようね」


 それを捨て台詞にして、アグネリアは春樹達に背を向けた。


 そのあまりの変わり身の早さに、春樹達だけでなく、黒服二人も呆然とする。そのアグネリアから、声だけが流れてきた。


「そろそろ開宴だから、遅れないようになさいな」


 そうそう、とアグネリアは首だけをこちらに向けた。

 視線の先は、唖然とした表情で女主人を見送る黒服の男だ。


「私の妹の顔ぐらいは、覚えておきなさい」


 へっ、という間の抜けた声を黒服達が漏らした。



 ◆



 ニコが男に刃を向けたのは、ダニエルゼのためだった。


 いくら腹が立っても、ダニエルゼが番兵に切りつけては取り返しがつかない。主人がかなえられないのであれば、ニコが切りつけるしかない。

 だからダニエルゼに代わって、ニコが男に刃を向けたのだ。


 ニコにとっては、ごく当たり前の思考だったが、ハルキにはそうではなかったらしく、屋敷に入ってから、短慮な行いだとかなり責められた。


 主人が辱めをうけて、その憤懣を主人自身が晴らせないのであれば、その臣下が晴らすのが当然、と言うと、ハルキは手で顔をおおって嘆いた。


「忠臣蔵じゃないんだから」


 と。


(チュウシングラってなんだろう)


 ニコの知識にはないものだった。


 今夜の夜会は、主人であるダニエルゼがいる会場に従者も入っていいという話だった。

 つまり侯爵や、男爵といった領主達と一緒の部屋ということだ。

 ちなみに公爵はいない。公爵はロドメリア大公国においては、ソル・ウェントゥス・バスキ・イグニス・アクワの五家しかない。ソル公爵領の公爵は、その名が示す通り、ソル公爵だけだ。


 貴族達と、従者が一つの部屋に入るということを聞いたとき、ニコは驚いた。


(それは警備上問題あるんじゃないか)


 それがニコの率直な感想だった。でも、ニコ自身としては、ありがたい。ダニエルゼが襲われた時に、盾になって死ぬこともできないのでは、なんのために会場に来たのか分からない。


 ダニエルゼによれば、高位貴族の従者は下位貴族の次男や三男、または娘がしていることが多く、こういった機会に夜会に参加させるために、従者になっているのだという。上位貴族に見初められて、側室になる場合もあるし、男の場合、白羽の矢が立てば養子として爵位を継ぐこともある。


 ニコとしては、爵位を継ぐということには、まったく興味を惹かれない。なぜなら、ニコがなりたいのは、騎士だからだ。


 ニコは、騎士という地位にこだわりがあった。

 そのためには、まず騎士学校に入ることだ。アバーテ伯爵にそのことを聞いてみたところ、ダニエルゼの従者という立場であればすぐにでも入ることは可能だという。


 早く手続きをしたい。

 そして、早く騎士になりたい。


 騎士になるには、騎士学校を出る必要がある。入学するのも決して簡単ではないが、卒業するのはもっと難しい。もともと、騎士の家系であるものや、貴族に連なる血筋のものは、学校の講義を全てを履修して、卒業試験を受けさえすれば騎士の資格を得られる。

 だが、そういった血筋ではないものは、どうなるか。


 空席を待つ、というのが本道だ。優秀な成績であれば、跡継ぎが誰もいない家系に養子として入ることも可能だ。

 だが、騎士になるのにそんな道を選ぶのは、ニコは邪道だと考えていた。


 騎士は公爵によって任命されるものだ。


 それが、本来の騎士のあるべき姿だ。後を継ぐとか、貴族の家系からの傍系としての騎士位の授与は本筋ではない。


 功績によって、騎士として任命される。それこそが、騎士だ。


 クリスト公爵から、授与されるのもいいが、次の公爵であるダニエルゼに授与されるのも悪くない。

 もちろん、誰からも後ろ指をさされないようなしっかりとした功績を挙げてからの話だ。


 ハルキはダニエルゼが公爵になるのは、厳しいという見込みをしているが、ニコはダニエルゼが公爵になることにまったく疑問を抱いていなかった。


 理由は一つ。

 ダニエルゼは公爵になるのに、相応しい資質を持っている、から。


 ビエントの街の火災のときに、真っ先に救出に向かったダニエルゼを見て、ニコは確信した。


 ダニエルゼこそ、公爵になるべきだ、と。


 ハルキは、ダニエルゼの立場に対する無自覚さを嘆く。しかし立場だけをいうならば、ダニエルゼが公爵位を望むこと、そのものが間違いなのだ。それはハルキやニコの誓いだって、そうだ。


 立場を越えて、成し遂げることにこそ、価値がある。

 そうニコは思う。


「そろそろ、時間です。みなさん、静粛に願います」


 パーティ会場の、入り口にあたる扉。その前に、黒服の男が立っていた。さっき、庭番をしてい男とは別の男だ。黒服はこの屋敷の制服なのだろう。


 ニコ、ハルキ、シータの三人と共に、貴族の従者達は、主人である貴族達とは別の小さな部屋に詰め込まれていた。宴会の会場はひとつだが、控えの間が別々になっているのだ。

 従者達の控えに当てられている部屋はかなり狭く、隣の人と肩がこすれそうなため、ひどく息苦しさを覚えた。


 すでに時刻は、かなり遅い。

 過度に蝋燭が焚かれているためか、部屋の中の空気は悪かった。


「汗臭い」


 シータが隣で顔をゆがめている。特に背が低いシータにとっては、苦行だろう。一方で、ハルキは、デンチュウでござる、とか、オノオノガタウチイリでござる、とかぶつぶつ言っていた。ニコにはよく分からなかったが、いつもどこか不満げなハルキが、楽しげだった。


「では、準備が整いましたので、どうぞお入りください」


 両開きの扉が、二人の黒服によって開かれた。


 それと同時に、おお、というどよめきが起きた。

 ニコが、背の高さを活かして部屋の中を覗き込むと、黄色のドレスのアグネリアが頭を下げていた。


 赤から黄色のドレスに着替えたアグネリアが、顔を上げてにっこりと満面の笑みを浮かべた。

 にごりのない真っ直ぐな笑顔だ。


(綺麗だ)


 ニコの頭の中で、さきほどの憎しみ混じりのアグネリアの顔と、今の顔がうまく重ならなかった。




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