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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第五章
87/103

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 ソールに到着した日の翌日。

 そして夜。


 昨夜と比べると風が強く、シータの髪が風をはらんで膨らんでいた。それでもビエントに吹く風に比べると、微風という程度で、シータは目の前を髪が踊っても気にする風も見せなかった。


 春樹とニコ、シータ、それにダニエルゼの四人で、ソーラス城の外壁に沿って伸びる大きな通りを歩いてた。


 ダニエルゼが先を歩き、その後ろに春樹とシータ、さらに一歩遅れてニコが続いている。


 今夜のダニエルゼは黄色のドレスだ。華やかというよりも、生き生きとした向日葵のような染め色で、薄い茶色の髪を肩に揺らしたダニエルゼによく似合っていた。


 シータも従者として恥ずかしくないように、白い夜会服だ。ダニエルゼが向日葵だとすれば、白い桔梗のような出で立ち。もちろんダニエルゼの横に立っても悪目立ちをしないように、服の装飾は控えめになっている。


 春樹の後ろから聞こえるニコの足音は、周囲に警戒を巡らしているのが分かった。まだ、ニコはこの公都(ソール)に心を許していない。ここまでの道中で一度襲われているのも、警戒をゆるめられない理由のひとつだ。


 道行きの右手には、人を見下ろすように城壁が聳えており、その巨大さは側にいるものに根拠のない不安感を抱かせた。左手には、ソーラス城に勤める下士官達のものか、小ぶりの住宅が肩を寄せ合うように軒を連ねていた。

 その窮屈な作りが、日本の建て売り住宅を思い出させた。


 ダニエルゼが、無言のまま三人を先導する。


 そのダニエルゼの後ろ姿も、十分に美しいものだったが、それよりも衆目を集めたのは、春樹の隣を歩くシータだ。


 シータの銀色の瞳に吸い寄せられるように、幾人かが振り返っていた。

 男も女も関係ない。

 シータの美貌は性別を超越しているようなのだ。一方で、シータ自身は、そういった視線を一向に気にしていなかった。


「空……綺麗ですね」


 シータが涼しい声で、春樹に声を掛けた。

 空には星が瞬いていた。

 長野で夏の夜空を眺めたときと同じ、空が白く滲むような星空だ。あれは春樹が、母の秋子と二人で旅行に行ったときだ。


(高校生、だったよな)


 大学生と、社会人になってからは、秋子と旅行に行った記憶は無い。たしか受験勉強の息抜きと称して出かけたのだ。


 それは何の前触れもなかった。


 日本でいた頃の思い出が、溢れるように春樹の頭の中に蘇ってきた。


 子供の頃に、姉の真冬とたまごボーロの取り合いをしたこと。

 小学校の時に、秋子が熱を出した春樹を迎えに保健室まで来たこと。

 中学校に入った時に、友人達が机の中に教科書を入れっぱなしにすることに驚いたこと。

 大学受験のときに、弁当の箸を忘れたこと。

 税理士会の忘年会で飲み過ぎて、便器にしがみついて吐いていたこと。


 そんなどうでもいい、でも、目がくらむような懐かしい光景が、胸の中を占拠してしまい。春樹は立ち止まった。


 白く滲む星空はまるで天の川のように、春樹には思えた。星空は、何も言わずに春樹を見守っている。


 目眩がした。


 もう戻れない。


 何度も繰り返した、その言葉。

 結局、何度繰り返しても、本当の意味での覚悟などできないのだ。春樹は間違いなく、日本で生まれ育ったのだ。それを無かったことにはできない。

 その過去を抱きしめながら、ここで生きていくしか無いのだ。


(また、思い出すんだろう)


 その記憶を抱きながら、春樹はこの国で生きていくのだ。

 奴隷解放と嘯いて、日々を踏みしだきながら。


「ハルキ様。どうかなさいましたか」


 シータが気遣わしげな様子で、ハルキを見上げた。


「いや、ちょっと昔を思い出してた」


 春樹は突然の思い出の氾濫に、心に蓋をした。

 思い出しても仕方がないこと、なのだ。


「そう、ですか……」


 シータは何かを続けようとして、やめた。春樹が自分の過去をしゃべらないことをすでに知っているからだろう。

 シータの横顔は怒っているような、泣いているような、複雑な表情を見せている。ただシータ自身も、過去の全てを春樹に話してくれているわけではないはずだ。


「会場まではどれくらいなの」


 ニコが二人の間に流れた気まずい空気を流すように、ちょっと高い声でダニエルゼに問いかけた。


「もう少し」


 四人は、アグネリアが主催する宴に招かれていた。もちろん、ダニエルゼが主人であり、三人はその従者という立場だ。


 今夜の目的は、ダニエルゼの名前と顔を売り込むことと、貴族達の顔を四人が覚えることだ。アバーテ伯爵からもらった資料で、貴族達のプロフィールは春樹の頭の中に入っていたが、残念ながら顔が分からない。

 今夜のパーティで、参加者の名前と顔を一致させる。もちろん今夜のパーティに参加する貴族は一部だろうから、同じようなパーティに参加し続けて、顔を覚えていく必要があった。


 そしてできれば、ダニエルゼだけではなく春樹達の存在も覚えてもらえれば、それに越したことはない。


 ダニエルゼの従者にこんな顔の奴がいた、程度で良い。

 それを積み重ねることが、顔を売る、ということだ。

 この地道な活動が、奴隷解放に繋がっている。国や社会のあり方を変えるには、現在権力を持っている場所に立つことが近道だ。


 しかし、ダニエルゼが公爵になるのは、湖の真ん中に落とした指輪を捜すぐらい不可能に近い。春樹としては、ダニエルゼが公爵位に付けなかったときのことも考えて、自分の立ち位置も確保しておく必要がある。それが結局のところ、ダニエルゼの助けになることもあるだろう。


「会場は、あそこです」


 ダニエルゼが指し示したのは、二階建ての建物だった。

 一階の正面には、柱廊の間に花壇が並んでおり、二階にはバルコニーが見えた。柱や窓は細かい植物のレリーフで飾られており、窓は星明かりに鮮やかにきらめいていた。

 本館の右側には、廊下で結ばれた別館があり、庭には大きな樹木が植えられていた。

 別館を含めると、ビエントの領主館の三倍程度の広さがありそうな大邸宅だった。


 館の前にある開けた庭に春樹達が到着すると、玄関の前に立っていた黒服の男が二人、駆け寄ってきた。


 男達の駆け寄るスピードを見て、ニコが三人の前に立った。


「何か」


 ニコが、丁寧に問いかけた。


 男達は、音もなく立ちふさがったニコに驚いたように、足を止めた。そしてニコの巨躯を睨み付けた。

 先頭の男は、ニコが腰に佩いた太刀を注意深く観察していた。もちろん男達も剣を帯びている。


「当屋敷に何用だ」


 吊り目の男の声には警戒と敵意が読み取れた。


「我が主人が、アグネリア公女殿下の夜宴に招かれたのです」


 ニコが恭しく腰を折った。


「今夜の宴に呼ばれた、というのか」


 吊り目の男は、ぎりぎり礼儀を失わない態度で、こちらをじろじろと値踏みをする。ニコ、春樹、次にダニエルゼを見て、おやというように瞳の動きが止まり、最後にシータを見て、驚愕の表情を見せた。


 吊り目の男はしばらくシータを見たあと、またニコと春樹に視線を戻した。男連中のほうが、話がしやすいと踏んだようだ。


「それで、誰が主人なのだ」

「私です」


 ダニエルゼはきっぱりと告げた。

 服装を見れば、誰が主人なのか明らかだ。それをわざわざと聞くことに、悪意を感じ取ったのか、ニコの目尻の皺が深くなった。

 ニコは笑ったまま、怒る。


「失礼ですが、お名前を」


 屋敷に案内するでもなく、庭先で春樹達を足止めをしたまま男が言葉を重ねた。


「失敬な男だな」


 ニコが苛立ちの言葉を口にする前に、ダニエルゼが苦情を口にした。


「まずは、屋敷まで先導するのが、あなたたちの仕事だろう。なぜここで立ったままで、詰問されねばならないのか。来賓の顔も知らぬのか」


 毅然としたダニエルゼの対応だった。


 ただ黒服の対応も分からないではない。

 恐らく客は、基本的に馬車で乗り付けるのだろう。そこに徒歩でのこのこと現れたものがいれば、誰何の声を上げるのは門番の義務だ。


 ダニエルゼの堂に入った態度に、鼻白んだような表情を男は見せたが、十以上は年下に見える女からの侮蔑に素直な対応をとることができなかった。。

 吊り目の隣にいた、頬にひどいニキビのある男が不快そうに眉をしかめた。


「不審なものを夜会に入れないのが、我々の仕事ですので」

「不審なもの、だと」


 まずい。

 ダニエルゼが着ている黄色い服が、風のせいではなく膨らんだ。次の瞬間、ダニエルゼはニコの腰にある太刀に手を伸ばした。


 ダニエルゼが何をするつもりなのか、明らかだった。


 瞬間、春樹はダニエルゼを止めようと肩に手を掛けたが、簡単に振り払われてしまう。


 ダニエルゼが足を深く沈める。


 だが、ダニエルゼの手が太刀をつかむことはなかった。

 ニコが、ダニエルゼの手から逃れるように太刀の柄を下げたのだ。


(ナイスだ、ニコ)


 心の中で春樹が喝采を送ったのもつかの間、ニコ自身が流れるように抜刀した。そのまま跳躍して、にきび男の喉元に刃を突きつけた。


 瞬き一つの間の早業だ。


「誰が、不審だ」


 ニコが低い声で唸った。




遅くなりましたが、ご指摘いただいた誤字等すべて修正しました。

今後もよろしくご鞭撻下さい。

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