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ダニエルゼは驚いて、どのように反応してよいか分からなかった。
(ルーク兄さんを……父上が殺したやと)
ルークとクリストの仲は良好だったように、ダニエルゼには見えた。他公爵家や他国の使節が来た時も、ルークは同席しており、諸外国からもはっきりと跡取りと目されていた。
そしてソル公爵家の貴族達からも異論は出ていなかった。
少なくとも、ダニエルゼが公都にいた頃までは、だ。
(それとも、私が知らんだけやったんやろか)
ルークが殺された、ということよりも、そのことがクリストによってなされたということが、ダニエルゼにとって重たかった。
ダニエルゼはクリストの視線を受けとめることができずに、部屋の天井に視線をなげ、次に窓にむけた。そして最後に扉に視線を向けた。
(何がどうなっとんのか、さっぱりやハルキ)
「どうして、父上がルーク兄さんを……」
「ふむ……どう言えば、良いのか」
クリストの顔に苦しそうな表情が浮かんだ。
「ルークは頭が良かった。だからこそ……自分の考えに酔ってしまったのだ」
クリストはその言葉を吐くと、頭を一度ふった。そうすると、年相応の疲れた表情が垣間見えた。
「兄さんは、一体何を……」
クリストは、まるでダニエルゼが目の前にいることを忘れていたかのように、こちらに顔を向けた。
「……貴族をまとめて、暴動を起こそうとしたのだ。……公子だからといって……いや公子だからこそ、それを認めては、秩序が保たれぬ」
抑揚のない言葉のなかに、こらえきれない怒りとそれと同じぐらいの寂しさが含まれていて、ダニエルゼは口をつぐむことしかできなかった。
(ルーク兄さんが、跡継ぎと決まっているのに、暴動をするってどういう場合なんや)
暴動をするなら、次男のベルマンや叔父のエーゴットだろう。
「ダニエルゼ様。ルーク様のことはおいおい分かることでありましょう」
ヨゼフは口元を引き締めて、言葉を継いだ。
「それでダニエルゼ様の相談とはなんでしょうか」
クリストもそれに応ずるように、ダニエルゼに視線で促した。
ダニエルゼは肩すかしを食らったような気分だった。だがこれ以上、ルークの話題には答えないという意志が、クリストとヨゼフどちらからも伝わってきた。
ダニエルゼは切り替えて、口を開いた。
「私も、父上の手伝いをさせていただけないでしょうか」
「それは、政に携わりたいということか」
「はい」
ダニエルゼは神妙に、顔を伏せた。
うなり声が、クリストから漏れた。
「わからないものだ」
ダニエルゼが顔を上げると、クリストがダニエルゼに真っ直ぐに視線を向けていた。
「お前は、公爵家の中にいることを憎んでいたと私は思ったのだがな」
そうだ。
クリストの言うとおりだった。でも、今は違う。
「今、近隣公爵家が、ソル公爵領をかすめ取ろうと、小規模ですが侵攻を繰り返していると聞いております。また公爵領内の諸侯も、経済の停滞を原因とする税徴収額の減少、それから派生した治安悪化など、懸案を抱えているとのこと。現に、私もここまでの旅程で野党に襲われました。この大難の時世に、微力ではありますが、ソル公爵家の力になれることがあれば、と……」
「女のお前が気にする必要はないことだ」
これがひとつの壁だ。
女であること、それだけで否定される。
クリストは、言葉を続ける。
「それにだ。お前に国を動かすことは、無理だ。お前は何も教育を受けていない。ルークはもちろん、ベルマンも、そしてアグネリアでさえも一通りのことを学んできたのだ。語学、地理、歴史、法律、政治、更には帝王学。しっかり学んできたもの達を差し置いて、政に参加したいなどというのは、虫が良すぎるのでないか」
政に参加できない理由として、クリストは女であることを第一にあげた。これは単なる慣習による否定だ。だが、それに続いた理由は、ある種の説教であった。
そしてダニエルゼにも、そこには十分な理由があるように思えた。
理屈のない感情論ではなく、理性的な筋道を示した説教なのだ。
(理由があることであれば、理屈で乗り越えられるはずや)
そう考えて、ダニエルゼはその思考の動きに苦笑する。あまりにもハルキ的に思えたのだ。
(まぁ、ハルキの場合、行動原理が理性的なクセに、いきつく先が、奴隷解放なんていうめちゃめちゃな感情論やからな)
ダニエルゼはハルキなら言いそうなことを考えて、脳裏にひらめいた言葉を並べた。
「父上、私は政に参加したいとは申しましたが、何も公爵家の政に直接関わりたいと申したのではございません」
「では、どうしたいのだ」
「例えばでございますが、公爵家の直轄領で、上がってくる各地の納税物の記録を帳簿につけるような仕事があると思います」
「それはヨゼフの管轄だな」
さようでございます、とヨゼフが頷く。
「その帳簿をつけているのは、どなたでしょうか」
「それは……」
ヨゼフは考えていた様子だったが、すぐに首を振った。
「申し訳ございません。誰がつけているかまでは、記憶しておりません」
それから数人の経理官の名前を挙げた。
「これらのものの、部下の誰かという程度までしか分かりませぬ」
「父上」
そこでダニエルゼは目の前で合掌をして、深く頭を下げた。
ソル公爵領での最敬礼だ。
「そのような末端で結構なのです。私はソル公爵家の力になりたいのです。どうか会計機構の末席に、私の席をお与えください」
クリストが目を閉じた。その眉間には皺が寄っている。
しばらくその表情のまま無言。
扉の向こうにいるハルキ達の心臓の鼓動が聞こえてくるのではないか、と思えるほどの静寂があった。
やがて、クリストは目を開いてヨゼフに命じた。
「ダニエルゼを、ノイマールの経理を担当させよ」
「ノイマールを、ですか」
「そうだ。ノイマールだ」
ダニエルゼには、聞き覚えのある地名だ。今のダニエルゼの頭の中には、公爵領のすべての地名と、統治している貴族の名前が入っている。
……恐らく、記憶違いがいくつかあるが。
「ノイマールといえば、先日、統治していた子爵が亡くなって、跡継ぎがいないために、公爵家の直轄地となったところでございますね。たしか実入りの良い特産品がないために、財政が厳しい。また、イグニス領と接してはいるものの、整備された街道がないために貿易で利益をだすのも難しい。領内には大きな銀鉱があり、かつてはそこから採掘される銀で潤っていましたが、その銀鉱も、すでに銀を採り尽くして閉鎖されている状況のはずです」
ほう、とクリストが感心したように目を細めた。
「ノイマールの名を聞いただけで、そこまで情報が出てくれば、たいしたものだ。いまお前が言ったように、あまり重要性は高くない領地だ。そこの帳簿をつけることを命ずる。異論はあるまいな」
「もちろんでございます。全身全霊をもって、職務に当たります」
そうダニエルゼが答えたところで、クリストが突然激しく咳き込んだ。
思わず駆け寄って、ダニエルゼがクリストの肩を抱きかかえる。
「大事ない」
長く続いた咳のあとで、クリストが苦しそうに胸を激しく上下させながら、ダニエルゼに手を上げた。
「お嬢様。そろそろ」
ヨゼフの言葉に、ダニエルゼはクリストをゆっくりとベッドに寝かせた。
「自らやりたいと言った仕事だ。見事、やり遂げよ」
苦しげな呼吸のまま、クリストがそうダニエルゼに言い聞かせた。
その言葉を受けて、ダニエルゼは公爵の部屋を辞した。




