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「殿下以外の方は、こちらでお待ち下さい」
丁寧ではあるが、有無を言わさぬ口調で兵士が告げた。
「私もだめか」
伯爵の問いに対しても、ご配慮ください、ときっぱりと却下をした。
しっかりと訓練されているのが、はっきりとわかる清々しい対応だった。
ダニエルゼは、伯爵とハルキ、それにニコとシータ。それぞれに目配せをしてから、扉の前に立った。
扉に取り付けてある鉄製のノッカーが、妙にひんやりとしているようにダニエルゼには感じられた。一度、右手でノッカーを手に取ったが、左手に持ち直した。
どれくらいの大きさで、ノックをすべきなのか、そんなことが気になった。
だがすぐに、阿呆らし、とダニエルゼは首を振った。
そして、遠慮なく、鈍い音を立ててノックをした。
「父上、ダニエルゼでございます」
しばらくの沈黙のあと、入れ、という返答があった。
ダニエルゼは、振り返らずに扉を開いた。
視界に入ったのは、木造のベッド。そこに父であるクリスト公爵の姿が見えた。ベッドは実用重視のどっしりとした作りで、装飾は一切されていない。謁見の間に向かう廊下のように、外交の使節が目にするような場所には、十分な装飾があるが、そうでない場所は有用性に重きを置いた作りとなっているのだ。
クリスト公爵の考え、というわけではなくそれが代々のソル公爵家の家風なのだ。
(なのに、公爵家の財政は傾いとるいうんやから、不思議や)
ベッドの側には、二人の男がおり、離れた場所に五人の側女が控えていた。
「何をしにきた、ダニエルゼ」
二十半ばの男が、ダニエルゼを見つめた。角張った顎に、突き出た頬。胸にはしっかりとした筋肉がついており、腰に典礼用の装飾が施された剣を下げている。ブロンドの髪の毛は綺麗になで付けられているが、ぎらついた瞳は暴力を生業とする傭兵のようだった。肩には真っ赤なガウンを羽織っている。
赤い凶暴な狼を思わせる出で立ちだ。
兄。次男のベルマンだ。
「お前は、城を嫌っていたはずだ」
視線に圧力があった。その視線をダニエルゼは、左手で髪をかき上げてかわした。
「父上が体調を崩されたとお聞きして、いても立ってもいられなくて、はせ参じました」
「嘘を言うな。お前が父の病床を知って、駆けつけるようなタマか」
投げ捨てるような物言いのベルマンに、これ以上の会話は無駄だと思い、ダニエルゼは隣にいるもう一人の男に意識を移した。
白髪で顎に髭を生やした男だ。公爵家で家令をしているヨゼフだ。
「ヨゼフ。父上は」
「ちょうど、お眠りになったところでございます」
身長はベルマンと同じぐらいのはずだが、背筋が伸びているために高く見える。黒いネクタイが印象を引き締めている。口元の髭は綺麗に切りそろえられている。たしか、毎朝、食事をするよりも長い時間を掛けて手入れをする、と侍女から聞いた覚えがある。
「容態はどうなのですか」
「医者達の話では、胸の臓器が原因らしいとのことです」
「らしいということは、はっきりとわからない、ということですね」
「左様でございます」
医者達、という言い方からして複数に看てもらったということだろう。原因の分からない病は数多いと聞くが、公爵家付きの医者が首を揃えて分からないというのも情けない話だ。
ダニエルゼは、ベッドの側に寄ってクリストの顔を覗き込んだ。
顔が土気色をしていた。誰が見ても、体調が心配になる肌の色だ。病がかなりひどいものであることは、ダニエルゼにも想像ができた。
もしいま、クリストが亡くなったら、どうなるのか。
ダニエルゼにはよく分からなかった。アバーテ伯爵から聞いた話では空中分解するようにも思えるし、大丈夫なような気もする。
結局、知識が少なすぎるのだ。
自分の目と耳で確かめ、聞いて判断できるようにこれからダニエルゼはならないといけない。
(それよりも今は、父や)
ダニエルゼが身を乗り出して、クリストを覗きこむ。
できれば長生きをしてほしい、そう思う。公都では、街の学校に通っていた記憶ばかりが残っていて、ソーラス城のことはあまり覚えていない。
それでもクリストが、ダニエルゼに優しかったことを覚えていた。
(もしかしたら、私に興味がなかっただけかもな)
人は、どうでも良い人間には、優しくなる。道ばたの花を愛でるようなものだ。
「ダニエルゼか」
ふいに声が降りた。
皺のような瞼をあげて、クリストがこちらを見つめていた。
「息災であったか」
不思議と声は力強いように、思えた。