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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第五章
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 ダニエルゼは、見慣れた広い廊下を歩いていた。ソーラス城に住んでいたときは、毎日のように歩いていた場所だ。

 慣れているということと、懐かしいというのは同じ意味じゃない。


 靴が立てる音が、耳ざわりなのは当時と一緒だ。一歩足を踏み出す度に、反響音があちこちから聞こえて、鼓膜を震わせる。

 目障りな人間に会うのも、変わらない。アグネリアが現れたときは、回れ右をして帰りたくなった。

 父を見舞うという目的がなければ、実際に帰っていたかも知れない。

 ただ、短い間の会話だったが、かつて感じたほどは、嫌悪感が湧かなかった。


(なんでやろ)


 ダニエルゼにもよく分からなかった。昔と同じように、どこか鼻に掛かったようなしゃべり方も、じゃらじゃらとした重そうな服装も変わっていなかったのにだ。


「殿下」


 ハルキの声にダニエルゼは足を止めた。


「もし可能であれば、公爵閣下に公爵家の帳簿書類を見させてもらうよう頼んで下さい」

「なぜでしょう」

「アバーテ伯爵領への融資を依頼するために、必要なのです」


 その言葉に伯爵が、嬉しそうに頬を緩めた。


「そういうお話であれば、私からもお頼みします」

「分かりました。ただ、今日のおとないの目的は、父を見舞うことです。そのような話をする機会はない可能性が高いということを、事前にお断りいたします」


 それはわかっている、とハルキ、伯爵ともに頷いた。


 ニコとシータは、三人の後ろで黙ってついてきていた。ニコは神妙な顔をしていたが、間断なく周囲を警戒していた。何か、害をなすものがあればすぐに対応できるようにということだ。

 一方でシータは、興味深そうに周囲を見ていた。おそらく初めてダニエルゼがここに来たときも同じように、好奇心に満ちた目で回りを見ていただろう。その後に続いた日々は、ダニエルゼにとって、心地良い日常ではなかったが、それでも城に来た時の興奮は覚えている。


 正面にある大きな扉があった。

 人の身長の二倍の高さはあろうかという大きさだ。

 これが、謁見の間への入り口である。


 その前まできて、ダニエルゼは左右を見回した。

 普段であれば兵士が立っていて、扉を開けて中に誘ってくれるはずなのだが、その兵士がいないのだ。更に言えば、謁見の順番を待っているものもいなかった。


 とはいえ、勝手に入るわけにはいかない。


 ダニエルゼはたちどまって、扉を見上げた。


 両開きの鉄製の扉だ。左右それぞれに神官のレリーフがあり、精巧に花や蔓、葉叢が描かれている。扉の上半分には、天の中心から周囲に輝きを放ちながら、大地を見守るような光の塊、そんな様子を象ったレリーフがある。


 光の聖霊(ソーラ)紋象(もんしょう)だ。


 扉自体の大きさも手伝って、紋象はただそこにあるだけで、神々しい雰囲気を纏っており、どこまでも荘厳だった。

 それでいて圧迫感はなく、包まれるような不思議な温かさを紋象は放っていた。


「これは……」


 ハルキが言葉を失い、ニコは呆然としており、シータは少し不思議そうに、紋象を見上げた。


「光の聖霊の紋象ですよ」

「これと同じようなものが、ビエントの山の教会にもあった……はず」


 ハルキのつぶやきを耳にして、ダニエルゼは説明した。


「あそこにあるのは、風の聖霊(ウェンティア)の紋象ですね」

「そうか。あそこにあったのは、風の聖霊の紋象なのか」


 ハルキはどこか心ここにあらずといった風だ。


「イエナ。いえ、殿下」


 ニコが言い直しながら、訝しげに問いかけてきた。


「風の聖霊の紋象は、あちこちの教会で見たことはありましたが、光の精霊の紋象を僕ははじめて見ました。各地の光の聖霊の教会には何度も立ち入る機会があったのですが……なぜ見かけることがなかったのでしょうか」

「風の聖霊は、どこにでもおわしますが、光の聖霊はただおひと方だけ、というのが理由です。湖のうえを滑る風、草原を駆け抜けて影を走らせる風、私達の髪を膨らませる風、どこにでも風の聖霊はいらっしゃいます。しかし光の聖霊は、天に存在し輝いているおひと方のみ。ですから、光の聖霊の紋象は、このロドメリア大公国、五公爵領すべてを捜しても、ここソル公爵領、公都ソール、ソーラス城の謁見の間の前にある紋象の扉オスティウムデインシウムただひとつしかないのです」

「それはつまり、光の聖霊はソル公爵家を守護しているということなのか」


 ハルキの探るような問いかけに、ダニエルゼは頷いた。


「そうです。ロドメリア大公国の基礎を築かれた、初代ソル公爵イエナは、光の聖霊の加護を得て、公爵領のすべての民、大地、湖沼、山野に、光の聖霊の恩恵を行き渡らせたと伝えられています。更にイエナは、光の聖霊だけではなく、他の聖霊の加護も得ていました。だからこそ、五公爵の領袖として、この大公国をまとめてあげることができた、と語り継がれています」


 この話は、ダニエルゼが乳母のソーニャから徹底的にたたき込まれたものだ。毎日、寝物語のように話し込まれて、覚えてしまった。

 そういえば、ソーニャに仕込まれたニホン語は、少しいびつらしい。だが、ソーニャに言わせると、ダニエルゼが教えられたニホン語が正しいニホン語なのだという。今、宮廷で使われているニホン語は、偽物なのだと言っていた。


 扉の前に五人が立っていると、慌てた様子で脇の廊下から二人の兵士が出てきた。


「ダニエルゼ殿下。お待たせして申し訳ございません。どうぞ、こちらへ」

「え……ああ、わかりました」


 そうだ。

 考えてみれば、当たり前の話だ。病で伏せっている父が、謁見の間で迎えてくれるはずがないのだ。


 ダニエルゼが記憶をさらうと、兵士が向かっているのは、公爵の私室がある方向だった。

 廊下の幅は、さきほどダニエルゼ達がいた場所と比べると、十分の一にも満たないもので、作りも質素なものだ。


(ああ、この十分の一という考え方は、ハルキから教わったものや)


 ゲオルグが、知識とは知恵の源であり、知恵の蓄積こそが人間の成長をもたらす、だからこそ辺土にも学校が必要なのだ、と嘯いて言っていたことがある。ビエントに学校があるのは、そういったゲオルグの考えが現れだ。


 ダニエルゼは、ビエントに行って、多くのことを学んだ。それはゲオルグの言葉を借りれば、成長したということなのだ。


「こちらでございます」


 父の私室の前で、兵士が背筋を伸ばして、ダニエルゼに向かって一礼をした。

 ダニエルゼは、扉の前で兵士と同じように背筋を伸ばした。


 久しぶりに父と会うために、心の中をぴしりと正装をする。

 父と娘なのに、そのように気構えを作らなければいけない間がらなのが、ダニエルゼは少し寂しかった。




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