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『聖霊の声とは、どういったものなんだ』
春樹は、心臓の鼓動がゆっくりと早くなるのを感じつつ、ダニエルゼに問いかけた。
『知らん』
『おまえ、今、はっきりしているのは、といっただろう』
『声が聞こえる、というのは、加護を得たとされているもの達が、口をそろえてそう言っているという記録があるんや。それがどんな声なんかは、声を聴いた本人しかわからんやろ』
先ほどアグネリアは、50年現れていない、と言っていた。そうなると、当然、記録しかないことになる。いや、生きているのかも知れない。
春樹は空気を多めに吸って、言葉が上ずらないように注意をする。
『それで、聖霊の加護を得られると、他になにか良いことがあるのか』
『特に何もないぞ。聖霊が気まぐれに助けてくれることがある……というような類いのことが書かれている記録もあるらしいんやが』
記憶を探るように、ダニエルゼが顔を上げながら答えると、アバーテ伯爵に視線を投げる。
「そうでしたよね」
共用語での問いかけに、アバーテ伯爵が首を縦に振った。
「左様でございます。聖霊の加護については、詳しいことはわかっておりません。そもそもそのようなものが本当にあるのかどうかすら、証明のしようがないのです。ただ残された記録によりますと、聖霊の加護を得られると、聖霊の会話や、ささやきが聞こえるようになるとされております。また加護が得られたとしても、それ以上の何らかの助力が得られるかも、分かっておりません」
しかし、と春樹が問いかける。
「それでは、さきほどアグネリア公女殿下が、聖霊の加護を得られたのか、と問いかけたのはなぜでしょうか。そのような伝説の話を、アグネリア公女殿下が気に掛けるようには見えなかったのですが」
というよりも、と春樹は考える。あの女は、たぶん何にも興味がないのだ。そんな冷めた目をしてた。
アバーテ伯爵は、苦いものでも飲まされたかのように眉をしかめる。
「ソル公爵家の伝統として、公爵になるものは、光の聖霊の加護を得ていることというのが、爵位継承の条件となっているのだ」
「50年現れていないのでしょう。……つまり今の公爵閣下が、最後ということですか」
「いや、そうではない……」
伯爵が続きを言って良いか、考えている風だ。今度はダニエルゼが言葉を継いだ。
「建前、ということです。公爵家が公爵という地位にいるのは、光の聖霊の加護を得ている血統だというのが、大義名分なのです。ですから、現公爵に加護がないというのは、あまり表だって言ってよいことではありません。ただ、伯爵がこのように知っていることからも、公然の秘密と言ってよいでしょう。少なくとも、貴族で知らないものはいないはずです」
ニコとシータの表情を見るが、どちらも聖霊の加護の話そのものを知らない様子だった。春樹もこの国に来て、一年が経つが一度も噂にすら聞いたこともないことだった。つまりは貴族社会にだけある決まり事であり、しかも完全に形骸化している話なのだろう。
ただ、春樹はどうにも引っかかった。あの火事のときの出来事。焼け付くような煙に巻かれて、死を覚悟した瞬間、たしかに声がしたのだ。そして、一陣の風が吹いた。
あの風がなければ、ダニエルゼと春樹はこの場にいなかったかも知れない。
ただ、あれから声が聞こえたことは一度もない。
(気のせい……なのだろうか)
釈然としない。だが、確かめることもできない。春樹が心の中で首を傾げていると、ダニエルゼがこつんと靴を慣らして、首をめぐらした。
「おとぎ話をいつまでも気にしていても、仕方がありません。拝謁の間に向かいましょう。父上の病状が気がかりです」
そうだ。クリスト公爵のお見舞いこそが、公都に赴いた表面上の理由だった。春樹はそのことを思い出し、気持ちを切り替える。
とにかく、まずは好印象を持たれるに如くは無いだろう。
ダニエルゼの公爵になる、という誓いを守るためには、先代の覚えが良いほうがプラスに働く。
ダニエルゼは、この後、ソーラス城に居住する予定だ。そうして、公都を拠点に貴族社会や、騎士達、それから公都の民達に名前を覚えていってもらう必要がある。
正攻法では、当然、ダニエルゼは公爵になれない。爵位継承順位が15番目の人間が、爵位を継承することなど、通常ではありえない。
ならば、公爵家内での地位を確立して、権力の中枢にダニエルゼが食い込むというのが、春樹の案だ。ただしうまくいく保証などない。正確に言えば、うまくいく可能性のほうが低い。ダニエルゼは、公爵家の令嬢であるという立場以外に何も保証がない。後ろ盾として、アバーテ伯爵はついてくれるだろうが、一人では心許ない。
とはいえ、後ろ盾があるとないとでは全く違う。
さらに、アバーテ伯爵領への援助の話もある。それができなければ、そもそも後ろ盾など期待できない。
つまりダニエルゼの公都での立場を強化するために、まず、伯爵の後ろ盾を必要とする。そのために、アバーテ伯爵領への公爵家からの援助を引き出すことこそが、春樹の当面の仕事になるだろう。
ダニエルゼは安請け合いをしていたが、どのように援助を引き出したら良いかなど、正直なところ、春樹にはいまのところ皆目見当がつかない。
交渉事の前提は、相手を知り自分を知ることだ。
たとえば、ある土地をほしがっているAとB、二人の男がいたとする。土地はひとつしかないのだから、どちらかしか土地を手に入れることはできない。平等にしようとすれば、土地を半分にして、AとBそれぞれに分けるしかない。いずれにしろ、それぞれに不満が残る結果となる。
だが、二人の言い分を聞いてみれば、実はAはその土地に生えている木を伐採する権利がほしいだけだった。Bはその土地に家を建てたいだけだった。なんてことはあり得る。ならば、Aが木を切ったあとに、Bが家を建てれば良いのだ。Aは目的を達成できるし、Bは木の無い更地に家を建てられて一石二鳥になる。
相手のことも、そして自分のこともよく知らなければ、交渉はできない。
伯爵はウェントゥス公爵家から、離反を打診されていたようだ。そのことを知っているだけでも、交渉のカードになる。
もし、公爵家側が、援助に関して全く誠意を見せないようであれば、「そうですか、ならばこちらにも考えが……」という掛け合いもできる。ただ、これは明確な脅しであって、最後のカードだ。切ることになれば、それはのるかそるか、という状況になってしまっている。
そのような台詞を吐かなくてもいいように、アバーテ伯爵が求めているものを明確に確認しておく必要がある。
そして公爵家側のことも調べなければならない。アバーテ伯爵領に援助をしてくれ、という話なのだから、現在の財務状況を把握する必要があるだろう。相手の懐具合も知らないで、援助の話を切り出してもどの程度が妥協点か、さっぱり分からない。
……とにかく、まだまだ考えることはたくさんあった。ありすぎるくらいだ。
まずは、病人を見舞うに相応しい神妙な顔を作る。それが最初にやらなければならないことだ。
そう考えて、春樹は頬をつねりながら、歩き始めた。
多上厚志は、頬をつねってみた。
多上厚志は、何度か瞬きをしてみた。
多上厚志は、「小説情報」画面を何度もリロードしてみた。
……うそ、え……なんで、あれ。
え、おかしいでしょ。
えっと、おちつけ、私。
先週小説をアップしたときにブックマークしてくれていた人の数は、たしか127人。
それまでの1ヶ月で増えたのは、たしか5人ぐらいの方。
(ここで、目を閉じる。そして、深呼吸をひとつ)
な、なんで、2700超もの人が、ブックマークしてくれてんの????
しかも、なんで日間ランキングがベスト2になってるんですか。
この一週間で何があったんだ一体。
わけが分からない。
閑話休題
『公爵家の財務長官』を読んでいただき本当にありがとうございます。
また、感想を記載していただいた方々、ありがとうございました。
そして、ブックマークをしてくれた方々、心より感謝します。
この小説は、週末一度の更新が基本となっております。
これだけ期待をしていただいておりますので、できれば二回更新をしたいとは考えておりますが、申し訳ないのですがお約束はできません。
特に今週については、もはや手遅れとなっております。来週以降は、なるべく、がんばって、努力して、更新したい……なぁ、と考えております。
作者としては、ブックマークしてくれた方に対する恩返しは、品質の高い作品を、なるべく早くお届けすることだと考えております。
したがって、やることは一つ、執筆時間を削り出す、これだけ。
「そう考えて、多上は頬をつねりながら、歩き始めた」