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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第一章
8/103

 春樹は、老人に笑みを返してから、服を身につける。

 冷静になると、老人、しかも男性の前でストリップをやっていたとしか思えず、気恥ずかしさが先に立ってくる。

 いそいそとパンツを履き、そそくさとシャツを着た。

 そしてスラックスを手にとったところで、ポケットから転げ落ちたものがあった。


 折り紙だった。


 それを見た老人は、眉根を寄せた。

 手を伸ばして折り紙を手に取ると、不思議そうな顔をした。そして次の瞬間に、瞳に真剣な光が宿った。

 そして絞り出すように呟いた。


「…お……り…が…み」


 日本語だった。

 老人は噛みしめるように、もう一度口を開いた。


「おりがみ」


 二回目は、発音まで正確だった。たしかに老人は、折り紙と呟いたのだ。

 春樹は驚いて老人の横顔を食い入るように見入った。だがそれ以上に老人は驚いているようだった。

 老人は、ぶつぶつと、春樹の分からない言葉を呟いたかと思うと、春樹に向き直った。


「お前、ニホン語が読めるのか」


 問われた。

 どう、答える。スラックスに右足だけ突っ込んだ状態で、春樹は固まってしまった。格好が無様な置いておくとして、正直に答えるのがいいのか、どうなのか。

 迷っている時間はない。

 とにかく、迷ったら誠実に。それがたぶん日本人だ。


「日本語は読めますし、話せます」


 それだけを答えて、春樹はとにかく左足もスラックスに通した。ジッパーを上げるときに、パンツを噛んでしまって締め直した。ちょっと間抜けだ。とはいえ、パンツを履いた状態でまだ良かった。パンツがない状態だと、目も当てられない。


「お前、名前はなんという」


 名前、か。


「春樹です」

「ハルキ」


 老人は何かを考えるように、腕を組んだ。そしてその場で、つま先を上げてリズムを取りだした。

 攻撃的な雰囲気が霧散していることに、春樹は胸をなで下ろす。あそこまでの悪意を叩きつけられたのは、生まれてはじめてのことだった。

 春樹はようやく落ち着いて、老人を観察することが出来た。

 鼻が高く、目が大きい、それでいて唇は薄い。若い頃は、結構な美男子だったのではないか。身長は春樹よりも少し低い、10センチ程度は違うだろう。体つきはがっしりとしていた。

 着ているものは、薄い緑色のもので、袖が膨らんでいる。布なのだろうが、ごわごわした感じがあるようだ。植物繊維ではなく、毛織物のように見える。そして靴も布で出来ているようだった。

 何より目が引かれるのは、腰に下げた太刀だ。刃を下向きに下げている。使い込んでいるのだろう、柄に巻かれた布は黒ずんでいる。簡素なつくりの鞘には一切の模様がなく、綺麗な木目だけが浮かんでいた。

 体つきだけを見れば、肉体労働をしていたベテラン鉱夫のようだが、太刀がそれを裏切っている。どこかの兵士だったのか、もしかすると今でも兵士なのかも知れない。

 老人は無遠慮な春樹の視線を気にする風もなく、黙考を続けていたが、不意に春樹に問いかけた。


「ニホン語を教えることはできるか」


 できるわけがない、日本語オンリーで、日本語をどう教えるのか。


「日本語を教えることは、たぶん、できますが、あなたが話す言葉がわからないので、無理です」


 できる、というのは簡単だが、すぐにばれる嘘は結果的に収支は赤字になるもんだ。


「ニホン語は使えるのに、共用語が使えないか。そんなやつは聞いたことが無いが……」


 老人はそう呟いてから、目の前で手を振って見せた。


「ニホン語さえ、使えれば問題ない」


 そう言うと、折り紙を春樹に突き返してきた。

 日本語さえ使えれば、問題ない、春樹は老人の言葉を胸の内で繰り返した。どういうことなのか、理解しようとするものの、辻褄の合う答えが思い浮かばない。


「お前のニホン語は、今まで俺が聞いてきた中でも、もっとも自然に聞こえる」

「ありがとうございます」


 なんとなく礼を言った。ただ、春樹は生まれてこの方、日常生活はすべて日本語でこなしてきた。それを褒められても、戸惑うばかりだ。

 それに日本語が使えれば、日本語を教えられるってどういう意味だ。


「色々聞きたいこともあるが……まぁいい」


 足先で刻んでいたリズムをぱたっと止めて、老人は教会の入り口に向かった。


「ついてこい」


 老人は、そう言い残して、外に出て行った。春樹がついていくことを微塵も疑わない物言いだ。

 上から目線が鼻をつくものの、春樹はついていくことにした。

 とりあえず、言葉が通じるという安堵感がまず第一にあった。また、殺されかけたのに春樹自身でも不思議なのだが、老人が信用にたる人物に見えたのだ。

 安易についていって、だまされる可能性ももちろんある。

 だが、この教会にいて事態が好転するとは、春樹には思えない。

 ここにいれば、寝る場所は確保される。しかし、そもそもこの建物がだれのものかが分からない。この老人のものだとしたら、老人に信用されなければ使うこともできない。少なくとも老人は、この教会に訪れたのだから、教会の住人とは何らかの関係があるのだろう。間をとりもってもらうだけでも、助かるのは間違いない。


 教会の入り口に立つと、森へと向かう小道を歩く老人の後ろ姿が見えた。

 春樹を待つという選択肢は、老人にはないようだった。


 春樹は意を決して、老人の後を追った。


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