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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第五章
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 ソル公爵家の公都ソール。

 その歴史は、200年前のロドメリア大公国の建国時に遡る。初代、大公イエナは、アクワ・バスキ・イグニス・ウェントゥスの四公爵家の各所領の中央に位置する広大な盆地を、ソル公爵領とした。そして、その中央、交通の要衝にあった宿場町を公都と定め、ソールと名付けた。


 ソールは順調に発展して、五代目ルトラート二世の御代に隆盛を迎えるが、その後、公爵やその家族による浪費がたたって凋落が始まる。

 八代目ネリッツの在位していた期間が、最も蕩尽が酷くそれまで蓄えていた財産がかなり減ったのだという。公爵家の蓄財は、ルトラート二世が亡くなった時には、100億キルクあったものが、ネリッツが放蕩の末、家臣に刺されて亡くなったときには、1億キルクも残っていなかった。


 そして、今、ソル公爵家は借金まみれだ。

 都の有力な商人から、借財によってどうにか回している状況だ。そのため、その商人に頭が上がらず、税制上の優遇措置が特定の個人商人をターゲットにしたものばかりが並んでいる状態なのだ。


 日本の租税特別措置法と似たようなものだ。あれも結局、政治的な綱引きでできている税制で、複雑なうえに、一度与えた既得権益を削ることができずに、増えるばかりだ。

 租税特別措置法を考慮せずに行われる、法人税の実効税率の話題がでると春樹としては、表面上の数字ばかりを追っている議論にあきれるばかりだった。実際、租税特別措置法を廃止すれば、法人税の実効税率はもっと削ることができたはずだ。つまりは、特定の法人を優遇するために、全体の法人税を上げる必要がある、というのが日本の税制だったのだ。


 春樹はアバーテ伯爵から、ソールに向かう馬車の中で、公都で今で起きている出来事を教えてもらっていた。

 財政のことだけではなく、治安の状態や、貧困街の状況、貴族達の習俗なども学んだ。

 特に重点を置いたのは、貴族のデータを覚えることだった。


「貴族の名前と爵位、家族構成、そして邦地は必ず一式で覚えるようにしろ。これを完全に頭にいれると、貴族社会でかなり有利になる」


 そう説明したアバーテ伯爵は、貴族のプロフィールが一覧表になった資料を春樹とダニエルゼに差し出した。

 ちょっとした辞書のようだ。


「これを全部読むのですか」


 おずおずと、熱い鍋の取っ手をつかむようにダニエルゼが受け取った。


「殿下、読むのではなく、丸暗記して下さい」

「は?」


 はっきりとダニエルゼの顔が引きつった。

 ダニエルゼはやりたいことなら、かなりの集中力と能力を発揮するが、やりたくないことは全くやらない。春樹には、内心が手に取るように分かった。


 どうして好きでもないやつらの名前を私が覚えなきゃいかんのや、ってところだろう。


(これは、ダニエルゼには期待できないな)


 ダニエルゼは基本的な能力は抜群だが、気の向かないことには、その能力は十分の一程度しか発揮されない。つまりは、役に立たない。


 春樹はその点、現代日本の代表選手だ。嫌なことでも、やらないといけない、となればこなすことができる。

 暗記自体は、税理士試験の論述問題で慣れている。税法の条文などは、作文の余地がなく、条文をそのまま記述する必要がある。消費税法は、気が狂いそうだった。


 まだ記憶力はそれほど衰えてはいないつもりだ。とはいえ、できるということと、好きということは別物だ。

 正直、日本での試験勉強のようなことをやらないといけないかと思うと、気分は沈むが、幸いソールに着くまではこれといってやることはない。馬車の中での時間を貴族の資料の暗記に費やせば、それなりに内容を覚えることはできるだろう。


 資料の一番上には、アイル子爵の情報が載っていた。日本語の五十音順になっているのだ。爵位も日本と同じで、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の五階級がある。ソル公爵領には、公爵は当然一人であり、実質的には王と同義だ。そのため最高の爵位は侯爵となる。

 一人の貴族について、3ページ程度の資料がある。ソル公爵領の貴族は大小合わせると、100人程度いる。ざっと300ページの資料だ。

 問題は、資料を覚えても、名前と顔が一致しないことだが、これは写真がないこの国では仕方がない。実際に顔を合わせたときに、データと紐付けするしかないだろう。


 昼は、春樹が資料を覚えて、夜は、シータとニコに資料を渡して、覚えるようにお願いをした。


 ニコは、素直に覚えてくれそうだったが、資料を見たシータは苦痛そうだった。そう言えば、シータが奴隷になった原因は、貴族だと言っていたはずだ。そういった過去も関係しているのかも知れない。



 ☆



 ラヌゼを出て、13日。

 夕刻のことだ。


 公都ソールの街並みが見えてきた。

 まず目に入ったのは、そびえたつ尖塔だった。それは街の真ん中に、辺りを威嚇するように立っている。恐らくは、物見の塔だろう。

 春樹は、小学校に入学するときに、初めてみた鉄骨の校舎を思い出した。学校というのは人が住むところではないためか、どこか冷たさを感じさせる建造物だ。雰囲気が良く似ていた。


 頭を突き出させた尖塔の中の周りには、大小の建物が宵闇に沈むように肩を寄せ合っていた。その外側には、ケーキフィルムのように周壁がめぐらされており、その壁の上にはケーキにまぶされた銀色の小さなアラザンのような兵士が立っていた。


 街に向かう道を、商人らしき人や馬車、旅装の人達が歩いて行く。その先には、街の入り口である門が見えた。

 時間が夕暮れどきのためか、誰もが急ぎ足にみえる。とはいえ、門は夜になっても閉ざされるようなことはなく、検問の兵士は24時間態勢で詰めている。閉ざされるのは、戦時下や疫病の流行で、通行を厳に管理する必要があるときだけだ。


 門の前では、通行証を見せる人達の列が出来ていた。

 伯爵の馬車は、その横を何の疑問もなく抜かしていき、門の前までいくと、検問をしている兵士に伯爵の従者が手をあげると、それだけで中に入っていくことが出来た。楽ではあるが、あまり気分のいいものではない。

 順番を待っている人達の、視線が痛かった。


 馬車は、塔の立つ街の中心部に向かった。


 ソールの中央道路は、さすがに公都らしく広いうえに活気があった。各地から商品を運んできた商人たちが露天を開いていて、様々な口上を上げていた。行き交う人々も様々でゆっくりと見るものがいれば、足早に通り過ぎているものもいた。その露天が並ぶ道路の中央を馬車が通る。それだけ横幅のある通りなのだ。


 だが、そんな活気のある風景よりも、春樹を愕然とさせる光景があった。

 春樹の目に映るのは、店を開いている側で、どこか虚ろな目をした人達だ。それが奴隷達だ。見ると、店主に怒鳴られているもの達の大半は奴隷のようだ。口だけならまだましで、はっきりと殴られているものもいた。生気を失った目で、ただ棒きれのように奴隷たちは耐えていた。

 ダニエルゼがはっきりと憎悪に満ちた目で、その行為を見ていた。もし、そんな光景がひとつだけなら、ダニエルゼや、そして春樹自身も、間に割って入っただろう。だが、殴られている奴隷は一人や二人ではない。ここではそれが日常なのだ。


 根本的に変えないといけないのだ。

 春樹は、大通りでの汚行に何も言えない自分に苛立ちながら、自らの手を固く握りしめた。




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