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「今日の野盗ですが、明らかに殿下を狙っているようでした。誰の差し金か、閣下ならおわかりになるのではないですか」
野盗に襲われた夜。
春樹は鄙びた村の、小さな宿で伯爵と同じテーブルに着いていた。隣ではダニエルゼが夕飯を行儀良く、食べていた。なかなかにダニエルゼの猫かぶりは完璧だ。かなり飼い慣らされた猫のようで、出し入れ自由なのだ。
宿は、春樹も食べやすい和食を出してくれている。ロドメリア大公国では、洋食よりも和食が高級と位置づけられている。恐らく伯爵一行が泊まるということで、頑張って作ってくれたのだろう。ダニエルゼも器用に箸を使って食べている。
箸を使えないものは、貴族として失格らしい。
本来、春樹が、伯爵と同じテーブルに着くのはあり得ないのだが、ダニエルゼの計らいでこの場を持ったのだ。
食事は、この宿で一番広いであろう伯爵の部屋に運びこまれてきており、部屋には三人以外は誰もいない。
これも異例だ。
ここで春樹とダニエルゼが剣を構えて伯爵に斬りかかれば、伯爵としてはなすすべはないだろう。
それだけ信頼しているという伯爵側のアピールなのかも知れない。
「なぜ、そのように思った」
春樹は襲撃を受けた後で考えたことを順番に述べた。
かなりの損害が出ていたのに、野盗が引かなかったこと。
明らかに令嬢然とした格好をしていたダニエルゼを殺そうとしたこと。
計画的にダニエルゼを殺そうとしていたこと。
ダニエルゼに切りつけていた男が、正当な剣戟を振るったこと。
それから、これは後からシータから聞いたことだが、野盗が鉄製の防具をしているというのは、あり得ない、ということだった。
これも春樹の考えを裏付けるものとして、付け足しておいた。
伯爵は春樹の言葉を聞き終えたのち、大きく頷いた。そしてダニエルゼに顔を向けた。
「殿下」
「はい」
ダニエルゼが箸を置いた。
「殿下は、素晴らしい臣下をお持ちだ」
「……はい。それは存じております」
「様々な傭兵や、兵士を見てきたが、ニコほどの剣の腕前を持ったものは見たことがございません。昔語りで聞かされる、若かりし頃の、ゲオルグ殿に匹敵するのではないかと思われます。ニコは、周りを圧する体格といい、普段の静かな物腰といい、兵士として、一級品。奴隷という立場なのは、驚きですが、殿下であれば買い取れば問題ないでしょう。これから、公都に向かって、ニコをどうするおつもりなのですか」
「騎士学校に入れる予定です」
「それは良いお考えかと。あれだけ剣が使えれば、実技では敵がいないでしょう。ニホン語も自在に操るのですから、決して頭も悪くないはないでしょう。きっと卒業するころには、ひとかどの騎士になっておりますな」
「期待しております」
「さらにあのシータという娘。非常に見場が良い。美人というのは、それだけで力となります。奴隷の娘ではありますが、きっと、手元に置きたいという貴族は出てきましょう。駒としての使い道は、かなりございます」
「伯爵、私はその考え方には反対します」
ダニエルゼは、伯爵の言葉を真っ向から否定した。
春樹は視線でダニエルゼを止めるが、ダニエルゼは一顧だにしない。
「私は臣下を駒としては扱いません。そのような考えで、臣下と接したことはございませんし、これからもございません。上に立つものは、下にいるものの将来を憂えてこそ、上に立つことができるのです。臣下を駒として扱うものに、いったい誰がついていこうと思うでしょうか」
なるほどと、伯爵は頷く。
「それは、ご立派な考えでございます。……失言でございました」
これは、と春樹は伯爵を見直した。
伯爵の態度に、悪びれたところも、小馬鹿にしたところもなかったからだ。ダニエルゼのような年齢の娘に、反駁されたら誰でもむっとした感情がでるのが普通ではないか。いくら自分より目上のものだとして、それをおくびにもださないのは、演技だとしてもたいしたものだ。
「ニホン語だけでも、あの少女にも十分働いてもらう場所はございましょう。宮廷のメイドや、貴族の家事手伝いとして派遣すれば色々な情報は得られましょう。そして……」
と、続けて伯爵は春樹を見た。
「なにより、このハルキ殿です。ニホン語は宮廷にいるだれよりも滑らか、そして財務を読む能力は、私が知る誰よりも優れております。更に、物事の本質をつかむ能力を持っているようです。これから殿下は、公都に向かわれるわけですが、そこにいる貴族たちは玉石混淆様々なものがおります。日々、うまいものを食べることしか考えてないものや、女のことしか考えていないものもおります。これらのものは適当にあしらっておけばよろしいでしょうが、中には、公爵家を打倒して自分が取って代わろうとしている貴族もいるのです。そういったものは、生き馬の目を射貫くように、いつも隙をうかがっています。殿下、ハルキ殿を常にその傍らに置くべきです。そうすれば、きっと、殿下は次期公爵になれましょう」
びくりと、ダニエルゼが体を揺らした。春樹も伯爵の顔を驚いて見返してしまった。
(まさか、四人の誓いが漏れているのか)
春樹が口が開くよりも早く、ダニエルゼは言下に伯爵の言葉を否定した。
「伯爵。私は、病気の父を見舞いにまいるだけです。次期公爵の座など、望んではおりません。それに、その考えは父が身罷ることを前提としたお話。不敬でありますし、不遜でもございましょう」
伯爵は、お茶で舌を湿らせた。
伯爵が今夜、身につけているのは、公式な場で着るようなものではないゆったりとしたガウンだ。もともと、このような内容を話すつもりだったに違いない。だからこそ、三人以外いないのだ。
「殿下、我がアバーテ伯爵領はこの数年、ずっとウェントゥス公爵家から内密な打診を受けております」
それが何かおわかりになりますか、と伯爵はダニエルゼに問いかけた。
「いいえ、わかりません」
それでは、と伯爵は春樹に視線を向けた。
「憶測でよろしければ、お話することはできます」
「言ってみろ」
「ソル公爵領からの離反」
伯爵は目をほんの少しだけ大きくした。ダニエルゼは息を呑んだ。
「さきほどと同じだか、そのように考えた理由を聞いても良いか」
「わかりやすくいえば、アバーテ伯爵領は、ソル公爵家に付いているメリットがないのです。貿易をするにも、ウェントゥス公爵家の各地との取引が多いうえに、ソル公爵領を通らなくてもバスキ公爵領と取引をすることは可能です。また、現在のソル公爵家は、経済的に困窮しているためか、地方の治安まで目が行き届かせていない。そのため、伯爵領内の治安は完全に伯爵家に丸投げです。更に万が一、他公爵家からアバーテ伯爵領が攻め込まれた場合にも、公都から距離が遠いために救援が間に合わないのは、明確です。これでは、アバーテ伯爵家としてはソル公爵領に留まる理由を捜す方が難しいでしょう。こういったことを指摘しながら、貿易上の優遇措置でも出してウェントゥス公爵が離反を促すというのは十分にあり得ることだと私は考えます」
「いやはや」
アバーテ伯爵は呆れたように呟いて、首を振った。
「まさに千里眼ですな」