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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第五章
73/103

73



 陽は傾きだしたが、まだ日差しには強さが残っていた。


 道は、ところどころに石畳の場所があるが、大半はむき出しの露地だった。とはいえ、轍が残っているために、はっきりと道だということはわかる。道の両脇には、背の高いすらりとした街路樹がならんでいる。


 道行きは順調だった。

 護衛のものたちは、間断なく周囲に注意を向けてはいるが、馬車に乗っている春樹達は平和そのものだった。


 とはいえ、やはり馬車はがたごと揺れて、尻は痛くなってきていた。馬車はちょうど開けた場所から、山間の隘路に差し掛かったところだった。


 さっきまでの道が街道なら、これからの道は山道だ。


 急激に道幅は狭くなり、岩肌が露出した壁が続く。馬車の脇に、騎兵が並ぶのが難しいような狭い道だ。


 その少し暗さを感じるような道を、馬車はゆっくりと乗り込んでいった。


 馬車の中では、ダニエルゼが伯爵に話しかけては、感心して見せたり、頷いて見せたりしている。ダニエルゼはこれでなかなかの聞き上手で、伯爵もダニエルゼが機嫌良く話を振ってくるものだから、退屈することもなく会話を続けていた。

 大分、打ち解けているように見えた。


 実のところ、春樹はダニエルゼになるべく伯爵と世間話をして場を和ませるように、依頼していたのだ。商談なんかで使われるアイスブレイクという手法だ。最初の話題が、アントンの不正の話だったから、なかなかに難しい出だしではあった。しかしダニエルゼはうまくその辺りを裁いてくれた。まあ、ダニエルゼ自身はこういう作為的な会話が根っから嫌いのようで、眉を顰めていたが、結果として仲良く話せば良いだけなのだ、と春樹が説得した。


「殿下、閣下。ご歓談中、恐れ入ります」


 頃合いとみて、春樹は二人の間に入った。


「閣下、公都では、いまどのようなことが起きているのでしょうか」

「それは、先日殿下にお伝えした通りだ」


 クリスト公爵が病気で伏せっている。

 世継ぎである長男のルークがいなくなってしまった。

 そして、次男のベルマンと、公爵の弟であるエーゴットが、権力争いをし始めた。

 公爵家が、二つに割れてしまい収拾がつかなくなっている。


 そのような情報を伯爵は語った。


 まさに百鬼夜行。そんな公都へ、春樹達は飛び込もうとしているのだ。

 権力の綱引きに公爵令嬢であるダニエルゼの帰還がどのような影響を及ぼすのか、正直なところ春樹にはさっぱりわからなかった。ただ何らかの波紋は起こすだろう。それがさざ波なのか、津波なのか。

 春樹としては、大津波にしたいところだ。

 だが当然、津波を起こすにはリスクが付きまとう。その荒波を、春樹、ダニエルゼ、ニコ、シータの力を合わせて乗りこなさなければならない。


「それで閣下」


 春樹は、核心を尋ねることとした。


「閣下はなぜ殿下に公都に向かってほしいのですか」

「ふむ。やはり……気に……なりますか」


 伯爵がダニエルゼに向かって、尋ねる。


「ぜひ、教えてほしい」


 伯爵は長く瞼を降ろして、長い息を吐いた。そうしてゆっくりと瞼を上げると、春樹、ダニエルゼの順に瞳を向けた。

 その瞳が探るような色を帯びている。


「実は、問題はアバーテ伯爵領にあるのです……」


 伯爵が口を開き掛けたときだ。

 大きな物体が、何かとぶつかるような音がした。

 同時に地響きがして、土煙が舞った。細かい砂埃が窓から入り込む。春樹は咄嗟に口を手でふさいだ。


 何かが起こったのだ。


「馬車を守れっ」


 突然わき上がった、裂帛の叫び。


 馬車が大きく揺れて、傾く。

 急ブレーキが掛かったらしい。何事かと前を見ると、狭い山道を人の身長ほどはあろうかという大きな岩がふさいでいた。


『窓から顔をだすなっ』


 ニコの声だけが、どこからか聞こえた。

 次に響いたのは、馬の嘶きだ。首を巡らせると、左右の急斜面から騎馬が駆け下りてくるところだった。

 急な坂を片手で馬を操りながら、片手には剣を掲げている。見事な手綱さばきだ。

 刃はすでに抜かれており、太陽に反射して不吉に輝き、鈍く光っていた。春樹は脈動が早くなるのが分かった。

 呼吸が浅くなって、視野が狭くなるのを感じた。


 あの剣は、春樹達に向けられている。

 10分後の命に保証のない状況。


 こういうことはある、と思っていた。


 決して治安が良いとは言えないこの世界のことだ。だが、あまりにも突然だった。


(いや)


 と、春樹は首を振った。


(この国に来たのも突然だった。そして、いつまで経ってもこの国に来てしまった理由や原因なんて分からない。人生ってやつは、いつだって、突然で、行き当たりばったりで、理不尽だ。人間どうせ死ぬときは、死ぬんだ。なら自分がやろうと決めたことに殉じて死ぬのが、一番格好良くて、納得できる)


 そう思うと、不思議なくらいに落ち着いた。腹は決まった。

 騎影を数えると20あまりだった。対するこちらの護衛も20前後。春樹の助力は少しは足しになるだろう。


『よし』


 春樹が腹に力を込めて、剣に手を伸ばしたときだ。

 その剣をダニエルゼが横から取り上げた。


『お先に』


 ダニエルゼは、髪をなびかせて軽やかに馬車から躍り出た。隠れるなどという選択肢はダニエルゼにはないのだ。

 そもそも、今、ダニエルゼはドレープのついたスカートに、ネックレスを身につけたドレス姿なのだ。

 あんな格好で、外に出たら狙ってくれ、と言っているようなものだ。


(くそっ、いつもこうだ。自分の立場が分かっていない)


 春樹は、歯ぎしりをしながら、剣を握りダニエルゼの後を追って、外に出た。

 途端、重い空気を感じた。殺気が満ちていたのだ。


『ハルキ様。馬車の中でお待ちください』


 すぐにシータが春樹に寄り添うと、春樹を守るように半歩前に立った。春樹はそれを制して、シータより前に立った。

 さすがにシータを盾にするつもりはない。


 騎馬が馬車を取り囲んでいた。かなり粗末な服をざっくりと着た男たちは、鉄製の防具を身につけ、顔に下卑た笑みを浮かべていた。日本では見たことのない粗野な相貌だ。


 見たままではあるが、野盗だろう。


 野盗のうち半分ほどは、馬から下りて剣をこちらに向けている。騎乗したままのものは、獲物が逃げ出さないように周囲を見張っている。


 野盗の男達は、問答無用だった。

 雄叫びで彼ら自身を鼓舞しながら、小細工なしで斬りかかってきた。護衛の者も、怯むこと無く迎え撃った。

 迎え撃つ側、壁のような巨躯を揺らして先頭に立っているのは、ニコだった。


 ニコは、ゲオルグからもらった日本刀を目の前に構えている。すると、3人の野盗が喊声を上げてニコに斬りかかった。


 ニコは慌てなかった。


 うまく体を入れ替えて、同時に三人とは対しないようにしながら刀をひらめかせた。


「よし」


 小さな確認のような声がニコから漏れると、血まみれになった三つの死体が大地に倒れ伏していた。

 春樹は驚かなかった。先日のラヌゼの街での決闘を見て感じたことが、より強く確信となる。


 ニコは強い。

 圧倒的に。


 野盗達はニコの剣技に気圧されたようだった。


 次に動いたのはシータだった。

 春樹が止めようとするのを払って、シータは音も立てずに疾駆した。


 これに驚いたのは、護衛の者ではなく、野盗達だった。

 今の驚きは、シータの美貌にではなく、その体格だろう。二回りほども小さな女の子が、死臭の漂う修羅場の中央にやってきたからだ。


 しかし躊躇いを見せたのは一瞬だった。

 野盗は、すでに護衛の血を吸った剣を切り下ろした。シータは余裕を持って初撃を躱しながら、脇をすり抜けざま足を切りつけた。

 更にシータが小剣を返して、野盗の脇を切りつける。

 二人とも、耳の鼓膜が裂けそうな悲鳴を上げてのたうち回った。


 シータは、見事に防具のないところを攻撃している。そうしてそれが出来るほど、剣の技量に差があるということだ。


 ニコにやられたとき以上の驚きが、野盗達から伝わってくる。


(これは逃げ出すか)


 そう春樹は思ったが、野盗達は踏みとどまった。

 騎馬の者が、下馬せずにそのまま突っ込もうとしたが、ニコが馬に切りつけた。馬が驚いてバランスを崩して、横倒しになり、男は下敷きとなってうめき声を上げた。


 伯爵家の護衛達は、この間見ているだけではなく、野盗をけん制して数人を倒していた。逆に護衛達も三人程度手負いとなっており、その内一人は重傷だ。


 中でも、ニコとシータの働きは瞭然だった。刃をひらめかせると、野盗達の命を確実に刈り取っていった。


 情勢は圧倒的にこちらが有利となっていた。


(なぜ、野盗達は引かないんだ)


 春樹は不審に感じた。

 ここまで損害を出して、襲う価値のある獲物だということか。確かに伯爵の馬車は豪華だが、それほど魅力的に映るのだろうか。


 すでに襲撃の趨勢は、明らかだ。

 残っているのは、5名だけでそれも手負いになりつつある。


(引かないのは、不思議だが、もう大丈夫だろう)


 そう春樹が考えたときだ。


「死ねっ」


 不意に、背後から胴間声と共に剣を合わせる甲高い音が響いた。。

 振り返ると、いつの間にか背後に回っていた野盗の一人が、ドレス姿のダニエルゼと切り結んでいた。

 ダニエルゼは如何にも動き難そうだ。


『くそっ』


 最初の数号でやられたのか、ダニエルゼの腕から血が流れている。そしてダニエルゼに斬りかかっている男は、他の野盗達の数段上の剣の腕前を持っていた。


 ドレスの袖が、鮮やかな朱色に染まるのが見えて、春樹の頭に血が上った。


『馬車から、しゃしゃり出るからっ』


 春樹は、野盗ではなく、ダニエルゼに毒つきながら走った。



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