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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第一章
7/103

序章を大幅加筆修正しました。

ここまで読んでいただいている方には誠に申し訳ないのですが、今後の展開にも関わってまいりますので、序章の1~3をご一読ください。


ブックマークをして下さっている方がいらっしゃってびっくりしました。

ありがとうございます。

のんびりとした更新になりますが、お付き合いくださると嬉しいです。

 春樹は、深く息を吸い込んだ。

 浅い呼吸は、緊張を増すだけで、咄嗟の時の対応も遅くなってしまう。そう学生時代の監督が言っていた。ちなみにテニスの監督だ。

 テニスじゃなくて、剣道をやっておくべきだったと悔いても今更どうにもならない。


 老人は、一触即発の気配を持って春樹を睨んでいた。


 春樹は老人に意識を向けたまま、どうにか状況を打開できないかを考える。

 そもそも老人がなんと言っているのか分からないのが、問題なのだ。決して、歓迎されていないのは分かるが、今すぐ出て行け、なのか、お前の名前は何だ、なのか、動くな、なのか、それのどれとも違うのか。対応の仕方が分からないのであれば、春樹としては、日本人らしく曖昧な愛想笑いを顔に浮かべるしかやりようがない。

 手を上げようかと思ったが、それがどういう意味に取られるか分かったものではない。


 春樹は手のひらにかいた汗をシャツの袖で拭う。その何でもない行為が、今の非日常性を春樹に思い知らせた。

 数時間前まで、日本の湊市で相続税の研修をしていたのが嘘のようだ。講師をしていたときも、なんどかシャツで汗を拭ったものだ。白いシャツにスラックスをはいた今の自分自身が滑稽だった。


 見知らぬ教会。見覚えのない紋象。聞き慣れない言語。

 そして何より、太刀を構えて、立ちはだかる老人。日本では経験したことのない威圧感のある眼光、そして体全体に多い被さってくるような重圧。

 これが、たぶん殺気だ。


 春樹は、首筋から胸元に向かって、汗が流れ落ちていくのを感じた。


 その刹那。


 老人が、春樹に向かって跳んだ。

 春樹なら五歩はかかるであろう間合いを、一回の跳躍で老人は埋めた。


 太刀を一閃。

 その横薙ぎの攻撃を頭をすくめて、かわす。だが老人にとって、それは予測された行動だったのだろう。続けざま、太刀をひらめかせて、上段から切り下ろす。こっちが本命の攻撃か。

 春樹は転がるように、これを避けた。避けた先に、老人が右足を振り抜いている。

 蹴られた肩に衝撃を受けながらも、春樹は立ち上がって老人と正対する。


 よく死ななかったものだ。

 春樹は自分の動きに、感心した。人は集中すれば、そこそこの対応はできるようだった。ただ対応できるだけで、老人を攻撃することはできない。

 逃げるのと、立ち向かうのは全く別の能力だということを痛感する。

 老人の目が更に細くなっていく。


(この世界、この国では、見知らぬ人間をいきなり殺すのか。いや、そんなんことはないだろう。僕があまりにも不審な格好をしているとか、あるいは、言葉をまったく返さないのが極めて非礼であり、逆鱗に触れたとか。何らかの理由があるはずだ。見知らぬ人間がいる、というだけでここまで攻撃的になるようであれば、そもそも文明が萌芽するはずがない。今いる教会のようなしっかりとした建物を作ることができるのは、一人の人間の知識と経験だけでは足りない。幾人もの知識と経験が正しく受け継がれて、集積した結果に違いない)


 春樹は再び深く息を吸った。どうすれば、老人と人間としてのコミュニケーションをとれば良いのか。

 それとも、この老人がたまたま異常者でまともな会話が成立しない、という可能性もある。

 逃げる、という選択肢もあった。

 だが老人は言葉を発した。そして鋭い視線の奥には、間違いなく知性の輝きが見て取れる。

 ここで逃げても、同じことの繰り返しではないか、と春樹は判断する。


 春樹は、どうれば害意がないことが伝わるかを考える。

 両手をあげる、という案はさっき却下したのだが、それ以外何も思いつかないというのが正直なところだった。


(なら、やってみるか)


 春樹は手を上げかけて、もっと単純で世界的に共通であろうことを思いついた。


(害意がないことを伝えるのは、これが一番、だよな)


 春樹は、まず二歩後方に下がった。

 それに対して、老人は春樹から視線をそらさないが、春樹がすることは見届けてくれることにしたようだった。

 春樹は内心大きな安堵を落としながら、シャツのボタンに手を掛けた。そして一つずつボタンを外して、それを足下に落とす。続いて、下着だ。脱ぎかけて、老人の姿が見えなくなる瞬間があることに恐怖を感じたが、その恐怖を押さえつけて下着を脱ぎ捨てた。

 ありがたいことに、老人はただ見守っている。

 動悸がこれ以上ないくらい早くなっている。

 春樹はこれで上半身裸になった。

 続いてスラックスも脱ぐ。

 最後に残ったのは、パンツだけだ。

 ここで躊躇うようなら、こんなことをしようと思わない。

 春樹は、一気にパンツを下ろすとそれも前に置いた。建物の中でも、かすかに風があるようで、精神的な意味も含めてスースーした。


 害意がないことを伝える。これが春樹が考えた方法だ。これ以上に単純でわかりやすいは方法はなかったし、シンプルだからこそ伝わるのではないか、と思ったのだ。


 果たして……。


 春樹は、前を隠すこともせずに、老人と視線を合わせた。


 しばらくにらみ合いが続いたが、やがて老人は、太刀をくるりと回してから鞘に収めた。キン、という甲高い音が教会の中に響いた。

 それは戦いの終了の合図のようだった。

 老人は若干の苦笑いを浮かべると、春樹に向かって、身振りで衣服を身につけるように示したのだった。


 途端、春樹は腰が砕けて、その場に座り込んでしまった。

 老人に切り捨てられるという未来は、とりあえず回避できたようだ。


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