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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第四章
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『いやぁ、なかなか痛快やったぞ』


 暗い廊下には、ぽつりぽつりと燭台が並んでいる。足音がどこまでも広がっていきそうな、長い廊下だ。

 案内しようとした侍女は、すぐに下がるようにダニエルゼが命じていた。


『春樹の会計知識は、ほんまたいしたもんや。これなら、公都に行っても、会計の知識だけで注目を集めることができるやろ。ま、春樹の場合は、ニホン語も一級やから、そっちでも話題をさらえるけどな』


 ダニエルゼと春樹は、少し肌寒い空気の中を並んで歩いていた。

 ダニエルゼは来たときは、ニコの武勇をしゃべっていたが、今度は春樹の知識を絶賛していた。

 春樹としても、悪い気はしない。


『アントンの顔を見ているのは、面白かった。にしても、案外、会計の技術はしっかりしているようやったな』


 ダニエルゼの論評は正しい。そして、他人の会計技術を評価できるだけの知識もダニエルゼは持っている。


『計算に関しては、十分なレベルだろ。あれぐらい出来たら、帳簿を付けることもできるし、見積もりも作れる』

『そういやぁ、結局、伯爵は倉庫の設計については何も言わんかったな』

『まぁ気づいていたけど、設計については専門じゃないからな。とりあえず、倉庫は作らないという結論だったから、敢えて話は振らなかった』


 んー、とダニエルゼは、何かを考えているようだった。


『さっきの話なんやけど、あれって毎年預かるってことは、倉庫はひとつじゃ足りやんよな。だって2年間保管しないとだめなんやから』

『お、鋭いな。そう、もう一つ倉庫は必要だ。だとしても、結果は変わらない。収入も支出も倍になるだけだからな』

『なるほど』

『それよりも、私が気になっているのは、どうして急に2等級で納税するようになったか、だ』

『何か理由があるのか』


 理由はあるだろう。

 なければおかしい。春樹自身が納税者側と考えれば、2等級の茶葉で納税など絶対にしないからだ。


『明日、出発前に調べたいことがある』

『ふーん、ハルキも働きもんやな。私はそんな朝っぱらから調べるなんてごめんやからな』

『わかってるよ』


 春樹は、元からダニエルゼに調べ物の付き合いなんて、期待していない。それにダニエルゼでは、春樹の調べ物の役には立たない。適任は他にいる。



 ◆



 朝の太陽がラヌゼの町を、白く染めていた。


 街の北の市場では、店主達がせわしげに行き交っていた。料理店を開くものは、朝の買い出しに訪れ、モンターニャ湖から魚を持ってきた漁師は、威勢のいい売り文句を並べていた。

 一方では、夜通し酒場で過ごしていた男が重そうな頭を揺らしながら市場を横切っており、綺麗な花々が並んだ店先では若い女が、花束を手に客に声かけていた。カフェのために、道路にテーブルを並べていた髭面の男は、隣の老人と朝の挨拶を交わしていた。


 シータは、すっきりした朝の気配のなかを、緊張しながら歩いていた。右隣には、春樹が歩いており、左隣には、ニコが歩いている。


(どうして、ニコは付いてきたんだ)


 春樹が声を掛けてきたのは、昨夜のことだ。

 部屋に戻ってきた春樹から、明朝、市場に行きたいという話があった、シータの知識を借りたいのだという。この時は、ニコはすでに気持ちよく寝ていたので、特に何のアクションもなかった。しかし今朝、春樹と一緒に出かける段になって、ニコがしゃしゃり出てきたのだ。


(ハルキ様を警護するには、私は力不足だといいたいのだろうか)


 敬愛する春樹を、守るのは自分であるべきだ。

 ニコは騎士になりたいという。シータも騎士になりたかった。ただ、春樹のためだけに。


 ニコは、全て国の人達を守る剣であり、盾でありたいという。シータは、春樹の胸を飾る一輪の花になりたかった。

 凜とした、真っ白な名も無き花に。


 ダニエルゼ、ニコ、春樹、それぞれの誓いを見守る、という光の聖霊(ソーラ)への誓いも、春樹の支えになりたい、という一心からの誓いだ。ダニエルゼの公爵領民の安寧という誓いや、ニコの騎士になるという誓いは、春樹の誓いである、奴隷解放の助力となりうる。だからこそ、全員の誓いを補佐する立場にシータは収まったのだ。

 シータにとって、第一はあくまで春樹の誓いだ。

 もし、三者の誓いが、相容れなくなったような場合、シータは迷うことなく春樹に付くだろう。


「ハルキ様、今朝はどのようなご用件で市場に参ったのでしょうか」


 春樹が、シータの知識を借りたいというのは、珍しいことだ。


「シータは、国中を巡っていたんだろ」

「はい……全国を行商しておりましたので」


 あまり思い出したくない過去だ。

 春樹に助けてもらうまでの、シータの生活はべったりとした黒い闇だ。


「ラヌゼの市場で、ラリアナ茶を買ったことはあるかな」

「ございます」

「おお、やっぱり。それじゃあ、ラリアナ茶を商っている場所に、ちょっと案内してくれないか」

「お安いご用です」

「ありがとう」

「いえ」


 シータは春樹からの感謝の言葉に小さく頭を下げた。

 誰かに感謝されたり、礼を言われたり、することがこんなに楽しく、胸が満たされることだということを、ビエントの街で春樹に出会って初めて知ったのだ。


 市場の人混みはかなり酷い状態だったが、シータ達が歩くと自然と人波は分かれていく。

 それはニコの頭ひとつ抜けた背の高さがひとつの要因で、もうひとつはシータ自身の容姿があるようだった。

 シータにしてみれば、馬鹿馬鹿しいことだ。昨年もこの市場に来て買い出しをしたが、その時は誰もシータを見るものはいなかった。その時は、針金みたいにやせ細り、垢にまみれた顔をしていたからだ。

 それだけだ、それだけのことで、今、シータは注目を浴びている。化粧という行為を、女達がする理由が分かったし、だからこそその行為をシータは嫌悪した。


 感嘆の顔を見せて振り返る男達を、シータは冷めた気持ちで見返した。

 本当に助けてもらいたいときに、手を伸ばしてくれたのは春樹だけだ。どれだけ感謝しても仕切れない。


 シータは自分の命を春樹のために使うことを決めている。


 唯一、その他に気がかりなことと言えば、兄のことだ。ただ一人の肉親なのだ。最初の主人のもとでは、一緒に過ごすことが出来たが、役に立たないということでシータと共に、二人とも売り出されてしまったのだ。どこに兄が売られたのか、シータは知らない。


「こういうところだと、シータの兄さんにばったり会ったりするかも知れないな」


 まるでシータの心が読めているかのように、春樹がシータに話を振ってきた。


「可能性という意味ではゼロではないのでしょうが、なかなかそんな偶然はありません」

「まぁ、それはそうだな」

「シータの兄君は、なんという名前なのだ」


 ニコが振り返って聞いてくる。


「ディルク」


 そうシータが言ったときだ。ピクリとニコの眉が動いた。そして若干、瞳孔が大きくなったのをシータは見逃さなかった。


 シータは、ニコの顔を見る。


「ニコは兄を知っているの」

「いや、知らない」


 ニコは断言した。その横顔の影をシータは見つめた。


 たぶん、嘘だ。シータはそう考えた。

 だが、追及しても、ニコは答えないだろう。言う言わないを、他人に委ねる人間ではない。


(どうして、ニコがディルクを知っているのか)


 声に出して、兄の名前を呼ぶのは四年ぶりになる。不思議と懐かしさはない。兄は、シータの四歳年上だ。

 シータと分かれたときに、ちょうど今のシータと同じ年齢だった計算になる。

 兄の眼差しを思い出す。シータと同じ、銀色の髪と、深い灰色の瞳。その瞳には、いつもどこか人を食った、からかうような色があった。奴隷には似つかわしくない目だった。

 だからよく、主人に怒鳴られていた。

 それでも決定的な叱責を受けることはなかった。兄はとびきり頭が良かった。どうすれば、人の反感を買い、関心を得ることができるかをワザと試しているような風があった。


 そういえば、当時、兄はよく言っていた。

 どうして、奴隷が逃げ出さないのか、ということを。

 逃げてしまえば、どうにでもなるんじゃないか、と。奴隷でいる奴は、魂まで奴隷だから、いつまでたっても奴隷なんだ、そう笑っていた。


 身寄りも無い人間が、逃げ出してどこで生きていくというのか、とシータは疑問に思ったものだ。それに逃亡奴隷法という法律もある。逃げ出した奴隷は、強制的に持ち主の元に連行されるし、逃亡を幇助した者はきつく罰せられる。



 シータは、春樹とニコを先導していた足を止めた。


「大体、この辺りにテントを並べている商人が、ラリアナ茶を扱っております」


 そこは、市場の端に位置する場所だった。

 10件程度の露天商がテントを張っている。ムシロが敷かれた店先には、「ラリアナ茶あります」、「ウルラ茶、フィアーレ茶、ルング茶、試飲できます」、「各種茶葉、箱売りします」、「激安」、「当店オリジナルブレンド茶」、「ご要望の味、作ります」等々、売り文句だけでお腹いっぱいになりそうな看板が並んでいた。


 春樹が、一番近くにいた坊主頭の商人に話しかけた。


「ラリアナ茶を買いたいんだけど」

「はい、いらっしゃい」


 五十がらみの商人は、少し甲高い声で春樹に返事をした。そして隣にいるニコに目をやって、その威圧感に言葉を失い、次にシータを見てを目を丸くした。


「こりゃあ、また、面白いお連れさんですな、旦那」


 感心を含んだ男の言葉には答えず、春樹は先をうながした。


「ラリアナ茶は、1等級、2等級どちらも扱っているかな」

「どちらも取り扱っていますぜ」


 つるつるの頭を撫でながら、男は愛想よく応じた。



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