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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第四章
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 結局、帳簿とは、また会計とは、前提となる知識や理解力が必要となる技術である。

 理解しようとする意識と、それを支える知識が必要なのだ。時間が十分にもらえるのであれば、1日説明をすれば理解してもらえるだろうが、そんな時間はない。

 絵は何の知識が無くても、人を感動させることが出来る。だが帳簿を見て、その意味を知り、活用するには見る側に知識が必要だ。


「閣下。こちらの見積もりは、倉庫を建ててからの支出が全て足し上げられており、収入も全て考慮されております。そして、結果的に利益が18,000キルク残るという計算がなされています」

「その通りだ。その計算に何か間違いがあるのか」

「ございません。ただ考慮すべき事項が抜けております」


 伯爵の隣に控えるアントンの瞳に剣呑な光が灯った。


「ハルキ殿、今、支出も収入も全て考慮されていると申しておりましたな。なのに、考慮すべき事項が抜けているとはどういう意味でしょうか。発言に食い違いがあると存じますが」

「私は、さきほど、倉庫を建ててからの、支出と収入と申し上げました。ここが重要なことなのです。倉庫を建ててから、というところが、です」


 春樹は、手に持っている、見積もりを広げて見せた。


「この見積もりのどこにも、倉庫の代金が入っていないのですが、よろしいでしょうか」


 部屋に沈黙が降りた。

 口火を切ったのは、ダニエルゼだった。


「確かに……春樹の言うとおりかも知れない。けれど、倉庫を建てたことに対する支払いは全額がすぐに出てしまうでしょう。そうだとすると、その支出を見積もりに入れてしまうと、損失がでるにきまっているではないか」

「もちろん、短期間で見るわけではありません」


 春樹は、会計上の減価償却についての説明を試みた。


「倉庫というものは、かなり高額な買い物です。そのため、倉庫の建築代金の全額をこの見積もりに入れてしまうと、当然利益がでないことになります。ですので、ちょっとした会計技術を駆使します」


 そこで春樹は、算盤を取り出した。

 この国にも算盤があったことを知ったのは、数ヶ月前のことだ。日本と同じ、5だまが一つと、1だまが四つの作りだ。算盤を商っていた行商人も、使い方を知らなかったために、春樹は使い方を試行錯誤しながら何とか身につけた。


「春樹殿は、算盤を使えるのか」


 アントンが驚きを含んだ声を出した。


「まぁ、それなりに」


 この言葉に嘘はない。何しろ、本当にそれなりなレベルなのだ。良い意味ではなく、悪い意味で、それなりだ。算盤の使い方を独学するなど、一年前、つまりまだ日本にいた頃は、想像だにしなかった。

 ただ、上にある一つのたまを5と数え、下にある四つのたまを1と数えることを知っているだけで、かなりのアドバンテージがあった。小学校の算盤の授業に感謝しないといけない。でも、せっかくなら、徹底的に教えてもらいたかった。


「算盤の技術は商業ギルドの秘匿技術のはずだ」


 それは初耳だった。秘匿技術っていうほど、特殊なものではないだろう。誰でも学べば、使えるようになる。


「算盤のことは、また後ほど」


 春樹は話の軌道を元に戻した。


「先ほどの、倉庫についてですが、大きさの検討は置いておくとしまして、現状では、お幾らで建設する予定でしょうか」

「300,000キルクですね」


 答えたのは、アントンだ。伯爵もその数字を知らなかった様子だ。


「分かりました。そして、その建物はどの程度の期間使用できるのですか」

「建ててから、建て替えるまでの期間ということか」


 春樹の言葉に、伯爵が首を傾げた。


「左様です」

「ふむ、それは一概には……」

「恐れ入ります。大体、20年程度かと存じます」


 伯爵の視線を受けて、アントンが春樹に答える。


「だとすると」


 春樹は算盤を弾いた。


「300,000÷20を計算しますと、15,000キルクという数字になりますね。この数字は、一年間のラリアナ茶の保存に掛かる支出です」

「ほー、なるほどな。だとすると、保管するのは二年だから、30,000キルクかかるということだな」


 さすがは、ダニエルゼ。無駄に頭が良い。もともと、春樹の手伝いをしていたりするので、会計的な訓練をダニエルゼはしているのだ。ただ、減価償却の説明を一発で理解するのはたいしたものだ。


「もう一度、説明しろ」


 伯爵の指示で、春樹はかみ砕いて、説明を繰り返した。

 減価償却とは、数年に渡って使用される資産について、その使用期間に資産の取得時の金額を按分して、費用とする会計手法である。

 段々と伯爵の顔は晴れていき、一方でアントンの顔は悔しそうにゆがめられていく。


「よく分かった。つまり今のままでは、利益が出ないということだな」

「はい。二年間で、今の見積もりのままでは、18,000-30,000=12,000キルクの損失が二年ごとに発生することになります」

「なるほど、よく分かった。春樹の計算方法は、合理的であり、筋も通っている。だが、このような損失の計算方法は、初めて聞いたな。アントン、お前はどうか」

「……私も初めて聞きました」


 今にも、春樹に掴みかかりそうな目つきでアントンが睨み付けてきた。アントンが悪いわけではない。単純に、この国の会計が進んでいないだけなのだ。春樹は日本で学んだことを披瀝しているだけのこと。簿記検定3級の学生でも知っている減価償却も、知らない人からすれば進んだ会計技術だ。先人の知恵の結晶だ。


「そうか。お前も初めて聞いたか。うむ、ということはこの国で、この計算方法を知っていたのは、春樹だけだったということになるのではないか。アントン、気にやむ必要はないぞ。今後、この知識を活かせば良いだけだ」

「はっ。心得ました」


 アントンに対する伯爵の信頼は厚いようだ。アントンもほっとしたような顔をしている。


「ゲオルグ殿に伺ったとおり、なかなかの知識だ」

「恐れ入ります」

「さすがは、ダニエルゼ殿下。良い従者をお持ちですな」

「そうおっしゃっていただければ、春樹も本望でしょう。アバーテ伯爵の経理官もしっかりした仕事をされています。春樹の知識はたまに私の想像も超えておりますので」


 ダニエルゼが満面の笑みを見せる。爽やかな笑顔で、嫌みがなかった。これならばアントンにも遺恨は残らないだろう。アントンは、少しバツが悪そうではあったが、さきほどの恨みがましい視線は消えていた。伯爵のフォローが良かったのだ。


「そうなると、すぐに売ってしまったほうが良いということになるわけだな」

「はい」


 頭を下げた春樹ではあるが、実は一概にすぐに売ってしまったほうが良い、とは言い切れない、という思いはある。給料や、建物の値段など収支に大きな影響を及ぼす支出を、春樹自身が吟味していないからだ。さらに、倉庫の材質や茶箱の保管による必要面積の軽減など考えられることは無数にある。ただそこは、春樹が口を突っ込むところではない、と判断した。それに春樹が損益の見積もりを真面目にすれば、修繕積み立てや、ラリアナ茶の相場変動リスクの見積もりなど、もっとマイナス要因が大きくなる可能性が高い。


「手元の在庫を市場で売るのも、面倒な話ではあるな」

「その辺りは、ご安心ください閣下。ラリアナ茶の売却については、ツテのある仲買人がおりますので、そのものに任せれば問題はないでしょう」

「閣下、ひとつご確認してもよろしいでしょうか」


 春樹が口を挟んだ


「そもそもなぜ倉庫を建てるという話が出てきたのでしょうか。今までの話を聞いておりますと、それまでは倉庫はなかったように思うのですが」

「突然、今年の納税から、2等級の茶葉による納税が激増したのだ」

「なるほど、2等級の茶葉が増えたために、このような話が浮上したわけですね」

「そうだ。それでアントンに急遽見積もりを頼んだわけだ」


 アバーテ伯爵の言葉に春樹が頷くと、隣のダニエルゼから口を開いた。


「アバーテ伯爵、夜も更けました。今日は朝から長旅ゆえ、少々疲れました。春樹と共にお暇しますわ」

「これは失礼。淑女には堪える時間ですな」

「では、失礼いたします」


 その言葉を最後に春樹とダニエルゼは部屋から辞した。


 春樹はアバーテ伯爵が言った、今年から2等級の茶葉による納税が急に増えた、という言葉が引っかかっていた。

 それからあと一つ、どうにも腑に落ちないことがあったのだ。


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