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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第四章
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「おいっ、お前ら何をやっている」


 男達に取り囲まれる。


「誰が、こいつをやったんだ」


 隊長らしき兵士が、ずいっと前に出てきた。

 ニコは腹を括った。


「僕がやりました」



 ◆



 シータの説明を聞くと、次のような経緯だったらしい。


 兵舎の一室に通されたシータとニコに、兵士が声を掛けてきた。

 シータが疲れていることを理由にその申し出を断ると、更に幾人かが部屋に押しかけてきて、難癖をつけてきたようだ。

 結果、決闘することになったらしい。


(どうも、大切なところが端折られている気がする)


 ハルキは説明をしているシータの様子を観察する。

 一見いつも通りだが、たまに視線が泳ぐときがある。


(何か、隠してる……よな)


 それが何なのか分からない。

 そして、いま問いただす時間もなかった。


 結果的に、ちょっとした小競り合いが、ニコと相手方の間で生じて、最終的には決闘という流れになった。それは間違いないようだ。

 そして、シータは、その場を何とか押しとどめて、責任者を呼びにきたと言う話だ。


「それでは、私を呼んでも仕方がないじゃないか」


 ビエントの街では、春樹はそれなりの権限のある立場だが、伯爵家では何の地位も無く、また権限もない。


「問題ありません」


 シータが振り返ると、エッダと名乗った騎士が二人に追いついてきたところだった。

 そしてダニエルゼがちゃっかりと後ろに付いている。

 お祭り好きな、ダニエルゼらしい。


「全ての兵士は私の管轄だ」


 エッダは、晩餐会の際には持っていなかった剣を手に持っている。

 そのままエッダは人垣を分け入っていく。春樹とシータ、ダニエルゼも後に続いた。


 人波の最前列まで出ると、ニコが悠然と立っていた。どちらかというと、伯爵家の兵士のほうが落ち着かない様子に見えた。


 だが詳しく観察してみると、ニコの口元に笑みがなかった。

 ニコはいつだって、笑みを口元に浮かべているのだ。それがないということは、内心ではかなり焦っているか、或いは怒っている。


 ニコは刀を腰に吊しているが、柄に手をやるでもなく、相手の兵士を見ていた。

 兵士は長剣と短剣を腰に下げていたが、その長剣をちょうど抜き放ったところだった。その兵士は確か、ビエントからラヌゼまで護衛をしてくれた部隊の部隊長のはずだ。


 さすがに、隊長となるだけあって、兵士の体格は、決して小さくはない。

 春樹よりも背は高く、鍛えられているのが一目でわかる肩をしている。

 しかしニコと比べると、明らかに貧相だった。元々体格の良いニコは、毎日欠かさずにしている筋トレのお陰で、すっかり筋肉の塊にようになっている。


 無責任なヤジが、兵士の仲間達から飛んでいる。


「そんな奴、図体がでかいだけだ」

「ビエントの田舎者に舐められちゃ駄目ですぜ」

「隊長、いっちょいいところ見せてください」


 ニコの性格が穏やかで、横柄な態度をとることもないので、普段はそこまで大きくは見えない。だが一対一で、相対するとその印象は一変する。

 春樹は、剣の稽古で何度も剣を持って、ニコと対峙した経験がある。


 偉丈夫。


 剣を持ったニコにもっとも相応しい表現だ。

 死神とか、剣の達人とか、他にもいいようはあろうが、やはり偉丈夫というシンプルな言葉が似合う。

 ニコと剣を持って対峙すると、かなわない、というごく単純な感情が湧くのである。事実、剣を交えても、数合で負ける。


 春樹は、こと剣戟に関して永久にニコに勝てるとは思えない。それだけの差が歴然としてある。


 今、ニコと剣を持ち、相対している兵士も同じように感じているのか、それは春樹には分からない。

 兵士の実力を、はかりかねた。一度でも、春樹自身が立ち会えば分かるのだが、横から見ているだけで、実力が分かるほどの高みに春樹は達していない。


 エッダが、二人の間を分け入って声を掛けた。


「どうした、とは今さら聞かぬ」


 エッダが剣を抜いて、二人の間に立つ。

 握られた剣は、両刃の剣。柄の部分にすら何も飾りもない、実用一辺倒の剣だ。


「また、止めもせぬ。だが、言い出したからには、最期まで貫徹せよ。よいな」


 最期は、部下である兵士に向かって掛けられた言葉だ。

 春樹とやや年かさに見える兵士は、黙ったまま剣を構え直した。

 女としては低い響きのエッダの声は、周囲にいる兵士や春樹達、そして闇に向かってどこまでも広がっていく。


「止めないのですか」


 心配そうなシータの言葉に、春樹は首を横に振った。

 無粋、というのもあるが、ニコの強さの位置を知りたいというのもあった。ゲオルグと互角というのが、どの程度の価値があるのか、それを一般的な尺度で知りたかった。


『やっちまえ』


 ダニエルゼはニホン語で煽る。それは、春樹にだけ聞こえるような小声だった。小声で呟くあたり、ダニエルゼも自分の立場をわきまえているようだ。

 あの兵士は、伯爵家の部隊長だ。その職務に就いているということは、ある程度以上のレベルは維持しているはずだ。

 ニコの剣はどこまで通じるのか。


 春樹は喉の渇きを覚えた。


「両名とも、この決闘にて死しても異存は無いな」


 死という言葉に、春樹はキュッと心臓が縮まるのを感じる。剣を持っての果たし合いである以上、覚悟を決めるべきことだ。


 兵士とニコ、いずれもがエッダに向かって、承諾の意思を示す。


「では、アバーテ伯爵領ベルネ家、騎士エッダがこの決闘の見届け人となる」


 ニコにこんな他愛のないことで、命を掛けさせることが、妥当なのか。

 躊躇いはある。

 この程度のことを乗り越えることができずに、ソル公爵家の剣になるというニコの大望が成し遂げられるのか、という思いと、無駄な壁をわざわざ乗り越えることはただの徒労だ、という思いが交錯する。


 ただ、結局のところ、これは春樹が決めたことではなく、ニコが決めたこと。

 それに、ここに至っては、春樹の力では、決闘を止めることはもはや不可能。


 春樹は固唾を飲んで、ニコを見つめる。


 しんとした静けさが、満ちる。

 空には星が撒かれている。

 湿り気を帯びた夜気が、かすかな風に身をよじらせる。春樹はきつくを手のひらを握りしめた。


 ニコが刀を鞘走らせた。


 威風堂々、太刀が闇に映え渡る。


 途端に空気が重くなった。誰かが鼻をすする音がとても大きく響いた。


 ニコの眼光に凄みが増した。

 腰がわずかに低くなる。


 春樹は不意に、この国に来て初めて会ったときの、ゲオルグの姿を思い出していた。あの時は、ゲオルグが構えた時に心底恐怖を感じたものだ。あの時と同じような威圧感がニコから放たれている。


 先に動いたのは、兵士。そう見えた。


 その矢先だ。

 踏み出した兵士の剣よりも、早くきらめいたのはニコの太刀。兵士が間合いを詰めるよりも、倍の速度で二人の間合いを詰めたニコが太刀を振るった。


 乾いた金属音が響いたかと思うと、兵士が膝をついていた。その喉元には、ニコの太刀が突きつけられている。


 あっという間の決着だった。


 シータが息を吐き出すのが、聞こえた。ずっと息を止めていたようだ。一方で、ダニエルゼはがっかりしたように、舌打ちをしている。あっけなく決着が付いたのが不満なのだろう。

 春樹も、固く握りしめていた手を開いた。べっとりと汗をかいているのが分かった。それをズボンにこすりつけて拭う。


(しかし、ここまで圧倒的だとは)


 強いとは思っていたが、兵士はニコの相手になっていない。これなら、ニコが公都の騎士学校に入っても問題はないだろう。


 そこまで春樹が考えたときに、突然、白銀が視界を走った。


 なんだ。


 弛緩した空気を切り裂いたのは、兵士の短剣だった。

 兵士が腰から引き抜いた短剣で、突きつけられたニコの刀を払ったのだ。


「あっ」


 誰かが叫んだ。もしかしたら、春樹の声だったかも知れない。春樹は完全にその短剣を失念していた。


 刀を弾いた兵士は、そのまま間髪を入れずに開いた素早くニコの手をたぐる。そして、ニコの脇腹に短剣を突き立てた。


 かのように、見えた。


 短剣が突き立てられるよりも先に、ニコの蹴りが兵士の首を狩った。

 鈍い音に続いて、兵士がごとりと地面に倒れ込んだ。


 兵士は完全に意識を失っていた。

 丸太のようなニコの足に、首を蹴り飛ばされたのだ。意識を保つどころか、死んでいる可能性もありそうだ。


 ぴくりとも、もはや兵士は動かなかった。

 そこでようやくニコが緊張を解いた。


 その様子を最期まで見届けたエッダが宣言をする。


「勝者、ダニエルゼ殿下従者ニコ」


 ヤジを飛ばしていた兵士達から、歓声は上がらなかった。



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