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「おいっ、お前ら何をやっている」
男達に取り囲まれる。
「誰が、こいつをやったんだ」
隊長らしき兵士が、ずいっと前に出てきた。
ニコは腹を括った。
「僕がやりました」
◆
シータの説明を聞くと、次のような経緯だったらしい。
兵舎の一室に通されたシータとニコに、兵士が声を掛けてきた。
シータが疲れていることを理由にその申し出を断ると、更に幾人かが部屋に押しかけてきて、難癖をつけてきたようだ。
結果、決闘することになったらしい。
(どうも、大切なところが端折られている気がする)
ハルキは説明をしているシータの様子を観察する。
一見いつも通りだが、たまに視線が泳ぐときがある。
(何か、隠してる……よな)
それが何なのか分からない。
そして、いま問いただす時間もなかった。
結果的に、ちょっとした小競り合いが、ニコと相手方の間で生じて、最終的には決闘という流れになった。それは間違いないようだ。
そして、シータは、その場を何とか押しとどめて、責任者を呼びにきたと言う話だ。
「それでは、私を呼んでも仕方がないじゃないか」
ビエントの街では、春樹はそれなりの権限のある立場だが、伯爵家では何の地位も無く、また権限もない。
「問題ありません」
シータが振り返ると、エッダと名乗った騎士が二人に追いついてきたところだった。
そしてダニエルゼがちゃっかりと後ろに付いている。
お祭り好きな、ダニエルゼらしい。
「全ての兵士は私の管轄だ」
エッダは、晩餐会の際には持っていなかった剣を手に持っている。
そのままエッダは人垣を分け入っていく。春樹とシータ、ダニエルゼも後に続いた。
人波の最前列まで出ると、ニコが悠然と立っていた。どちらかというと、伯爵家の兵士のほうが落ち着かない様子に見えた。
だが詳しく観察してみると、ニコの口元に笑みがなかった。
ニコはいつだって、笑みを口元に浮かべているのだ。それがないということは、内心ではかなり焦っているか、或いは怒っている。
ニコは刀を腰に吊しているが、柄に手をやるでもなく、相手の兵士を見ていた。
兵士は長剣と短剣を腰に下げていたが、その長剣をちょうど抜き放ったところだった。その兵士は確か、ビエントからラヌゼまで護衛をしてくれた部隊の部隊長のはずだ。
さすがに、隊長となるだけあって、兵士の体格は、決して小さくはない。
春樹よりも背は高く、鍛えられているのが一目でわかる肩をしている。
しかしニコと比べると、明らかに貧相だった。元々体格の良いニコは、毎日欠かさずにしている筋トレのお陰で、すっかり筋肉の塊にようになっている。
無責任なヤジが、兵士の仲間達から飛んでいる。
「そんな奴、図体がでかいだけだ」
「ビエントの田舎者に舐められちゃ駄目ですぜ」
「隊長、いっちょいいところ見せてください」
ニコの性格が穏やかで、横柄な態度をとることもないので、普段はそこまで大きくは見えない。だが一対一で、相対するとその印象は一変する。
春樹は、剣の稽古で何度も剣を持って、ニコと対峙した経験がある。
偉丈夫。
剣を持ったニコにもっとも相応しい表現だ。
死神とか、剣の達人とか、他にもいいようはあろうが、やはり偉丈夫というシンプルな言葉が似合う。
ニコと剣を持って対峙すると、かなわない、というごく単純な感情が湧くのである。事実、剣を交えても、数合で負ける。
春樹は、こと剣戟に関して永久にニコに勝てるとは思えない。それだけの差が歴然としてある。
今、ニコと剣を持ち、相対している兵士も同じように感じているのか、それは春樹には分からない。
兵士の実力を、はかりかねた。一度でも、春樹自身が立ち会えば分かるのだが、横から見ているだけで、実力が分かるほどの高みに春樹は達していない。
エッダが、二人の間を分け入って声を掛けた。
「どうした、とは今さら聞かぬ」
エッダが剣を抜いて、二人の間に立つ。
握られた剣は、両刃の剣。柄の部分にすら何も飾りもない、実用一辺倒の剣だ。
「また、止めもせぬ。だが、言い出したからには、最期まで貫徹せよ。よいな」
最期は、部下である兵士に向かって掛けられた言葉だ。
春樹とやや年かさに見える兵士は、黙ったまま剣を構え直した。
女としては低い響きのエッダの声は、周囲にいる兵士や春樹達、そして闇に向かってどこまでも広がっていく。
「止めないのですか」
心配そうなシータの言葉に、春樹は首を横に振った。
無粋、というのもあるが、ニコの強さの位置を知りたいというのもあった。ゲオルグと互角というのが、どの程度の価値があるのか、それを一般的な尺度で知りたかった。
『やっちまえ』
ダニエルゼはニホン語で煽る。それは、春樹にだけ聞こえるような小声だった。小声で呟くあたり、ダニエルゼも自分の立場をわきまえているようだ。
あの兵士は、伯爵家の部隊長だ。その職務に就いているということは、ある程度以上のレベルは維持しているはずだ。
ニコの剣はどこまで通じるのか。
春樹は喉の渇きを覚えた。
「両名とも、この決闘にて死しても異存は無いな」
死という言葉に、春樹はキュッと心臓が縮まるのを感じる。剣を持っての果たし合いである以上、覚悟を決めるべきことだ。
兵士とニコ、いずれもがエッダに向かって、承諾の意思を示す。
「では、アバーテ伯爵領ベルネ家、騎士エッダがこの決闘の見届け人となる」
ニコにこんな他愛のないことで、命を掛けさせることが、妥当なのか。
躊躇いはある。
この程度のことを乗り越えることができずに、ソル公爵家の剣になるというニコの大望が成し遂げられるのか、という思いと、無駄な壁をわざわざ乗り越えることはただの徒労だ、という思いが交錯する。
ただ、結局のところ、これは春樹が決めたことではなく、ニコが決めたこと。
それに、ここに至っては、春樹の力では、決闘を止めることはもはや不可能。
春樹は固唾を飲んで、ニコを見つめる。
しんとした静けさが、満ちる。
空には星が撒かれている。
湿り気を帯びた夜気が、かすかな風に身をよじらせる。春樹はきつくを手のひらを握りしめた。
ニコが刀を鞘走らせた。
威風堂々、太刀が闇に映え渡る。
途端に空気が重くなった。誰かが鼻をすする音がとても大きく響いた。
ニコの眼光に凄みが増した。
腰がわずかに低くなる。
春樹は不意に、この国に来て初めて会ったときの、ゲオルグの姿を思い出していた。あの時は、ゲオルグが構えた時に心底恐怖を感じたものだ。あの時と同じような威圧感がニコから放たれている。
先に動いたのは、兵士。そう見えた。
その矢先だ。
踏み出した兵士の剣よりも、早くきらめいたのはニコの太刀。兵士が間合いを詰めるよりも、倍の速度で二人の間合いを詰めたニコが太刀を振るった。
乾いた金属音が響いたかと思うと、兵士が膝をついていた。その喉元には、ニコの太刀が突きつけられている。
あっという間の決着だった。
シータが息を吐き出すのが、聞こえた。ずっと息を止めていたようだ。一方で、ダニエルゼはがっかりしたように、舌打ちをしている。あっけなく決着が付いたのが不満なのだろう。
春樹も、固く握りしめていた手を開いた。べっとりと汗をかいているのが分かった。それをズボンにこすりつけて拭う。
(しかし、ここまで圧倒的だとは)
強いとは思っていたが、兵士はニコの相手になっていない。これなら、ニコが公都の騎士学校に入っても問題はないだろう。
そこまで春樹が考えたときに、突然、白銀が視界を走った。
なんだ。
弛緩した空気を切り裂いたのは、兵士の短剣だった。
兵士が腰から引き抜いた短剣で、突きつけられたニコの刀を払ったのだ。
「あっ」
誰かが叫んだ。もしかしたら、春樹の声だったかも知れない。春樹は完全にその短剣を失念していた。
刀を弾いた兵士は、そのまま間髪を入れずに開いた素早くニコの手をたぐる。そして、ニコの脇腹に短剣を突き立てた。
かのように、見えた。
短剣が突き立てられるよりも先に、ニコの蹴りが兵士の首を狩った。
鈍い音に続いて、兵士がごとりと地面に倒れ込んだ。
兵士は完全に意識を失っていた。
丸太のようなニコの足に、首を蹴り飛ばされたのだ。意識を保つどころか、死んでいる可能性もありそうだ。
ぴくりとも、もはや兵士は動かなかった。
そこでようやくニコが緊張を解いた。
その様子を最期まで見届けたエッダが宣言をする。
「勝者、ダニエルゼ殿下従者ニコ」
ヤジを飛ばしていた兵士達から、歓声は上がらなかった。