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公爵家の財務長官  作者: 多上 厚志
第四章
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 伯爵邸を出た左側に、兵士達が詰める兵舎がある。

 春樹、ニコ、シータの三人は、そこの一室に今夜は泊まることになっている。


 今、兵舎の前には、大きな人だかりが出来ていた。かがり火に照らされて、その中心にニコであることがはっきりと見て取れた。

 屈強な兵士達に囲まれても、頭ひとつニコは抜きん出ている。


 シータはその人だかりの手前で立ち止まると、春樹に簡単に経緯を説明した。


 事件が起きたのは、春樹が晩餐会に出席するために、部屋から出たところだったらしい。



 ◆



 晩餐会に呼ばれたハルキが部屋を出て行った。

 兵舎の角の部屋には、ニコとシータの二人が残された。少し据えた匂いのする部屋には、二段ベッドがひとつと質素ではあるがソファーがひとつある。来客用の部屋ということなのだろう。

 窓からは、かがり火が見えており、風に揺らぐ炎が影を窓ガラスに投げかけていた。


 ニコはソファーに腰掛ける。二段ベッドはひとつしかなく、ベッドで寝ることができるのは二人だけだ。ということであれば、ハルキとシータがベッドを使うべきだ、とニコは判断した。


 シータは女であり、ハルキは年長者だ。そしてニコは奴隷である。

 悩むこともなく、ニコがソファーで寝る立場だ。

 同行者がシータやハルキでなければ、これでことは済む。


 だが、ハルキはニコがソファーで寝るといいだせば、間違いなくケチを付けてくる。

 奴隷なんて肩書き、そんなものは意味がない、だからハルキがソファーで寝る、と言い出すに決まってるのだ。ハルキが奴隷解放を目指しているのは、ニコも知っているが、どうにも片意地を張るところがあるのが、ハルキの良くないところだ。何でも平等、というのがハルキの信念なのだ。

 シータにいたっては、元奴隷ということもあり、ニコを同格と見なしてくるから始末が悪い。騎士というのは、周りの人々に対して、惜しみなく与えるべきだ。


 だからこそ、ニコはソファーに荷物を置いていき、ここで寝るぞ、というアピールを前面に出した。


 ニコは、立場としてはダニエルゼに仕えている身であり、その中での序列は絶対である。序列こそは、騎士を目指す者にとって、もっとも重んじるべきことだ。今、ニコの中で、四人の序列は、ダニエルゼ、ハルキ、シータ、ニコの順である。したがって、ニコは必ず、ソファーで寝るべきなのだ。それ以外はあり得ない。


 もちろん、これは、ハルキが奴隷を解放しようとしている理想とは、無関係な話だ。ハルキがそういった信念を持つことは素晴らしいことだ。だが、現時点で、そのような序列があるのは事実で、ニコは騎士を目指すものである以上、序列ということには徹底的に守るべきだと考えていた。


 とりあえず今夜は、ソファーで寝るということが、確定出来たようなのでニコは安堵した。酷い条件で寝るのが決まって、安堵するというのもおかしな話ではあるが、身体的な疲れよりも、精神的な疲れのほうが、ニコには堪えるのだ。


 目の前で寒そうにされるよりも、自分が寒いほうが楽なのだ。


 ニコはそういう人間だ。


 人の痛みを、自分のこととして感じられる人間であれ。

 そうニコに諭したのは、マルク・ハウザーだ。ニコは物心ついたときから、奴隷であって、自分の親が誰かも知らない。幼い頃、ニコは公都の北東にあるアルテートの町にいた。そこで騎士であったマルクと出会ったのだ。マルクは父が戦場で亡くなったために、騎士の地位を継いだばかりだった。たぶん今のニコと同じぐらいの年齢だっただろう。

 ニコは、マルクの邸宅に訪れる度に、騎士の心得や、騎士が持つべき信条を何度も聞いた。そしてマルクは、ニコが奴隷であっても蔑んだりすることはなかった。マルクは、ニコにとってヒーローだった。

 主人がアルテートを離れたために、ニコも公都を離れることとなった。そのことを告げたとき、マルクは本当に残念がってくれたものだ。それ以来、ニコはマルクと会っていない。

 アルテートとビエントは、公都を挟んで北西と南東という公爵領の端と端だ。騎士であるマルクの消息など、奴隷であるニコの耳に入るわけもなかった。


(マルクさんは、元気でやってるだろうか)


 不意に心に浮かんだ懐かしい名前を、ニコは大切に胸の中にしまい込む。

 太刀の手入れをしようかと思い、ニコが用具を取り出したところだった。


 よほど気をつけていないと聞き流しそうな、それでもはっきりと小さなため息がシータの唇から漏れた。


「今夜はごちそうという話だったのに……」


 ハルキには隠しているが、シータはかなりの食いしん坊なのだ。


「ハルキが食べる料理ほどではないだろうけど、こっちもしっかり夕飯は出してくれるでしょ」

「だといいけど」


 シータが恨めしそうに呟いたところだった。

 ノックの音がした。

 ニコが扉を開けると、昨日と今日、ビエントから一緒に行軍してきた伯爵の兵士が立っていた。

 視線はニコを通り過ぎて、シータに向かっている。その露骨な視線を、ニコは体をずらして遮った。

 シータが汚れるだろ。


「何か用ですか」

「いやぁ」


 不抜けた声を出しながら男が、部屋に入ってこようとするのを、ニコは立ちふさがって邪魔をする。


「シータ、いっしょに飲もぉぜ」


 誠実さの欠片もない声で、男がシータに声を掛けた。

 その言葉に答えるのに、シータは一言で応じた。


「お断りする」


 にべもない、という言葉がぴったりだった。

 ニコは、スカッとした。

 それが表情に出てしまったのか、兵士がニコを見て鼻孔をひくつかせた。


「疲れているし、明日もまた行軍なので」

「少しぐらいいいだろ。顔を見せてくれるだけでいいんだ」


 そうすれば、俺も隊長達に顔が立つ、男はやや情けない声を出した。

 ニコは、腹が立ってきた。


「あなたが、大変なのは分かります」


 隊長に命じられれば、部下はそれに従うだけだ。それは正しい。大変なのだろう。

 馬鹿な隊長に、当たってしまえば、兵士は大変だ。けど、シータがそれにつきあう必要はない。


「シータは疲れているようなので、代わりに僕が参加します」

「は?」


 男は面食らったように、黙り込んだ。その顔には、何言ってるんだこいつ、と書いてある。


「人が足りないんでしょ。なら僕が参加します。それでいいですよね」

「ああん、何言ってるんだお前」


 男があからさまに不機嫌な声を上げた。まあ、分かる。馬鹿なことを言っているのは、ニコ自身分かっている。

 ただ、シータに矛先が行かないようにしたかっただけだ。


「そこをどけよ。俺は、シータを連れてくるように言われているんだ」

「嫌です」


 ニコは兵士に対峙する。一歩も引くつもりはない。


「どけ」


 兵士が強引にニコをすり抜けようとする。それをニコが止める。それを何度か繰り返した。

 すると、背後から、めんどくさそうな声が聞こえた。


「邪魔だ」


 その言葉と同時に、ニコの顔の横を綺麗な腕が伸びたかと思うと、掌打が兵士の顎にたたき込まれた。

 一瞬で、意識を刈り取られた兵士の体が垂直に倒れ込む。


 シータもゲオルグから、武芸全般を習っている。その中でも、シータは徒手格闘が得意なのだ。

 慌てたのはニコだ。


「ちょっ、シータ」


 すぐに、兵士を抱き上げる。


「ほっときなよ」


 振り返ると、シータはすでに、ベッドの上に寝転がっている。

 ニコはため息を落とす。


「あ、いや。でも、ハルキにも迷惑がかかるよ」

「え……そ、そうかな。そんなことは先に言いなさい」


 ハルキの名前を出すと、途端にシータが不安そうな声を出す。


(先に言うも何も。先に手がでてるんじゃないか)


 二人して、兵士を覗き込む。見事なまでにグロッキーである。


「たしかに、こんなところにハルキ様が帰ってきたら、言い訳できない」


 なぜか、シータが不満そうにニコを見つめてくる。あたかも、そこに兵士が伸びているのは、全てニコの責任と言わんばかりだ。


(理不尽だ)


 だが、ニコには反論するという選択肢はない。なぜなら、シータの方が序列が上だからだ。


「仕方がない。廊下に寝かせましょう」


 勝手にそう決めたシータが、ニコが止める間もなく男を廊下まで引きずっていく。開いた扉から、男の体が半分でたところでシータの動きが止まった。

 視線が扉の外に向けられている。

 ニコが半身を扉から出して確認すると、鬼のような顔をした兵士達がこちら向かって駆けてくるところだった。



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