60
談笑をしていた参加者達が一斉に会話をやめて、春樹を注目した。
その様子に驚いた春樹は、声が大きかったのかと思い、反射的に立つと謝罪をした。
『ご歓談のところ、お騒がせいたしまして申し訳ございません。今後は、耳障りになりませぬよう致します。何とぞ、ご寛恕下さい』
そう春樹は謝罪を述べた。
すると予想外のことが起こった。
拍手がわき上がった。
大喝采だ。
すべての人が、感心したように手を叩いている。春樹に対してだ。
春樹は訳が分からず、その場で立ち尽くした。
非難されているわけではないのは分かったが、一体春樹の今の行動の何が褒められることなのか分からなかったのだ。
「さすがは殿下の従者だ」
「まったくだ」
「思わず、聞き惚れてしまった」
「わしもだ」
「いやぁ、殿下はいい従者を連れている」
訳が分からない。何が褒められているのか。丁寧にしゃべったのが良かったのか。
だが一番、下の立場の人間だし、丁寧にしゃべるのは当然だろう。
続いた言葉も、まさに予想外。
「ほんと、素晴らしいニホン語でしたね」
「あのように、流暢な話し口調。公都でも聞いたことがない」
「まさにまさに、公都のパーティでも、あそこまで綺麗なニホン語は聞けない」
「私など、聞き取ることもできませんでした」
(は……はぁぁあ?)
絶句。
日本語の発音のことが褒められているとは、思いもしなかった。
まだ動くことができない春樹の下に、次々と人が集まってきた。
「見事なニホン語だ。今度、私の息子にニホン語を教えてくれないか」
「私は、自分自身にニホン語を教えてほしい」
「いやいや、しばらく伯爵領でニホン語の教師をしてほしい」
春樹は突然の事態に圧倒されながらも、なんとか冷静になって背を伸ばした。
「お誘いありがとうございまます。ただ、私は殿下とともに、これから公都に向かうことになっております」
「そうですわ」
ずいと割り込んできたのは、ダニエルゼだ。
にこやかな笑みを浮かべながら、春樹の隣に立った。
「ハルキはこれから公都に向かい、謁見の場で口上を私に代わって読み上げることになっております」
(おい、そんなこといつ決まったんだ)
春樹が非難を込めた視線をダニエルゼに向けるが、ダニエルゼはさらりと受け流した。
口上を読み上げるというのは、公都での謁見の際に一番の矢面に立つということだ。
「いや、それは素晴らしい計画ですな。ハルキ殿のニホン語であれば、それだけで口上の価値もあがるというもの」
息子にニホン語を、と話しかけてきた年かさの男性が、得心したように目を輝かせた。
こうなっては、春樹としても笑顔で頷くしかない。
本当にそれが正しい役割分担であれば、春樹としても否やは無論ない。
ただ、苦労して身につけた共用語は誰にも褒めてもらえず、もともと身につけていた日本語のことでここまで褒められるというのも、どうにも不合理な気がした。
とはいえ、春樹もこの国に来てから、不合理には慣れている。突然、この国に放り出されたことを考えれば、大概のことは想定の範囲内だ。
『お褒めにあずかり恐縮です』
と、日本語で答えると、また歓声があがった。
(日本語を扱えることがここまで価値があったとは、これはしっかり利用しないと)
そう春樹が算段を付けたところだった。
けたたましい音を上げて、春樹の後ろにあった扉が開け放たれた。
何事か、とまたも春樹のほうに視線が集まったが、今回の視線は春樹の後ろに立った人物に注がれた。
春樹が振り返ると、そこに立っていたのはシータだった。
その灰色の瞳が、光を受けて銀色にきらめいている。肩口で切りそろえられた銀色の髪が珍しく乱れていた。
白い肌は、降ったばかりの雪のようだ。
おお、というどよめきが起こった。
突然の闖入者へのとがめ立てするような声ではない。シータへの美しさへの感嘆のどよめきだ。
「ハルキ様」
シータの声が逼迫している。
「すぐに兵舎に来て下さい」
理由を話している暇はないのか、シータは要望を単刀直入に告げた。春樹は即答しかねた。この場を仕切っているのは、アバーテ伯爵だ。伯爵の顔を潰すようなことはできない。
それを平然と破ったのは、ダニエルゼだった。
「行きなさい」
空気を読まない発言だが、ダニエルゼであればギリギリセーフといったところだろうか。晩餐会の主催者ではないが、地位としては上位なのだから。
公女らしい堂々とした振る舞いと言える。
「承知しました」
春樹は、ダニエルゼと、アバーテ伯爵に頭を下げて、会場を出た。
廊下は、少し肌寒い。蝋燭で照らされた廊下は、薄暗いが歩けないほどではない。春樹も闇に対する耐性がこの一年で養われている。日本のように明るい夜というのは、この国にはないのだ。
シータが先導して、走り出した。
「何があった」
春樹も走りながら、シータに尋ねる。
「実は、ニコが決闘することになりました」
なぜそうなった。
春樹は、心臓が鳴り出すほどに驚いた。