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扉を開けると、大きなテーブルがあった。そして左右にはずらりと人が並んで座っていた。左右にそれぞれ五人ずつが座っており、テーブルの上には、色鮮やかな料理がならべられ、湯気を上げていた。
座っているのは、男が多いが、左側の列には女も二人混ざっている。
年齢は、春樹と同年代の者から、老年の域に達していそうな者など、様々だ。
春樹が部屋に入ると、一斉に視線がこちらに集中した。
その視線の一つに、見知ったものがあった。ダニエルゼのものだ。ダニエルゼは部屋の一番奥、アバーテ伯爵の隣に座っていた。
ダニエルゼは、春樹が気づいたことが分かると、春樹に向かって頷いて見せた。
その瞳が嬉しそうに輝いているのが、見て取れた。口元に得意げな気配が漂っている。
(うーん、イエナの奴は勝手に何かに意気込んでるみたいだぞ)
春樹は、嫌な予感がしたが、ダニエルゼまではかなり遠い。
駆け寄って、「変なこと言うなよ」と言うのはちょっと難しい距離だ。
ダニエルゼの隣では、悠然とアバーテ伯爵が座っている。その手が一つの座席を示した。扉に一番近い座席だ。
末席というやつだ。
春樹を含めて、十三人ということになる。
春樹がそこに付くと、それを合図に伯爵が声を上げた。
「さて、諸君」
大きな声だ。自然と伯爵に顔が向く。
「今夜は、ダニエルゼ公女殿下にも、ご列座いただいている。本来であれば、明日からの公都への旅に備えて休まれるところを、私が押してご参加いただいたのだ」
そこで伯爵は言葉を止めて、ダニエルゼに頭を下げた。一緒に、テーブルに座った面々も頭を垂れる。
ダニエルゼはその礼を平然と受けた。栗色のふんわりと広がった髪の毛は柔らかそうに揺れている。着ているのは黄色を基調としたドレスで、胸元だけ白い布で覆われており溌剌とした印象を与えた。淡いピンク色のネックレスが、ダニエルゼによく似合っている。
(なんかほんとにお姫様っぽい)
普段の、むちゃくちゃな言動を知っているだけに、どうにも非現実的だが、本当にダニエルゼは公女なのだということを再認識する。
「今夜は、公女殿下をお迎えして、伯爵領の運営を行っている皆の慰労もかねて晩餐の場を持とうと思う」
そこで伯爵は、陶器のグラス持って、立ち上がると高く掲げた。それと呼吸を合わせて、テーブルに座っていた者たちも立ち上がった。
春樹も立ち上がって、やや重い陶器のグラスを掲げる。
一番最後に、ダニエルゼがゆっくりと立ち上がってグラスを掲げた。ダニエルゼがグラスを掲げるのを待って、伯爵が唱える。
「それでは、我がアバーテ伯爵領の繁栄と、ソル公爵家の永劫なる隆盛に、この杯を捧げよう……乾杯!!」
「「乾杯!!」」
全員が唱和すると、グラスを鳴らした。
すると、横手の扉が開いて楽隊が入ってきて、演奏を始めた。ピアノような楽器に、バイオリンのような楽器、ハープのような楽器が並んでいる。
もともと春樹は楽器に詳しくないうえ、日本で見ていた楽器と微妙に違うというのがわかる程度だ。
(そういえば、楽器を見たのはこの国に来てから初めてかも知れない)
柔らかな音色と共に、ゆったりとした音楽が流れ始めた。
それを合図に、参加者達は、隣の者と雑談を始めた。
立食形式ではないため、椅子に座ったまま近くの者と気ままに話している。
日本の飲み会のように、上役のところに挨拶にいって、杯を交わすという文化は見られないようだ。
晩餐会の中身を全く聞かされないまま、参加することになったため、春樹はやや緊張していた。本来であれば、参加者の略歴や趣味ぐらいは事前に押さえてから、参加したいところだ。
ここに参加しているのは、アバーテ伯爵の対応からして、伯爵領の重鎮といえるメンバーなのは間違いない。
立場としては、ゲオルグと同等か、それ以上の者達だ。春樹が下手なことをひとつ言えば、伯爵の気が変わって、ダニエルゼは後ろ盾は失うことになる。
(もともと、伯爵がダニエルゼを担ぎ上げたいようだったから、大丈夫だとは思うけど……それはともかく、顔を売っておきたいな)
はたしてこういう場で、気軽に隣の人と話してよいのか、春樹はマナーを知らないため若干の躊躇いがあった。春樹はこの場で最も地位が低い人間で、そんな人間から話しかけることが許されるのかが分からない。
とはいえ、黙っているには、もったいない機会だ。春樹達四人の誓いは、当然自分たちだけで達成できるものではない。
人脈を築いていかなければいけない。
春樹は、心の中で、エイっとかけ声を掛けて隣の男性に話しかけた。
「初めまして、私はビエントで官吏をしておりますハルキといいます」
まだ、若い男だ。春樹よりやや若い年だろう。
座っているため、はっきりとしたことは言えないが、身長は春樹より低く、胴回りは倍ほどありそうだ。何を食べたら、こんなに太るのかというほど太っている。
楽しげに話していた男は、春樹が声を掛けると面倒くさそうにこちらを振り向いて、ああ、とだけ言うと顔を戻して話し始めた。
見事に無視された。
それを困ったように見ていたのは、男が話しかけていた髪の長い女だ。
春樹が面食らった様を、しっかりと見ていたようで助け船を出してくれる。
「アントン。殿下の従者が、話しかけてるぞ」
女は、春樹に笑顔を見せた。
「私は、エッダ・ベルネ。アバーテ閣下のもとで、騎士をしている」
エッダはきびきびとした仕草で立ち上がると、胸の前で手のひらを合わせて春樹に頭を下げる。金色の髪に、青い瞳。背は春樹と同じぐらいだろう。均整のとれた体格だ。
そんな人が、手を合わせていると、少し違和感がある。
(日本の合掌だ)
春樹はその仕草に戸惑いながら、慌てて立ち上がって同じように、合掌をした。
「ダニエルゼ殿下のもと、官吏をしておりますハルキと申します。ご丁寧にありがとうございます」
ダニエルゼのもと、というのが、少々業腹ではあるが、そう言って春樹は頭を下げた。遠くのダニエルゼが、感心感心というような風に頷いているのが見えて、あとで見ていろ、と胸の中で呟く。
席に座り直すと、エッダが春樹に話題を振ってくれた。
伯爵領のそれぞれの街のことや、これからの繁期の農作業について、騎士という立場であるが農婦とやっていることが変わらないこと、また伯爵領内で騎士は五人いること。
「その五人に入っているというのは、凄いですね」
「いや、当家は代々騎士の家系だからな。私の代で潰さぬよう、頑張っているだけだ」
まてよ、と春樹は思う。家督相続は、男が優先されるのでは無かったか。
「いや、そんなことはない」
春樹の疑問に、エッダは笑って手を振った。話によると、男優先の家督相続が残っているのは、公爵、伯爵といった爵位のある貴族だけでそれ以外は、長男や長女が継ぐことになっているのだという。
「とはいえ、もし弟がいれば、そのものに継いでもらっただろう。残念ながら、ベルネ家は男兄弟はおらぬがな」
ここまで話して、二人の間に挟まれていた格好の男が、エッダに話しかけた。
『エッダ、目下と話さない、がいい。低く見える』
たどたどしいが日本語だったが、春樹に、隠そうともしない声の大きさだ。
(ああ、これは日本語が分からない、と思っているのか)
春樹は、分からないフリをするのと、すぐに白状をするのと、どちらが得かを考えた。
すぐに結論は出た。
どうせすぐばれる。
『エッダ様。軽々しく話しかけまして、誠に失礼いたしました。田舎から出てきたばかりの山家育ちの人間ですので、どうぞご容赦下さい』
そう日本語で答えたところ、晩餐会全体が水を打ったように静まりかえった。